緑遊会へようこそ

「いや~、ごめんね……とある理由があって最初に来るゲストには直接場所を教えられないルールなんだよね」


「い、いえ……だ、大丈夫です」


 車の後部座席の真ん中にちょこんと座る小市民体質な俺に、明さんと呼ばれていた人はニコニコと話しかけてくれた。 


「でも大丈夫、すぐに着くよ……だからもっとリラックスしていいんだよ」


 緊張を見透かされたのか、やや苦笑を浮かべた明さんが気を使ってくれる。


「まったく、恥ずかしいわね、男なんだからもう少しビシっとしてなさいよ」


「う、うるせえ……」


 なんとかそれだけを返すのが精一杯の俺に明さんが楽しそうに笑う。


「懐かしいね~、羽田さんも初めて来た時はそんな風に緊張していてね……可愛らしかったもんだよ」


「あ、明さん……昔のことは……や、やめてください」


 珍しくキョドる麻由の姿に一瞬驚いたあとに、俺は思わず笑ってしまった。

 

「な、なに……わ、笑ってんの……よ」


 バツが悪いのか、普段のキレを微塵に感じさせないその姿に驚き、そしてまた笑ってしまう。


「わ、笑わないでよ!……バカ!」


 隣で俺を叩きながら、それでも頬をまだ赤らめている麻由の姿はとても新鮮で可愛らしく見える。 

 

 普段の冷静な姿よりもこっちの方が俺は良いと思うのだが、そんなことを言えば後でビンタの一つもされそうなので黙っておく。 


 ついでにこれ以上笑えば本気でヘソを曲げそうなので笑うのも我慢することにした。 


 そしてそんな俺たちの姿を驚いたような、嬉しいような表情で明さんは何も言わずに運転している。


「いつまでも二人の会話を聞いてはいたいけれど、もう会場につくからさ……はいこれ、よろしくね」 


 そう言うと運転席から明さんが麻由に何かを手渡してきた。 それは黒く長い布状なものだ。


「はい……わかりました……ほら、顔をこっちに向けて」


 促すように麻由が俺の顔を自分の方に強引に向ける。 しなやかな指越しに彼女が緊張しているのが見て取れた。


「う、うわっ……!何すんだよ」


 急に視界が暗くなる、同時に両目のあたりに微かな圧迫感を感じる。


 目隠しをされたのだ。 急な行動に思わず声が出すと、


「静かにして……大丈夫よ、私がいるんだから安心して」


 耳元で優しく麻由が囁く。 それは出会った時から考えて一番優しい声で、なんとなく安心してしまう美しい囁きだった。

 

 と、とにかく……麻由も居るし、彼女も安心しろと言っているから大人しくしておこう。  

  

「大丈夫だよ、部屋に入るまでの辛抱だからさ」


  

 何も見えない世界でよちよちと歩く俺の手を彼女が誘導してくれる。

  

 目隠しされてどこだかわからない場所へと連れて行かれているこの異常な状況に心臓が早く鼓動し、手のひらにはじっとりと汗が滲む。 

 

 いや俺だけじゃない、俺の両手をしっかりと握り、引っ張っていてくれている麻由自身の指先も熱く湿っている。

 

 普段はツンケンとして冷静な麻由もなぜかはわからないが緊張している?


 一体どういうことだ?


 一抹の不安が心底から湧き出てくるが、今更慌てたってどうしようもないのだから、深呼吸を一つして、ぎゅっと彼女の手を握り返す。


 俺も多少は度胸がついたものだなと内心苦笑しながらも不安な気持ちを手の先のぬくもりに託しながら慎重に歩を進めていく。


 やがて室内に入ったことを空気で感じ、ふわふわとした絨毯を足で踏みしめる。

 

 そこまで来たところで圧迫感から開放される。


 目隠しが取り外されたのだ。 

 

 眩しい光……は感じなかった。


 開かれた視界の先には薄暗い照明にいくつかのソファとテーブルが並べられていて、幾人かの男女が興味深そうにこちらをじっと見ている。


 その中心に座っていた男性が立ち上がり、足早にこちらへとやってくる。 


 明さんとはまた違う人懐こそうな笑顔で、年格好は俺と同じくらいだろうか?

  

 表情も顔も上手く言えないが特徴らしいものも無い。 おそらくはクラスメイトだったとしても印象に残らないような男だった。


 麻由が手を離し、一歩離れる。


 明さんも同じようにまた離れる。


 まるで何かの儀式みたいだな。


 場違いな感想を抱いていると件の男が俺の前に立っている。


 ニコニコとはしているが、どこか浮世離れしたような妙な雰囲気の男だ。  

 

「おはよざ~っすーーーーー!」

  

 マイクも使ってないのにビリビリと周囲が震えるようなでかい声を出して右手を差し出してくる。


「おんや~?どうしたんだい?照れちゃってるのかな?」


 呆気にとられる俺を不思議そうに覗きこみ、同意を求めるように明さんたちに問いかける。


「ははは、初対面からテンションが高くて驚いてるんだよ」


 明さんは慣れているのか、俺の心情を代弁してくれる。 麻由の方はというと、


「……相変わらずバカなのね」


 飽きれたような諦めたようなことでそんな辛辣なことを言う。


「おいおい麻由ちゃんよ~、久しぶりに会ったというのにずいぶんとつれないじゃないの~?せっかく新しい仲間を紹介しに来てくれたんだからもう少しフレンドリーに接してくれないと芳樹、困っちゃ~う」


 な、なんだ……この人は、初対面からのぶっ飛ぶようなテンションの高さにあの気位の高い麻由に対してこんな態度を取れるなんて……。


「はいはい、わかりましたから……そんなことより早く始めましょうよ」


「え~、しょうがねえな……それじゃあらためて、オッス!オラ駒形芳樹って言うんだよろしくな」


「あ……はい……真田友和です」

 

 なんとか挨拶を返し、握手を交わす。  

 

 芳樹さんは満足げに頷くと、急に真面目な顔になり、後ろにいた人間に合図を出すとそのまま近くにあったソファーにどかっと座る。 


「さてと……友和君だっけ?麻由ちゃんから話はどれくらい聞いてるんだ?」


 急にマジなトーンになる芳樹さんの問いかけに、

「えっ……?と、特には……何も……」

 後ろにいた麻由の顔を伺いながら慎重に何も聞いていないことを告白する。


 麻由の表情は堅く、心なしか少し震えているようにも見えた。


「何も聞いてない……か、ふっふっふ……ははははは!」

 

 何がおかしいのかソファの上で笑い転げている。 腹をかかえ、こんな愉快なことはないと言わんばかりの姿だった。


「い、一体……話ってなんなんですか?」


 状況が見えないことに対して、流石にいらだちが隠せない。 


「ごめんね……彼に他意は無いんだ……その……芳樹は……」


「極端な笑い上戸だと思ってればいいわ……今は特にね」


 ピシャリとした麻由の言葉にますます混乱してしまう。 


「ああ、わるいわるい、珍しいものを見たせいでな。まあ、とにかく友和君は本当に何も聞いていない、真っ白な状況だってことだな」


「は、はあ……」


 戸惑う俺以外のメンツにも妙な緊張が走っているように見える。


「ところで友和君は友達は多い方かな?」


「えっ?」


 ぶしつけな質問を思わず聞きかえす。


「友達なんていないし、口も軽くない馬鹿正直な男よ」


「おい、麻由ちゃん……俺が質問してるのは友和君なんだぜ?お前じゃないんだよ」


「…………そうね」


 あの気が強く、プライドの高い麻由のこの態度にいま問いかけられている質問がかなり重要なものだということが理解できた。


 同時に今回のこの場所に珍しく彼女が強引に俺をねじこんだということもわかった。 


 その真意はわからない。


 だが短い間ではあるけれど、俺が麻由から受けた恩恵は計り知れない。


 それは彼女を通してではあるが、人脈であったり、自分自身の至らなさ、そしてこのままではいけないということに気づかせてくれた……多少オーバーな表現をすれば人生の師というくらいの影響を与えてくれた人だ。


 そんな彼女を困らせたくは無いし、期待を裏切りたくはない。 


「はい……正直言って友人は後ろの彼女以外にいません」

 

 なので正直に質問には答えた。 取り繕ったところで俺の頭や経験では誤魔化すことも嘘を突き通すこともできないのだ。


 それに彼女が俺を評して「馬鹿正直な男」という言葉を否定したくはなかった。 


「………………そうか」

 

 やや長めの沈黙で芳樹さんは答えた。 先程までの人懐こい表情が嘘のように固く、そして無機質な瞳をしている。 


 この人……見た目や態度とは違ってやばい人なのかもしれない。


「それじゃもう一つ質問だ……お前は後ろにいる紹介者の羽田麻由を決して裏切らず、また俺たちを裏切らないと誓うか?」


「えっ……」


 場の張りつめた空気が、その質問が冗談でも、今まで生きてきて誓ったどの誓よりも本気で考えなければいけない……いわゆる『覚悟』というものを求めているのがわかった。

 

 なるほど、だからこそギリギリまで今回のことを俺に言わなかったのか……。

 

 チラリと後ろを振り向くと、彼女は床に視線を落とし、薄暗がりの中でもわかるくらいに蒼白で、落ち着かないのか親指の爪を噛んで何かに耐えていた。


 ふと今まであんなにも眩しくて、自信の塊のような彼女がはじめて自分よりもか弱い存在に思えた。 


 そんな彼女を見ただけで十分だった。 そう、それだけで十分だったのだ。


 その仕草と『あの姿の麻愉』を見ただけで自分はなんでもしてあげたいとさえ思えた。


 たとえそれがどんな『覚悟』を求めても……。


 なので力強く答えた。


「はい」


「……OK、それじゃ会長の権限を持ってお前を緑友会へと迎えよう……言っておくが今更止めるとかはできないから……チョコんところよろしく~」


 話している途中でどんどんと元の親しみやすいノリになっていく芳樹さんを見て、この人を理解しようと思うことはやめた。 


 俺には永久に理解できない存在なんだと思うことにしたのだ。


「そ、その……いまさらだけど……後悔しない?」


「ここまで連れてきておいて言うことかよ」


 苦笑してしまうほどにモジモジとした麻由が俺に問いかけてくる。 


「で、でも……黙って……たし……]


「は~い、それじゃ入会の儀式やるから持ってき~」

 

 未だ煮え切らない彼女の言葉を吹き飛ばすようなでかい声で芳樹さんが誰かを促す。


 フワフワとしたソファーへと誘導され、警戒するように座り込む。 


 そこまで警戒しなくていいよと明さんが優しく声をかけてくれる。


 そして隣には麻由がちょこんと座り、そっと俺の小指を彼女の細い指が握る。


 こりゃよほど緊張しているんだな。 


 何が出てくるのか少しだけ心配になったが、不安そうな麻由を元気付けようと思って思い切って彼女の手を握りかえす。


 「なにするのよ」と平手をおみまいされるかなという予測は杞憂だったようでまるでしがみつくように彼女もきゅっと俺の手を力いっぱい握り締めてくる。


 同時に先ほど合図された人間が長細い花瓶のような透明な入れ物をもってきた。 

 

 それは下側に水が貯めてあり、空洞の中にもう一つ細いパイプが上部から下部へと水に浸るように存在していて、それの中腹には曲線を描いてもう一つパイプが横についていた。

   

「ほいほ~い、それじゃ入会の儀式を始めるぞよ~」


 すでに芳樹さんの様子がまた変わっているが、今はそんなことを気にしている余裕は無い。


 いつの間にか明さんがその手に小瓶を持ってきて俺達の前に置く。


 小瓶の中は何か干からびた茶の葉みたいなものが詰まっていて、それを芳樹さんが無造作にテーブルの上に置かれた入れ物の横側についたパイプ側に入れる。


 そしてジェスチャーで上部のパイプ側に口をつけるよう促す。


「儀式は紹介者が火をつけてはじまる」


 低い声で彼はそう言って視線を麻由へと移した。


 コクリと少女のように麻由も応える。


「そう、全ては火から始まったのさ」


 芳樹さんの言葉が異様な空間に溶け合うように消えていく。


 緊張した面持ちで麻由がポケットからライターを取り出しそれを先ほど小瓶の中身が入れられた場所へと近づける。


 チッ、チッ、と二回ライターの火をつけようとするが火は点かない。


いやがおうにも緊張感が高まってきた。


 もしかしてこれは早まったか?


 という怖れも一瞬浮かぶが、いまさら逃げられるはずもないし逃げるわけにもいかない。


「大丈夫……大丈夫」

 

 火がつかないことで半分泣きそうな顔の麻由を見れば状況の異常さについての危惧すら呑みこめた。


「……落ち着けよ、心配するなって」

 

 搾り出すような声は意外にも大きく響き、彼女がはっとこちらを見る。

 

「ふはは」

 

 芳樹さんの噴き出すような声すらも笑い飛ばせるような気分だった。


「余計なお世話よ……もう」


 いつもの口調に戻るが、最後の一言は安堵しているようにも聞こえた。


 一度だけ深呼吸をして麻由は落ち着いてライターの火打ち部を勢いよく回す。


 シュボっという音を立てて火が噴出部から噴き出す。 


 一瞬、ホっとした表情で麻由がそれを投入部へと近づける。


 そして俺は吸い込み部に口をつける。


「いいね~!二人の始めての共同作業だぜ」


 からかう芳樹さんをキっと睨みつけて彼女は俺に視線を合わせる。 


 今度は俺がコクリとうなづいた。


入れ物内部の空気を吸い込むと、ボコボコという音を立てて紫色の煙が内部に充満し、それをそのまま口内から体内へと取り込む。


 独特な青臭い風味が鼻腔を刺激する。


また喉がいがらっぽくなったので吸い込み口から唇を離し、俺の身体を循環した煙を口から吐き出す。


「オーケーイ!儀式は終了し、真田友和は俺達の仲間となった。みんな風変わりなニューメンバーを歓迎しようぜ!」


 マイクを使ってないのにまるで使用しているかのように室内に響く芳樹さんの声を他人事のように聞いている。


「緑遊会へようこそ!」


 そういって麻愉は俺にキスをした。


口内でとろけるように舌がからみあう。


そしていつの間にか彼女の甲に上に置かれた指は上と同じように結びあっていた。


 とろけるように同化するように俺たちは求め合う。


 そしてその日俺は向こう側の世界に到達し、緑遊会のメンバーとなる。


 色々な意味で俺の人生に影響を与えた日々が始まる日だった。 



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