第4話

 私が再び目を覚ましたのは、ベッドの中でのことだった。

 その病室のような場所はやたらと白く、とても広かった。

 知らない天井だった。


「知らない天井、か」


 昔のロボットアニメで主人公が呟いたようなセリフを、まさかこんなところで使ってみるとは思いもよらなかった。


「どうだね、様子は」


 ベッドの横に立っている男が言った。もうとっくに引退していてもおかしくないような頭を丸めた男だった。白衣を着ているところを見るからに、医者なのだろう。

 ともかく、私はその質問に答える必要があった。私はとりあえずそれに頷く。


「そうかい。いやあ、ここに担ぎ込まれた時はひどい有様だったんだよ? ナイフで胸を一突きにされていて、あげく麻袋に放り込まれていた。普通だったら死んでもおかしくなかったはずなんだ。だけれど、刺されていたところが心臓ではなくて肋骨。それもヒビすら入っていなかった。まったくもって奇跡としか言い様がない。……ともかく、すごいことだよ」


 それだけを言って、医者は去っていった。

 よく見ると様々なところに包帯が巻かれている。これから見ても私がひどい怪我を負っていたのだということが見て分かる。

 さて、状況を整理しよう。

 ネガヒ様の表情からして、彼女はあのことを嫌っていた。それは私が意識を失う間際に聞こえた男たちとの会話からして分かる話だ。

 ならば彼女を救うために私はどうするべきか。その決断は、もうすぐそばにまで迫っていた。



◇◇◇



 医者、今石和彦は北石病院の医者である。担当は内科医だが、昨今の医師不足に伴い様々な分野でも担当することが出来る。

 カルテを見ながら、今石はため息をついた。

 どうして彼女は助かることが出来たのか、ではない。

 彼女をここまで連れてきた人間の存在、だ。

 凡てを黒いマントで隠した人間は、男であるか女であるかすら解らない。

 いったい何者だったのだろうか――そういう妄想を膨らませながら、彼は夏乃が居る病室にたどり着く。

 風が吹いていた。

 カーテンが、靡いていた。

 そして。

 夏乃が居たベッドには、誰も居なかった。

 今石はそれを見て驚かなかった。なぜかは解らないが、そういう可能性もあったのだ――そう思っていたからだ。


「……こっぴどく叱られちゃうなあ」


 今石はそう言って丸くなった頭を撫でる。

 それはわざと彼女を逃してしまったからなのか、偶然彼女を逃してしまったからなのかは、誰にも解らない。



◇◇◇



 森を走る。

 私は急いで結目村に戻るために走っていた。残念ながら服はボロボロになってしまったからか捨てられていたので、病院のパジャマに先程近くのブティックで買ったコートを着て走っていた。財布だけ抜き取られていなかったのは、寧ろ救いとも云える。

 結目駅まではここからそう遠くない距離だったと記憶している。列車に乗って数十分くらいだろうか。そこから歩いて一時間……少なく見積もっても結目村まで二時間はかかる。


「急がなくてはなるまい」


 誰を助けるために?

 ネガヒ様を、椿秋菜を、そして、少年を。

 少年は私が巻き込んでしまったのだ。助けなくてはなるまい。


「無事でいてくれよ……!」


 そう言って私は走る。走る。走る。

 暮れ始める夕日に向かって私は走っていたが、まるでそれに私は吸い込まれていくようでもあった。そして燃えていくようにも見えるその夕日は、結目村に起きる何かを暗示しているようでもあった。



 ◇◇◇



 結目村はある一大イベントを迎えていた。

 ネガヒ様が居る神殿に、ネガヒ様へ生贄を納めるのである。


「ネガヒ様に生贄を納めるときがやってきた!」


 トン! と杖を叩くのは、顎鬚を充分に蓄えた長老のような人間だった。彼は結目村の長老であり、ネガヒ様の神殿を代々管理している一族のひとりでもあった。

 それを聞いて、誰も感情的に反応する人間はいなかった。その言葉にただ、松明の炎が揺らめくだけだった。


「生贄を、ここへ!」


 トン! 再び長老は杖で地面を叩いた。

 その音と同時に、ゆっくりと台を担いで来る人間が数名歩いてきた。その台の上には秋菜が乗っていた。逃げられないように手枷が台に垂直に立っている木の棒に雁字搦めに付けられている。

 その生贄と呼ばれた秋菜は神殿の中に連れて行かれる。

 それを僕は、ただじっと眺めているだけだった。


「少年、これがお主たちの突き止めたかった『祭り』だよ」


 僕の隣に立っていた男は、僕を睨みつけながら呟く。


「これが祭り? ただの因習だ。生贄を出して、それがどうなるというんだ。ネガヒ様が人を喰らうとでもいうのか?」

「ネガヒ様は人を食べない。ネガヒ様のことを助けるために、人が必要なのだ」

「どういうことだ?」

「ネガヒ様は願いを叶える。その代わり、自分の『幸せ』を吸収するのだ。人も妖怪もカミサマも、幸せのパラメータは一定数として決められている。それがゼロになったら……それは死んでしまう。まるで『不運』だ。だが、そんなことがネガヒ様にもあってもらっちゃ困る。困るんだよ。この村が必ず願いが叶う……そんなことが無くなってしまっては、ネガヒ様で甘い汁をすっている連中が困るんだ」

「お前みたいな人間が、ということか」


 それを聞いた男は、持っていた棍棒で容赦なく僕の背中を叩いた。

 背骨がきしみ、悲鳴を上げる。


「……身の程を弁えろ。今お前がどういう立場でいるのか、考えるんだな」


 僕は考えた。夏乃さんがやってくるチャンスは、もうすぐやってくる。

 それまでは、何とか耐えなくてはならないだろう。

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