第14話 柔道
今朝は結局エリと一緒に登校することになった。
エリとは昔からなんとなく一緒に登下校してきたが、あいつの俺に対するお節介は正直度を越している。両親を亡くした反動で、頼れる人間が少ないエリに付きまとわれるのは仕方ないと思っていたが、まさかここまで尾を引くとは思っていなかった。
今まではこのままでも良いと思っていたが、親父に目を付けられた以上はそうはいかない。
――手なずけておけ。
ヤツの呪いのような言葉が蘇る。
俺はエリを支配しようともされようとも思っちゃいない。ただ、俺が最も恐れているのは大切な人間に銃口を押し付けられるあの光景だ。
キーンコーンカーンコーン
4限目の終了を知らせるチャイムが鳴った。つまり今は昼休みだ。
エリの方を見ると弁当を持ってこちらに近づいてきた。
「ねえハル、私のケータイ知らない?」
「ケータイ?そういえばなくしたとか言ってたな」
「やっぱり見てない?教室にも無かったのよね」
「俺は知らんぞ。美術室にあるんじゃないか?」
「うーんおかしいなあ?ロッカーに入れといたと思ったんだけど……」
そう言いながらエリは手持ちのポーチの中に手を突っ込みごそごそと探している。
「美術室には無いと思うけど一応探してみる。あんたも手伝って」
腕を掴まれた。どうやら拒否権は無いらしい。
前に石井はエリのことを俺の飼い主だとか言っていたが、こいつは本当に俺のことをペットかなにかだと勘違いしてるんじゃなかろうか。
「それはいいんだけどさ、今日昼は俺お前と食わないから」
エリはピクっと止まってこちらを睨んできた。
こいつの表情パターンは大体分かった。まず睨むのは泣きそうになる前の予兆だ。
「なんで?」
「なんでってなんとなくだよ」
「なにそれ意味わかんない。どうせ美術室行くんだからそこで一緒に食べればいいじゃない」
「他の奴と一緒に食う約束してるんだよ」
「誰よ?」
「誰でもいいだろ。お前は俺の保護者じゃねえだろ」
「……っ!」
ほらきた。エリは泣きそうな顔でこちらを睨んでいる。
正直折れたくなるが今日は譲らない。
「……女子?」
俺の腕を強く掴みながら聞いてくる。
こいつは前に俺がクラスの女子に告白されそうになった時、やけに不安げになり、俺のそばを離れようとしなかった。当時はただの嫉妬としか思わなかったが、こいつのこれは嫉妬とは少し違うように思える。
そう、不安だ。エリは自分の周囲の人間が自分のそばから離れていくことにただならぬ恐怖心を抱いている。
どれもこれも両親を失ったPTSDの副産物だろう。
割れもののような危うさがあるが、俺はこいつに対してそんなに器用に接してやることはできない。
今はただ、俺から少しでも離れた方がこいつのためだと思った。
「だから誰でもいいだろっつの。仮に女子だったとしてもお前には関係ない」
「……フン!分かったわよ。勝手にすればいいじゃない!もうハルなんて知らない!」
エリは怒鳴って瞳に涙を貯めながら教室を出ていった。これはデジャヴュだ。昨日も同じような光景を見た気がする。
「まーた夫婦喧嘩か春樹」
智和が弁当片手に話しかけてきた。
「夫婦じゃねえよ。そもそも付き合ってもいない」
「春樹、お前さあもう少し優しく言ってやれよ。あんな可愛い子泣かせて罪悪感ないのか?お前は本当に人間か?」
「……」
智和は冗談のつもりで言ったんだろう。それは分かっている。
しかし俺は親父が女のこめかみに銃口を押し付けるあの光景を思い出していた。
罪悪感はないのかと問われると、なんと答えればいいのかわからない。
女が泣いている光景はガキの頃から何度も見てきたから正直慣れている。
しかし俺が泣かせたとなると、俺という存在が親父に重なっていく気がして吐き気がするほど気持ちが悪い。
「いや、すまん春樹冗談だよ。睨むなって」
「ああ、分かってる」
「でもな、エリちゃんが仲良くしてるのお前ぐらいなんだからあんまり突き放してやるなよ。お前らの関係見ててもどかしいんだよ」
智和は良い奴だ。俺とエリのことを友達として気にかけてくれている。
でも正直今は少し鬱陶しく感じていた。お節介はもうこりごりだ。俺は善であれ悪であれ人に指図されるのが嫌いなんだ。
「まあエリのことはいいだろ。それより智和今日は弁当一緒に食おうぜ」
「いいのか?」
エリが出ていった扉の方を見ながら聞いてきた。俺はそれにいいんだとキッパリ言って智和と他のクラスメイト数人と一緒に弁当を食った。いつもと変わらんコンビニ弁当の味だった。
---
「今日は柔道の授業を行う!」
午後の授業は体育だった。今日は3年との合同授業だ。俺達の学校では体育の授業は学年問わず必ずどこかのクラスと合同になるようにカリキュラムされている。
にしても、体育の授業計画を立てている奴は頭がおかしい。洋風に言えばクレイジーだ。
どうやら真夏にやる授業テーマ二つがマラソンと柔道だったらしい。
生徒にどれだけ暑苦しい思いをさせる気なんだか。
俺達はいつ洗濯したかもわからん柔道着を着せられた。
真夏の体育館の熱気と、柔道着のむさ苦しさが相まって地獄のような環境に生徒の大半はやる気をなくしていた。
「おらあ!気合入れろお前ら!!熱くなれ!もっと熱くなれよ!」
体育教師が冗談のつもりで有名テニスプレイヤーの真似をしていたが、この暑さだとなにも笑えねえし 正直ぶっとばしてやろうかと思った。実際「うっぜ」と小声で呟いている生徒もちらほらいる。
本人は半袖短パンの涼しそうな恰好でうちわを仰ぎながら言っているのだから当然の反応だ。
「いいかお前ら、武術ってのはな、人を攻撃するためのものじゃない!人を守るためにあるのだ!武術は、人の健全な心を育成し、清めてくれる!だから私はこの暑い真夏にこそやる価値があると思ったのだ。だらけきったお前らの精神を叩き直してやる!」
……どうやら俺が親父に教わった武術とは違うようだな。
武術なんてのは結局どこまでいっても人体を破壊し、相手を殺すための技術に過ぎない。
こいつらがやっているのは、決められたルールがあり、安全が確保されている中で行うスポーツだ。
柔道も昔親父に習ったことがある。それは到底、「守る」ためのものとは思えない破壊的な技術ばかりだった。
敵の腕を折り、関節を外し、首を絞め上げる。俺にはこれが人の心を育むものだとは思えないな。
「それでは二人組でペアをつくり技をかけあえ!切磋琢磨しあい、健全な精神を磨き上げるのだ!」
というわけで男女別に二人組をつくることになった。
とりあえず智和あたりと適当にやってるフリをして過ごそう。
と、思っていたところで、思わぬ人物に声をかけられた。
「よぉ大滝。なあ、俺と組もうぜ」
「……」
「おい、なんとか言えよ」
「誰だお前」
「あァ!?ふざけてんのかテメえ!!」
俺は3年の先輩に声をかけられた。
俺のことを知っているようだが、俺には覚えがない。
明らかに校則違反のオレンジの髪に左耳のピアス。
なんとなく見た事あるような気はするが、名前は思い出せん。
俺は興味のないことは覚えない主義だ。
まあ、誰だか知らないが、せっかく声をかけてくれたのだから付き合ってやろう。
別に相手は誰でもいい。
「ああ、誰だか知らんがよろしくな」
「……チッ。なんなんだこいつは。まあいい。ほら、指導してやるからこいよ大滝。くくっ」
ああ、なんかこの下卑た笑みは少し覚えてるぞ。
あれは確か……親父の知り合いの、シャブ漬けにして女を売っていた商人がこんな笑い方をしていたな。
「俺はな、小学生の頃柔道で県大会準優勝までいったことがあるんだ。お前に俺の実力を見せてやるよ」
見知らぬ3年の先輩は、聞いてもいないことをべらべら喋りやがる。
喋りながら俺の柔道着の胸元を掴んでくる。唾が少し飛んできた。
「うらあっ!!!」
3年の先輩は俺の肩腕を掴み、上半身を、自分の背に乗せるように腰を入れ、そのまま俺の体重を利用して投げにかかってきた。
引き手を前に引き出しながら、背負い、離した釣り手の肘に俺の腕を挟み、そのまま前に引き出すようにして背負い投げる。
これは「一本背負い」ってやつだな。
重心のずらしかたが少し雑だが、県大会準優勝ってのは伊達じゃないらしい。
俺はそのまま特に抵抗せず投げられた。
「うぉっ」
「っしゃあら!!ははっ!なんだよ大滝。お前弱いな」
俺は受け身も取らずに地面に叩きつけられた。
地面と言っても授業用にマットが敷いてある。ダメージは無い。
「おい大滝、もう一度だ。次はこっちでやるぞ。稽古してやってるんだからありがたく思えよ?」
そいつは体育館のマットの敷いてないスペースに俺を引っ張っていき、そこで再び対面した。
そしてまた胸元に力強く掴みかかってくる。
このくそ暑さだってのに、やる気のある生徒もいるんだな。感心だ。
そいつは、俺を掴んだあと、膝を曲げて重心を低くすると同時に、引き手を俺の股間の後ろに差し入れてきた。
そのまま車のハンドルを回すように俺を投げにかかる。
なるほど。これは「掬投げ」ってやつだな。手際は悪くないが非力な奴がやるとうまく投げられない。
俺はあえて重心を動かし投げやすいようにしてやった。
真面目な生徒には少し協力してやろう。
「がはっ」
「はははっ、弱すぎるぞ大滝!!お前受け身も知らないのか!」
俺は体育館の床に背中から叩きつけられた。受け身は取らない。
3年の先輩は愉快そうに笑っている。
エリが心配そうにこっちを見ているのが見えた。
俺はそれに大丈夫だと手で合図したがエリは目をそらしやがった。
「まだやるぞ、大滝。本物の柔道ってやつを教えてやる!」
俺はその後も真面目な3年生の技を受け続け、終了の合図があるまで何度も床に投げられた。
見た目のわりに勉強熱心な生徒もいたもんだ。人は見かけによらないな。うん。
「フン、こんな弱い奴が滝組なわけねえな」
そいつは最後に小さな声で何か呟いていたがよく聞き取れなかった。
授業終わりの整列の時間になって智和が俺を心配して声をかけてきた。
「お、おい、春樹お前体大丈夫かよ。何度も床に投げられてたけど」
「ああ、問題ない。あの先輩強くて勝てなかったわ。誰だか知らんけど」
「え?知らないのかよ。ありゃ3年の沢村先輩だろ。柄悪くて有名だぞ?」
「ふーん」
「ふーんって……お前一体何したんだよ。あの先輩に目つけられんのはやべえって。色々噂あるんだからな」
「特に何かした覚えはねえな」
沢村。聞いたことがあるようなきがするがどうでもいいな。
俺はどうでもいいことは考えない。
その沢村先輩とやらの方を見ると何やらエリに向かって話しかけていた。だが、エリは無視して女子の友達に隠れてしまった。
沢村は苛立たし気にオレンジの前髪を弄っていた。
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