第8話 お薬

「すげえな。よくこんな手に入ったな。沢村」


 それは、屋上での会話だった。

 そこに集まっていたのは3人のちょっとやんちゃな男達。


「すげえだろ? 俺の兄貴の知り合いに、いつも草売ってくれる大学生がいてさ。色々と格安で売ってくれたんだよね?」


「おー。お前これ全部でいくらしたの?」

「5万。本当なら10万ぐらいはするらしいぜ?」

「10万? そんなすんのかよ……」

「当たり前だろ。お薬は高いんだよ。マ○キヨで買ったらその倍はするぜ」

「いや、マツ○ヨでこんな薬売ってねーから……」

「でも5万でも十分たけえだろ。そんな金どうしたんだよ」

「あ? んなもん親の金くすねたに決まってんだろ」

「ハハッ、またかよ。お前また親父にボコされんぞ」

「ばれねえって。なあ、それよりお前ら、この『紙』どうよ?」

「紙?なにそれ」


「ほら、こうやってシートを一枚切り取って、舌の裏側に貼り付けるんだよ。俺の兄貴は『L』って呼んでたけど」

「ああ、『キノコ』みたいなもんか」

「いや、キノコよりキマるぜ?片道20分の天国行きチケットだ。その分帰りはちょっと地獄を見るがな」


「ふうん……。それもよさそうだけど、俺はこっちのやつがいいわ」

「ああ『冷たいの』か。それはメインディッシュだ。……そっちは……女がいるときの方が楽しいぜ?」

「なに、沢村、お前やったことあんの?」

「ああ……。もうすっげえぞ、これ。やればわかる。こないだアミが俺の部屋遊びに来たとき、使ってみたんだけどさ……」

「普段は舐めてもくれないってのに、その時はやけにノリノリでさ、後ろの穴から血ドバドバ出しててもあへあへ言って楽しそうにしてんだよ。マジうけたわ」

「ハハッ! うける!」

「なんかこの『冷たいの』やると、苦痛とか全然感じないらしくてな。女に使うとあまりに気持ちよくて、もう普通のプレイには戻れなくなるらしいぜ」

「まじかよ……。俺にも使わせろよ」

「これ使えば一発で『冷たいの』やめられない系女子の出来上がりってわけだ」

「なんだよそれ(笑)相変わらずお前のギャグつまんねーな」


「てか、沢村、お前薬やっててよく陸上続けられんな」

「あ? ……それな。もういいんだよ。どうせもう辞めるし」

「なに? お前、辞めんの? 結構教師に期待されてたじゃん?」

「……ああ……最近は薬のせいで体力落ちてきたからな。今日もマラソンの授業で1年に負けたし」

「はっ、だっせえ(笑)お前1年に負けたのかよ」

「……うっせえよ。もういいだろ。それより聞けよ。俺いいこと思いついたんだけどさ」

「なんだよ」


「この『冷たいの』使えばさ、南条みたいな女でもヤらせてくれんじゃね?」


「は? 南条エリ? いや無理だろ。あいつお嬢様っぽいし。彼氏いんじゃん」

「彼氏? あーいつも一緒にいるあいつか」


「そう。そいつな。今日俺が負けた1年。確か大滝とかいうやつ」

「大滝?」


「…………あーなるほどな、分かった。マラソン負けた腹いせに彼女犯してやろうってことか」

「……よく分かってんじゃん」


「……お前もつくづく性格悪いよな。まあいいぜ。協力してやるよ。あの女は確かに上物だ。うまくいく算段はあるんだろうな?」

「もちろんだ。この薬があれば女なんて一発でへろへろだぜ?」


「いや……ちょっと待て。いま大滝って言ったか?」

「なに? どしたん」

「大滝って……まさか『滝組』と関係ないよな?」」

「滝組? なにそれ」


「知らねえの? 『大滝組』、通称滝組。この町裏で牛耳ってるヤクザだよ」

「ヤクザ……?」

「もしそいつが滝組と何か関係あるんだったらヤバイだろ。手出さない方がいいぜ」

「……まさか。たまたま同じ苗字なだけだろ。今日近くで顔見たけど、そんなヤバそうな奴には見えなかったぜ?」

「そうか……? まあそうかもな。あいつ一人で何かできるわけでもないだろうし」

「……いいぜ。分かった。俺も協力してやるよ。その『冷たいの』くれたらな」

「くくっ……」


…………

………

……


 午前中の授業が終わり、昼休みとなった。


「あんた……またコンビニ弁当?」

「もぐもぐ……仕方ないだろ。俺料理とかできないし。もぐ」

「そんなんじゃ栄養偏って病気になるわよ?」


 俺とエリは美術室に来て昼食をとっていた。

 今は二人きりの貸し切り状態だ。


「にしても、相変わらずお前絵うまいな」

「でしょ? これからまだまだうまくなるんだから」


 エリはこうして昼休みになると、美術室にきて絵を描くのが日課だった。

 可愛らしく包まれた小さな弁当を隣の机に置き、パレットを片手に画用紙と向き合っている。

 そこに描かれているのは広大な向日葵畑だ。

 今はまだ色がついていないモノクロの絵だが、見ているだけで引き込まれるような力がある。

 絵に関して全くの素人の俺でも分かる。

 こいつには非凡な才能があるってな。


「もぐもぐ……」


 何故、俺がこうしてこいつの隣で飯を食っているのかと言うと、

「話相手いなくて暇だからあんたも来て」だそうだ。

 正直、最初の頃は面倒だと思っていたが、美術室は風通しもよくて案外居心地がいい。

 それに、こいつの絵を描く姿を見ているのは、割と好きだった。


「お前の絵を見てると暖かい気持ちになるな。流石、将来の有名画家様だ」

 俺は掛け値なしに賞賛の声を贈る。


「そ、それほどでもないわよ」

 そういうエリの顔も満更では無さそうだ。


「まあ、こんなくそ暑い日に暖かい気持ちになってもむさくるしいけどな」

「…………あんたはいつも一言余計なのよ」


 エリには小さな頃から画家になるという夢があった。

 基本的になんでもできるエリだが、その中でも突出して秀でた才能が絵を描くことだった。

 こいつには、このまま芸術系の高校に進み、エスカレーター式に大学へと進む具体的なビジョンが見えている。

 何も考えずに生きている俺とは大違いだ。

 一流の画家になるのもそう遠くない未来だろう。


「私が絵を好きになれたのも、ハルのおかげなんだよ……?」

 筆を片手に、柔らかい微笑みを浮かべながら言ってきた。


「え、なんで」

「え?」

「なんでだ」


「なんで忘れてるのよっ!!」


 いきなりキレた。

 結構怒っている。

 俺が忘れてるのが本気でショックだったようだ。

 しかし、思い当たるフシがない。


「もう! あんたが小さい頃私に絵を教えてくれたんじゃない!!」


 え、そうだっけ?

 …………?


「にしても今日は暑いな」

「誤魔化すなっ!!」

「あんまり怒るなよ。ただでさえ暑いのに体温が上がるぞ」


 エリは「……はあ」と溜息をついて再び絵の方へ向き直った。


「暑いけど、ここは風通しがよくて涼しいじゃない」


 エリがそう言った直後、優しく背中をさするような涼やかな風が吹いた。

 金髪のツインテールがさらりと揺れ、きらきらと輝く。

 俺は一瞬それに目を奪われた。

 絵に、そして夢にまっすぐ向き合うその美しい髪の少女は、とても綺麗だったんだ。


「綺麗だな」

「ありがとう。でも色をつければもっと綺麗になるわよ」

「いや、お前が」

「は、はあ!?」

 エリが飛び跳ねる。


「にゃ、にゃに言ってるの!?」

 噛んだ。

 不意打ちを食らって動揺しているようだ。


「本心だ」

「………………」

 俺がそう言うとエリは顔をりんごみたいに真っ赤に染め上げ固まった。


 数秒沈黙が流れたあとエリは再び話し始めた。


「ねえ……ハル……。あ、あんたいつもコンビニ弁当じゃない……?」

 真っ赤な顔のままちらちらこっちを見てくる。


「そ、それだと飽きるでしょうから、お弁当作ってきてあげようか……?」


 照れながら、おそるおそるといった感じで尋ねてきた。

 その表情は、どこか期待に満ち溢れているように感じる。


 俺の返事はもちろん


「いらん」

「なんでよ!?」


「だってお前料理下手だろ」

「な、それは子供の時の話でしょ!最近はうまくなってきたんだから!」


 俺は昔、こいつの作った卵焼きという名の暗黒物質を無理やり食わせられた事がある。

 美味かったかどうかは覚えていない。

 口に含んだ後の記憶が無いからだ。

 それ以来、こいつの料理は食べないと決めた。


「どうせその弁当もおばさんが作ったやつだろ」

「そうだけど……手伝いはしたもん」


 『おばさん』と言うのは、エリの両親が死んでから、エリの事を引き取り、これまで育ててくれた義理の母親だ。

 確かエリの父方の姉だったかな。

 エリとの仲も良好なようだし、俺のことまで気にかけてくれる気のいいおばさんだ。

 そういえば最近会ってないな……。

 今度ビールでも持って顔出しにいくか……。


「私の作ったお弁当よりコンビニ弁当の方がいいっていうの?」

「そうだ。お前最近のセ○ンの弁当舐めんなよ?」

「知らないわよそんなの……。そんなに私の料理が嫌なの……?」

「嫌だよ」

「なんでよ……ちゃんと作るから……」

「いらん」

「ハルの嫌いなものも入れないから……!」

「いらんっつの。彼氏でもできた時に食わせてやれよ」

「…………っ!」


 ムッとした表情をして固まった。いや、ムッっていうっよりギッって感じか。

 目は涙ぐんでいるように見える。

 こいつまた泣きそうだな……。


「すまん。今のは失言だった」

 男性恐怖症であるこいつに、彼氏なんて単語を出したのは失敗だった。


「もう知らないっ!!! 鈍感バカ男っ!!」


 そう言って立ち上がると、ビシャッ!と音を立てて美術室から出ていってしまった。

 いつもぷんぷん怒っているやつだが、今回は結構本気で怒らせてしまったらしい。

 ていうか鈍感バカ男って何だよ……。

 妖怪雪女の親戚か何かか……?


「…………」


 俺があいつの弁当を拒むのは、あいつが料理下手だっていう理由だけじゃ無かったんだけどな……。

 俺は、エリにもおばさんにも、できるだけ苦労をかけたくなかった。

 エリは、女手一つで育ててくれたおばさんに対し、とても大きな恩を感じている。

 その恩は、一生かけて返し切るつもりでいるはずだ……。

 勉強、運動、家事、そして絵。あいつが何でもあそこまで高水準でいられるのは、影で大きな努力をしているからだ。

 おばさんに迷惑をかけないために、あいつは何でも一人で背負い込む。

 それを決して表には出さないけど、俺は知っている。幼馴染だからな。

 そんなあいつに、俺なんかのために弁当を作らせたくなかったんだ……。


「……後でちゃんと謝らないとな」


 最後の一口を食べ終えた俺は、静寂に包まれた美術室を後にした。

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