おまけ

【侯爵と王太子と変わったパーティー】

【三年前、オークションパーティーの話】



 真っ暗で広い場所――ただ一ヶ所意図的に集中的に灯りで照らされているステージが設けられた会場。

 天井に吊り下げられているきらびやかなシャンデリアは、今宵ばかりはお役目はないようだ。

 一階のステージ前に各々優雅に立つ人々はよくよく目を凝らすと紳士も淑女も着飾り、鮮やか広がる色彩のドレスが見えることだろう。

 しかし、誰もが顔には顔の上半分を覆う――ただし目の周りは空いている――黒い仮面マスクを着用している。

 異様な存在感を放っていることこの上なく、時折控えめに影のように会場を回る給仕に至るまで全員が身につけているものだから、灯りが最低限の空間全体が、異様である。

 その一階を見下ろす二階席のひとつにリューク・ウィンドリー侯爵はいた。

 椅子に座っている彼の顔にも、当然のごとく顔の上半分を覆う黒い仮面マスクが存在していた。藍色の目が冴えざえと輝いている。





 本当は大層頬杖つきたかったリュークだが、そうするわけにはいかない。

 同行することになった――ここに来ることとなった直接の原因である――王太子が横の椅子に座しているのである。

 最低限の礼儀は守らなくてはならない。


「長くないですか」

「まだまだこれからだよ」


 しかしながらと、とうとうその言葉を口にした。

 仮面を持ってしてもその美貌きらびやかさは隠せないものらしく、ゆったりと椅子に腰かけている王太子はにこやかに返してくれた。

 リュークの体感時間ではもう二時間と半分は経っている。座っているだけと言っても過言ではないので苦痛になってきていたというわけなのだが……。

 王太子は飽きた様子がない。ちらと横に目を動かして、戻す。


(この人にこにこ見てるくせに一回もないしな……見に来ただけか。どのみち途中で帰ることは出来ないかもしれない)


 ため息が出そうになったがおさえていると、そのタイミングで斜め後ろに控えている従者がそっと飲み物を追加で注いでくれる。

 酒を飲むことしかやることがなくなってきていたリュークはちょうど中身の減っていたグラスを取ろうとしていたので、いいタイミングだと長い付き合い、従者に感心する。

 ステージ上では白い仮面の男が、交わされるのは時折大きな声が出るも、囁きだけの静かな空間に響く声を出している。耳障りでない声の持ち主を抜擢しているようだ。

 男が手のひらで示す先には大きな彫刻。値がつり上がってきているがリュークには価値が見いだせない。人それぞれというやつか。


「リューク様、頬杖つかれてますよ」

「……おお」


 退屈だ、ということが態度に出たらしい。従者に本当にこそっと耳打ちされて自然の動作で肘つきをやめる。

 横の王太子は金色の双眼鏡でステージを見ていたようだが、すぐに双眼鏡を下ろす。興味がそそられなかった模様。

 そこでリュークは退屈のあまり、王太子に向かって来たときから――一瞬過って今まで忘れていたのだが――気になっていたことを尋ねることにした。

 王太子の側近が携えている中くらいの袋だ。重そうな音を一度だけ微かに立てたその中身は繰り広げられていることからして、考えずとも金である。彼の欲しいものいかんによっては資金の一部でしかないと思われる。


「あれ、私財ですよね」

「もちろん、きみこそ」

「無駄遣いはしない主義です」

「あれは? 無駄遣いに入らないのかな」


 ちらと目で示された、話題にあげられたのは後ろの壁に立て掛けられている禍々しい長い剣。

 小一時間ほど前にリュークのものとなったばかりの剣だ。


「実用ですが」

「あれが? きみが武器収集家だということは知っているが、実用の範囲が広くはないか。きみにしてみれば装飾剣でも実用ということかな」

「うちにある装飾剣の八割は元々実用が装飾されたものです。それに、一度に一本しか買わないと決めていますから」


 というわけで、もうここでの用は完全に終わった。

 早く帰りたい。王都の邸にではなく、領地に。

 それに、まあ私財に決まってるだろうなと当たり前だった答えはもう頭のどこかを漂っている。私財でなかったら大問題だ。


「だいたい、王太子ともあろう方がオークションパーティーなどという胡散臭いものに顔を出してもいいのですか」

「きみ、満喫してるじゃないか」

「私は別です」


 一侯爵と、王太子。

 地位の重要さ――他に与える影響力の違いが段違いだ。

 良くないものだったらどうしたのか。認可されたと流行ってしまうかもしれない。


「小耳に挟んでね、見ないわけにはどのようなものか分からないだろう?」

「だから、うちに来たのですか」

「きみのところになら招待状が来ていると思って」


 大当たりだ。

 招待状なんてろくに吟味していないから、言われるままに従者に探してもらい「ありますが?」と言ってしまったのだ。そして、ここにいる。


「悪いものかどうか視察にいらしたと」

「そういうことだ」


 本当かよ、とリュークは思った。

 もはや顔に外面の笑みはない。仮面で上半分隠れているとはいえ、目と口は露なのだから外面は張り付けておくべきなのかもしれない。でも、暗いし視界も狭いし王太子もこちらを見ないしいいだろうという主張だ。


「それに身分を隠せるというのはいい」

「身分は隠せていませんが」

「いちいち挨拶されることはないからほぼ同じことだ。きみもそう思うだろう?」

「まあ、それは」


 それは同感である。煩わしさが格段に減ったことは現在感じているところだ。

 しかし、よく考えると来なければそもそも煩わしさはゼロであった。


「どうしたってこんなことに」

「息抜きは大事だ。きみ、顔を出さなければならない場所に最低限出して邸で仕事をしてそろそろ領地に帰るところだっただろう」

「それはお気遣い痛み入ります」

「満喫しているようで私は嬉しいよ」

「はは、そうですね満喫してます」


 あの三十分経てば仮面を捨てたい気分になっていることは間違いない。

 渇いた笑い声が出た。酒を飲む。


「さっきその剣が出てきたとき身を乗り出してたじゃないか、リューク」

「あれは別です」

「例えばどういうところが」

「あれは魔剣とも呼ばれた代物ですよ」

「眉唾ものか」

「失礼な」

「魔剣、つまり何かしら不思議な力でも宿っているということだろう?」

「魔剣というのは大げさでも、名剣に代わりはありません」

「へえ」

(へえってあんた)


 王太子はそのときしれっと札を上げていた。

 リュークの札はもう右手にある小さな卓に放られている。

 この王太子が何を買うのか、とぼんやり明るいステージに目を向けていたが視覚情報を理解しようとは思っていなかったリュークは目を凝らす。

 目がいいことと、隣の人のお陰でいい席なのでよく見える。


「……あんなもの買うんですか」

「面白いだろう?」


 壺。

 結構大きめ。

 何をモチーフにしたかよく分からないが強いて言えば牛が踊っているような絵が描かれている。

 はっきり言って気持ち悪い品。

 会場の反応も今夜一イマイチだ。

 王太子は本気か嘘か。とりあえず、買うことに間違いはない。なぜなら今、落札してしまったのだから。

 あんなものがあるなら、うちの意味分からない絵画もここにでも持ち込めばいいのかもしれない。


「殿下の趣味も大概ですね」

「中々いい味出していると思うよ」


 どの視点から見ればそう見えるのだろう。ものは言い様だということを実感する。


「あのいい味の壺はどこに飾るおつもりですか」


 万が一にでも王城の廊下に混ざっていたら絶対何とも言えない顔をする者が続出する。


「お土産用でね」

「そうですか」


 誰への。とにかく陛下にしろその妃にしろ誰にしろもらった人は嬉しくないに違いない。

 会話も相手によっては疲れることをまざまざと知り、リュークは口を閉じた。あと数時間、座っているしかなさそうだ。



 ◇◇◇



 結局それぞれ一品ずつ、禍々しい剣と牛の壺を背後に携えて会場となった建物を出ることとなった。


「思ったよりつまらなかったな」

(え?)


 リュークは王太子を凝視した。

 最終的に最後までいることになっていたのだ。

 それなのに、つまらなかったとは何事か。


「もう少し演出をした方が盛り上がっただろうな」

「今のうちに申し上げておきますが、その内自ら開催しているとかいうことはなさらないでください」

「それもいいかもしれない」


 失言した。


「というのは冗談で、やはりきみと出かけるのは楽しいな」

「どの辺りがですか」

「そういう辺りが。まあどうやら私は一足先に独身をやめることになるようだ」

「存じております。おめでとうござ」

「一足先にとは言ったもののきみが結婚するかどうか不透明だから二足も三足も先かもしれないけれど」

「おめでとうございます」


 遮られるくらいで動じていたらこの王太子の相手は出来ない。言い直してやった。それに余計なお世話だ。


「そういうことできみとこうやっていられる時間も残りわずかではないかと思った」

「そういうこと関係なしで殿下がこういう場所に来ること自体を考えた方がいいのでは」


 切実に。身軽にほいほい城を出すぎだ。


「それに未来の妃殿下と仲良くなさればいいではありませんか」

「他人事だな」


 明け方混じりの夜風が、王太子の長めの髪をあおる。その横顔は珍しく笑み薄く、哀愁さえ漂っていそうなものだった。


「リューク」

「何でしょうか」

「きみ、これからも私の友でいてくれるか」

「……すみません、友ということが初耳ですが」

「あれ、出会ったときに言わなかったかな」

「いえ初耳です」

「そうか、では今言った」

「辞退可能でしょうか」

「不可能だな」


 王太子は愉快げに笑った。

 これまた珍しくも、声を上げて。

 この人、意外と息抜きが大事なのかもしれない。いつも本心からにこにこ笑えるはずがない。それは外面を身につけるリュークが身分は違えど知っていることだ。

 結婚とは王族には絶対の役目だ。血筋を残さねばならない。リュークのように養子で、という考えは通用しない。

 それで今回は来たのかもしれない。

 面の皮が厚すぎる相手のためどこまでも憶測だが、忘れることあれど王太子はリュークより三歳年下である。

 ……とか少し、少しだけ考えていると、


「それなら仕方ありません」

「成立したな。ということで、」

(どういうことでだ)

「その証に」

(うわ嫌な予感する)


 王太子はにこりといつもの笑顔に戻り、ゆっくりと優雅にその手を動かしあるものを指し示した。


「あの壺はきみに進呈しよう」

「いえ結構です」

「遠慮することはない」


 押しつけられた。

 邸に運び込むとき従者がうへえという顔をした。





 そんな王太子殿下が純粋な全く腹黒でない絶世の美女と半年後には仲睦まじい様子になると、侯爵が想像できるはずもなかった。

 そして、相も変わらずけろりとちょっかいをかけられることも。




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