申子と五兵衛

ごろりんと高い天井に目をやって、複雑に組合わさった梁の本数を数えてみる。もう何度も繰り返したから数えなくても分かっているけれど、もしかしたら一本くらい数えていないのがいるかもしれないし、いないかもしれない。

ぬばたまの髪を板張りの床に広げて、囲炉裏の暖が届くすぐそばで、申子さるこはうとうとと梁を数え始めた。


「ひとーつ、ふたーつ、みー……くぅ」

「おいこら起きろや」


数え初めてすぐに寝こけた申子の額にでこぴんが。痛いよぅ。


「にゃにすんの……」


眠たげに見上げた申子の目に、青筋をたてた家主が仁王立ちして申子を見下ろしているのが飛び込んできた。

家主・五兵衛ごへえは転がってる申子の首根っこを掴んでずるずる土間へと引きずっていく。やーん、五兵衛の乱暴者ー、と申子が喚こうが知ったこっちゃない。


「お前、明日は祭りなんだから今日のうちに餅作るぞって言っておいただろう。なんで俺が隣のじいさんの屋根葺き手伝っている間、なーんの準備もしていないのかなぁ……?」

「だってぇ、五兵衛が作った方が皆も喜ぶし……」


表情が全く変わりもしない割には、その声が少し後ろめたそうにしているのは、長年彼女を育ててきた五兵衛だからこそだろう。伊達に男手一つで育ててきたわけではない。


まだ赤子だった申子を預かって早十数年。彼女の母親は未だに申子を引き取りに来やしない。申子はもう十と四つの年を重ねてしまっている。

極度の冷え性で、夏でも常に人肌の体温に満たないのではと心配してしまう申子は、その出自にまつわる話のせいで雪女と言われて村の者から敬遠されていた。五兵衛にその被害が及ばないのは、ひとえにこの祭り行事でのお役目があるからこそ。


「お社さまの御使いなんだから、五兵衛がやらないといけないでしょー」

「俺の仕事だが、助手はお前しかいないんだよ。男どもが平野に降りて仕事をしてる間、村に残る男手は貴重なんだから」

「むー」

「手伝ってくれねーんなら、今日の飯抜き」

「やーんっ」


相変わらず表情の変化はないが、分かりやすいほど声に気持ちがのっている。五兵衛は土間に立たせた申子に次々と指示をする。


「うるち米はあるかー」

「あるよー」

「竈に火を炊けー」

「はいなー」


申子が竈に火を炊いている間、五兵衛はうるち米を研いで、鍋に入れる。それも沢山。一つの鍋じゃ足りなくて、二つの鍋を同時に炊くが、それでも足りないから後からまた付け足す。この時間が勿体ないからやっておけと言ったのに申子という娘は、本当に話を聞かない。

ふぅふぅ一生懸命火に風を送っていた申子が五兵衛を呼んだ。


「おーし、鍋を投下ー」

「はじめはちょろちょろ~」

「中ぱっぱ」

「赤子泣いても~」

「蓋とるな。……申子は泣かなかったけどなー」


どげし。

火の加減を見るためにしゃがんだ五兵衛の背中を申子が蹴る。つんのめりそうになるが、申子の強さじゃ全然余裕で耐えられる。痛いけど。


炊いたうるち米を今度はすりつぶして餅にする。五兵衛がすりつぶすしている間、申子はひたすら米を炊く。

餅にしたら木の棒に草履のように平ぺったく塗りつけて、囲炉裏に突き刺す。それを幾つも作って下準備が完了だ。

村人の数と社に奉納する数だけ囲炉裏に突き刺して程よく焼くと、やっと作業は終わりを迎える。

申子がうるち米を炊く合間に夕食の雑炊の準備も終えていたので、囲炉裏に雑炊の鍋も吊るしてやった。


「ご飯ご飯ー」

「ふぃー、疲れた」

「お疲れさま」


はい、と温まった雑炊を差し出された五兵衛は椀を受けとる。その拍子に申子の手が触れる。火事場にずっといたからか、いつもは氷のように冷たい申子の指先も、今は人並みの温もりを持っていた。


「……お椀とってよ」

「冷え症のお前の指先が暖かいのってこんな時ぐらいだけだからなー」

「新婚かよ」


五兵衛が椀を取り上げようとした瞬間に言うものだから、手元が狂って椀をひっくり返……さなかった。しっかりと申子がて掴んでる。囲炉裏に椀をぶちまけなくてよかった。

じゃなくて。


「おまっ、育ての父に向かってなんてこと言うんだよっ」

「いやらしい手つきで養い子の手を握る養父もどうかと思うけど?」

「いやらしくはない」


そこだけはきっぱりと否定しておかねばなるまい。

五兵衛は今度こそきちんと椀を受け取って菜っ葉のわんさか入った雑炊を匙ですする。あー、美味しい。


明日の祭りは五兵衛はずっと神事奉納に付きっきりだから、申子が一人になってしまう。心配だが、祭りの時まで申子にちょっかいをかける馬鹿なぞいまい。祭りの前日の今日だって、何事もなく過ごしているようだったので───実際はぐうたらしていたようだが───、五兵衛は安心していた。


まさか、翌朝すぐに穏やかでない訪問客が来るとは微塵にも思っていなかったのだ。

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