14. 再調査

 翌日、私と生駒は三島重工の工場を訪れていた。工場長に話をし、作業の邪魔にならなければ入っても良いと許可をもらった。聞き込みのときの頑ななイメージがあったので、私は意外に思った。彼は生産数の確保を第一に考える、少し不器用でとても真面目な人なのかもしれない。

 現場は既に綺麗に片付き、運転を再開していた。ヘルメットを身に着けた木村と渡辺が作業をしていた。

 突如、アラーム音が鳴り響き、安全柵の上に取り付けられた赤いランプが点灯した。

「駄目だこりゃあ」

 木村が安全柵の中を覗いて、大きな声を出した。

「どうしたんですか?」

 尋ねながら、私達も中を覗き込む。パレットと呼ばれる台に置かれているのは、直方体に近い金属の部品、シリンダヘッドだった。尖った端っこに黒い塊がこびりついている。

「あの汚れのせいで、画像認識に引っかかったみたいだな。ロボットがアラームを出して止まっちまった」

 ティーチングペンダントを確認しながら、木村が教えてくれた。

「多分、血だね。でも、なんであんなところに」

 生駒が呟いたのを聞いて、木村と渡辺はぎょっとして振り向いた。

「血のついた部品なんて出荷できないだろうから、リーダーに連絡して、パレットごと撤去してもらおう。渡辺さん、呼んで来てもらえる?」

 渡辺は頷いて、階段の方に歩いていった。

「あのワークは、事件のときはどこにあったんですか」

「多分倉庫に入ってたと思うよ。調整が終わって本格的に加工を再開したのは、今日の朝からだから」

 木村によれば、システムが再開するまでに時間がかかったので、まだ手付かずのワークが数多く自動倉庫に入っているとのことだった。加藤の血液は、倉庫の中まで飛んだのだろうか。

「あの部品って、前に話してた鋳鉄っていうやつ?」

 生駒がパレットの上の部品を指差して尋ねる。

「あぁ。黒い部分が黒皮だよ」

 答えながら合点がいき、私達は立てていた人差し指を向かい合わせた。さすがに倉庫まで血液が飛ぶとは考えにくい。血の付いた鋳鉄の部品と、致命傷の前に受けていた傷を照らし合わせれば用途は明白だ。

「加藤さんはロボットに挟まれる前に、シリンダヘッドで殴られたんだ」

「まじかよ、あれが凶器ってこと?」

 木村が盗み聞きしていたようで、口に手を当ててショックを受けていた。

 渡辺に連れられて、リーダーがこちらに歩いて来た。私達に気づいて、軽く頭を下げた。

「確かに、これは使えないですね。クレーンで吊り上げますから、次の加工の段取りをしておいてください」

 安全柵の中を見たリーダーが鶴の一声を発する。木村と渡辺が慌しく移動を始めた。

「科警研の生駒です。撤去が終わったら、あの部品は警察で調べさせてもらっていいですか」

 生駒がワークを指差して尋ねる。

「分かりました。少しお時間がかかると思いますが、ここに置いておきますね」

 リーダーは答えながら、忙しそうに足早に歩き出した。クレーンで吊り上げる準備をするのだろう。生駒が後を追って走り出したので、私も続いた。

 彼が向かったのは、玉掛けに使用するワイヤーやスリングが壁にぶら下げられて保管されているエリアだった。クレーンで物を吊り上げるためには、クレーンの操作に関する資格と、物を固定する資格が両方必要である。この、ワイヤーやスリングを使って物を固定する作業を、玉掛けと呼んでいる。

「あれ、おかしいな」

 リーダーは、壁に貼り付けられた紙とスリングを見比べていた。

「どうしたんですか」

「八番のスリングが一個無いんですよ」

 リーダーが指差した何もぶら下がっていないフックには、『8』と書かれたシールが貼られていた。

「スリングって何?」

「クレーンに取り付けて、重い荷物を吊り上げる紐だよ。切れると危険だから、番号をつけて使用年数とか点検の管理をしてるんだ」

 生駒の質問に答えた。

 紙には使用を開始した年月や、点検のチェック欄が設けられていて、しっかり管理されていることが伺える。八番の長さは三メートルと記載されていた。

「誰かが使っているんじゃないの」

「いえ、一番短いから、使っていれば見て分かるんですけど。困ったなぁ」

 リーダーが頭を掻きながら言った。工場を見渡すが、二台の黄色い天井クレーンは、どれも使われていなかった。

「鑑識でクレーンは調べたのか?」

「ううん。現場の周りしか調べていないと思う」

 事件当時、クレーンは現場から離れた所定の位置に置かれていたのだろう。クレーンを使えば、安全柵を閉じた状態でも空中から近づくことができるかもしれない。

「あの上って登れるの?」

 生駒が上空のクレーンを指差し、リーダーに聞いた。

「点検業者の方は、二階から飛び移っていたと思いますけど」

 聞くが早いか、彼女は階段の方へと体を向けていた。

「登るなら気をつけてくださいね。私がクレーンを動かさないように見張っておきます。あと、そこのヘルメットを使ってください」

「ありがとうございます。お願いします」

 既に行ってしまった生駒に代わり、礼を言った。


 ヘルメットを抱えて二階に上ると、生駒が鉄棒でもするかのように、腕を伸ばして柵にお腹を乗せていた。シルエットが何かに似ていると思ったが、あれは水族館のショーで見るアシカだ。

「何をやってるんだ?」

「何も聞かずに、あたしの足を持ち上げて」

 絶望的に運動神経の悪いことが判明した生駒の体を持ち上げ、柵の向こうに下ろす。私は見せつけるように軽々と乗り越えて吹き抜けの縁に立った。ヘルメットを差し出すと、彼女は黙って受け取った。

 下を覗くと、リーダーがクレーンのリモコンの近くに立って見張ってくれていた。会釈をしてクレーンの足場の上に乗る。

「ちょっと待って」

 生駒がデジカメを取り出し、クレーンの上の通路を撮影した。

「一応ね。埃が積もってるから、あたし達以外に最近上がった人はいないみたい」

 フレームに沿って設けられた足場を歩き、ワイヤが巻きついた円筒型の部品、ホイストに近づく。

「このモーターで、フックを吊り上げるんだよね」

「そうだけど、危ないから触るなよ」

 注意が聞こえているのかいないのか、生駒は顔を近づけて観察していた。

「見て」

 生駒が指差したホイストの黄色いカバーには、黒い汚れのような、擦れた跡が残っていた。再びカメラのシャッターが切られた。

「血か? こんなところまで飛んだんだな」

「それはありえないよ。クレーンの高さは六メートル以上あるけど、現場で一番遠くまで飛んだ血痕は四メートルだった。鉛直方向の飛距離は水平方向よりも短くなるはずだから、こんなところには絶対に届かない」

 血飛沫が届かないとしたら、どうして誰も近づいていないはずのホイストに血がついているのだろうか。

 生駒が辺りを見渡し、同じレールに設置されているもう一台のクレーンに気づいた。

「それより、なんでクレーンが二個もあるの」

「クレーンの操作は、地上でリモコンを持って、クレーンと一緒に移動しながらするんだ。でも、大きい工場だと端から端まで移動するのは大変だから、同じレールに複数のクレーンを設置するんだよ」

「クレーン同士がぶつかりそうだけど」

「超音波とか赤外線のセンサがついてて、一定以上近づくと止まる仕組みになってる」

 説明に納得したようで、生駒は頷きながら吹き抜けの縁に戻っていった。


 一階に戻り、クレーンを動かさないように見張ってくれていたリーダーに礼を言った。

「前に点検業者が来たのって、いつ頃か分かる?」

 クレーンを指差して生駒が尋ねる。リーダーは少し考え込んでから答えた。

「春頃でしょうか。何か分かりましたか?」

「十分に。それから、八番のスリングは戻ってこないから諦めた方がいいよ」

 頭を抱えるリーダーに背を向け、生駒はすたこらと歩いていってしまった。


 続いて向かったのは、駿河電工の工場だった。工場長は快く再調査を許してくれた。

 こちらの工場も、事件があったラインでは既にロボットが動いていた。世間からすれば、犯人が捕まっていないのに再開するなんて不謹慎だと感じる人もいるかもしれないが、工場は数日停止しただけで会社の存亡に繋がる大きな損失になる。同じ製造業として気持ちはよく分かる。

 前回訪れた際は、当然ロボットとマシニングセンタは止まっていたので、動いているシステムを見るのは初めてである。安全柵の前に、体格のいい葛西の後ろ姿が見えた。隣に立って中の様子を確認する。

 ロボットが丁度、マシニングセンタの中から加工の終わったハードディスクの部品を取り外すところだった。四個の爪がついた、伊藤の首を押さえつけていたのと同じハンドが、がっしりとワークを掴む。ロボットはワークを移動させてパレットの上に置いた後、地面に置かれた装置にハンドを下ろした。

「今、加工したワークを取り外したから、次に新しいワークを取り付けるんだよね」

「そうですけど、その前に……」

 葛西が言いかけた言葉は、プシューというエアの音によって掻き消された。

 持ち上げられたアームには、ハンドが付いていなかった。傘立てのような装置に残されており、アームにはジョイントの部分だけが残っている。ロボットは隣の装置にアームを差し込むと、ホースが繋がっている別のハンドに取り替えた。ハンドの先端のノズルから、ワークに向けて霧状の液体を噴霧する。洗浄液のようで、アルコールの臭いが鼻につく。

「なにあれ。ハンドって取り外せるの?」

「そういう風に設計すればな。電気やエアで手首とハンドを切り離して、一台のロボットをいろんな目的に使える」

 言い終えて、私達は顔を見合わせた。二人で大きな声を出して笑い出す。葛西が怯えた顔をして振り向いた。

「なんだ、難しく考え過ぎだったんだ」

 単純なトリックだが、工場が動いているところを目にしない警察は決して気づけない。そこまで計略の中に含まれていたとすれば、犯人は恐ろしく頭がいい。顔では笑いながら、私は追い詰めることができるか、不安に思った。


 私達は見晴らしのいい食堂で休憩していた。今日は工場が動いているので、ぽつりぽつりと人の姿があった。

 くぐもった着信音が響く。私はポケットからスマホを取り出して耳に当てた。途中で目に映ったディスプレイには、石島の携帯電話の番号が表示されていた。

「ご無事でよかったです」

 開口一番、石島は、ほっとする一言をくれた。

「ご心配をおかけしました」

「お気になさらず。今現場を回っているんですよね、そちらに生駒もいますか」

「はい、います」

 ハンズフリーのボタンを押して、スマホを机の上に置いた。

「では、それにも伝えてください。加藤さんの自宅にあった、外付けハードディスクに保存されていたデータが何か分かりました。三島重工のシステムにセンサが付いていましたが、それらで計測したデータでした」

 日付からして毎日集めているようだったが、まさか工場のデータというのは予想していなかった。私は若干動揺しながら、質問をした。

「それって、ルシクラージュに送っていた集計後のデータですか、それとも生データですか」

 電話の向こうで微かに話し声が聞こえた後、返事があった。

「生データだそうです。それって、工場から盗み出していたということですよね。なんでそんなものを自宅に保存していたんでしょう」

「分かる人に売れば、それなりの値段がするんじゃないの」

 机の上で頬杖をした生駒が言った。

「ビッグデータ自体が最近登場した概念だから、まだ価値にならないと思う。今後価値が上がることを見込んで保存していた可能性はあるけど」

「じゃあ目的は無かったんじゃないの」

 生駒が呟いた。目的が無いのに、リスクを負ってデータを持ち帰るとは思いにくい。馬鹿なことを言い始めたと思いながら続きを聞く。

「加藤さんの家には、加工に関する難しい本がたくさんあって、それから彼は同僚に知識をひけらかすことが多かったんでしょ。多分彼は、仕事のできる自分が大好きな、職業ナルシストとでも呼べるような人だったんじゃないかな」

「それが工場のデータと関係するのか」

「そういうタイプの人は、自分しか知らないことや、機密情報を手元に持って優越感を得たいと思うものなの」

「それで誰も持っていない、工場のデータを盗み出していたと」

 心理学に詳しい生駒が言うなら、真実なのかもしれない。

「それから、科警研に依頼していた監視カメラの映像の解析結果が出ました。立っていた位置とドアの寸法を照らし合わせると、映っていた人間の身長は百六十八センチ。加藤さんである可能性が高いそうです」

「情報ありがとうございました。ただ、深夜の工場を訪れていた理由には繋がりそうに無いですね。システムの近くにいた加藤さんなら、いつでもデータを盗み出せたはずですし」

 生駒と電話の向こうの石島は黙り込んだ。

「警察って、難事件を解決したら階級は上がりますか」

 私はスマホに向かって尋ねた。

「犯人を捕まえて、はい昇進なんてことはないと思いますが、選考の材料にはなると思いますよ」

「加藤さんは、それを試そうとしていたということはないでしょうか。真面目に仕事をして、知識があっても正社員になれなかった。だから彼なりに考えて、ロボットの教示を誰かに教えてもらって、ワークの着座アラームの不具合を自分で解決して実績を積もうとしていたとか」

「それなら、工場のデータの件で罪悪感も薄れているだろうし、夜の工場に入ってもおかしくないかもね。それに、防犯カメラの付いていない、たとえばシャッターから犯人を招き入れる理由にもなる」

 加藤は誰からロボットの教示を教わっていたのだろうか。私は脳裏に浮かんだ影を掻き消した。

「イシさん、頼んでた件は調べてくれた?」

「判明はしたが、ややこしいことになった。加藤さんと伊藤さんは、三年前にジャードで契約社員として勤務していた」

 生駒はやっぱりと呟いた。私はジャードの名前が突然出てきたことに驚き、頭が真っ白になった。

「ロボットの開発センターにいたんでしょ。契約社員は二人だけ?」

「何か掴んでいそうだな。三人だったが、もう一人は二年前に東北の工場でプレス機に頭を挟まれて死亡していた。事故として処理されているが、当時担当していた刑事に聞いたところ、被害者の他に誰か出入りしていた形跡があったそうだ。ただ、個人を特定するような痕跡も殺害される動機も無く、結びつけることはできなかったらしい」

「ジャードで働いていた三人が死んでいるって……、どういうことなんですか」

 生駒に尋ねる。

「ナカさんに催眠をかけてエレベーターの事故について話を引き出していたとき、あたしは一つの可能性に気付いたの。まず、直近の二つの事件が殺人だと仮定したときに、証拠が残されていないのは初犯ではないからだと思った。そんなとき、催眠のための前知識で、ジャードで起きたエレベーターの事故について調べることになって、この事故が同じ犯人による事件ではないかと思い始めたんだ。ところどころで拙さが見えることから、この事件が犯人にとって一番最初の殺人じゃないかってね」

「遥が殺された?」

 私はショックを受けていた。そういえば、催眠を受けた際にも、生駒は機械室の巻上機に細工がされていたと話していた。

「焼肉屋でプロファイリングを依頼されたとき『一件だけとなると、材料として厳しい』って話したよね。でもこれで、東北の事件も合わせれば四件で、十分に地理的プロファイリングを実施できる。犯行エリアは京都と静岡中部、東北だから、CGT(地理的犯罪者探索)モデルを用いて犯人の居住地すなわちアンカーポイントを割り出すと、群馬県周辺と推定できる。でも、犯行現場まで通うような広大な狩猟エリアを持つ犯人は考えにくいから、時間軸を導入して再度割り出してみる。そうすると、犯人の居住地は三年前にジャード、二年前に東北、そして静岡へと移動していることが分かるわけ」

 再び男の姿が脳裏に浮かぶ。彼はガンマエンジニアリングに来る前は、東北の会社で働いていたと言っていた。生駒のプロファイリングと見事に一致する。勘違いだと一蹴することはできない。

「岡部だ。その順番で勤務先を変えていたのは、岡部だ」

 でも、そうだとすると、エレベーターの事故を起こしたのは――。遥を殺したのは――。生駒の顔を見る。彼女は視線を受け止めて言った。

「エレベーターに細工をしたのは、岡部だよ」

 入社当時の、三人で遊んでいた時の光景が、焼け落ちていく感覚を味わう。

「恐らく殺意は無かった。でもそのことがきっかけで、彼の中の狂気が目覚めてしまったんだと思う」

「俺のせいだ。岡部も好きだったことを知りながら、俺は遥に告白して裏切った。きっと、やりきれない思いを、いたずらで果たそうとしたんだ」

 生駒が私の肩に手を乗せた。

「彼を止めよう。連続殺人犯は捕まらなかったことで自信をつけ、犯行のインターバルが短くなる傾向がある。これ以上凄惨な事件を起こすわけにはいかないよ」

「分かった。あいつには、これ以上罪を重ねさせない」

 私はスマホの履歴から、番号を探し出した。

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