夜襲

 祭りの熱に浮かされた観衆の視線を一身に浴びながら、レナは無心で精霊の舞を踊っていた。

 櫓に掲げられた炎は赤々と燃え上がり、勢いを増していく。両の手脚にその炎を宿しながら、豊穣の女神を讃える祈りを込めて優雅に舞うその姿は、観るもの全てを魅了した。

 この広い大陸で踊りを生業とする者の中でも、彼女は五本の指に入るほどの才能と実力を兼ね備えていた。だが、今この場で彼女の舞を目にしている大勢の観衆の中に、その事実に気づいている者はいなかった。

 観衆に紛れて鋭い視線を彼女に向け続ける、たった一人を除いては。


 徐々に激しさを増していた祭り太鼓と笛の音が途絶え、暴れ狂うように舞っていたレナが糸が切れた操り人形のように舞台の上に崩れ落ちる。その瞬間、広場は熱を帯びた歓声に包まれた。

 ゆっくりと身を起こして立ち上がり、優雅に一礼したレナは、舞台から興奮に湧く観衆を見渡した。ゼノとヤンの姿がないことを改めて確認し、きらきらと輝いていた翠色の瞳がかげりを見せる。

 レナの顔から笑みが消えたのと、観衆の中からその人影が姿を現したのは、ほとんど同時だった。

 

 朽葉色のマントを羽織り、目深にフードを被った場違いすぎる風貌の人物が、舞台の前に進み出る。

 いつの間にか群衆に紛れていたその人物に、レナの舞に魅了されていた村の人々は全く気がついていなかった。

 あまりに異様な光景に、広場に居る誰一人として身動きが取れず、目の前の事の成り行きを見守っていた。

 群衆の視線を集めたまま手を伸ばしたその人物は、素早くレナの手首を握り、強引に引き寄せた。か細い両手を後ろで締め上げて動きを封じると、目深に被っていたフードからその顔を露わにした。

 曝け出された額には大きな傷痕が刻まれていた。耳元から顎まで髭を蓄えた厳つい顔のその男は、広場に集まった人々に視線を投げると、不敵な笑みを浮かべた。

 男の腕から逃れようとレナが身を捩ったそのとき、舞台袖から飛び出したアルドが男の腕にしがみついた。


「逃げるんだ、レナ!」


 そう叫んだ瞬間、アルドの身体に男の左腕がのめり込んだ。

「かはっ」と渇いた声をあげ、地面に蹲ったアルドを、レナを右手で捕らえたまま、男は容赦無く蹴り倒した。

 

「やめて! お父さん! お父さん!」


 泣きながら、レナは父を呼んだ。

 だがその声は、静まり返った広場に虚しく響き渡るだけだった。誰一人身動きすら取れない沈黙の中、アルドの呻き声だけが人々の耳に届く。

 アルドの横腹を蹴り上げて仰向けに転がして、男はその傍に片膝をつき、群衆を見据えた。器用に左手で狩猟ナイフを取り出すと、怯えた目で見上げるアルドの喉元になんの躊躇いもなく刃を突き立てた。

 鮮血が飛び散り、男の顔と腕を濡らした。


 赤い飛沫を撒き散らしながら、ビクンビクンと痙攣する父親の姿を前に、レナは眼を覆うこともできず、愕然と立ち尽くした。

 その様子を無言で眺めていた男は、やがてつまらなそうに顔を顰め、事切れたアルドの体を蹴り飛ばした。


「いやあああ! あなた! あなた!」


 レナが止める間も無く、地面に転がされたアルドの亡骸にカーラが縋り付く。半狂乱になり、泣きながら夫の名を呼ぶカーラを一瞥すると、男はうんざりした表情で人混みの中に視線を向けた。と同時に、風を切る鋭利な音が群衆の鼓膜を刺激する。

 次の瞬間、ぐしゃっという不快な音と共に、カーラが勢い良くアルドの遺体の上に倒れ込んだ。後頭部に突き刺さった投斧が、炎の灯りでぬらりと輝いた。


 二つの遺体から流れ出た鮮血が、石畳みを禍々しく染め上げてゆく。足元に広がる血溜まりに、群衆の一人が短い悲鳴を上げた。それを皮切りに、広場中におびただしい悲鳴が響き渡る。

 恐怖に駆られた人々が散り散りに走り出す。人混みに潜む殺戮者の手によって、我先にと逃げ惑う群衆から彼方此方で悲鳴と血飛沫が上がる。

 広場は一瞬で恐慌状態に陥った。


 騒がしい広場を、男が満足気に眺めているあいだ、腕を捉えられたまま、レナは眼前に転がるふたつの遺体を凝視していた。


 毎年精霊の舞を任されるレナを自慢の娘だと褒め、つい先程、暖かい声援で舞台へ送りあげてくれた母。

 毎朝一緒に家畜の世話をして、自慢のチーズのつくりかたを教えてくれた父。

 優しくて暖かくて、世界一の両親だと思っていた。

 このまま平和なこの村で、この平凡で優しい両親と農場の仕事を担いながら、いつまでも暮らしていくものだと思っていた。

 ほんの少し前までは。


 永遠に続くかのように思われていた何気ない生活と、大切なかけがえのない存在を、レナは一瞬にして失ってしまった。哀しみと恐怖と悔しさが入り混じった涙が翠の瞳から零れ落ちた。


 残虐な笑みを顔に貼り付け、広場の惨状を眺めるこの男に、自分も甚振られたあげく惨たらしく殺されるのだろうか。

 恐怖と絶望で、全身ががくがくと震えだす。

 レナが怯えながら男の顔を見上げると、逃げ惑う人々の悲鳴を掻き消すように、よく通る声で男が叫んだ。


「ぎゃあぎゃあ喚くな。死にたくねぇなら静かにしろ!」


 響き渡った怒声に、広場が一瞬で静まり返る。

 女子供が啜り泣く声や怪我人の呻き声が微かに聞こえるなか、人々は動きを止め、その視線を男に向けた。静まり返った群衆を前に、男は朗々と語る。


「俺達は騒がれるのが嫌いでね。五月蝿かったもんでつい手を出しちまったが、目的は殺戮じゃねぇ。人を捜しに来たんだ」


 男が野盗達に視線で指示を出すと、彼らは広場を囲むように素早く後退した。

 満足気に頷いて、男は更に続ける。

 

「一昨日の日暮れに、うちの連中と街道で殺り合った奴がここにいるはずだ。黒髪に黒服の若い男と、馬車に乗った親子の三人ってことなんだが、知ってる奴はいねぇか?」


 この男がヤン親子とゼノを捜しているのだと理解するのに、時間など必要なかった。

 祭りの準備にすら参加せずにだらけていたヤンが、急に自警団の仕事である村の巡回を引き受けた理由はこれだったのだ。


 男の言葉に広場が僅かにざわめき、村人たちが周囲に視線を走らせる。ゼノの存在も、彼を村に招いたのがヤン親子だということも、既に村中に知れ渡っていた。

 野盗の狙いがゼノとヤン親子の三人だけなのだとすれば、彼らを差し出せば村は助かるのだと、誰もが考えたはずだ。

 舞台前で男に捕らわれたままのレナも、無意識に広場を見渡していた。そして見つけてしまった。広場の片隅で恐怖に顔を引き攣らせた、ラウルの姿を。

 ラウルとレナの目が合うと同時に、数人の村人がラウルに気付いて視線を向けた


 このままでは、ラウルは村を救うための生贄にされる。

 レナはそう直感した。


(おじさん、逃げて!)


 レナが声にならない叫びを上げると同時に、ラウルに気付いた村人が、ラウルを指差して声を上げた。

 逃げ出しかけたラウルの腕を村人が掴み、近くにいた野盗に差し出すと、野盗と村人の手によってラウルは舞台前に引き摺り出された。


 飢えた狼の群れの中に、羊が一頭投げ込まれたような、そんな光景だった。

 広場が一瞬ざわめき立ち、そして静まり返る。満

足そうに顎を撫でながらその光景を眺めていた男が、ラウルに一歩近づこうと動いた、そのときだった。


「待ってください。貴方の仲間に怪我を負わせたのは私です」


 僅かに息を弾ませながら、それでも落ち着いた声色で。群衆の視線を一身に集め、闇の中から彼は現れた。


「ゼノさん……」


 出てきてはいけないのに。

 ヤンを連れて、何処か遠くへ逃げてしまえば良かったのに。

 涙に頬を濡らしたまま、レナは悲痛な声でその名を呼んだ。

 

「貴方が憎しみを抱く相手は私だけのはずです。その男性は偶然通りかかっただけで、全く関係ありません」


 目の前の、刃物を手にしたガタイの良い男を相手に、怖気付く様子も見せず、ゼノは淡々と告げた。

 顎髭を撫でながらゼノの姿を見定めて、男が徐に口を開く。


「怯えもせずに堂々と名乗り出る勇気には感心する。偉いもんだ。だが、あんただけじゃ俺の気が済まねぇんだ」


 そう言って、男は愉快そうに笑った。

 ゼノが眉を顰めると、男は肩を竦め、近くにいた仲間に目配せをした。野盗がふたり駆け寄ってきて、ゼノとレナの両腕を後ろ手に縛り上げた。


「さて、ここで取引だ。残りのふたりを引き渡せば、俺はこれ以上この村には手を出さねえ。おとなしくここを去ろうと思うが……、あんたらはどうする?」


 威圧的な態度でそう告げて、男は群衆に視線を向けた。

 昨日まで共に過ごしてきた村の住人に、責めるような憐れむような複雑な感情を向けられて、ラウルの顔は絶望に染まっていた。

 唇を噛み締め、顔を俯かせた彼の耳に、聞き慣れた大切な者の声が届いた。

 

「行こう、父さん。村のみんなにこれ以上迷惑はかけれないよ」


 僅かに声を震わせながら、それでもはっきりとした口調だった。闇の中から姿を現したヤンが、ゆっくりと父親に歩み寄り、震える腕を引く。

 揃って舞台前に進み出た父子を、野盗は先のふたりと同じように後ろ手に縛り上げた。

 ゼノとレナに目を向けると、ヤンはレナに頭を垂れ、囁くように呟いた。


「巻き込んじゃってごめん」

「……逃げて欲しかった。誰にも気づかれるないうちに、どこか遠いところへ……」


 涙目になりながら首を振り、レナが声を震わせる。

 家族を失ってしまったレナに遺されたのは、幼い頃から家族ぐるみで暮らしてきたヤンとラウルだけだった。


 首に縄をかけられて繋がれた四人は、額に大きな傷のある男――野盗の頭目であるバルトロに連れられて、広場の中央を通り過ぎた。

 群衆の視線を背に浴びて、今も尚燃え盛る櫓の横を通り抜け、華やかに彩られた通りへ向かう。

 去り際に、バルトロは広場全体に響き渡る大声で、舞台前で彼を見送っていた仲間に言った。


「……てぇわけで、あとは任せる」



***



 中央通りを通り抜けると、南口には野盗が群がり、数頭の馬が用意されていた。

 警備についていたはずの自警団員の姿はなく、地面の彼方此方に赤黒い染みが残っていた。

 馬の背には民家から盗み出したのであろう金品や食料が積まれていた。一頭だけ扱いの違う馬がいたが、毛並みや大きさからも、それが頭目であるバルトロのために用意された馬であることはすぐに理解できた。


 馬に乗ったバルトロを先頭に、ゼノ達四人は引き摺られるようにして夜の街道を歩いた。

 月明かりに照らされた街道は寒々しい蒼に染まり、冷たい夜風が吹き抜けていった。



***



 四人が連れ去られ、広場は静まり返っていた。

 依然として群衆を取り囲む野盗達の表情は、目深に被ったフードの所為で読み取れない。

 未だ解放されないことへの不安と、村を守るためとはいえ四人もの人間を差し出してしまったことへの罪の意識に、人々は視線を泳がせていた。


 やがて、舞台前に立っていた野盗が一歩前へと進み出ると、村人達の視線が一斉に集まった。

 舐めるような視線で広場を見渡して、男は徐に口を開く。


「さてと、お頭はああ言っていたが、これでも俺達は仲間を大切にする性質なんでね。保身のために仲間を売るような人間はクズだと思ってる」


 見下すような冷たい目で群衆を見据え、男が告げたその言葉に、一瞬にして村人達が凍りつく。


 あとに続く言葉は容易に想像できた。

 野盗の思惑を察した数人が広場から逃げ出そうとした、その瞬間、男は冷たく言い放った。


「お前等はクズだ。一人残らず死ね」


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