淡い想い

 夜明けを告げる朝鳥の声が静まり返った村に響き渡ると、陽が昇りきる前に、ゼノとヤンは自警団の詰所に向かった。

 野盗のことが気掛かりでなかなか寝付けなかったヤンは、目元に深い隈を浮かべ、少しばかりやつれていた。けれど、その瞳は野盗から村を護るという使命感に満ち溢れており、足取りはしっかりとしていた。

 どちらから言い出すわけでもなく、ふたりはまず村の南口に向かった。アーチ状の門構えの外に広がる草原を見渡すと、視認できる範囲に野盗がいないことを確認する。


「どうやら、近くにはいないようだな」


 大きく息を吐き、胸を撫で下ろしながらヤンが呟いた。その様子を横目で見やり、ゼノが眉を顰める。

 そもそも、本当に野盗が村を襲うかどうかもわからない状態で、自警団とやらは動くのだろうか。ここで野盗が影をちらつかせて、それを自警団の誰かが見つけてくれたほうが、説明も説得もしやすかったはずだ。

 

 自警団の詰所は、中央通りに続く南口から村の外周に沿って少し北に位置した場所にあった。

 詰所の見張り部屋は村の南口がよく見えるように造られており、深夜でも早朝でも、必ず自警団の誰かが不審な者が村に入り込まないように見張っている。

 通常よりも高めに造られた基礎の上に建てられた石造りの建物の壁には、等間隔で木製の窓が並んでいた。ゼノとヤンが入り口の扉を叩こうとしたとき、その窓のひとつが勢いよく開かれた。

 当直の自警団員らしき男が顔を出し、朝の澄んだ空気を吸い込んで大きく伸びをする。男はそのままあたりを見回すと、扉の前に並んで立つゼノとヤンを見つけて目を丸くした。


「どうしたんだ、ヤン。こんな時間にこんな場所にいるなんて珍しいじゃないか」


 あくびをしながらヤンに声をかけて、男はのんびりと室内に戻る。程なくして錠が外れる音が聞こえ、ゆっくりと入り口の扉が開かれた。無精髭の生えた顎を撫でながら、男が顔を出す。

 

「おはようございます、カルロさん。大事な話があるんです。聞いてもらえませんか?」


 いつになく深刻な面持ちのヤンに感じるものがあったのだろうか。カルロと呼ばれたその男は、ふっと顔を引き締めると、二人を詰所の中に招き入れた。



***



 詰所の中は薄暗く、待機部屋の中央には質素な木製テーブルが置かれていた。壁際には書類や貴重品が管理されている本棚と木箱が並び、壁に掛けられた掲示板に手配書が並べて貼られている。

 真ん中の一枚に、額の大きな傷と顎髭を蓄えた厳つい顔が特徴的な男の似顔絵が描かれていた。下に記されたバルトロと云う文字が、おそらくこの男の名前だろう。見覚えはなかったが、服装からして街道でゼノを襲った連中の仲間に違いない。手配書の扱われ方から、この男が野盗の頭目であることが窺えた。

 男の似顔絵をしばらく凝視した後、ゼノは詰所の奥に目を向けた。奥の廊下に扉がふたつと階段が見える。厳重に錠が掛けられている片側の扉は、おそらく武器庫か何かだろう。もう一方の扉は開け放たれており、室内に二段ベッドが置かれているのが確認できた。


 ゼノとヤンが椅子に腰掛けると、カルロは沸かしたばかりのお湯をカップに注ぎ、テーブルの上に並べて置いた。そのままふたりに向かい合うよう席に着き、詳しい話を促すようにヤンに視線を投げ掛けた。

 街道で野盗に襲われていたゼノを助けたこと、その野盗の仲間と思われる人影が村の近くを徘徊していたことを、ヤンは手短に説明した。


「なるほど、話は大体わかった」


 黙って話を聞き終えると、カルロは椅子に背を預け、腕を組んで考え込むように目を伏せた。

 きちんと話が伝わったのだろうか。不安げにな視線を送るヤンに、ゼノが黙って頷いた。

 暫しの沈黙のあと、カルロが徐に口を開いた。


「ヤンは判ってると思うが、俺達は自警団とは名ばかりの集団で、出来ることはお前さん達と大差ない。団員だって、村の若い男連中から有志を集っているだけだしな。そりゃあ、多少の銃の扱いや護身術の類は訓練もするが、実戦経験がある奴なんていないと言ってもいい」


 断言するカルロを前に、ヤンは唇を噛み締めた。

 確かに、この村の自警団という組織が如何に見せかけだけのものなのか、薄々勘付いてはいた。集団で村を襲われてしまえば、彼等だけのちからで村を守るのは至難のわざだろう。


「だから、王都の憲兵隊に連絡を取って、救援を要請して欲しいんだ」


 憲兵隊は、王国軍内部の規律を取り締まるとともに国内の治安維持を任されている、この国の組織だ。個人の都合で動かすのは無理だとしても、村の自警団ならば出動要請を出すことができる。

 真剣に訴えかけるヤンの言葉にカルロが後ろ髪を掻く。「憲兵隊か……」と苦々しく呟いて、彼はまた考え込んでしまった。

 結局、カルロは憲兵隊へ連絡を取ることを渋々承諾し、その代わりにと、ゼノとヤンに祝祭の日の警備を手伝うように要求した。本来なら一人ずつ交代で村の出入り口に見張りが立つ程度の予定だったところに、ふたりが仕事を増やしたようなものだ。ヤンもゼノも、カルロの要求に異論はなかった。

 自警団は日暮れとともに警備を強化することを約束し、ふたりは祭りのあいだ村の外周を巡回することになった。



***



 カルロに礼を述べて詰所を後にすると、ゼノとヤンは巡回ルートを確認するために、村の外周に沿って歩き出した。


 この村には出入り口が三つある。

 村全体は背の高い頑丈な柵と村を囲む雑木林に囲まれており、南口だけが拓けて開放されていた。残りのふたつの出入り口は村の北西と北東にあるが、どちらも村人が山で狩りをする際に利用しているもので、背の高い草に覆われた獣道が山の中腹に向かって続いているだけだった。


「彼等は正面から来るでしょうか」


 ふたつの獣道を確認した後、ゼノはそれとなくヤンに尋ねた。「わからない」と言うように、ヤンは首を横に振った。 

 村の正面、つまり南口は、拓けているぶん見通しが良く、見慣れない集団が訪れようものなら目立つどころの話ではない。それを考慮するならば、野盗が村を襲う際には残りのふたつの出入り口が利用される可能性が高い。


「心配だな、北側の入り口は灯りも人目も少ないから」


 ヤンが表情を曇らせる。


「奴等は間違いなく武器を持っているだろ? 実戦経験のない村人がどうこう出来るとは思えないよ。憲兵隊が間に合うと良いんだけど……」

 

 同意を求めるかのように、ヤンはゼノを振り返った。だが、対するゼノの答えは実に冷淡なものだった。


「憲兵隊はおそらく来ません。そもそも、憲兵隊が正常に機能しているのであれば、主要の街道沿いで人を襲うような連中が野放しにされている筈がないのですから。最悪の事態を想定するのであれば、彼等は憲兵隊と裏で繋がっている可能性すらある。そう考えれば、あのような目立つ場所での無法が許されていることにも頷けます」


 まるで当然だと言うように、ゼノは前方を見据えたまま淡々と言葉を連ねる。


「人間という生き物は強欲ですからね。金さえ払えば大抵のことには目を瞑って貰えるものですよ」


 そこまで話して、ゼノはヤンの呆然とした様子に気がついた。


「どうかしましたか?」


 訝しむようにゼノが尋ねると、ヤンは慌てて首を横に振り、意外そうにゼノの問いに答えた。


「いや、今のきみの言い方がまるで、自分は人間とは違うみたいな口ぶりだったと思ってさ」


 思いがけず的を射たヤンの言葉に、ゼノは苦々しく口の端を上げた。

 


***



 辺りが夕焼けで紅く染まる頃になって、ゼノとヤンは村の中央広場へと向かった。祭りはとうに始まっており、華やかに飾り立てられた中央通りを浮かれた村人たちが行き交っていた。

 賑やかな通りを抜けて辿り着いた中央広場には、高々と櫓が組み上げられて、それを囲むように敷かれた美しい敷物の上は、すでに多くの村人で溢れかえっていた。夜の帳がおりる頃、櫓に炎が掲げられると共に『精霊の舞』が披露されるのを待ちわびているのだ。

 賑わう広場を一瞥して緩やかな坂を登り、ヤンとゼノは村を一望した。



「こんなところでふたりして、何してるの?」


 突然背後から声がして、ヤンは心臓が飛び出そうになった。

 慌てて振り返ると、精霊の舞の衣装を身に纏ったレナが、にっこりと微笑みながら坂の上からふたりを見下ろしていた。稽古のときとは違い、顔には艶やかな化粧を施して、純白のドレスと黄金色の装飾で着飾っている。

 美しく飾り立てられた幼馴染みの姿を、しばらくのあいだ、ヤンは呆然と見上げていた。ヤンのわかりやすい反応にゼノが笑いを堪えていると、レナが勢い良く坂道を駆け下りてきた。ハッと我に返ったヤンが、レナの問いに答える。


「自警団の仕事の手伝いだよ。これから村の外周を巡回するんだ」

「え……?」


 ヤンの言葉に、レナは表情を曇らせた。

 何かと文句を垂れながらも毎年必ずレナの舞を観てきたのだ。約束していたわけではないとはいえ、ヤンは少しばかり申し訳ない気持ちになった。


「人手が足りなくてさ、だから今年はお前の踊りは観にいけない。ごめんな」


 昼間、外周を確認したあと、ふたりは自警団の詰所に戻り、団員との顔合わせを済ませた。そのついでにカルロに憲兵隊の件を確認してみたが、言葉を濁し、とにかく警備を徹底しようとだけ口にしたカルロの様子から、憲兵隊の協力は望めないであろうことを察っしてしまった。

 憲兵隊の協力が得られない以上、精霊の舞が披露されるひとときでさえ、巡回の手を休める訳にはいかなかった。村中の注意がレナひとりに向けられるその時間こそが、一番危険なのだ。 

 気まずい空気が漂う中、レナは縋るような視線をゼノに向けた。


「ゼノさんも観にこないの?」


 レナの問いに、ゼノが深く頷いてみせる。

 角度的に表情を見ることができなかったにも関わらず、ヤンにはレナが酷く落胆したのがわかってしまった。その落胆が、おそらくヤンが踊りを観てやれないと言ったときとは比べ物にならないほどのものだということも。

 大きく目を見開いてゼノの顔を見上げていたレナは、悲痛な面持ちで顔を俯かせると、暫くのあいだ黙り込んだ。重苦しい雰囲気の中、俯いたレナに視線を向けたまま、ゼノは無言で立ち尽くしていた。


 沈黙は然程長くはなかった。

 パッと顔を上げると、レナは先刻の落ち込みようが嘘だったかのように強気な笑顔をふたりに見せた。


「こんな浮かれたお祭りの日に、ふたりしてご苦労なことね! きっとあとで後悔するわよ!」


 片手を腰にあて、人差し指を突き出して声高らかに叫ぶと、レナはふたりの間をすり抜けるように舞台へ向かって駆け出した。

 走り去る少女の背中を見送って、ヤンとゼノは互いに顔を見合わせた。


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