「ぐっ……!」


 脇腹を打たれた衝撃で、ナギは弾き飛ばされた。手から木刀がこぼれ落ち、床を滑って、タツゴの足許で動きを止めた。


 それきり道場の中は静まり返った。自分の息遣いばかりが、いやに大きく感じられた。腹の底にまでわだかまった痛みさえも、音として感じられるようだ。タツゴは加減しただろうが、肋の一本くらい折れていてもおかしくはない。


 霞む視界の中では、父がどんな表情をしているのか判然としない。ただ肌を刺すような空気が父の怒りを教えていた。


「……何故、剣を放した」


 タツゴはそう言うと、つかつかと歩み寄り、ナギの顎に木刀の先を当てた。くいと頭を上向かされた。早朝の道場は肌寒い。木刀の感触は、真剣のようだ。


「一打を受けても、たちまち命が終わるとは限らん。お前が生きて刃を振るえば、助かる命も必ずある。痛みで刃を手離すな。そんな刹那の感触に、自他の生きる望みを絶たせてやるな」


 ナギは打たれた脇腹を押さえ、呼吸を整えながら立ち上がった。

 疼きが次第に身体へ浸透してゆく。痛みは麻痺していない。沁みてゆくようだ。どうやら、骨まで折れてはいないらしい。まだやれる。


「……はい。もう一回お願いします」


 タツゴが三歩身を引き、木刀を上段に構えた。ナギは野鼠のように、放り出された木刀をとって返し、父と同じ構えで向かい合った。


 ——これは稽古じゃない。戦だ。


 ナギは父を〈鬼〉と見立て、その憎しみさえ再現することができる。稽古の場であっても、ナギの剣は戦場にあるのと変わりなく閃く。


 しかし、脇を打たれ倒れた。戦場と同じ心にあってなお敗れたのだ。

 それはつまり、もし〈鬼〉がタツゴと同等、あるいはそれ以上の力をもっていたなら、手も足も出ずに殺されていたことを意味する。


 そんなことは許されない。

 一匹でも多くの〈鬼〉を狩るために、自分は生きなければならない。


 タツゴがふみ出す。気迫が溢れる。道場の床が軋み、その目が眼前にまで迫ってくるように感じられる。

 ナギは切っ先を左に揺らし、いつでもタツゴの一閃に対応できる筋肉の弛みを作る。


 そこへ瞬時に、タツゴが一歩踏み出した。すり足の一歩ではない。大股の一歩だ。

 一瞬にして重心が移り変わり、木刀ではなく右の足がナギの脇腹へ迫った。と同時に身体が旋回する。遠心力をのせた剣が容赦なくこめかみを打ちにくる。まったく出鱈目な戦い方だ。


 ナギは屈みこんで剣を避けると、左の肘で蹴りを受け、柄を相手の腹に叩きこんだ。

 タツゴがたたらを踏んで後退。

 しかし腹を押さえることも、痛みに顔をしかめることもない。どころか、瞬時に体勢を立て直し、ナギの木刀をもった手を蹴りで刈った。


 重い。まるで、鉄の棒のようだ。

 ナギは思わず握りこんだ手をひらきそうになった。


 だがここは戦場。敵は〈鬼〉。眼前にあるのは狩るべき相手なのだ。痛みで刀をとりこぼしてはいけない。鈍ってもいけない。


 蹴りの反動を利用して横に転がったナギは、足許に水平斬りを放った。


 タツゴはこれを跳んで躱した。落下の勢いそのままに脳天をかち割らんと大上段に得物を振り上げた。


 ナギは左の足を軸に。身体の向きを反転させ、これを躱す。

 ようやくこちらに好機が巡ってくる。相手は〈鬼〉、憎き〈鬼〉だ。胸の淵に宿る悦びの錯覚。


 頭を鷲掴んで倒し、胸を抉ってやる。


 と、手を伸ばしたその時——。


 視界がぐらりと傾き、星が散り、ナギは道場の床に投げ出されていた。


 床に頬を擦り付ける寸前、ナギが見たのは、着地の直後、瞬く間もなく腰を捻じり、手刀を閃かせた師の姿だった。


 だが、たった一撃で戦が終わりを迎えるわけではない。そこで敗北が決まることもあれば、決まらぬこともある。手刀一発程度で、音を上げてはいられない。殺さなければならない。〈鬼〉は殺さなければならない。ナミの命を奪った奴らの命だけは——。


 その思いも虚しく、視界はガラス玉の中のように歪み、不明瞭な世界が広がるばかりだった。タツゴがどこに立っているのか判然とせず、気付けばまた、冷たい木刀の感触が首筋を這っていた。


「これでお前は二度死んだことになる」

「くそっ!」


 ナギは道場の床を拳で殴りつけた。頭の中を侵すのは、あの日のナミの血溜まり。鉄としょっぱい涙の味。


「ナギ、お前は自分を保てていない。お前の剣には、お前がないのだ」


 ナギの首から木刀がゆっくりと離れてゆく。


「俺がない?」


 ナギは木刀を支えに立ち上がった。最後まで刀を放すことはなかったが、一つの教えを守っただけでは、戦場における確固たる強さを得ることはできない。敗北の事実は変わらなかった。


「お前は感情に呑まれやすすぎる。戦場でのお前は、お前ではなく感情そのものなのだ。それはときに怒りであり、憎しみでもある。その分、こうして稽古をしている最中でも戦場と変わりない剣を振るえるが、そこには重みがあっても鋭さがない。剣は感情だけではままならぬものなのだ」


「じゃあ、俺はどうしたらいい?」


 ナギはこれまで、この心構えで刃を振るってきた。そして多くの〈鬼〉を屠ってきた実績が、そのまま正しさのように感じられていた。

 しかし、この心では——剣ではタツゴを認めさせることはできない。いずれやって来るかもしれない強敵に敵わない。


 心を入れ替える必要がある、強くなるためには。


 わざわざ口にされなくても、そんなことは解る。けれど〈鬼〉と戦う理由を思い出せば、ナギの剣を作るのはいつでも復讐心だけだった。

 それをそっくり別のものに替えてしまうということは、これまで積み上げてきた技を手離すということであり、自分自身を殺すということでもある。


 タツゴは言葉を探すように、しばらく口を利かなかったが、やがて胡坐をかいて座り込み、吐息をついて言った。


「先も言った通り、お前には、お前がないのだ。お前は自分を見つけ出さなければならん。お前が剣を握る理由も、生きる理由も、新たに見つけ出さなければならんのだ」


「それができるなら苦労はしない。俺は十二年前のあの日からずっと、この思いと生きてきたんだ。それだけが俺を生かす力だった」


 言うと、タツゴが珍しく哀しげな表情で息子を見た。


「それだけが、か……。本当にそうか、ナギ?」


 そう問いかける頃には、父の表情は普段の厳めしいそれへと戻っていた。

 ナギは迷いなく答えた。


「そうだ。本当だ。俺は復讐心だけで生きてきた。〈鬼〉への怒り、憎しみ、それだけで俺は作られた」


 自分の熱で温められた木刀の柄は、肌を焦がすような熱を蓄えているように感じられた。胸の内で燻る炎が、苛立ちになって外へ流れてゆく。


「俺はまだ親父に勝てない。まだまだ未熟だ。でも、強くなる。俺はこの復讐の道に己を見出してみせる」


「まだ解らんか。その思いこそがお前を殺すのだぞ。そしてその道に、終わりが訪れることは永遠にない」


 タツゴは呆れたように首を振った。

 ナギは再び木刀を支えに立ち上がった。頭を振って視界の乱れを取り払い、深く息を吐いて木刀を構える。


「……もう一度お願いします」


 タツゴもまた立ち上がった。

 しかしその手が刀を構えることはなかった。


「今日はこのくらいにしておけ。お前は少し頭を冷やしたほうがいい」


 タツゴはそう言ったきり振り返ることなく、道場を出て行ってしまった。

 残されたナギは木刀を床に叩きつけ、固く拳を握りしめた。


                   ☯☯☯


 家へと戻ったナギは、寝室でぼんやりと天井を眺めていた。タツゴはどこへ行ったのか家におらず、ミヨも隣家の柴犬マキチのもとへ出かけている。サノはこの頃村人から少しずつ仕事の依頼を引き受け、方々で手伝いに出ているらしく家にいなかった。


「己を見つける、か……」


 こうして布団に寝転がっていると、道場での発言は自棄になっていたのだと気付かされる。

 かと言って、そう簡単に他の道が見つかるわけではない。ナギが剣をとる理由はいつだって、ナミを失った悲しみや〈鬼〉への憎しみとともにあった。それしかなかったのだ。

 十二年もこの思いと生きてきた。変われなど今更だ。けれど、変わらなければ強くなれないのなら、変わらなければならない。無力な自分がどんな結果を招くかは、嫌というほど知っている。


「——ただいま帰りました」


 迷いが苛立ちとなってぐつぐつと煮立つ中、聞こえてきたのはサノの声だった。

 まだ日も赤くならぬ時間だ。昼食時でもないだろう。今日は皆暇しているのだろうか。

 様子を見に出てみると、家中には誰もいないと思っていたのか、サノが戸口で小動物のように全身を震わせて硬直した。

 それを見たら、うじうじ悩んでいるのも馬鹿らしくなり、声を出して笑っていた。


「サノは本当に面白い奴だ! 愉快な奴だ!」


 これにはサノもさすがに気を悪くしたようで「そんなに笑わなくてもよぉ……」と唇を尖らせた。


「いやぁ、すまんすまん。でも、サノのおかげで少し気が晴れた」

「気が晴れた? なにか悩みごとでもあったのかい?」

「まあなぁ」


 サノが微笑んでこちらを見た。


「なんだ?」


「いや、ナギも普通の人間なんだなぁと思って安心したんだ。オレもこっちに来てから悩んでることがあるんだけど、この家の中でうじうじしてんのはオレだけなのかと思ってたよ」


 たしかに西野村の村人たちは、些細なことでは悩まない性分だ。子ども同士(と言っても今では三人しか幼子はいないが)が喧嘩をすることだって滅多にない。〈鬼〉の問題さえなければ、こんな平和な村は他にないだろう。


 しかし、村人たちも人間だ。悩みをもたないわけではない。むしろナギのほうが、サノに悩みはあるのだろうか、と訝っていたくらいだ。

 子どもがそのまま大人になったようなコウタとは違い、サノは喜怒哀楽が直截的ではない。恐怖に類する感情ならすぐに面にでるが、それ以外はどこか暗い水底に凝っているようだった。盗みの罪で流れてきたくせに、生真面目なサノだ。懊悩する様を周りに見せまいと、あえて表情を殺してきたのかもしれない。


「サノはなにを悩んでんだ?」

「人生、かな」


 いちいち面白い奴だ。大真面目にこちらを見るサノに、肩を揺らして答えた。


「そりゃあ大それた問題だなぁ。俺よりまだ若いってのに、人生とは。でもまあ、いずれは考えることだよな」


 タツゴとの稽古を思い出すと、剣の道とは、即ち人生そのものなのだろうと思い知らされる。ナギはサノを笑ったが、互いの悩みはさして大きな違いをもたないのかもしれなかった。


 笑いを引っ込めると、途端に不安が押し寄せてきた。


 いずれ〈鬼〉に敗れる日が来るのではないか、と。


「……俺の悩みも、そんなもんだ」


 沈黙する囲炉裏の前に腰をかけると、不思議と言葉が口をついてでた。


「へぇ、ナギも? ナギは〈鬼〉のことしか考えてねぇんだとばかり思ってたよ」


 サノもまた囲炉裏の前に腰を下ろして言った。先の仕返しなのか、そこには皮肉めいた響きが混じっていたが、今は皮肉を言われるくらいがちょうどいい気分だ。


「はは、ちげぇねぇや。同じような悩みだと言ったが、お前の言った通り〈鬼〉の関わってくる悩みだ」


「そうかい。それは解決しそうなのかい?」


 ナギは首を振った。


「いや、袋小路に入っちまったところさ。どうやって抜け出したらいいのか、てんで分かりやしねぇ。サノはどうだ?」


 問い返すと、サノも首を振った。


「だめだ。みんな色んなことを言ってくれるんだが、余計に分からなくなっちまって……。どんな仕事をすりゃあいいか悩んでるんだがね。これ、というものが分からねぇ。どれも魅力的に見えるんだけど、本当にオレがこれをやってみてぇというもんが、罪人のオレに許されるのかどうかも分からなくてさ」


「罪人だなんだと考え過ぎるのもどうかと思うがねぇ。お前はここに来ただけで罪の償いをしてんだ。ここでは〈鬼〉が現れるんだし、お前は都を追われた。それだけで充分じゃねぇのか?」


「いや、まだ足りねぇ。あるいはそうやって言い訳をしてるのかもしれねぇ。すげぇ仕事をして、自分をよくしたいだけなのかもしれねぇ」


「それもまたいいだろうさ。じっくり考えりゃいい。お前はべつにここで食って寝てをしてるだけじゃねぇんだから、逸らなくていいさ」


「じゃあ、いっそ剣でも習おうかね。ナギは腕がたつんだろ?」


 冗談めかして言ったサノの目には、怯えがはっきりと見て取れた。本当は剣の道になど爪先一つだって踏み入れたくはないのだろう。ナギも昔はそうだった。


「コウタには会ったか? あいつよりは腕がたつつもりさ。でも、まだまだ。お前が初めて〈鬼〉を見たあの日、〈鬼〉をあんなにお前に近付けちまったしな。それに本当に腕がたつなら、悩んじゃいねぇだろうさ」


 サノはあの日のことを思い出したのか、肩をぶるりと震わせた。途端に顔色が悪くなり、交錯していた視線がゆっくりと囲炉裏の縁に落ちた。


「でもオレは、ナギに助けられたよ」


 その言葉でじわりと胸の端に滲むものを感じた。ナギはその感情と対峙しようとしたが、サノの言葉がそれを遮った。


「もしかしたらナギの言うように、まだまだなのかもしれねぇ。でもオレ、あの時ナギが一緒にいてくれなかったら、間違いなく死んでた。命を守れる〈鬼狩り〉の生き方ってのは、すげぇなぁって思ったよ。オレには、とても真似できるもんじゃねぇって」


「お前は大それたことを言うのが得意だな。〈鬼狩り〉なんてすごくはねぇよ。俺にはそうなるしか道がなかった。それだけのことなんだ」


 口ではそう言ったが、サノの言葉に悦びを感じなかったわけではない。ただ自分はそんな高潔な人間ではない、と言いたかった。己の剣は復讐の炎によって固められたものだから。人を守る、そんな大義のために振るってきたとは、とても言えないものだから。


 だが、今新たな道を剣が、己が求めているのなら、それが真理なのかもしれないと思えた。


 誰がために剣を振るうのか。


 復讐を果たす——即ち己のためか。

 命を守る、他者のための刃なのか。


「でも、たしかにお前は助けられたんだな。俺があの時お前を助けられなかったら、お前とこうして話すこともできねぇんだよな」


「ああ、そうさ。オレは助けられた。この村は怖いけど、感謝してるんだ。だからオレも感謝される人間になりてぇ」


「じゃあ」


 ナギは立ち上がり、サノの傍らにたって拳を突き出した。


「悩みを抱えるもん同士、誓いを立てようじゃねぇか」

「誓い?」

「ああ。俺たち二人とも、感謝される人間になるんだ」


 驚いてこちらを見上げていたサノだったが、その表情が綻んだ。そして、彼もまた拳を突きだし「誓うさ」と答えた。


「感謝される生き方を目指すよ。これでやっと目標がはっきりしてきた」


 サノは心底嬉しそうに笑い、ナギもまた笑った。


 けれど、ナギにはまだ迷いがある。深く根付いたこの復讐心を懐柔できるだけの自信を持てないでいた。


 踏み出さねばならぬときが来ているのは、解っている。過去に囚われ生きるばかりの己を切り捨てて。ナミへの引き裂かれるような憐憫を封じて、生きねばならないときが、すぐそこにあることは。


                   ☯☯☯


「お前はなんで〈鬼狩り〉になったんだ?」


 夜、コウタの家を訪ねたナギは、開口一番そう言った。

 コウタの母親はもう眠っており、父親は門衛として出払っているらしく、今、囲炉裏の間にはナギとコウタの二人だけが胡坐をかいて座っていた。

 囲炉裏鍋の底でちろちろと弱々しい光を投げる炎が、コウタの顔を朱色に映し出している。瞳は濁って、眠たげだった。


「ん、なんか前にも、そんなこと訊かれた気がすんな」

「……? そうだったか?」

「あー、どうだろ。分かんなくなってきた」

「なんだよ」

「まあ、とにかく、俺にははたらかせる頭がねぇ。だから〈鬼狩り〉になった。そういうことだろ」


 コウタはじっとりとした眼差しを向けてきた。どうやら馬鹿にされたものと思ったらしい。


「おい、勘違いするなよ。俺は真剣に訊いてるんだ」

「真剣にって言われてもなぁ。それ以上どう答えろってんだ」

「じゃあ、訊き方を変える」

「おう」

「お前はなにを糧に戦ってきたんだ?」


 それは自分自身への問いでもある。なにを糧に戦ってきたのか。

 復讐心でそうしてきた。ナギにはそれしかない。


 しかしそれは果たして、正しい答えと言えるのだろうか。

〈鬼〉が憎いのはたしかだ。ナミを失った悲しみも、誰にも否定させるつもりはない。

 だが、ナミを殺した〈鬼〉は、とうにタツゴが殺しているのだし、目の前の〈鬼〉を斬ったところで、〈鬼〉の出現を食い止められるわけでもない。


 心の傷が癒えることはなく、現状が好転することもなく、まして過去が変わるわけでもない。


 では、これまで自分の信じてきた復讐心とは、憎しみとはなんだったのだろうか。

 考えあぐねているうちに、コウタが冷めた茶を啜って小さく息を吐いた。


「強いて言うなら生きるためだな」

「生きるため?」


 コウタは遠い目をして、囲炉裏の炎を見つめている。

 そこにあるのは悲しみでも憎しみでもなく、途方もない虚しさだ。西野村で生きてきた者の多くは、穏やかな性とともに、これを同居させている。


「俺もナミのことが好きだったよ。お前とは違う意味で。同じ村の子どもとして好きだった。友達というか、仲間というか。とにかく大切な存在だったんだろうな」


 昔を懐かしみながら語るコウタの目、そこに空いた虚空に、少しずつ哀しみが積もってゆく。


「でも俺は、お前みたいに、復讐のためだけに生きることはできなかった。ナミが死んで悲しかったし、〈鬼〉を憎いとも思った。あんな奴ら、みんないなくなっちまえばいいのにって……なんど思ったかしれねぇよ。だから剣を振るうとき、そういう思いもきっと混じってる」


 同じだ。

 きっと他の〈鬼狩り〉たちも、こんな思いを抱えて生きている。

 けれどナギとコウタは違う。体格も顔も、思いも異なる。 


「だけど、それだけで〈鬼狩り〉をやってるのか、それを糧に鬼と戦うのかって言われたら、たぶん違う。俺は、他の生き方を知らないし、〈鬼〉と対峙すれば戦わなくちゃあ死ぬ。だから戦うんだと思う」


「死にたくないから戦うってことか?」


「まあ、そういうことだな。生きたけりゃ戦うしかない。俺は難しいこと考えるのは苦手だし、うじうじ悩むのも性に合わねぇが、やっぱり死ぬのは怖い。剣をとる理由をあえて挙げるなら、そういうこったろうと思うぜ」


「なるほどな」


 日頃、タツゴは「コウタの剣には芯がない」と言っている。それは本人の言を聞けば得心がいくように思われた。

 しかし、コウタの生き方もまた真理だと思えた。死なないために生きる。生きるために生きる。死を恐れるからこそ剣をとる。


「タツゴさんになんか言われたのか?」


「まあな」


「あの人は剣のことになると厳しいもんなぁ。稽古場で会う度にお叱りを頂戴するんだ」


「知ってる」


「なんだよ、タツゴさんそんなこと話すのか」


「たまにな」


 親友との時間は心が安らぐ。ささくれだった復讐心を鎮めるときにも、悩めるときにも、コウタの存在は大きい。

 だが、甘んじていてはいけない。父の厳しさは、生きることの厳しさそのものなのだ。父は剣の未熟がどんな悲劇を生むのかを知っている。剣をもつことのできなかった者の無力と剣をもった者の無力とには大きな隔たりがある。


「とりあえず、俺から言えるのは一つだ」


 コウタが真っ直ぐにナギを見る。その目には、いつになく真摯な気配が漂っていた。


「周りを見ろって。お前は一人で生きてるんじゃねぇんだから」

「……ああ、知ってるよ」


 その言葉の奥にある意味を、ナギは量りかねていた。半ば拗ねたような返答になっていたと思う。


「それならいいんだ」


 そう言ってコウタが、囲炉裏の火に目を戻した時だった。


 角笛の音が高らかに鳴り響いたのは。

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