亜久津さんは異世界召喚を阻止したい

藤ともみ

第1話 亜久津さんは平穏に暮らしたい

第1節 亜久津さんの秘密

「気を付けていってらっしゃいね、摩子ちゃん。」

「……いってきます。」

 いつものように母さんに笑顔で見送られ、いつものように通学鞄と弁当を持って、いつもと同じ通学路を歩きだした。

私は竜胆(りゅうたん)学園高等部2年生の亜久津 摩子。

 世間では、ごく普通の女子高生で通っているが、私には秘密がある。

 それは、私が、この21世紀の地球文明とは異なる別世界……いわゆる、異世界からやってきた者だということだ。

 そして私には、非常に不本意ながら、元いた世界の上司から受けている命令がある。

 それは、元の世界の人間どもが画策している「勇者召喚計画」を失敗に終わらせることだ。



「ええい、忌々しい! 人間どもめ、霊山から魔術師を呼び寄せ、召喚魔法で異世界から勇者を呼び寄せようなどとは生意気な!」

 私の上司……魔王は、憤慨して床を踏み鳴らした。もういい加減慣れてきたが、王たるもの、苛々していても、それを表に出さないようにしてほしいものだ。

「貴様!」

「……はい。」

 魔王に指さされて、私は頭を下げる。

「異世界に先回りし、召喚される前に、勇者候補を葬ってやれ! 奴らの召喚を失敗に終わらせてやるのだ!」

 この人はまた面倒なことを……。

「決して、この世界に勇者を召喚させてはならぬ! 何としても阻止するのだ、良いな!」

「お前がやれ。」

「えっ。

「いえ、何でも。しかし、召喚を失敗させるなら、魔術師本人を始末した方が早いのでは?」

「もちろん、それは別の部下に命じている。しかし、その魔術師がなかなかしぶといのだ。何度殺しても、3日後には平気な顔をして歩いている。」

 もはや、そいつは人間ではないのでは?

「とにかくだ。おぬしは早々に異世界へ飛び立つ準備を始めよ。何、勇者候補を殺して来たら、すぐに帰ってくれば良い。」

「はあ。それで、勇者はどんな奴なんです。」

「それはわからん。それも含めて貴様が調べてくるのだ。」

「……わかりました。」

 無茶な仕事を割り振られるのは今に始まったことではない。そして、私はこんな調子の命令をこれまで完全達成してきた。異世界に飛ばされるのはさすがに初めてだが、ついでに物見遊山をするつもりで、あまり気負わずに考えれば良いだろう。

 

 ……そう思って、この異世界にやってきたのが2週間ほど前の話だ。

 魔力の波を観測したところ、勇者候補は竜胆学園に通う生徒の中の誰かだ、というところまでは突き止めることができた。

 人間とは異なる自分の姿かたちは魔術で変装し、地味な黒髪の少女になった。

 飛ばされて早々、子供のいない夫婦を洗脳し、私を実の娘だと信じ込ませ、共に生活している。街全体にも、私がその夫婦の子どもとしてずっとこの街に住んでいたと、洗脳済みだ。


 最初は、勇者候補を見つけたら早々に殺して元の世界に帰るはずだった……のだが。

ふわっ、と風が吹いて、青空を背景に桜が舞い散る。暗黒が日常だった元の世界では知ることのなかった、光に溢れた世界。

「あ、まこちん、おはよ~。」

 教室に入ると、笑顔で手をふる同級生。周りが部下か、魔王か、私を陥れようとする同僚ばかりだった世界では考えられなかった、拍子抜けするほど、平和な世界。

 そして、何より……この世界の食事は非常に美味だった。今日の昼食も、とても心待ちにしている自分がいる。

 正直に言おう。もう任務なんて放っておいて、ずっとこのまま異世界で暮らしていきたい。

 目立たないように静かに暮らし、平穏な人間の生を謳歌したいと思っている。

 将来は公務員とかになりたい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る