こうして、ようやく僕の出番がまわってきた。

 と、いいたいところだけど、実は違う。

『サザンクロス』のマスター、吉崎さんが、いすずさんからのお願いを聞いたときに頭の中に思い浮かべたのは僕ではなく、僕の隣で真剣に中古レコードの棚をあさっている人物だ。

 しぱしぱしぱしぱ。

 小気味いい音を立てて、棚からレコードが引っ張り出されて、すぐさま棚にしまわれる。一枚当たりおよそ一秒。レコードの扱いに慣れた人間でなければできない動作だ。しかも、乱暴に扱うと、レコードジャケットの底が痛むのだけど、この人の手にかかると、レコードは音もなくそっと棚にしまわれる。かなりの手練れだ。僕は密かにレコードハンターと呼んでいる。

 しぱしぱしぱしぱ……し。

 突然、レコードを繰る手が止まった。

「うお」一枚のレコードを手に、ハンターがつぶやいた。

 少し離れたレジに座って、詰め将棋の本を読んでいる中古レコード屋『ハンキー・ドリー』の店長に、ハンターがレコードを見せた。

「店長、これ――」

 いい終わらないうちに、店長が首を振った。「だめだ、まからん」

「ちっ」

「どうしたの」と、僕はハンターに尋ねる。

「スロッビング・グリッスルの初回プレスだ」ハンターは僕にジャケットを見せた。

「ふうん」僕はハンターからレコードを受け取って、値段を見た。

 げ。七千円。

「今どき、スロッビング・グリッスルなんて買う奴いないだろ」とハンター。

「うるさい」店長が本から顔を上げずにいった。「それに、あんまりでかい声でいうな」

「なぜだ」

「いや、だってお前……」

「そうか。店長は意外と恥ずかしがり屋さんだな」

「どういうこと?」再び僕が尋ねる。

「ああ。それはだな、このバンド名、『脈打つ軟骨』という意味なんだが、隠語で、男性の……」

「だー、やめろ、馬鹿」とうとう店長が本から顔を上げた。

「じゃあ――」

「まからん」

「ちっ」

 そのとき、僕のスマートフォンに編集長から電話がかかってきた。

「はい。ええ。隣にいますけど。代わりましょうか? わかりました」

 僕は電話を切って、ハンターに告げた。

「編集長から。吉崎さんが連絡ほしいって」

「わかった」

 僕は『サザンクロス』のマスター、吉崎さんに電話をかけた。吉崎さんが出てからハンターに電話を代わった。

「もしもし。ああ。そうだが。ふむふむ」ハンターがうなずいている。どうやら長くなりそうだ。

「おーい、長電話なら外でやってくれ」店長がまた本から顔を上げて、僕らにいった。

「すみません」

 僕はハンターを促して店の外に出ようとした。

「こらーっ」店長が叫ぶ。

 振り返ると、ハンターがさっきの七千円のレコードを抱えたまま店を出ようとしている。

 僕はハンターからレコードを取り上げて棚に戻した。


 雑居ビルの三階にある『ハンキー・ドリー』を出て、ハンターは階段の踊り場で吉崎さんとの通話を続けた。

「おおよその状況は理解した」

 ハンターは人差し指の関節を噛んだ。

「ふたつ質問がある。まず、その啓子さんとやらは、腕時計をしていたか?――どちらの手に――うん。そうか。わかった。もうひとつ。これはたぶん啓子さんに確認してもらわないといけないのだが――」

 またしばらく会話が続き、「じゃあ、今からそちらに行く」といって、ハンターは電話を切った。

 僕にスマートフォンを手渡して、ハンターはいった。

「仕事だ。小清水くん」


 十分後、僕たちは『サザンクロス』でこれまでのいきさつを吉崎さんから聞いていた。すでにハンターは電話でおおよそのことを聞いていたみたいだったけど、より細かなディティールを、ハンターは知りたがった。

 話を全て聞き終わると、ハンターはおもむろに口を開いた。

「ボクの推理を小清水くんに伝える。キミから啓子さんに伝えてくれ。ただし、いっておくけど、これはボクの推理の半分だけだ。半分だけをキミに伝える。あとの半分は、ボクの胸の中にとどめておく」

「どういうこと?」僕はハンターに尋ねた。

「どうもこれは、女の匂いがする」ハンターがつぶやいた。

 吉崎さんはうなずいた。「私もそう思う」

 でも、僕にはよくわからなかった。

 そんな僕の心の中を見透かしたように、ハンターはいった。

「真相は誰にもわからないよ。本人以外には。でも、キミなら、いつか真相にたどり着くような気がするよ」

 僕は吉崎さんを見た。吉崎さんは無言で肩をすくめるだけだった。

「そろそろ迎えが来る頃だ」僕の腕時計を覗き込んで、ハンターはいった。

 まるで、その言葉を待っていたかのように、店の扉が開いて、編集長が入ってきた。

「小清水くん、ご苦労様」

「何か飲んでく?」と尋ねた吉崎さんに「いい。ありがと」と編集長が答えて、ハンターの頭に、ぽん、と手を乗せた。

「じゃ、行こっか。名探偵めいちゃん」

 ハンターはうなずいて、勢いよくカウンターのスツールから飛び降りると、僕に手を振って、いった。

「またね、小清水くん」

 その仕草は、これまで僕が見たなかで最も彼女の実年齢――十二歳の女の子――にふさわしいものだった。

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