三度目の正直

 小磯工業団地裏の現場に関与したことが確定したことが特定された業者十一社が東部環境事務所に呼び集められた。大半は説明会に参加するのが三回目になる常連だった。初顔となる楽田ウェイストの武藤常務の姿も見えた。地主の代理として網代も参加していた。居並ぶアウトロー業者を前にして伊刈はこれまでの二回の説明会とは違う仕切りをするつもりだった。

 「工業団地裏の現場で火災が発生し捨て場全体に火が回りかねない緊迫した状況になっています。消防が毎日出動していますが放水による鎮圧は難しいようです。今日はみなさんにお願いがあって集まっていただきました。燃えやすい産廃を撤去し火元を掘削して除去したいんです。火元を取らないかぎりいくら放水してもまた再燃してしまいます。これは命令ではなくお願いです。協力していただければ改めて市から行政処分は出さず、みなさんの地元の自治体にも通報しないと約束します」

 伊刈は低姿勢で切り出した。撤去に協力すれば行政処分を出さないという司法取引は本課に説明していない伊刈の独断だった。全員が真剣な顔で説明に聞き入っていた。不法投棄への関与が明らかになるのがこれで三回目の業者が大半で、役所の出方一つに会社の存亡がかかっていたのだ。

 「おもしろい、やってみようじゃないですか」北関東物産の浅見社長が真っ先に発言した。

 「工事の段取りが難しいから、これだけの会社が一緒に仕事をするなら幹事を決めてもらうといいすね」網代が提案した。

 「それならレーベルの万年さんにお願いします」伊刈が万年工場長を指名した。出席企業の中では単体売上高五十億円、連結売上高八十億円のレーベルが最大手企業だった。

 「いいですよ。ただ私一人では不安があります。北関東物産の浅見さんに副幹事をやってもらうことを条件にさせていただいてもいいですか」

 「うんまあ万年さんがそう言うなら別にいいけどね」浅見はにやにやしながら副幹事を引き受けた。

 「各社にはダンプ十台から二十台の撤去をお願いします。原則として自社に持ち帰って再処理していただきたいと思います。直接他社の処分場に持ち込まれる場合はマニフェストを交付していただきます。他社のダンプを使われる場合も同様です」

 「つまり自分のダンプで自分の会社に持ち帰るならマニフェストは要らないんだね」浅見が発言した。

 「その場合は自社物扱いです」

 「わかった」浅見はすっかり納得したように引き下がった。

 マニフェストは交付しないし受け取らない、それが北関東物産の流儀だった。許可があるのが不思議なくらいとんでもないアウトロー業者だが、はっきりそう開き直られると何か憎めなさを感じた。優良業者の体面をとりつくろいながら他社への横流しで巨利を得ている業者に比べれば、人間的にはむしろ正直なのかと思えなくもなかった。世の中には上手に嘘をつく人間と下手に嘘をつく人間がいる。嘘をつかない人間などいない以上、正直な人間とはどっちのことなのだろう。世間ではばれない嘘を上手についている前者が正直者と賛美される。その代表格が政治家であり、弁護士であり、ニュースキャスターだろう。浅見を見ているとその矛盾がよくわかった。

 「今回も撤去工事はマスコミに公開します」

 「それはなんとかなりませんか」万年が幹事として発言した。

 「既に火災は報道されていますし地域の住民も関心を持っています。報道はせざるを得ないと思います。任意の撤去であって行政処分は出されていないので撤去業者の社名の公表はしません。報道機関には映像から社名や車両ナンバーを消すように要請します。記者クラブに加盟していない報道機関には要請できませんので、みなさんも社名の書かれている車両は持ち込まれない方がいいかもしれません。報道機関への公開は初日だけとします。初日は公平を期するため全社工事に参加していただきます。二日目からはシフトを組んでいただいて結構です。撤去に用いるユンボは幹事社から一台、地主代理の網代さんから一台出していただきます。撤去にかかった共通費用は全社に按分させていただきます。明日は住民説明会を開催しますので撤去は明後日からお願いしたいと思います」

 それ以上の質疑はなく表面の燃えやすい廃棄物を中心に出席した業者が共同して千五百立方メートルを撤去することになった。

 翌日は安垣所長と仙道技監も出席して小磯集会場(いわゆる公民館)で近隣住民を集めた説明会を開催した。三十畳ほどの大きさの畳の部屋に二十人ほどの住民が集まった。

 「みなさんに大変ご心配をおかけしておりますが明日からは廃棄物の撤去を始めますので、今日は工事内容のご説明をしたいと思います」所長の挨拶の後、伊刈が立ち上がって説明を始めた。

 「撤去は不法投棄に関与したことが明らかとなっている産廃業者十一社と地主によって行われます」

 「なんという業者ですか」

 「市の事業じゃないんですか」

 「全部取るんですか」

 「これまでの被害の賠償はしてくれるんですか」

 いきなり質疑が相次いだ。

 「順番にお答えします。今回の撤去は任意の工事ですので業者名は公表しません。市の事業ではありません。完全撤去ではなく部分撤去です。表面の燃えやすい廃棄物を撤去することにより消火作業を支援することが目的です。火災を鎮圧することを最優先とします」

 「全面撤去はいつやるんですか」女性の住民が納得できないという顔で伊刈に詰め寄った。予想していた質問とはいえ、伊刈も一瞬生唾を飲んだ。本来この質問には予算を持っている本課が答えるべきだが本課からの出席はなかった。本課が出れば市長選挙への影響など政治的な思惑に流れかねないと安垣所長が判断して環境事務所単独の説明会にしていた。

 「完全撤去の予定はありません。今回は火災を食い止めるための応急措置と考えてください。現在できる最善の措置だと考えています」

 「まあ役所にしては早い対応だけどな。正直消防任せにするのかと思ってたよ」男性住民の一人が独語のように言った。

 「そんな甘いことじゃ済まないだろう。市にはここまで現場を大きくした責任があるだろう」別の住民がすかさず反論した。

 「とにかく火を消してもらわないことには洗濯物も干せやしないわ。やれることをやってもらって後のことはまた相談してもらいたいわ」

 「明日からの工事はご了承いただいたと考えてよろしいでしょうか」伊刈が念を押すように発言した。

 「工事をするのはかまわないけど、これで納得したと思わないでもらいたいわ」女性の住民が重ねて発言した。

 「ありがとうございます」謝罪の席ではないのに所員全員が立ち上がって一礼した。住民は部分撤去には不満だった。それでも何もしないよりはいいという同意がなんとか得られたことになった。

 火災発生から二週間という行政としては異例のスピードで撤去工事が始まった。十一社と網代が連携した撤去は公共事業ならJV(ジョイントベンチャー)と言いたいところだが、むしろ不法投棄シンジケートが撤去シンジケートに変わったと言ったほうがよかった。幹事となったレーベルの万年工場長が必要な建設重機を手配し、網代もユンボ(バックフォー)を一台提供した。火災現場の撤去工事はメディアに公開されることになり、前日の夕方所長自ら本課に出向いてプレス発表資料を記者クラブに投げた。住民説明会まで開催してしまったし、所長は課長より格上なので、いまさら本課もダメとは言わなかった。

 伊刈たちは朝七時には現場に到着した。その時にはもう網代が門扉を開放していた。パラボナアンテナがついたテレビ局の中継車両が路上に並び、ビデオカメラの場所取りが始まっていた。通りがかりの住民に取材している新聞記者の姿も見えた。予想外の関心の高さだった。工事開始時刻の九時が近付くと初日の撤去工事に参加する深ダンプ二十台の車列ができた。真っ黒な車体が貨物車のように並んだところだけでもなかなか壮観な絵になった。ビデオカメラが車列をなめるように撮影していた。本課のチームゼロも夜パト帰りに工事の確認にやってきた。宮越の姿はなかった。

 「これから撤去工事を開始します。報道機関のみなさんは危険なので指定されたエリアから中には入らないでください。作業中の作業員には取材を差し控えてください。作業に従事されていない方への取材は制限しません。車両に書かれた社名、車両ナンバー、人物の顔については承諾を得ていない場合はぼかしを入れて報道されるようにお願いします。火災が激しくなるような場合には消防活動を本格的に行いますので場内から退去をお願いすることがあります。それでは九時ちょうどから工事に着手します」報道機関に伊刈が説明した後、工事が始まった。

 ユンボがくすぶっている廃棄物を掘り上げるたびにもうもうと白煙が立ち昇り、消防車の放水も始まって大迫力だった。ダンプへの廃棄物の積み込みは作業に習熟しているレーベルのオペレータが担当した。ダンプ二十台の搬出作業は午前中いっぱいかかった。網代は自ら手配したユンボを運転し消防署に協力して火元の掘削作業にあたった。撤去の映像は正午のJHKニュースで全国に流れた。

 撤去作業は順調に進み一週間で予定台数の搬出を完了した。火元の除去は難航した。火元近くの廃棄物は異常な高温になっていて掘り上げるそばから炎上し、消防車が放水を続けながらでなければ掘り進められなかった。ムリに掘れば空気が入り込み、かえって火勢を助けてしまった。網代が持ち込んだユンボの黄色いアームはすっかり煤けて黒ずんでしまった。それでも網代は撤去の跡地をプレジャーボート保管場に使いたい一心なのか、諦めずに炎上している西側斜面を三十メートルも掘り進んだ。そこから先は直径三メートルほどの火元のトンネルが蟻の巣のように縦横に広がっていた。トンネルの上は二十メートルのゴミの絶壁で、ユンボ一台ではもうそれ以上掘り進めることが困難になった。トンネルからは青白い煙が立ち昇っていた。消防車から放水すれば煙はいったん収まる。だが一日とは持たなかった。予定の撤去工事は終わってしまったのに火災を鎮圧する見込みを立てられない伊刈は万年と浅見の二人の経験に頼ることにした。

 「消防署長の意見としては水をかけながら全部片付けるしかないということです。でもこれは物理的に不可能だと思います。毎日百トンずつ片したとして二十万トン片すには二千日かかります。片す場所もありませんし放水を続ける水もありません」

 「このまま引き上げたら全部燃えちゃうよなあ」浅見が腕組みをしながら小康状態の火山の噴火口ように白煙を上げ続ける現場を眺めた。

 「全部片したら予算はいくらかかるんですか」万年が伊刈に聞いた。

 「一台二十万円として二万台で四十億円ですね。たぶん代執行だとその四倍くらいになると思います。国費を使ったとして補助率は最大五十パーセントですから、百六十億円なら八十億円は市が財源を用意しないといけません」

 「そんな金は市にはないってことか」

 「問題なのは予算より時間です。そう右から左に市議会で予算議案が通るとは思えません。たいていは専門家の委員会を設置したりボーリング調査を実施したりしてダラダラとアリバイ作りの議論をするんです。これには最低一年かかります。国に補助金を申請して承認されたとしても予算が執行できるのは翌年です。工事着手までには最短で2年かかります」

 「じゃあそれでやれば」浅見が皮肉っぽく言った。「そのころには全部燃えちゃってるからもっと安くすむよ」

 「お役所仕事はだめですねえ。現場が燃えてるってのに何年もかかるんですか」万年がため息混じりに言った。

 「税金を使うんですからしょうがないです」

 「誰も責任取りたくないからああでもないこうでもないと議論に時間をかけんだろう。ムダなものを何兆円も作ってんのにいざという時たかが百億円けちってどうすんだよ。国の予算は百兆円だろう。百億円なんて百万円持ってるやつの百円じゃないか。そんなしみったれたこと言うんなら、このまま燃やしちゃえばいいんだよ。でっかい野焼きだと思えばいいじゃないか」浅見が呆れ顔で言った。

 「まあ浅見さんそうせかないで」万年は何か考え込むように現場を見据えたまま押し黙った。

 「公務員の僕が言うのもなんですが、お役所には期待しないでください。どんなに急いだって百億円の予算はすぐにはつきません。二年先に予算がついたとしたって、そこからさらに事業が終わるまで五年はかかります。今すぐやれる方法がないか、お二人のお知恵を借りたいんです」

 「まあもうちょっとちっちゃい捨て場ならブルーシートを被せて消したことがあるよ。空気を遮断すれば消えるんだ」浅見がやっと建設的なことを言った。

 「この現場は大きすぎてシートを被せられません。それにたぶん中の空気を消費してしまうまでかなりの時間がかかると思います。すぐに温度を下げられないとシートが燃えてしまうかもしれません」

 「確かにそうだな」

 「木くずの火災だったら覆土で消し止めたことがあるんです。ここの何分の一かの現場でした。こんな大きな現場で覆土できるでしょうか」

 「万年さんどうだい。さっきからだんまりだけど、なんかいい案があるかい」浅見が万策尽きたように万年を見た。

 「その覆土案で行きますか」腕組みを解いて万年がやっと発言した。

 「やっぱそれしかないか。土はどれくらい必要かね」浅見が万年を見て頷いた。

 「最終処分場の中間覆土は五十センチでしょう。最低それくらいは必要ですね」

 「二ヘクタールとして一万リュウベか。ダンプざっと千台くらいになるかね」

 「そんな手配はムリです」伊刈が言った。

 「一台五千円として土だけで五百万円かかるな。それくらいの予算はつくんだろう」浅見が伊刈を見た。

 「五百万円なら予算はあります。だけど中途半端な工事だと逆に批判されかねませんね」

 「なんだよ予算が少なくてもだめなのか。役所ってのは自分の都合ばっかなんだな。ほんとにしょうがねえなあ。だから役所はだめなんだよなあ」浅見がダメ押しのように言った。

 浅見の批判は鋭かった。確かに役所には問題の解決より自分の都合を優先しがちなところがある。ああでもないこうでもないとできない理屈をこねるばかりで実行できる提案をしない。前向きの提案には失敗の責任が伴うから、責任を負わなくていいように批判に終始するのだ。つまりお役所の天敵の左翼と同じである。伊刈はそのとおりだといった顔で浅見の批判を聞いていた。

 「覆土はうちがやりますよ」万年が突然断固とした口調で言った。「土も手配しましょう」

 「本気かい」浅見が万年の顔を覗き込んだ。脂肪で膨らんだ万年の顔が紅潮しているように見えた。

 「ここまできたら中途半端では帰れないですよ。うちが最後までやります」

 「最後までって万年さん二十万トン片すわけじゃないだろう」

 「覆土だけですよ。必ず消し止めてみせます。ですが私は社長じゃないですから一存では決められません。うちの社長を紹介させてください。伊刈さんがうちの検査に来ないってことを交換条件にして社長を説得しますから」

 「は?」伊刈が聞き返した。

 「伊刈さんが検査に来たら会社を潰されるって業者の間では評判なんですよ」

 「なるほどねえ、こりゃえらいことだ。伊刈さんは潰し屋ってことだ。うちみたいなとこはもう潰れたも同然だから助かったか」浅見が伊刈を茶化した。

 「わかりました。社長にお会いします。だけど覆土の費用をレーベルだけに負担させるわけにはいきません。今回撤去に参加した会社に按分させていただきます。レーベルが立て替えるという形で了解を取ります」

 「伊刈さん、あんたも筋を通したがるねえ。万年さんが持つって言ってるんだからそれでいいんじゃないの」浅見はあくまで能天気だった。

 「土砂の購入費だけでもそうしてもらえると助かります。重機とオペはうちが出します。明日社長を現場に連れてきます」万年は産廃業界を生き抜いてきたプライドにかけてこの現場の火災を消し止める決意だった。その裏にはこれまで不本意ながら不法投棄に加担してきた自分の罪滅ぼしの気持ちもあったに違いない。

 翌日、万年はレーベルの大蓮社長を火災現場に連れてきた。首都圏最大級の不法投棄の拠点として今や知る人ぞ知るレーベルの社長である。どんなに強面の人物かと思っていたら、万年が先導してきたベンツ600の運転席から降り立ったのは育ちのよさを感じさせる銀髪長身の老人だった。

 「万年に聞きました。ここに当社が請け負った廃棄物が来ていたのですか」大蓮は朗々と通る上品な声で言った。不法投棄のドンというよりも貴公子の名にふさわしかった。

 「レーベルの荷が出たことは間違いないです」

 「悪い業者がいるものですね。どうしてうちがお金を払って頼んだ廃棄物がこんなところに来てしまうんでしょうか。困ったものですなあ」それはこっちが聞きたいとさすがの伊刈も呆れた。大蓮は毫も不法投棄の真相を知らない様子だった。

 「こういう現場はなんとかしないといけませんなあ。当社の責任とは思っていませんが万年のやりたいようにやらせてやってください」大蓮は現場に大した関心もないようで、どうして自分がここにいるのかという顔をしたままきびすを返して車に乗り込んで帰ってしまった。

 「やる以上はきちんとやりますよ。伊刈さんがもっと早く担当になっていれば犬咬の不法投棄はこんな状態にならずにすんだのにねえ」取り残された万年は昨日よりも煙が多くなった現場を眺めながらしみじみと言った。

 万年のプライドにかけた窒息消火工事が始まった。事務所のメンバーも毎朝七時から交代で現場に詰めた。最初に出火場所を掘削して発見した火種のトンネルを三メートルの土砂の壁で封鎖した。覆土前の整形作業のため、万年は自社のヤードで重機破砕(違法な廃棄物の踏み潰し処理)に使っている大型乾地ブルを現場に回送してきた。これで廃棄物の崖をなだらかな斜面に均し覆土が崩れないようにするのだ。時速六十キロのスピードが出る大型ブルドーザのパワーは戦車並みで、オペレータの鶴田はみるみるうちに廃棄物を押し均してしまった。整地作業だけならユンボとは作業効率が何十倍も違った。

 「俺はもともと北海道で一枚が一キロもある田んぼを作ってたんだ。一日五十万の日当もらってたこともあるんだよ。この程度の仕事なら朝飯前だ」風が吹き込む崖が均されてなだらかなゲレンデのような斜面になった現場を見ながら鶴田はそう自画自賛した。

 整地作業はこれで終わりではなかった。覆土用に運ばれてくる土砂を押し均すため、途中からブルを湿地用に交代した。乾地ブルではパワーがありすぎて覆土をクローラで踏み荒らしてしまうのだ。湿地ブルは泥濘地でもクローラが潜らない仕様になった腰高のブルだった。覆土用の土砂は宝塚興業の黒田が用立てることになった。東洋エナジアの問題で雲隠れしていた黒田は何食わぬ顔でまた犬咬に舞い戻っていた。まさにゴミに群がるカラスの本領だった。

 「伊刈さん助けてくださいよ」土砂の搬入が始まって間もなく万年からSOSが入った。「黒田さんが砂代は一台八千円だって言うんですよ。いくらなんでも高いですよ」

 「持ってきてるのは売り物にならない表土ですね。本当は処分費がかかるものですよね」

 「さすがによくわかってますね」万年は感心したように伊刈を見た。

 「だけど窒息消火には空気が通らないドロドロの粘土混じりの表土のほうがいいんですよ。売り物にしている洗い砂だとサラサラと流れちゃいますよ」

 「それは確かにそうですね」

 「今のところは表土を運ばせて最後に化粧をするときだけ一番いい砂を運ばせましょう。代金は均して五千円でどうですか」

 「それならまあ納得できます」

 伊刈はさっそく黒田に連絡を取って土砂の代金を運賃込み一台五千円にするよう交渉した。一日十往復で五万円になれば悪くない金額だ。黒田がOKするまでに一秒とはかからなかった。そもそも捨て場代がかかる表土を売れるのだから、いくらだってよかったのだ。これで砂の一件は落着くかと思ったら、再び万年からSOSが入った。

 「とんでもないことになりました。横嶋さんに砂代を払ったんですが黒田さんに一円も渡していなかったんです」いよいよ昇山の横嶋が詐欺師としての本性を見せ始めた。横嶋にとっては撤去も覆土も金儲けのネタに過ぎなかった。

 「どうするんですか」

 「黒田さんにもういっぺん払うしかありませんよ」

 「二重払いですか」

 「仕方ありません」万年は悔しそうだった。土砂代金二千台分一千万円を二重払いすることになったのだ。

 覆土工事が進むと、むき出しだったゴミが隠れ、現場に立ち込めていた悪臭も収まっていった。二週間で覆土工事が完成すると出火時に八十度以上もあった廃棄物の温度が二十度に下がった。窒息消火は見事に成功した。現場から重機が引き上げるのを待っていたように有毒ガスに敏感な野鳥が覆土の中に混ざった虫を食べに舞い下りてきた。

 「鳥が来た」遠鐘が最初に歓声を上げた。

 「ほんとだ。もう心配ないね」伊刈もうれしそうな笑みを浮かべながら野鳥が虫をついばむ様子を眺めていた。

 窒息消火作業が完了したと聞いて消防署長が署員を連れて現場に置いたままにしていたホースの撤収にやってきた。

 「こんなに早くどうやったんですか」すっかり見違えてしまった火災現場を視察して署長は目を丸くした。二十万トンのゴミ火災を消し止めるには何か月もかかるだろうと思っていたのだ。

 「業者にやらせたんですよ。やっぱゴミのプロは違いますね」

 「ほんとに市の予算は使ってないんですか」

 「ええ一円も使っていないです」

 「すごいですね。信じられません」署長は海が割れる奇跡を目のあたりにしたエジプト人のように絶句してしまった。

 翌日、火災が鎮圧された小磯工業団地裏の不法投棄現場前に黒塗りの米国製大型リムジンがゆっくりと停まった。窓にはぐるりと遮光フィルムが貼られ、誰が乗っているのか道路からは見えなかった。

 「これが例の火事場かい」古代の詩を吟じるような冷え冷えとした声が車内の鳴り響いた。

 「そのようです会長」隣に座った安座間が白髪を長く伸ばした老人に向かって頷いた。

 「みごとじゃねえか。ゴミ屋がみんなあいつの言うことを聞いたんだってえ」

 「ええ、なぜかみんな憎まないの」

 「おまえもなのか」

 「なんとなくその気になっちゃうんです」

 「ふうん、小役人にしておくのは惜しいってのはほんとなんだなあ」

 「そうね」

 「こっちの仕事はどうなってんだろうねえ」

 「今はみんな様子を見てるとこだけど、また始まるでしょう。我慢のできない連中ばっかりだから。それにあの人もいつまでも犬咬にはいないでしょう」

 「犬咬からはもう引いたほうがいいなあ。犬咬だけじゃねえな、もう不法投棄はやめにしとけ。逆らった奴は締めていいからな」

 「会長、やつがじゃまならばらしますが」向かいのシートに座った男が厳しい顔で言った。二メートルはある大男で、白地のスーツを着ているので一面の壁のように見えた。

 「何事にも潮時ってものがあることを覚えておけ。あいつが変えたんじゃねえんだよ。潮目の変わるときにたまたま居合わせただけのことだ。もう不法投棄は儲らねえってことなんだよ。本部長、あいつに手を出したら俺が承知しないよ」白髪の男は咬んで含むように言った。

 「わかりました」大男は恐縮して引き下がった。

 「そんなことで済むかしら。ゴミでしか生きられない連中がいるのよ」安座間だけは老人に苦言を呈することができるようだった。

 「凌ぎでゴミをさわるってことと不法投棄とは違うだろう。もうちいっと頭を使って世の中の風の流れを感じたらどうだ」

 「会長がそこまでおっしゃるのなら」

 「この話はもう終わりだ。犬咬はうまい魚が食えると聞いた。どこかいいところはあるのか」老人は安座間の膝頭をなでた。

 「生簀をおさえておきました。会長がお見えになるってことで店は休業にさせてあります」

 「生簀か」老人は顔をしかめた。「海で採れたての魚が食べたいね」

 「わかりました。生簀はやめにします」大男があせったように言った。

 「会長にご挨拶したいというみなさんがもう生簀でお待ちなのに困ります。あたしが知ってる網本から今朝はいいキンメが上ったと聞いたので泳がせてありますから」

 「そうかキンメならシャブがいいだろうなあ」老人が相好を崩すのと同時にリムジンは音もなく発進した。

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