自称ドン
工業団地裏現場の証拠調査から、これまで広域農道南北の現場で確認していた根津商会ルートとは異なる新たな栃木ルートが浮かび上がった。流出ポイントとして絞り込まれたのは日光市にある東照カンパニーだった。一般廃棄物の収集運搬業を営む東照商事の産廃部門が独立した会社だ。
「東照の小窪はヤクザなのよ。不法投棄にも手を貸しているに違いないわ」関連調査の対象となった同業者の阿比留工業の社長夫人が電話口で妙に力説した。
彼女は小窪の悪事を見るに見かねていると、その後もたびたび伊刈に電話をかけてきた。「東照は無許可の保管場を持っているようだわ。そこから墨田化学の車が出入りするのを見たの。墨田化学がとんでもない会社だってことはご存知でしょう」
「確かにおっしゃるとおり墨田化学は不法投棄の前科のある会社です。今は解散しているはずですよ」
「知ってるわ。社長の薊さんは逮捕されたもの。栃木でゴミをやっていれば墨田化学を知らない人はいないわ。ほんとに悪い会社だったもの。でもあれは墨田化学の車に間違いないわ。会社がなくなったから誰かに車を譲ったんじゃないかしら」
長嶋に改めて調べてもらうと墨田化学の薊は栃木エコステーション(根津商会)の大久保の片腕と言われた不法投棄常習者の一人だった。工業団地裏現場と広域農道南北現場のルートが無関係ではない可能性が出てきた。
「墨田化学の車が東照カンパニーの保管場に出入りしていたとなると、小窪、薊、大久保、一松のつながりも出てくる。円の安座間とも関連が出てきそうだ。大物がかかったかもしれない」伊刈の説明に長嶋が無言で頷いた。
「やはり小窪を攻めるしかないかな」
「話の様子じゃどいつもこいつも一筋縄じゃいかない連中っすね」
「当たってくだけろだよ」
伊刈は万を持して東照カンパニーの小窪社長に電話した。
「俺は犬咬なんか行ってないよ」小窪は開口一番に否定した。「そっちにはヤマトーのパーティにしか行ったことがないんだ」
ヤマトーとは政界の暴れん坊将軍を自称し、現役代議士だったころから「俺は瑞穂会だ」と開き直って公言していた山川統(おさむ)のことだった。小窪は自分から瑞穂会の構成員だとほのめかし、犬咬の不法投棄を仕切っているのは瑞穂会ではないから関係ないと暗に含めたのだ。しかし暴力団の勢力図と不法投棄の関係はそんなにはっきりしたものではなかった。
「小窪さん、東照カンパニーに出したという会社のゴミが確かに現場で出ているんですよ」
「どこのなんて会社だ。俺がちゃんと納得がいくように確かめてやる。半端な調査は許さねえよ」
「それはちょっといま電話では言えません。こちらに来てくれれば証拠はお見せします」
「関係ねえのにわざわざそんなとこまで行けるかよ」
「それならこちらからお伺いしてもいいですが」
「ほう」小窪は電話口で息をついた。「どうしても俺を調べようってのか。悪いけど俺はやってねえよ。ムダ足になるだけだからやめときな」
「それを確認したいんです」
「その必要はねえけど、あんたが調査してるゴミ、うちが疑われたままじゃ困るんだよ。北関東物産に聞いてくれないかな。うちのゴミはそこに任せてるんだ。今度の件はそこが始末するよ」
「その会社が不法投棄したってことですか」
「そんなこと俺は知らんね。うちはそこに出したんだ。その先のことはそこに聞いてくれよ」
「小窪さんは栃木の産廃のことにはなんでもお詳しいようですね」伊刈は電話口でねばった。小窪のような人物を電話口に出させるチャンスはもう二度とないかもしれなかった。
「知らないことは何もないね。栃木では俺が動かなけりゃ処分場はできないからな」伊刈が話題を変えたのにまんまと乗って小窪は自分が栃木の産廃のドンだと自慢しだした。
「小窪さんを通すとはどういうことですか」伊刈はわざととぼけた。
「あんたなら言わなくてもわかるだろう」
「犬咬の不法投棄の頭(あたま)は栃木なんですよね」伊刈は鎌をかけた。
「そうだよ」小窪はあっさり認めた。
「黒幕は大久保さんですか」伊刈はわざと栃木エコステーション(根津商会)の大久保を引き合いに出した。
「なあんだ大久保か。違うよ、あんなのはチンピラだ。あいつの上はあんたもよく知ってる最終処分場だよ」
「英善環境の植田さんですか」
「ほうよく知ってるじゃねえか」伊刈があてずっぽうに言ったアウトロー処分場は図星だった。
「植田さんは大耀会ですか?」伊刈は畳みかけた。小窪が瑞穂会なら対抗組織の情報には甘いはずだ。
「あいつほんとは稜友会なんだ。しかしもっとその上があるんだ」
「大耀会の親分が犬咬をやってるんですよね」
「犬咬は鯉川さんがやってんだろう」小窪はあっさりと黒幕の名前を漏らした。瓢箪から駒どころかダイヤモンドだった。鯉川の名前を聞いたとたん顔からすうっと血の気が引くのがわかった。
「その方が栃木の大親分なんですか」伊刈は気持ちを抑えながら応じた。
「本部長だよ」福島の右翼の会長を名乗る高峰が言っていた栃木の親分に伊刈はとうとうたどりついた。心臓が激しく脈打っていた。
「わかりました、ありがとうございます」息苦しさを感じながら伊刈は最後の挨拶をした。
「礼を言うにゃあ及ばねえよ。あんた不法投棄はもう終わりにできるのかい。もうやめたほうがいいよな。あんなになっちゃあ犬咬が可愛そうだよ」犬咬には行ったことがないと言っていたのに小窪は犬咬の状況に詳しい口ぶりだった。
伊刈は電話を終えるとすぐに長嶋に耳打ちした。「栃木の鯉川って知ってるよね」声が震えているのが自分でもわかった。
「鯉川ならとんでもない大物すよ。上州一家四代目で大耀会北関東統括本部長っす。バリバリの幹部っすよ」
「そいつが不法投棄の黒幕ってことはありえるかな」
「そうすね、上州一家のなわばりは群馬、栃木、茨城すから、最近こっちに集まってたダンプと符合しますね」
「円の安座間もその仲間かな」
「鯉川の名前が出たんなら、あの女も上州一家と見ていいすね。幹部の女か娘かどっちかすよ。でなけりゃあの貫禄は出ません」
「鯉川と安座間の関係をもっと調べられないかな」
「班長、それは危なすぎます。俺なんかにはとてもムリっす」あまりの大物の名前に長嶋は不安そうに首を振った。現場のゴミを一点一点掘ることから始めた伊刈のチームの調査は不法投棄シンジケートの核心に迫っていた。
鯉川の追求はムリでもいつものペースで調査を続けるしかなかった。東照カンパニーの小窪が撤去の代行者として指名した北関東物産の評判を栃木県庁の西部環境事務所に問い合わせたところ、栃木県でも札付きのアウトロー業者だとわかった。犬咬の不法投棄に関与した疑いがあると話すと関心を示した様子だった。しかし伊刈は委細を伝えなかった。東照カンパニーと不法投棄の関係はまだ明らかではなかったので安全を考えて伏せておいた。
小窪に聞いた北関東物産の電話番号にかけると浅見社長が自ら電話口に出た。
「ああ聞いてますよ。小窪さんのゴミが出たんだってねえ。今回はうちが撤去させてもらいますよ」あっさり答えた声の感じは六十代だった。アウトローと聞いて用心していたのに、酒やタバコにやられた喉のしがらっぽさもなく、どこか人懐っこさがある声だった。少なくとも小窪のようにわざとらしく大物を自演するところはなかった。
「北関東物産が棄てたゴミだと確認できる書類を出せますか」
「そんなのなくっていいじゃないの、うちが片すんだからさ」
「それじゃ困るんです」
「じゃどうすりゃいいの」
「そっちに伺ってもいいですか」
「えっわざわざ来るの? ふうん余計な手間かけるんだねえ。片せばいいんじゃないの」
「だめですか」
「いいよ来たかったらいつでも来なさいよ。来ればいろいろ教えてあげるよ」
「今週中には行きます」
「楽しみにしているよ。あんたたちの活躍はいろいろ聞いているからなあ」受話器の向こうで含み笑いが見えるような口調で言った。
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