誰かが見ていた物語

黒月水羽

だから僕らは大人になれない

瓦解夢

 耳につく不快な声に羽澤咲は眉をひそめた。

 気づかれない程度に視線を向けると、廊下の端に立つ女子生徒たちが顔をよせクスクスと不快な笑い声をあげる。

 声が聞こえるか聞こえないかのギリギリの距離。偶然を装っているが、視線ははっきりと咲に向けられ嘲笑う声が響く。


 あの子だよ、あの子。響さんの許嫁。

 ええー地味じゃない? 響さんと釣り合ってないよ。

 仕方ないよ。親同士が勝手に決めた許嫁だもの。そもそも、響さんに釣り合う人なんているわけないし。

 そうだね。という同意を最後に、あざけり声が大きくなる。


 可愛らしい女の皮をかぶった醜悪な化け物を横目で一睨みし、咲はその場を後にした。相手にするだけ無駄だ。そう分かっていても苛立ちは消えず、歩調は自然と荒くなる。


 親が勝手に決めた許嫁。そう分かっているというのに、なぜ私が非難されなければいけないのか。非難するならうちの両親、最終的には婚約を受け入れた当主にいえば良い。

 言えないからこそ、身近であり立場が弱い咲に陰口をたたいている弱者。そう分かっていても何度も繰り返されれば発散されない苛立ちがつのる。


 咲は数多い羽澤の分家の中でも、特に目立たない分家の出身だった。歴史だけはあるがこれといった功績もなく、主要な人材も排出していない。

 というのになぜ、現当主の四男と婚約を結ぶことになったのか。その経緯はわからない。

 たまたま年が近かった。咲が羽澤の特徴が色濃くでたから。

 憶測ではいろいろと言われているが、理由がどうあれ迷惑でしかなかった。


 幸い、婚約者である羽澤響は咲と近い感覚の人間で、出世というものに全く興味がなかった。その気になれば当主という地位も得られる立場にあるというのに、上に3人も兄がいるし。と自分の好きなことだけに没頭している自由人。

 咲に対しても婚約者としてではなく、あくまで気の合う友達として接していた。

 咲自身も響に対して抱く感情は友情。または放っておけない兄。といったところで、響の対応は有り難いものだった。


 許嫁。という関係がなければ響とはきっと親友になれただろう。そう咲は思い、現実を嘆いた。


 本人たちが友達感覚だとしても、許嫁という関係上、周囲はそうは思ってくれない。

 仲良くしているのか。と恐る恐る聞いてくる両親。

 隙あらば許嫁の地位を奪えないかと、探りを入れてくる野心ある人間。

 面白がって好き勝手に噂をする無責任な周囲。

 そういった人間の悪意を小さい頃から見てきた咲は、羽澤。という家に嫌気がさしていた。


 大人になったらこの家を出て、誰も自分を知らない場所で自由に暮らす。

 それが咲の夢であり、密かに計画を立てている。と響にも伝えている。

 初めてその夢を聞いた響は「それはいいな。私もついていくか」と軽くのってきた。

 いくら四男とはいえ本家の血筋が失踪はまずいだろう。と咲は思ったが、響は楽しそうに行くなら海外がいいな。なんていうから口には出せなかった。


 響も自分と同じく羽澤という家に嫌気がさしているのは感じていたのだ。

 響の場合は本家の血筋。そしてリンという謎の存在に好かれているということもあり、咲よりも立場は危ういものだった。

 守護神やら悪魔やら、真逆の評価をうけるリンという真っ黒な男は、咲が小さい頃から羽澤の中を動き回っている。


 いや、咲が小さい頃からではない。咲の両親、どころか曾祖母の代から姿が変わることなく存在しているという。

 本当かと疑うような話だが、本人を見ると理由もないのにありそうだ。そう思ってしまう独特の雰囲気を持ち、近づいてはいけない。という生物としての恐怖を抱く男であった。


 そんなリンも響に対しては妙に甘かった。

 響以外を見る目は食べ物を見定める捕食者のものだというのに、響に対しては対等の生き物を見る目を向けていた。

 響自身も両親は不在が多く、兄たちとはうまくいっていなかったためリンを兄のように慕い懐いていた。

 だが、そうやってリンと仲良くなればなるほど響は周囲から注目され、孤立していく。

 何て悪循環だと咲は思ったが、思ったところでどうにもできない。


 こんな場所にいつまでもいるからいけないんだ。そう思った咲は、お互い本当に好きな相手ができたら4人で駆け落ちする。と響も自分の夢に加えることにした。

 それを聞いた響は「面白そうだ」と、やはり軽くのってきた。

 真面目に考えているのか。と咲は不満に思ったが、咲の話を聞く響は言葉の軽さとは裏腹に真剣そうだった。同時にとても楽しそうだった。

 だからこそ咲はこの夢は必ず実現しなければいけない。そう思ったのだ。


 その日から咲の夢に「好きな相手を見つける」という項目が増えた。

 といっても、すぐに相手が見つかるはずもない。咲は誰かを好きになる。という感覚を知らなかった。

 生まれたときには許嫁が決まっていて、他に目を向けることが許されなかった。そういった環境もあり、同世代の女の子たちが異性を見ては目を輝かせる姿は自分とは別の生き物のようにすら思える。


 結婚したいという相手を自分で選ぶ。そう決めたはいいいものの、さてどうすればいいのか? と咲は悩んだ。

 けれど、悩みが解決するのは思ったよりも早かった。恋は落ちるもの。とはよくいったもので、恋とは。と悩んでいた時間がバカらしくなるほど、咲はあっさりと恋に落ちたのだ。


 高校に入学してすぐの自己紹介。羽澤の関係者しかおらず、初等部から持ち上がりの学校では無意味な時間。

 しかし、その年だけは例外だった。


 優秀な生徒を積極的に迎え入れている羽澤家は、学校にも特待制度を設けており、高校1年生の春。咲のクラスにも特待生がやってきた。

 今までも何人か特待生を見てきたが、特待で入学できたという優越感で態度が鼻につくやつ。いかにも勉強しかしてきませんでした。と雰囲気から透けて見える奴。

 そんな奴らばかり見てきた咲にとって、その年の特待生は全く違うものに見えた。


 はじめまして。とかわいらしい声であいさつした少女はクラス全体に向けてにこりとほほ笑んだ。含むところのない純粋無垢な笑顔。

 表面だけ取り付くろった、ドロドロと濁り切った笑みばかり見てきた咲には衝撃だった。

 人間はこんなにも綺麗に笑えたのか。と思うと同時に、やけに少女の周りだけキラキラと輝いて見え、少女から目が離せなかった。

 自己紹介を終えた少女は咲と目があうと、唖然と見つめる咲を不審がることもなく、咲に向かって笑いかける。その笑み見た瞬間、咲は恋に落ちたのだ。


 同性なんて問題、咲にはどうでもよいことだった。

 世界にこんなにも純粋できれいなものがあった。それが嬉しくてたまらなかった。


 少女の名前は佐藤晶といった。

 柔らかな雰囲気には似合わない名前に驚くと、うちの両親は変な人だったみたいで、可愛い名前はお兄ちゃんにつけちゃったの。と少し拗ねた様子で答えてくれた。

 なんでも兄の名前は百合。というらしい。


 晶に似ているのかと聞けば全く似ておらず、目つきはするどく身長も高いのだとか。それでも、とっても優しいお兄ちゃんなの。と晶は笑っていた。

 咲ちゃんの名前はとっても可愛いね。と言われたときは、咲と名付けてくれた両親に心の中で感謝したくらいだ。

 

 咲は初めての恋に浮かれきっていた。

 同性だというのに、この恋が実らないなんて可能性を全く考えていなかった。それほど初めての恋に夢中だったのだ。

 けれど、夢はあっさり目が覚めるものでもある。


 その日は何もない一日だった。

 いつも通りに授業を受けて、放課後は晶が欲しいといった本を買いに行く予定だった。少しでも長く一緒にいられると咲は浮かれて、晶と手をつないで校門へと歩いていた。

 校門にはなぜか人だかりができていたが、咲は気にもとめなかった。誰かがバカなことをしているのだろうと軽く考え、人込みを避けるようにして校門をくぐる。


「咲!」


 だからすぐに呼び止められて驚いた。

 振り返ると人込みの中心に響がいた。

 咲よりも先に高校を卒業した響は大学生になっており、親の仕事を手伝う機会も増えたと聞いている。その帰りなのかスーツ姿の響は、まだ未成年だというのに妙に様になっていた。

 しばらく会わない間に大人になってしまった。そう咲が驚いていると、響は人込みをかき分けて近づいてくる。


「たまには会って来いとうるさいんだ。口裏を合わせてくれ」


 響の言葉で咲はだいたいの事情を察した。

 咲の両親もうるさいが、響の両親も事あるごとに2人の付き合いに口をはさんできた。恋愛感情を互いにもっていない。そう気づいていたからこその行動だったのかもしれない。

 そのたびに咲と響は互いに口裏を合わせてごまかしてきのだが、今回こうしてスーツ姿の響が現れたということは、一緒に出掛けたという証拠を残さなければ解放されないかもしれない。


 今まで何度かあったことだが、なぜ今のタイミングで。と咲はため息をつく。せっかく晶と出かけられるのに。そう思って視線を向けると、晶は今までみたこともない表情で響を見ていた。

 それはそう、咲が初めて晶を見たあの時と同じ表情。人が恋に落ちる瞬間の顔。


「……あき……ら?」


 咲の反応で初めて晶の存在に気づいたらしい響は、視線を晶へと向けて、目を見開いた。

 いつも余裕の表情を崩さない響らしからぬ反応に咲は驚き、同時に焦る。


 響と咲はよく気があった。趣味が一緒で、話もあった。性別が一緒だったら同じ人を好きになってしまったかもしれない。そう冗談で話したことがある。性別が違って良かったとその時は笑い話で済んだが……。


「お名前はなんていうんですか?」


 晶がいつもよりも緊張した様子で響に話かける。響もふだんの落ち着いた態度がウソのように、落ち着かない様子で答えた。


「羽澤響です……」

「ひびき……」


 晶は噛みしめるように響の名前を口にして、それからふんわりと笑う。咲が恋した笑顔。いや、それよりももっと純粋で柔らかい、綺麗な笑顔。


「綺麗な名前ですね」


 やわらかな晶の声を聞いた瞬間、咲は自分の恋が終わったのだと悟った。

 同時に、自分の夢はかないそうにないということも。

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