第27話 君の想いが聞きたくて

 観覧車は頂点目指してゆっくり登っていく。奥沢先輩は宮本先輩の手を握れているだろうか。そんな事を考えながら窓の外を眺めていた。


 太陽はもうすぐ沈もうかという時間帯で、夕日が園内をオレンジ色に照らし出している。その光景は、俺が卯崎と初めて会ったあの屋上を思い出させた。


 観覧車に乗ってから、俺たちは特段会話をしていなかった。卯崎も俺と同じように外の景色を見ているだけだった。


 その卯崎が口を開いたのは、観覧車が一番高いところを過ぎた時だった。


「家族連れも多いんですね」


「まあ、この辺で家族で遊べる場所って言ったらここくらいだからな」


「……皆さん、楽しそうですね」


 その言葉は、何かを羨望しているように聞こえて。

 俺が思わず聞き返そうとすると、卯崎がそれを遮るように俺に尋ねてくる。


「先輩、この間言っていましたよね。今回の依頼に積極的なのは先輩にも動機があるからだと」


「……ああ、そうだな」


「それって、何だったんですか?」


 俺がこうして動いている理由。それはつぼみさんに頼まれたからだ。

 だが、それは建前でしかない。建前をいくら言った所で卯崎には響かない。本音を引き出すにはこっちも本音を言わなきゃフェアじゃない。


 そう判断して卯崎に答えようとしたところで、スマホが震えた。


「奥沢先輩からだな」


「奥沢先輩、なんて言っているんですか?」


 そう言われて手元の画面に目を落とす。


『手、つなげたよ!』


 簡潔な一言に、思わず安堵してしまう。


『それを聞いて安心しました。宮本先輩の反応はどうでしたか?』


『多分どきってしてたと思う。正直テンパっててあんまり覚えてないけど』


 このやりとりを横で見ていた卯崎が呟くように言う。


「……私が直接会った時と大分印象が違いますね」


「こっちが本来の奥沢先輩の性格なんだと思う。多分、お前に依頼しに行ったときは嘘を吐いているっていう負い目でもあったんだろうな」


 そう言うと、卯崎は少し不満そうにそうですかと顔を逸らしながら言った。


『それとね、この後のパレードも一緒に見る事にしたから』


 奥沢先輩から続けて送られてきた言葉に俺は少し驚いた。パレードの存在自体は勿論知っていたが、あの二人の関係性と奥沢先輩の奥手さを考えたらそれを二人で見に行くなんていうイベントは発生しないと思っていたのだ。


『進歩じゃないですか』


『うん。だからね、もう少しだけ頑張るよ。次は一人で』


『……大丈夫なんですか』


『大丈夫だよ。今日は本当にありがとう』


 初めて聞いた奥沢先輩の前向きな発言に、何故だが俺の方が元気づけられた気がした。

 無理はしないでくださいとだけ返信して、俺は卯崎の方に向き直った。


「この後、もう少しだけ時間あるか? ……少し話がしたい」


 地面が近づいてくる観覧車の中で、今度は俺からそう誘った。


 ***


 観覧車から降りた俺たちは園内の少し小高い丘からパレードを眺めていた。パレードが行われる場所から少し遠いおかげか、人の数はまばらだ。もっとも、そのせいでパレードは何かが光っている程度にしか認識できないのだが。


 遠くに賑やかな音を聞きながら、俺はおもむろに口を開いた。


「今から話す事は全部俺の独りよがりで自己満足な意見だ。だから聞き流して貰っても構わない」


「聞きたいと言ったのは私ですから、ちゃんと最後まで聞きます」


 卯崎が答えたのを聞いて俺は話し始める。

 自分の本心を。


「……恋愛が『善』か『悪』か。俺がお前と最初に会った時、俺はそう聞かれて答えられないと言ったな。その答えは今も変わらない」


 善悪なんてもんは人それぞれで、なにが正しいのか間違っているのか、それは自分以外の誰にも判断できない。普遍的な正しさなど存在し得ない。その考えは今も変わっていない。


「俺はお前がなにをしようがそれに口を出す権利はないと思っている。お前が恋愛をどう思っているのかなんてお前が決める事だし、お前が他人の悩み事をどう解決しようが俺には文句を言う筋合いはない」


 他人の正しさに土足で踏み込んではいけないと、そう思っていた。

 だが、普遍的な正しさが存在しないのならば、俺の『善』もまた正しいのだ。

 だから、お前はお前の『善』を貫けと、あの人はそう教えてくれた。


「……でも、だからこそはっきりと言う。、今回のこの依頼に対するお前の姿勢は間違っていると思った。宮本先輩と三浦先輩の関係をわざと悪化させたりしたら両方と仲の良い奥沢先輩はどうなる。もしかしから自分が依頼を出した事を後悔するかも知れない。そんな最悪の結果しか生み出さないお前のやり方は間違っている」


 言い切ってから、一呼吸置いてそれに、と続けた。


「単純に、俺はお前に他人の恋愛を壊すような事をして欲しくなかったんだよ。だからその逆、今まで通り誰かの恋愛を成就させるという方向で俺は依頼を解決したかった」


 結局、あれこれ理由を並べ立ててまで動いていたのは、卯崎は恋愛を『悪』だなんて思っていないと思いたかったからなのかもしれない。


「ま、俺が今回積極的に色々してた理由はこんな所だな」


「……つまり私のため、という事ですか。……ずいぶんと恥ずかしい事を言うんですね」


「それは言うな。思い出したら死にたくなる」


 ともかく、俺の本音は話した。

 ならば、次は彼女の本音を聞く番だ。


「……なあ、卯崎。お前は恋愛の定義って何だと思う。お前にとって恋愛は『善』か。それとも『悪』か?」


 恋愛とは何か。人はなにを持ってそれを恋愛と呼ぶのか。そして、恋愛は『善』か『悪』か。

 あの日聞かれたその問いを、俺は卯崎自身に問うた。


「……」


 その問いに、卯崎はぴくりと反応したかと思うと、不意に表情を崩した。


 それは、俺が今まで見た事のない表情だった。

 いつも浮かべている微笑でもなく。

 時々見せた自然な笑顔でもなく。

 少し呆れたような表情でも、不機嫌そうな表情でもなく。


 ――卯崎は今にも泣き出しそうな、何かを必死でこらえているような、そんな表情をしていた。


「……せん」


 やがて小さく放たれたその言葉は、


「……分かりません」


 徐々に大きくなり。


「……本当に、分からないんです」


 感情を押し殺したような呟きは、


「……恋愛が良いものなのか、悪いものなのか。私は、恋愛をどう思っているのか。……それすらも、私には……分からないっ!」


 感情を吐き出す嘆きに変わっていた。

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