第1話 そして話は遡る

 話は今朝にさかのぼる。朝日の暖かさに包まれて、なんてロマンチックな方法ではなく普通に母ちゃんの大声で起きた俺は、「今日はもう、遅刻してもいいよね」という毎朝聞こえる誘惑に打ち勝ち、朝飯を食べて制服を着ると、鞄を持っていつもの時刻に家を出た。


 俺の通う学校は、我が家からは少々離れたところに位置するため、俺は電車通学をしている。そのため俺は毎朝死ぬほど眠い目をこすりながら駅までの道を歩くのだが、今日の俺はひと味違った。何故人は365日、春も夏も秋も冬も、一日も欠けることなく朝はベッドから離れたくないという衝動に駆られるのだろうか、という人類の命題について思考を巡らせていたのだ。おかげで頭はすっきり爽快。


「おはよー、新!」


 そうして駅までの道も半分を過ぎたところで、背後から声が聞こえ、次いで背中に軽い衝撃が与えられた。振り返ると少し茶色がかった髪をポニーテールにした、活発さを窺わせる少女がこちらへ手を軽く振っていた。幼なじみの弥生桃である。小学生よりも前からのつきあいである桃とは高校も同じで、毎朝大体このあたりで会うのだ。


「おはよう桃。ところで人類が朝布団から出られないのは家具メーカーが布団に朝になると布団への依存度を高める麻薬的な何かを布団に染みこませたからだと思うんだがどうだろう」


「開口一番何言ってるの……」


 俺の出した隙のない結論に桃は呆れた様子でため息をついた。朝一でこの結論に辿り着いた喜びを分かち合いたいと思っていたのに何故分かってくれないんだ……。


「いやな、朝って何故か布団から離れられないだろ? その原因について考えてたんだよ。そしたら『家具メーカー陰謀説』に辿り着いたというわけだ」


「でも私、朝起きられなかったことってほとんど無いよ?」


「……なん、だと」


 俺の中で弥生桃地球外生命体説が浮上した瞬間だった。


 そんな感じで歩いてしばらくすると、駅に着いた。二人で改札をくぐり、タイミングよく来ていた電車に乗り込む。俺の地元は大都会という訳でもなく、また時間帯も通勤ラッシュ手前と言うこともあって、車内はさほど混んではいなかった。空いている席に二人で座る。早朝から歩くという苦行から解放された俺の両足が歓喜の声を上げている気がした。


「ああーつかれたー」


 思わず中年のおっさんのような声が漏れてしまった。幸い車内に乗客は少なかったのでそれほど大きな恥にならずにすんだ。これがもし混雑した車内で近くに美人の女子大生がいるという状況だったら黒歴史確定だった。


「ふふっ。大げさすぎ」


 俺の声に反応した隣の桃が小さく肩を揺らして笑っている。きっと地球外生命体には理解しがたい苦痛だから他人事のように笑っていられるのだろう。俺は何か言い返してやろうと口を開いた。


「いいか、桃。何事にも大げさということはないんだ。辛いと思ったらすぐに声に出して周りに主張する。これが出来ないと将来ブラック企業に使いつぶされて死んだ目でデスクに向き合う大人になっちゃうんだぞ」


「はいはい、分かった分かった。……あのさ、別に、無理に私に合わせようとしなくてもいいんだよ?」


 俺の言葉を笑ってあしらった軽さの後に、少しの申し訳なさを感じさせる声音。彼女は陸上部に所属している。まさにイメージ通りだ。そして陸上部は朝練があるため朝は早い。家が学校から遠い桃はなおさらだ。その彼女に毎朝付き合って登校する俺に桃は多少なりとも負い目を感じてしまっているのだろう。


「別に桃に合わせているわけじゃないぞ。あれだ、クラス一早く登校することで誰もいない教室で優越感を感じたいからこの時間に登校しているだけだ。毎朝おまえと会うのは偶々だ」


 俺の弁解に、しかし桃は耳を傾けずに言葉を続けた。


「私ももう高校に入って二年だしさ。もうあんなことは起こらないし、起こったとしても自分で対処できるよ?」


「……なあ桃、もしかして彼氏でも出来たか?」


「えっ、な、なに急に……。別にいないけど……」


「そうか、ならいい」


「そ、それってどういう……って、話をそらすなあ!」


 微妙に話の話題をずらされたことに桃が怒って俺の肩をポカポカ叩いてくる。まったく、桃との会話はコントロールが楽でいいな。


 それから何駅か電車で揺られながら桃とたわいない会話をしていると学校前の駅に着いた。まだ人の少ない駅から学校までの道のりを二人で肩を並べて歩き、校門をくぐったところで朝練へと向かう桃と別れ、一人昇降口へと向かった。そしてこの時、俺の中で事件が起った。


「……ん? なんだこれ」


 上履きを取り出そうと自分の下駄箱を開けると、ピンク色の可愛らしい封筒が上履きの上に乗っかっているのが見えた。俺は一度下駄箱を閉じて深呼吸した。ふう、オーケー落ち着け古木新。まずは落ち着いてここが本当に自分の下駄箱なのかを確認するんだ。あ、僕の下駄箱ですね。


「まあでも誰かの置き間違えという可能性もあるからな。まだ俺宛てだと確定したわけじゃない」


 誰に向かって言っているでもない謎の言い訳を呟いて、その中身を確かめるために封筒を手に取った。出所の分からない緊張で手が震えた。封筒を破かないように慎重に裏の封代わりのシールをはがして中身を取り出す。あったのは一枚のメッセージカードだった。


『古木新さん。ずっとあなたを見ていました。あなたとお話ししたいことがあります』


「……oh」


 明かされた手紙の内容に思考回路がショートして何故か英語が出てきてしまった。ていうかこれ完全に僕宛てですね。思いっきり名前書いてあるもんね。ははは。まじか……。


 とりあえずここから移動しようと、俺はおぼつかない足取りで教室へと向かった。校内に人がいない時間だったおかげで誰にもぶつからずに自分の教室、二年二組に辿り着くことが出来た。ひんやりとした朝の校舎を歩いたおかげか、俺の頭もだいぶ冷えた。


 誰もいない教室を歩き、一番後ろかつ窓際の席という所謂『主人公席』と呼ばれる席に腰を下ろす。ここが俺の席である。この席が当たったときは高校生活の運をすべて使ってしまったと思ったものだった。しかし、しかしである。まだ俺の運は尽きていなかったようだ。


「ふ、ふふふ」


 早とちりしてはいけないと別の可能性は十分に考えた。だが手紙の中にはっきりと俺の名前が書いてあったのだ。一つの学校に全くの同姓同名がいるとは考えにくいから、あれは間違いなく俺へと向けた手紙である。そしてあの手紙の内容。はっきりとは書いていなかったが俺への好意を表したものだと考えていいだろう。やべえ、笑いが止まらない。今教室に誰もいなくて本当によかった。もし誰かいたら俺は紙切れに対して不気味な笑い声を上げる変態という謂われのない汚名を着せられていただろう。


「さて、俺に愛を囁いてくれたかわいこちゃんは一体どこのどなたかな」


 そんなことを言いながら俺は余裕の出来た心でもう一度手紙を読み直そうと目を落とした。端から見れば完全に調子に乗ったうざいやつである。しかし、そんな俺の余裕は、ある事実の発覚で容易く崩れ去った。


「あ、れ……名前が書いてない?」


 そう、例の手紙には『古木新さん。ずっとあなたを見ていました。あなたとお話ししたいことがあります』の一文が可愛らしい手書き文字で書いてあるだけで、送り主の名前がどこにも書いていなかったのである。それに気づいた瞬間、俺の頭に別の可能性が浮上してきた。


 ――もしかしてこれは、所謂『実は男が書いた偽ラブレターでしたドッキリ』とかいういじめにも近しいアレなのでは?

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