第36話 本性

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「エスティ!」

「それ以上、近づかないで下さい!」

 状況を把握する前にレイガルの身体はエスティを助けるために動いていた。だが、コリンの制止によってその場に留まる。命令に背けばエスティは死ぬ。少年らしい瑞々しい声と丁寧な言葉使いの裏には、そう確証させる恐ろしさがあった。

「・・・なぜ?!・・・エスティを?!」

「あなたの目的は何なのです?!」

 動揺するレイガルを補うようにメルシアがより具体的な質問をコリンにぶつけた。

「まずは、お二人とも武器を遠くに投げ捨て下さい」

 コリンは迷いのない動きでエスティの左脇腹に刺した短剣を引き抜くと、刃を倒れる彼女の首筋に突きつけてレイガルとメルシアに要求する。既に暗殺に怯えていた幼気な少年の姿は片鱗さえ残ってはいない。二人は黙って、それぞれ長剣と魔法の杖を遠くに向って投げつけた。

「もちろん〝神秘の渦〟です。父が僕達を犠牲にして願望を叶えようとしていたことは、マイラを通じて以前から知っていましたからね。それを出し抜く機会を狙っていたのです。僕が遺跡の中に逃げ込めば父か姉のどちらかは追って来ると思っていましたが、ここまで上手くいくとは思っていませんでしたよ!それとエスティは人質です。急所は外していますから、まだ生きています。あなた達が協力してくれれば、助けることが出来るでしょう!この偉大な遺産を受け継ぐのは僕が最もふさわしい!」

「コリン!お前!」

「レイガル、そんなに怒らないで下さい。僕が神秘の渦を使って力を手に入れたらエスティの傷も治してあげるし、僕の一番の家来にしてあげますよ!」

 これまでは様子は油断させるための演技だったのだろう。コリンの本性を理解したレイガルの怒声に、彼は恍惚に満ちた笑みを浮かべて自身の見解を口にする。親のせいだろうか、ネゴルスの血を引くコリンは独善的な価値観を持っていた。

「コリン様・・・」

「ああ、マイア、安心して欲しい。君は家来でなく。僕の妻になるのだからね!」

 一番の家来という言葉に何か思うところがあったのだろう。これまで静かに控えていたマイラがコリンに問い掛けるが、返答を聞いて納得したように笑みを浮かべた。

「マイアさん!彼の言葉を信用してはいけません!」

 禁断の魔法装置〝神秘の渦〟が使われる兆候がはっきりしたことで、メルシアはマイラに呼び掛ける。

「・・・あなた達には悪いと思っているけど・・・コリン様が力を手に入れれば皆が幸せになれるのよ!」

 これまで経緯からしてコリンが約束を守る確証など、菜食主義の人食い鬼を探すより難しいと思われたが、マイラは疑いのない事実として捉えているようだ。メルシアもこれ以上の説得は無理と悟ったのだろう。右手に嵌めた指輪を突き出すようにして前に出る。彼女は杖以外にも魔法を補助する魔道具を所持していた。

「な、何をするつもりです?!レイガル・・・メルシアを止めて下さい。僕が力を手に入れればエスティを助けます。本当です。約束します!・・・このままでは彼女とは永遠に別れることになりますよ!」

 それまでの傲慢さが嘘のようにコリンは狼狽してレイガルに訴える。いかに狡賢いといっても所詮は経験の浅い少年に過ぎないのだ。もっとも、レイガルにそれを滑稽と思う余裕はなかった。コリンが約束を守る保証は限りなく低いが、メルシアを止めなければ、確実にもう二度とエスティの笑顔と見る事は出来なくなる。彼は反する重圧に胸を潰されそうになりながら、自身の行動を選択しなければならなかった。


 これまでにない素早き動きでレイガルはメルシアの背後に迫る。彼女はそれを避けようとするが、既に遅かった。

「・・・レイガル!彼を・・・止めなけ・・・」

 レイガルによって後ろから羽交い絞めにされたメルシアは抗議の声を漏らすが、彼の使い古した牛革の手袋によって口を塞がれる。根源魔術士である彼女にとって声を奪われることは無力化を意味した。

「そうです!レイガル、よくやってくれました!しばらくその者を抑えていて下さい。儀式が終われば、彼女の役割も意味がなくなりからね!」

 先程までの狼狽が嘘のようにコリンは歓声を上げた。もっとも、褒められたレイガルは何も言わずに、自由を得ようともがくメルシアを静かに抑えつけるだけだ。やがて、彼女も力では敵わないと諦めて、コリンを睨み付けるだけとなった。

「マイラ!いよいよ僕がこの世界の全てを手に入れる時が来たのです!父達にはその礎になって貰いましょう!姉さんにも止めを刺して下さい!」

 メルシアの冷たい視線を無視してコリンは命令を下し、祭壇の前に移動しようと後ろを振り向く。彼が予想したのは自分を讃えるマイラの笑顔であったはずだが、コリンの目に映ったのは悲鳴を叫ぼうとする引き攣った表情だった。慌てて身を翻すと、一瞬の気の緩みを突いて飛び掛かるレイガルの姿があった。

「だ、騙したな!!」

「それはお互い様だろう!」

 自分に襲い掛かるレイガルを目に前にしてコリンは非難の声を浴びせるが、レイガルは両手を突き出しながらそれに応じる。

 手にした短剣をレイガルの顔の突き立てようとコリンは抵抗を試みるが、彼の手甲に阻まれると成人男性の体重に鎧と装備、さらには一気に距離を詰めた速度が込められた体当たりをまともに受けて床に倒れる。小柄な少年の身体にその衝撃を耐えられるだけの体力があるはずはなく、彼は意識を失った。

「コ、コリン様!な、なんということを!!」

 主人、もしくは恋人関係でもあったのだろう。歪んだ愛を捧げるコリンが押しつぶされる様を見せられたマイラは、逆上しながら武器を手にして迫る。だが、光の粒子が突如現れると彼女の身体を包み込んだ。それを振り払うために抵抗を示すマイラだが、やがて身体を丸めるようにして床に崩れ落ちると、そのままの体勢で動かなくなった。レイガルの欺瞞を理解したメルシアがいち早く〝麻痺〟を発動させたのだ。

「コリンとマイラは・・・私が・・・レイガルはエスティの手当を・・・」

「ああ、頼む!」

 魔力を本当に限界まで使い切ったのだろう。弱々しい声で歩み寄ったメルシアに一言告げるとレイガルは力を振り絞って立ち上がる。そしてエスティに応急処置を施すために床に倒れる彼女の下に駆けつけた。

「エスティ!エスティ!」

 止血用の清潔な布を背中の傷口に押しつけながらレイガルは愛する女性の名前をひたすら呼び掛ける。だが、彼の中の一部は本質的な判断を下していた。床に横たわるエスティの身体の下に出来た血溜まりの大きさと既に冷たくなりつつある彼女の体温によって、通常の手段ではどうしようもないことを。それでもレイガルは自身のマントをエスティに被せて彼女の身体を暖めようと泣きながら寄り添うのだった。


 その声を聞くまでレイガルは、エスティとの出会いから一緒に過ごした冒険の日々を思い出していた。遺跡探索の冒険者となるべく〝山羊小屋〟に向い、たまたま前に並んでいた彼女とアシュマードとのいざこざによって偶然出会ったこと。冒険者としては全くの初心者であった自分を仲間として受け入れ導いてくれたこと。二人で襲われていたメルシアを救い出したこと。ヘルハウンド、ミノタウルス、ワイバーン、キマイラ等、遺跡に蔓延る怪物達と共に戦い、倒したこと。これまでの日々が脳裏に浮かび上がるとレイガルは胸が張り裂けそうになりながら、死にゆくエスティに何もしてやれない自分を悔やんで涙を溢れさせる。

「レイ・・・レイガル!・・・エスティは・・・危険な状態にあるのですね?」

 止血を続けながらもレイガルは自分の名を呼ぶメルシアの声に気付く。彼女はコリンとマイラを革紐で縛り上げるとレイガルを補助すべく、直ぐ近くまで寄って来ていた。自分の意志では止める事の出来ない嗚咽を漏らすレイガルは、頷くことで質問に答える。

「・・・では、彼女の身体をこちらに運んで下さい。・・・私がなんとかします!」

 メルシアから投げ掛けられた声にレイガルは絶望の中に一縷の光を見る。この時、彼は『エスティが助かる!』ただそれだけの思いに支配され客観的な判断力を失っていた。メルシアが魔力を限界まで使い果たしている事実と、これまで彼女が負傷を回復する類の魔法を扱ったことがないことを忘れていた。それ故に彼は言われるままにエスティを丁寧に抱えるとメルシアに指示に従った。

 レイガルがエスティを運んでいる間にメルシアは祭壇に乗せられていたリシアを降ろしていた。これを見たレイガルもやっとメルシアが何をしようとしているのか理解する。

「まさか、メルシア?!この・・・〝神秘の渦〟ってヤツを使う気か?!」

「・・・そうです。私には、根源魔術には身体の損傷を直接癒す力はありません。・・・エスティを救うにはこうするしかないのです。ラーシェルの民の意志を受け継ぐ私には神秘の渦を扱う資格を持っていますからね」

「だが・・・それを使うには代償が・・・生贄が必要なはずだ・・・」

「その通りですが、代償ならここにあります。それに私に与えられた最後の任務は〝神秘の渦〟そのものを使用して機能を停止することにありました。・・・その前にエスティを助けても命令に違反することにはならないでしょう!」

「・・・ダメだ、メルシア!!」

 自分の顔を指差すメルシアを制止しようとレイガルは立ち上がろうとするが、エスティを抱えていることを思い出すと躊躇った。

「・・・これまで・・・ありがとうレイガル!エスティにも私が感謝していたと伝えて下さい!」

「ま、待ってくれ!メルシア、エスティは・・・」

 レイガルは胸に込み上げる激しい感情に翻弄されながら悲鳴を上げた。だが、それでメルシアの行動を止めることは出来ず、彼女は古代語を唱えながら祭壇に掌を乗せる。すると広間の床全体に魔法陣の絵柄が浮かび上がる。それは白熱した鉄のような赤味を帯びており眩い光を放っている。レイガルは反射的に瞼を閉じて顔を背けた。

 恐る恐る目を開いたレイガルの瞳に通常状態の白大理石の床が映る。閃光が収まったことを知った彼は、胸に抱くエスティの容態を確認しようと顔を向けようとするが、それより先に下から激しい抱擁と唇に柔らかくて暖かいモノが接触するのを感じた。

「・・・レイガル!・・・また、あなたに会えるなんて!」

 頬と唇から伝わるエスティの感触と体温に歓喜しながらもレイガルはやっとのことで彼女の身体を引き離す。

「エスティ!メルシアが・・・」

「メルシア?彼女に何が?!いえ、あたしが倒れている間に何があったの?!教えて!」

「コリン達を制圧したが・・・エスティ、君を助けるためにメルシアが・・・おそらくは自身を代償に魔法装置を使って・・・」

「なんですって!!」

 レイガルの言葉にエスティも動揺を示すと二人は協力して立ち上がる。そして祭壇の前に倒れるメルシアを見つけると、申し合わせたかのように同時に彼女の下に駆けつけた。

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