謎のセーラー服
「げほっ。げほほっ……」肺にたまった水を吐き出す。「う……うーん」
ゆっくりとまぶたを開けると、古びた木造の見知らぬ天井があった。
(今度は……どこだ?)
感覚でふとんの上に寝かされていることがわかる。身体を起こそうと力を入れてみた。金縛りにかかったように重く、動かせない。ならばと力を指先に集中してみる。かすかにだが動くし、感触もしっかりしている。そこまで確認すると、俺は目を閉じた。大きく息を吐く。浮き輪から空気を抜くようにして身体の緊張を解いた。
どうやらまだ生きているらしい。
といってもこの場合、生きているという表現が正しいかどうかは疑問だ。
「んっ……。よかった、目が覚めたのね」
俺はふたたび目を開き、声のする方角に視線だけを動かした。唇に人差し指をあてた少女の姿があった。
黒の前髪に隠れて目元は見えない。後ろ髪は腰の辺りまで長くまっすぐにのびていて艶がある。なぜか微妙に頬が紅潮している。彼女が唇から指を離すと、その間につーっとよだれの橋ができた。寝起きにしては、やけに扇情的な光景だ。
崩れおちた橋を目で追う。胸の発育は大変よろしい。夏のセーラー服がぱっつんぱっつんしていて窮屈そうだ。正座したスカートの裾からは、すらりと伸びた太ももがのぞく。雰囲気からして歳は俺とそう違わないような気がした。
彼女が着ているセーラー服に妙なひっかかりを覚えた。何を隠そう無類のセーラー服好きで……って俺は変態か。そうではなく、どこかで見た覚えがしたからだ。朦朧とする記憶の中を探ってみたが、思い出せなかった。
(いったい誰だ?)
彼女を観察するうちにだんだんと意識がはっきりしてきた。と同時に先ほどの恐怖がこみ上げてくる。息苦しさを感じ、俺は呻き声をあげた。
「み、水ぅ……」
「わかった。お水がほしいのね」
ぽんと手を叩くと、彼女は隣に置いてあったお盆の上からコップに入った水を取った。
「ちがっ……」
水が怖いと否定の意思を表すより先に、身動きがとれない俺の口にがぼがぼと水が注がれる。
「ぐびぐび……んぐんぐ……ぐびぐび……ごばあぁっ!」
俺はがんばって飲み干そうとした。その努力はむなしく、気管に水がつまり途中で噴き上げた。たまらずふとんを蹴り上げる。
「げほぉっ! げほほおおぉっ!」
胸をどんどん叩き、咳き込む。
「ぜーはー。ぜーはー」
大きく深呼吸を繰り返して、どうにか気持ちが落ち着いた。
隣で一部始終を見ていた彼女が声をかける。
「いくら喉が渇いていたからといって、そんなに一気に飲んだら身体に毒だよ?」
誰が飲ませたんだ! 誰がッ! 俺は彼女を睨みつけた。
「……溺れ殺す気かよっ!」
「水を飲んだだけで溺れ死ねるなんてけいちゃんは器用だね」
口元に手をあて、悪びれる風もなく笑う彼女。俺は目を見開いてまじまじと見つめた。怒りからの行動ではない。驚きを隠せなかったのだ。
俺のことをけいちゃんなどと呼ぶのはこの世で一人しかいない。
いや、いなかったからだ。
「そんなに見つめられると照れちゃうな」
彼女の声色にどこか懐かしい響きがあることに気づく。
ありえない――通常ならばありえない邂逅。
俺は自身の考えを打ち消すようにかぶりを振った。
けれど、と思い直す。
この場所が予想通りに三途川だったとしたら?
彼女が死者で時が止まっているとしたら?
すべてはありえ――る。
千思万考したとき、記憶が爆発した。彼女が身に着けている制服は、俺が入学する数年前に変更になった旧制服のデザインだ。どうりでどこかで見たことがあると思ったはずだ。小さいときにすぐそばで見ていたから間違いない。
その相手は誰だったか? おぼろげだった彼女の正体がわかりかけてきた。
「まさか、あんたは……」
と続きを言いかけたところで、
「いてっ」額を指でこつんと弾かれた。
「こらっ。お姉ちゃんをあんたなんて呼んじゃだめでしょ。音羽姉ちゃんと呼びなさい」
ああっ、やっぱりだ! 頭に載った天冠は死者の証。亡くなったときと変わらない姿。目の前にいる彼女は紛れもなく、
「音羽姉ちゃん!」
俺は感激のあまり姉を両腕で抱きしめ、胸に顔をうずめた。感激に身体が打ちふるえたのだろうか。抱きついた瞬間、びりりっと電撃が奔るような感覚があった。熱い涙が溢れだして止まらない。姉ちゃんは、「よしよし」と俺の頭を優しくなでた。
山王姉弟、実に十年ぶりにあの世での再会だった。
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