第89話 四方魔法陣 2

 雄叫びが、広間を揺さぶった。

 向こうが態勢を整える前に行った一斉攻撃。炸裂する魔法に隠れて繰り出された斬撃は、何の抵抗もなくヴィンセント・コボルバルドの皮膚を貫き筋組織を分断する。傷口から煙が吹き出す。可視化できるほどに高濃度な瘴気の煙だ。


 一斉攻撃で刻まれた大小さまざまな傷。吹き出す瘴気に、全員がその場からいったん離れる。そうしている間にも、傷口はふさがっていく。吹き出す瘴気の量が絞られ、やがて止まる。俺たちが攻撃する前の状態に、ヴィンセント・コボルバルドは戻っていく。


 それでも――、


「……よしっ!」


 気が付けば、そんな声が出ていた。左手を握り締め、腰のあたりで小さくガッツポーズする。俺は賭けに勝ったのだという安堵と、それをかき消すほどの鼓動の高鳴りを自覚する。心臓がうるさい、身体が熱い。


 見つけたからだ。

 奴の右横腹と後ろ足。止まることのない瘴気の煙と、一向にふさがらない傷口を。それはすなわち、作戦が十分に実行可能であることを示す。


「大丈夫! 効いてる!」


 通信機にそう怒鳴る。同時に、各所で歓声が上がる。まだ倒したわけでもないのに、それに匹敵するかのような熱気を感じる。


 これではっきりした。ゴーレムとこいつは、二体でひとつの体なのだ。

 奴らは、何らかの方法で身体を同期している。どちらの体にも、お互いの遺伝子情報か何かが保存されているのだろう。一方を攻撃されると、無事な方の体から設計図が何らかの方法で送信され傷が再生する。『同じ場所』を『同時に』攻撃しなければ、傷は今のようにすぐさまふさがってしまう。


 そう考えるなら、やはり核も同様なのだろう。一方が壊れたところで、もう一方が無事であるならすぐさま修復が始まる。いま奴らは、お互いのバックアップデータを持っているという状態に近いのだ。一方が傷つき倒れたとしても、もう一方が無事であるならば蘇る。つまり、奴らを倒す条件は、同時に核を破壊するほかない。


《グゥァァァァッツ‼》


 歓声をかき消すかのように、咆哮が轟く。ヴィンセント・コボルバルドの目が、俺たちへと照準を合わせている。奴らは倒すべき敵なのだと、恐らくいまので認識された。


「――! 直線上から離脱!」


 そう悟ると同時に、ヴィンセント・コボルバルドが大きく体を倒し〝伏せ〟の状態を取る。記憶が浮かぶ。浮かぶと同時に指示を出し、俺たちも真左へと一気に飛び退いた。


 ドゥッ‼ 一陣の風が駆け抜けた。


 俺たちの何十倍もの体積を誇る巨体が、まるで砲弾のように急加速しすぐ真横を通り過ぎる。かき分けた風が突風となり、身体を持ち上げる。背中に刺さる金属器が音を立てる。それと同時に耳に届く、鈍い接触音と鋭い破砕音。それがなんであるのか――認識した瞬間に、背筋に冷たいものが走る。


「何人やられた⁉」


『一番隊、三人!』


『三番隊、四人!』


「八番、九番隊、けが人輸送!」


 了解、という応答が入り、助けられた騎士たちの輸送が八、九番隊に引き継がれる。入れ替わるように重装兵部隊の四、五番隊が前へと進み、盾を構える。


 冷や汗が流れる。予想していたよりも攻撃の範囲が大きい。彼らは突進を避けたはいいものの、突風で体勢を崩したところに一撃をもらったのだ。やはり、事前に伝えているだけでは不十分だ。攻撃を避けることだけを考えていてはいけない。攻撃そのものを、できる限りキャンセルするのだ。


「魔法士部隊A、B煙幕で足止め! C、D、E隊、魔法陣用意! 六番、七番、C、D、Eを守れ!」


 緑色の煙幕アノスンセント・コボルバルドの顔面で炸裂する。それと同時に、足元へと火球が打ち込まれる。目の見えないあいつには、いまここは、踏めば何かが起こる地雷原と化している。そうそう大きな行動はできないし、何より予測しやすいはずだ。あらかじめ構えていた重装兵――四、五番隊が前へと踊り出る。感覚任せに振られる前足を盾でうまくいなし、輝線部分に攻撃を加える。


 同時に、安全地帯で後方支援をしていた魔法士たちが数人、魔法陣展開のため手筈通りに散開した。重装兵の残り半分である六、七番隊がC、D、E隊の魔法士に張り付く。目指す場所はいま奴がいる壁のちょうど向かいに位置する壁。地面に走る亀裂と水晶体が最も多い場所。


『魔法陣準備完了まで、あと二分』


 数十秒後、通信機から声が飛び込む。それと同時に、腕時計のパネルを押して針を進める。彼女らが描こうとしているのは、簡易魔法陣。「あと二分!」そう通信機に入れれば、再び士気が爆発的に膨れ上がる。


 そもそも、魔法陣とはマナの変質を目的とする幾何学模様のことを指すため、どうしても複雑なものになってしまう。しかし、それでは実戦で使えない。刻一刻と安全地帯が変化する迷宮攻略などもってのほかだ。


 そのために開発されたのが、簡易魔法陣だ。これは、亀裂のように地面を広がる発光水晶を使う。それを魔法陣のようにつなぎ、簡易的な魔術行使を可能にする。もちろん、オリジナルのものよりも明らかに威力は劣る。しかし、これが使えるだけで攻略は一気に楽になる。奴の足を、動きを、封じることができる。


 風魔法は絶えず発動し、煙幕は霧散することなくヴィンセント・コボルバルドの視界と嗅覚を奪い続ける。無茶苦茶に振るわれる巨腕は、騎士がいなし、弾き返す。斬撃は呼吸する間などなくぶつけられ、ヴィンセント・コボルバルドの体には回復しない傷が増えていく。


『あと一分』


 そのとき、


「――――⁉」


 両後ろ足が、限界まで縮みこむ。それはさっき見た光景と瓜二つだ。だとすれば、奴がやろうとしていることは容易に予想できる。強引に、この状況から脱するつもりだ。


「全員離れろ!」


 咆哮が、容赦なく鼓膜を殴りつけた。

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