長門有希の水陸における驚くべき旅行と出征と愉快な冒険
かつて俺はハルヒに、長門は宇宙人で、朝比奈さんは未来人で、古泉は超能力者であるという真実を伝えたことがあるのだが、とんでもないほら吹きだと馬鹿にされ、一笑に付されてしまったことがある。
それからいくら不思議なことが起ころうとも、ハルヒは世の中の不思議を頑なに認めようとしなかった。不思議探索で毎週末不思議を求めて足が棒になるまで街を歩き回っているというのに、現れた不思議に目もくれないのは、いささか不思議である。
そして、今日も今日とて、俺たちは不思議探索にやってきていた。
今回はハルヒと朝比奈さんと長門と未来の朝比奈さんのチーム、長門と俺のチーム、古泉のチームの三段構えで不思議を探そうという算段だ。というかくじ引きでそういう組み合わせになった。ハルヒが明日の不思議探索は3組に分かれる、と宣言した際に、団員を3で割るとひとりぼっちのチームができてしまうということで朝比奈さんと長門が気を使い、別の時間軸の自分を呼んできたり、二人に増えたりしたのだが、その気遣いも偶然のいたずらで無為になってしまっていた。
朝比奈さんが軽率に未来の自分とコンタクトを取ったために、タイムパラドックスが起きて数億の未来の可能性が潰え、この世界が唯一残った世界だった、と未来の朝比奈さんが俺に言ったのだが、話が難しすぎて一向に理解できなかった。
「有希が二人に見えるけど最近乱視が進んでるしそのせいかもしれないわね」とハルヒが言っていた。
こうしてハルヒたちは地下世界の商店街へ向かい、俺たちは船で大海原へ出て、古泉は閉鎖空間で不思議探索をすることになった。
あまり大きな船ではないが、なかなかしっかりした作りに感心すると、俺と長門は大海原へオールを持って力一杯漕ぎだした。
波風は心地よく、時折舞う水しぶきがひんやりとして夏の強い日差しを感じさせない、なかなかに爽やかな船出だった。
昔から冒険には美女のお供が定番であるが、長門は谷口曰く、Aマイナーの美少女であるらしいので、早くもその条件をクリアしたと言えるだろう。やがて見渡す限り水平線、どこにも島影が見えなくなったあたりで、空気はなんだかひんやりとし、空は薄暗く曇ったように機嫌を損ねだした。一雨来るだろうか、などと思っていると一人の船幽霊が船の舳先に現れた。
「柄杓をくれ」
というので、長門がどこから取り出したのか、船幽霊に柄杓を差し出すと、幽霊は柄杓で海の水を船の中へ汲みいれだした。
船底が水でいっぱいになり、あわや俺たちの冒険はここで終わってしまうのか、と絶望的な気持ちになった時、長門は船底に電動ドリルで穴を開けだした。数回の工程を経て船底に大きな穴が開くと、みるみるうちに汲み入れられた水は穴から海にこぼれ出てしまい、どれだけ柄杓で水を汲み入れようとも、なんの効果もなくなってしまった。
「これは一本取られた」
というと、船幽霊は柄杓を長門に返して、海の底へ帰っていった。
目下沈没の危機を免れ、俺は少し落ち着いてきたので、かねてからの疑問点を長門に尋ねてみた。
「長門、船の底に穴が空いたら、普通は穴から海の水が流れ込んできて沈んでしまうんじゃないか?」
俺がそう長門に尋ねると、長門は少しばかり考えるような顔をしてから
「どうもそうらしい」
と言った。
するとみるみるうちに穴から船の中に水が流れ込んできて、船は沈んでしまった。
こんなことになるなら、不思議は不思議のまま、確かめようとするんじゃなかった、と思ったが、覆水盆に返らず、俺は海の波に飲み込まれてろくに息もできず、やがて意識を失ってしまった。
目覚めるとどうやらここは海の上ではないらしい、背中にしっかりと砂浜の感触がある。空は快晴で、視界をさえぎる黒い影は、俺を覗き込んでいる長門の顔だということが、だんだんとわかってきた。
「ここは…」
と俺がつぶやくように言う。
「トラック諸島」
と長門が答えた。どうやらずいぶん流されてしまったようだ。
島を見渡してみると、鬱蒼とした森となっており、人が住んでいるような気配はない、ただ、遠くになんだか大きな彫像のようなものが見えたので、長門と俺はとりあえずそこへ向かって歩くことにした。人工物の近くに行けば、人に出会える可能性も高くなるだろう。砂浜を大きく迂回して数キロほど歩くと、どうやら近くにあるように見えた彫像は、随分遠くにあることがわかった。想像していたより随分と大きいようだ。まるでロドス島の巨像のごとき大きなそれは、近づくにつれ、どうやら像などではないと言うことがわかった。
「小さきものよ、こんなところに人間がやって来るのは、何年ぶりかな」
両手を高く掲げた巨人は、俺たちに随分上の方から話しかけてきた。
「あなたは何をやっているんですか?」
と俺はおっかなびっくり尋ねると、巨人は
「私の偉業は、世の中で語り尽くされていると思っていたのだが、どうもそうではないらしいな」
と少し残念そうにため息を吐いた。
「ひょっとするとあなたは、空が落ちてこないように支えていると言われるギリシャ神話のアトラスさんでは?」
俺がそう言うと、巨人が自尊心を満たされたようににっこりと笑って話を続けた。
「そうとも、私は随分前からギリシャから西の果てのここで空を支えているのだ」
ギリシャから西の果てが極東のアジアというのは随分おかしな話だな、と思って聞き返す。
「ここはギリシャから見てどちらかといえば東に位置してると思うのですが」
巨人は随分重いものを何千年も支え続けて、疲労困憊という様子で、言い返した。
「地球は丸いのだから、東であれ西であれ、いずれは西の果てになるだろうよ」
俺はふと疑問に思って聞き返した。
「地球が丸い、ということを理解しているなら、あなたはどうやって丸いものの上で空全体を支えているのですか?」
巨人は困ったような顔をしてこう答えた。
「ガリレオというやつが、地球は丸い、ということを証明してから、私も随分疑問だったんだ、ひょっとすると、俺のやっていることというのは、随分昔から無駄だったんじゃないか、と」
長門は、
「科学的見地で考えれば、あなたが空を支えなくても、空は落ちてこないということが理論的に証明できる」
といった。
「しかし、考えても見ろ、もし私が手を離して、万に一つ、いや、億に一つの可能性で空が落ちてきたとする。そしたらどうだ、ネット上で大炎上。新聞もテレビも、アトラスは何をやっていたんだ、と大バッシングの嵐、もうまともに社会では生きていけないだろう」
と伏し目がちに巨人は答えた。
「もし、仮に空が落ちてきたとしたら、人類は全滅、誰もあなたをバッシングしないのでは?」
と、助言をしてやるが、
「いや、自分でその引き金を引くかもしれない、という状況はどうしても怖くてね。それに人類は最近、冷戦というのでいつ世界が滅んでもおかしくないという状況にある、という話を聞いた。もう数百年もすれば、核兵器が世界中に発射されて人類は滅亡するかもしれない。これまで数千年、ここで空を支えてたんだ、あと数百年なんてちっぽけなものだろう。改めて、人類が滅んでから、空を支えるのをやめるかどうか、考えてみることにしようと思ってな。それに、給金も悪くないし」
俺は随分と、その冷戦は数十年前に終わった、ということを伝えるべきか否か、悩んだのだが、
「冷戦は30年近く前に終わっている」
と長門が言ったので、慌てて長門口を塞いだ。
「なんと、それじゃあ人類がいつ滅ぶかなんて、わかったものじゃないな…」
巨人はがっくりと肩を落とすと、ついでに高く掲げていた腕を下ろしてしまった。
巨人は「しまった!」と言って空を見上げたが一向に空が落ちてくる気配はなく、首を傾げながら二度、三度、空を撫でるように確認してから
「どうやらここ数千年の私の仕事は無駄だったらしい」
と悲しそうな顔をした。
「いや、少なくとも、地球が丸い、ということが証明されたのは、数百年前、あなたの無駄は、数百年ということでしょう、なら、先ほどの人類の滅亡を待つ期間分、得をしたと考えればいいんじゃないでしょうか」
と俺が慰めると、
「しかし、随分な虚業に時間を費やしたものだなぁ」
と、あっけらかんとした様子だった。
「とりあえず、職をなくしてしまったので、これから職安に行って仕事を探そうと思う。最寄りの職業安定所は、どのへんか、君たち知っているかね」
と尋ねるので、
「ここからだと、神奈川県川崎市川崎区南町の職業安定所が、距離的に一番近いと思われる」
と長門が答えた。
そうして長門と俺は巨人の肩に乗せてもらって、一路川崎の職業安定所に向かって海を渡って行ったのだった。
川崎で巨人と別れて、電車で帰途についた俺たちは、いつもの駅前で地下世界の商店街から帰ってきたハルヒたちと、閉鎖空間でボロボロになった古泉と合流し、この巨人との遭遇譚を語って見せたのであるが、ハルヒは怪訝な顔をして、
「作り話なら、もうちょっと現実的な話を持ってきなさい!リアリティがないのよ!リアリティが!」
と怒り出した。職を失ったので職安に行くというくだりなどは、神話の巨人なのに随分現実的な話だ、と思ったのだが、ハルヒはお気に召さなかったようで、またしても俺は全員分のファミレス代を持つという罰ゲームに処される羽目になったわけである。
「長門有希の水陸における驚くべき旅行と出征と愉快な冒険」完
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