第153話 魔王の娘⑨
自分の実力を把握した私は、魔族の国へ戻ることにした。
百年ぶりに戻ってきた魔族の国は、百年前とほとんど変わっていなかった。
変わっていたことといえば、二十人以上いた兄弟が半分ほどに減っていたことだ。
魔王を目指す過程で、他の兄弟やそれ以外の強者に敗れたらしい。
私が倒した将軍の配下たちと共に戻った私を、最初に見つけたのは、私に陰湿な嫌がらせを繰り返していた、鳥人を母親に持つ兄だった。
「お前、生きていたのか? そいつらは兄貴の配下の将軍の軍だったはずだが、なぜお前についている? 将軍はどうした?」
さすが鳥の血が流れているだけあってピーチクうるさい。
「貴方に答えてあげる義理はないわ。その甲高い声が耳に障るから、少し静かにしてくれないかしら」
私の言葉に激昂し、顔を真っ赤にする兄。
「お前、百年経って俺との力関係を忘れたのか? 将軍にまでなった俺に舐めた口を聞くと、殺すぞ?」
兄の言葉を聞いた私は、思わず笑ってしまう。
「ふふふっ。将軍程度で満足しているのね、お兄様。生憎その程度の器の方を相手にしている時間はないわ。邪魔だからどきなさい」
怒りのあまり我を忘れ、全身に魔力を込める兄。
そんな兄の前に、私の配下になったばかりの師団長が立ち塞がる。
「それ以上はおやめになってください。不必要な私闘は、魔王様からも禁止されているはずです」
師団長の言葉に、ムッとする兄、
「その法は、二階級以内の相手のみに適用される。この雑魚はせいぜい大隊長程度。俺との間には四階級差があるから、その法は適用されない」
兄の言葉に、ふっと笑ってしまう師団長。
「何がおかしい!」
師団長の態度に再度憤慨する兄。
「失礼しました。ただ、このお方が大隊長? それなら私は配下になったりしません」
師団長の言葉に狼狽する兄。
「お、お前が配下? 将軍間近の実力で、将来は四魔貴族も夢じゃないと言われているお前が?」
私は兄の言葉を聞き、師団長の顔を見る。
私の視線に、師団長は恥ずかしそうに頭をかいた後、視線を兄の方へ戻す。
「その私が、です。貴方よりよっぽどこの方の方が仕えるに値する」
師団長の言葉に、怒りの臨界点を超えた兄は、真っ赤な顔のまま私を睨む。
「お前、どうせ体でこの男をたらしこんだんだろ? そうじゃなきゃ半端者のお前が、そんな強気に出れるわけがない。自分じゃなくて他人の強さをあてにするなんて、魔族の恥さらしが。……いや。やっぱり半分人間の卑しい存在だから仕方ないのか」
兄の言葉に私より先に立腹する師団長。
「お言葉ですが、今の言葉は撤回ください。この方と、そして私に対する度を越した侮辱です」
私は、そんな師団長を右手で制す。
「そこまで言うなら、お相手しましょうか、お兄様。時間の無駄だと思うけど、私はともかく、私の配下をお兄様と同じ性欲まみれのけだもの扱いされて、黙っていられるほど大人じゃないわ」
私の申し出を聞いた兄は卑猥な笑みを浮かべながら答える。
「いいだろう。だが、俺も暇じゃない。相手をしてやるからには、見返りが必要だ。俺が勝ったらその男を俺によこし、お前は俺の奴隷となれ」
この鳥男の奴隷になるのはもちろんごめんだったが、私はその提案を受ける。
「それでいいわ。私が勝った時の見返りは何もいらない。お兄様からもらいたいものなんて、一つもないから」
私の言葉を聞いた兄は再び怒るかと思ったが、ニヤニヤ笑うだけでそれ以上の反応を示さなかった。
きっと既に勝った気になり、私を犯す妄想でもしているのだろう。
この鳥男は、まともに考える頭を持っていないようだ。
本物の鳥は体重に占める脳の体積が大きく、実は頭がいいらしいが、この男は三歩歩けば物事を忘れる程度の、真の鳥頭の持ち主なのだろう。
もし私が昔と同じ程度の実力しか持たないなら、この男の相手などするはずもないのに、そのことに考えが及ばないなんて。
「それじゃあ行くぞ」
兄はそう言うと、腕と胴体の間に隠れていた翼を広げ、宙に浮かぶ。
魔力を用いることで、宙を舞える種族が鳥人だ。
かつての私は、高速で宙を移動する兄に手も足も出なかった。
だが、今は違う。
百年前は目で追うことすらできなかった兄が、今は止まっているように見える。
私はそんな兄に向けて右手を向けた。
決闘中の死は、殺人にはならない。
周りには何人も証人がいる。
この鳥男を殺すのに、なんの躊躇いもいらない。
鳥を殺すなら、やっぱり焼き鳥にすべきかな。
そう思った私が、炎の魔法で兄を焼き殺そうとした時だった。
「止めろ!」
低く威厳のある声が、私と兄の動きを止めた。
抑えているにもかかわらず、背筋にぞくりとくる魔力が、この声の持ち主の実力を物語っていた。
将軍クラスとは段違いの魔力。
おそらく、今の私でも、勝てるがどうか分からないほど強力な魔力。
声を聞いた兄は、ゆっくりと地面に降りてきた。
「あ、兄上……。なぜ貴方がこのような場所へ?」
さっきまで威勢の良かった鳥男は、怯えを隠せずにそう言った。
「もうすぐ次期魔王を決めるという大事な時期に、馬鹿なことをする配下がいないか見まわっていた。まさか半分同じ血が流れている我が弟がその馬鹿だとは思わなかったが」
二十代そこそこの外見にもかかわらず、恐ろしいまでの風格を備えた男は、私の方へ視線を送る。
「出来損ないが生きていたのか? この馬鹿のように、余の配下が貴様の色香に惑わされては困る。殺さないでやるからこの国から消えろ」
獣人や鳥人の兄たちのように、私を虐げることのなかった、一番上の兄。
そもそもこの兄は、私のことなど、兄弟だとすら思ってもいなかったのだろう。
魔王である父と、四魔貴族だった義母から生まれた、正真正銘のサラブレッド。
次期魔王に最も近い男が、目の前にいた。
百年前は、恐ろしくて目を合わせることすらできなかった長兄。
私はその男の目を真っ直ぐ見ながら答える。
「残念ながらそれは無理です」
「……何だと?」
おそらく予想外だったであろう私の言葉に、長兄はその眉をしかめる。
「もうすぐ次期魔王を決めるんですよね? その場に次期魔王候補がいないわけにはいきません」
私の言葉を聞いた長兄は、先程までとは比較にならない程怒りに満ちた目で私を睨む。
「魔王の名は、貴様のように穢れた血の流れた者が口にして良い言葉ではない。いくら寛容な余とて、許してはおけぬぞ」
私はそんな長兄に笑みを返す。
「お兄様こそ。勝ってもいないうちから自分のことを余だなんて、後で恥をかきますよ」
長兄への恐怖がなくなったわけではない。
身に染み付いた長兄への畏怖は百年経ってもなくなっていなかった。
でも、だからといって引き下がるわけにはいかない。
私は魔王にならなければならなかった。
千年後、ユーキくんに、危険なく、何不自由ない生活を送ってもらうために。
膝が震えるのを我慢しながら放った私の安い挑発に、長兄は乗ってこない。
既に先ほどの怒りを収め、冷静に返してくる。
怒りのまま挑発に乗った鳥男とはやはり違うようだ。
「魔王になるためには、強い配下を従えなければならない。この馬鹿も余の配下で、頭は悪いが腕はそれなりだ。貴様に配下なんて者がいるのか?」
長兄の言葉に、私が答えるより早く、いつの間にか私のすぐ背後に控えていたシトリと師団長が同時に答える。
『私がおります!』
その言葉を聞いた長兄は、二人の実力を測るように交互に見た後、私たちに背中を向ける。
「……もし、最後まで残ったら格の違いを見せつけてやる。魔王決定の戦いでは、手加減はしない。殺されても文句がないなら挑んでくるが良い」
そう言い残して去っていく長兄の背中を金魚の糞のように鳥男もついていき、その場には私とシトリと師団長、それに私の配下の魔族たちが残された。
「魔王決定の儀は、配下による十人一集団ずつが参加した大規模乱戦の後、残った四集団の主人による勝ち残り戦。有力な配下は四魔貴族の下に集中しているため、我々とシトリ様がいれば、うまくすれば残れるかもしれません」
師団長が淡々とそう話す。
そして、深刻そうな顔をした後、話しづらそうに私へ告げた。
「ただ、貴方のお兄様は別格です。あの方の実力は今の魔王様を超えるとも噂されるほど。私が見たところ、貴方の魔力はまだあの方には及んでおりません。今回は見送り、力を蓄えるのも選択肢の一つではないかと思われます」
言いづらいことを正直に告げる配下は貴重だ。
特に、出会って間もない主人に、それを告げるのは相当の覚悟が必要だろう。
賢明な主人なら、そんな配下の意見を聞いてあげるのも度量を示す一つなのかもしれない。
でも、私は違う。
「貴重な意見をありがとう。でも、私は棄権しないわ。お兄様は魔王になれば、きっと手当たり次第に人間を食べ、より強くなるでしょう。そうなる前に倒したい。魔力量が少なくても、私は負けないから、貴方たちは自分の心配をしなさい」
私の言葉を聞いたシトリが笑みを浮かべる。
「ミホ様ご安心を。将軍クラスより下には私の敵はいません。必ずや魔王への挑戦権を掴み取って見せましょう」
私もその笑みに答えて笑顔を作る。
「頼りにしてるわ、シトリ」
……だが、シトリたちが戦うことはなかった。
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