第80話 奴隷の騎士①

 エディと出会うまでの私と、エディと出会ってからの私。

 変わったことはいくつもある。


 その中でも一番変わったのは、人生における優先順位だ。


 エディと出会うまで、私の中で一番重要だったのは、アレス様の役に立つことだった。

 身寄りのなくなった私を拾ってくださり、『閃光』と言う二つ名が付くまでに育ててくださったアレス様。


 そんなアレス様に対する恩は、今でも消えていない。

 誰よりも強く、誰よりも慈悲深いアレス様への憧れも残ったままだ。


 そんなアレス様への思いが、恋ではないかと思ったこともある。


 ……でも違った。


 エディと初めて出会ったあの日。


 初めは、レナ様の気を引くためにくっついているだけの、どこかの貴族のボンボンだと思った。


 多少は腕はたつかもしれないけど、世間知らずで温室育ちの子供。


 そんなものだと思っていた。


 ただ、レナ様を諦めさせるためにエディと手合わせしてみて、その考えが間違いだと、すぐに気付いた。


 私は、剣に関しては、誰にも負けない努力をしてきた自信があった。

 平民生まれの、何の才もない私が、アレス様の役に立つためには、それしかったからだ。


 自分でも身体や精神がよく壊れなかったな、と思うほどの鍛錬。

 今、後遺症もなく無事でいることが、単なる偶然に過ぎないと思えるほどの修業。


 自分の全てを捧げ、それだけの修行をしてきた私が、裕福な家でぬくぬく育った子供に負けるはずがないと思っていた。


 でも、エディは違った。


 貴族どころか奴隷の出身。

 まともに育って生きているだけでも珍しい存在。


 そんな恵まれない生まれで、しかも年下であるにも関わらず、私と互角に渡り合った。


 確かに、殺してしまわないように、多少配慮した部分はある。

 奥の手まで全てを出し切ったわけではない。


 それでも、年下の奴隷と互角の戦いになるなんてあり得なかった。


 レナ様みたいに、血筋に恵まれ、才があり、貴族にも関わらず努力している方ならともかく、エディみたいな奴隷の子供に負けるなんて、想像すらできなかった。


 おそらく、才能ではなく、自らの努力のみで鍛えた実力。


 私自身もそうだから分かるが、努力だけで才能と戦うのは、並大抵のことではない。


 才能も環境も、マイナススタートでしかない奴隷の身分で、腐らず自分を磨くなんて、信じられない。


 同じ立場にいたとして、私に同じことができただろうか。

 アレス様という支え無しに、努力することなどできただろうか。


 私は、初対面の年下の子供に、尊敬の念を抱いていた。

 アレス様以上に畏怖すべき存在だと思った。


 誰にも負けたくない。


 そう思っていた私の心を変えるくらい、衝撃的な出会いだった。


 手合わせの後、アレス様を奪還する仲間として、エディを拒む理由はなかった。

 むしろ、頭を下げてでも共に戦って欲しかった。


 このまま普通の仲間になるだけでもいいはずではある。

 ただ、それだけでは満足できない自分がいた。


 人生で一番といっていいくらい尊敬すべき年下の少年と、特別な繋がりを持ちたかった。


 エディは、レナ様の騎士であるという。


 尊敬すべきエディを従えているレナ様が羨ましかった。

 ……そして妬ましかった。


 生まれて初めて芽生えた感情。

 嫉妬という感情。

 でも、この時の私はそれに気付いていなかった。


 ただ、レナ様以上に、エディと特別な関係を築きたかった。


 私は頭をフル回転させる。

 黙っていても手に入る戦友という関係ではなく、レナ様と差別化できる関係。


 私は、少し前の自分の言葉を思い出す。


 ーーもし私が貴様に劣るようなら、貴様の奴隷にでもなってやろうーー


 主人と奴隷の関係。

 歪ではあるが、間違いなく特別な関係。


 エディが実は酷い人間で、最低な命令をされたら……


 そんな可能性もなくはない。

 奴隷というのはリスキー極まりない選択肢だ。

 人生を投げ出すに等しい選択だ。


 ……でも、だからこそ特別でもある。


 気付けば私は、初対面の子供に、自分の人生を預けていた。

 その時の私は、とても冷静だったとは思えない。

 でも、冷静だったとしても同じ選択をしていたと思う。


 修行のせいでボロボロになった、とても女とは思えない汚い手を見て、美しいと言ってくれた時に、その思いは確定的になった。


 客観的に見て、戦いの結果からは、私が劣っていたようには見えなかったかもしれない。

 それでも、エディと是が非でも特別な関係を築きたいと思った私は、無理な理屈でゴリ押しした。


 ……そして目論見通り、私は、エディの奴隷になった。






 奴隷になってからは、ひたすら訓練に明け暮れた。


 私はこれまで、自分の限界を超えて己を鍛えてきたつもりだった。


 ……でも、それはあくまで『つもり』だったことが分かる。


 エディとの訓練はあらゆる意味で、私の想像を超えていた。


 一人で訓練する時は、何百何千でも素振りをする。

 剣の訓練は、それが全てだと思っていた。

 ひたすらそれを頑張ればいいと思っていた。


 ただ、エディの教えは違っていた。


「一ヶ月での効果は限定的かもしれない。でも、効くのは間違いない」


 体幹を鍛える訓練。

 動体視力を鍛える訓練。


 今まで聞いたこともない訓練を、エディは私たちへ教えてくれた。


 四つん這いになり、対角線上の片腕片足を伸ばしたまま姿勢を維持する体幹トレーニングなる訓練など、妙な訓練が多かったが、身体中の筋肉痛が、体が鍛えられていることを実感させてくれた。


「筋肉は毎日鍛えても成長は限定的だ。休息も与えることで、超回復により効率よく鍛えることができる」


 超回復とかいう言葉はよく分からなかったが、休息を与えることで、明らかに効果が上がる実感があった。

 体幹は間違いなく強くなり、姿勢が崩れにくくなった。

 短期間でそんな効果が現れるなんて、信じられなかった。


 もちろん、革新的な訓練メニューだけではない。

 地道な苦行を行うことも多かった。

 

 刀神ダインと行っていたという、実際に四肢を切断するに至るまで傷つけ合う実戦の中で、反射と防御意識を磨く訓練。


 拷問に近い修行ではなく、本当に拷問を行なって魔力を高める修行。


 身体や精神が壊れることを厭わないその苦行を、四人全員で行なった。


 そんな異常とも言える苦行に対し、根を上げる者は一人もいなかった。


 以前から同じ苦行を自らに課していたエディはもちろん、私以外の二人も、弱音を吐くことなく、エディから与えられるメニューをこなしていった。


 それぞれに強くなるべき理由があったから。


 エディはそのメニューをこなしているから。


 ……そして、他の二人には負けたくないから。


 目に見えて成長していく二人に対し、私は負けるわけにはいかなかった。

 二つ名持ちである私が、強さで二人に対するアドバンテージをなくすわけにはいかなかった。


 全員に共通した修行の他に、私の場合は、閃光の技を鍛えるのと、魔法の習得についても行なった。


 閃光の方はともかく、魔法の習得については、拷問よりもきつかった。

 剣を振る以外、勉学などに頭を使ったことなどなかった私は、座学での勉強が必要な魔法は、苦手だったからだ。


 でも、そんな私にエディは厳しい言葉をかける。


「ローザのアレス様を助けたいっていう気持ちはその程度なのか? 苦手を克服すればさらに強くなれるのに、やらないのは甘えだ」


 自分でもそのことは分かっていたが、改めてエディからそのように言われれば、やらないわけにはいかない。

 エディから叱咤激励を受けながら、私は魔法の習得にも励んだ。


 エディは厳しい。

 私たちに対してもだが、特に自分自身に対しては。

 私たちに課すより厳しい修行を自分に課し、それをこなしていた。


 そんなエディに対して不満などはない。

 どれだけ厳しくされても、それ以上に自分に対して厳しいことを知っているから。

 厳しさの裏に、私たちに死んでほしくないという思いがあるのを知っているから。


 私たちを傷つける時。

 私たちに苦痛を与える時。


 エディは自分が傷つく時より痛そうな顔をする。

 辛そうな顔をする。


 傷つけた後や苦痛を与えた後、エディは必ず言葉をかけてくれる。

 手を取り、労ってくれる。


「今日も無理をさせてすまない。辛かったら言ってくれ。今のままでもローザは十分強いから」


 そんな言葉をかけられた後、はい、辛いからやめますなどとは絶対に言えるわけがない。


 私は笑顔で返す。


「辛い訳などあるか。エディに鍛えてもらえて、私は嬉しいぞ」


 内心ドキドキしながら、自分なりにかなり踏み込んだ答えを返すが、エディにはその真意は伝わらない。


 エディの心の中には、すでに別の誰かがいる。


 ……だから仕方ない。


「いつもそう言ってくれるが、本当に無理な時は言ってくれ。……ローザに何かあったら俺は耐えられない」


 女性として思われていないのは分かっている。

 仲間としての発言だというのは分かっている。


 それでも、こんな言葉をかけられて何も感じないわけがない。


 これまでも、幾人もの男性から言い寄られたことはある。

 でも、これまでの男は、いつもアレス様と比べて、見劣りする男ばかりだった。


 アレス様への恩返しや、剣の腕を磨くことより、優先すべき男などといなかった。


 中には力づくで私をどうにかしようとする馬鹿もいた。

 そんな馬鹿は、同じく力づくでねじ伏せた。


 エディはどちらとも違う。


 日々を過ごすうちに、私の中のエディに対する想いはどんどん募っていく。


 恋愛にうつつを抜かす同年代の女性たちを見て、私はなんて愚かなのだろうと思っていた。

 そんなことに時間を割くくらいなら、剣を磨き、魔法を覚え、魔力を増せばいい。

 そう思っていた。


 ただ、今はそんな考えが揺らいでいた。


 もし今エディが、アレス様を救うのをやめる代わりに、私のことを選んでくれるとしたら。

 剣を置くことを条件に、私と結ばれてくれるのだとしたら。


 私はその誘惑を断りきれる自信がない。


 恋愛こそが至上などという、今まで愚かだと思っていた思春期の普通の女子と変わらない自分がいた。


 初めて経験する狂おしい感情。

 エディのことを考えると胸が苦しくなる。


 聡明で。

 強くて。

 厳しくて。

 それでいて優しい。


 そんなエディにどんどん惹かれていく。


 尊敬する人間としてではなく、異性として。

 

 エディのことを想いながら厳しい修行を続け、三週間が経った頃、エディとヒナの二人が、王都に向かうことになった。

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