第7話 商人の奴隷⑥
ーーブスッ、メリッーー
「がぁぁぁぁっ!!!」
爪の間に鉄の針を刺され、一枚一枚剥がされていく。
「地味だけど、これはよく効くんだ。爪の中というのは痛覚が集中しているらしいから」
初老の男は、飽きることなく、俺の手足の爪を二十枚全て剥がし切った。
…………
ーージュッーー
「ぐっ……」
真っ赤に燃えたぎる鉄の棒が、俺の体に押し当てられる。
「いい香りだ。こんなにいい香りのする子はなかなかいない。香りまで素晴らしいとは……君は本当に最高の逸材だな!」
鉄の棒を押し当てながら、男は俺の香りを嗅ぎ、幸せそうな顔をする。
…………
その後も続けられるありとあらゆる拷問。
意識が飛びかけても、新たな痛みですぐに現実へ引き戻される。
そんな繰り返しを、気が遠くなるほどの時間繰り返された。
一日目の拷問が終わった時、俺は辛うじて生きているような状態だった。
普通の人間なら、まず間違いなく壊れている。
命があるのは、この体の耐久性のおかげだ。
「いやぁ、実に有意義だった。つい予定以上に試してしまった」
依頼主の男はそう言って満面の笑みを浮かべた。
「しかし、君みたいに丈夫な人間は初めてみるよ。こんなに拷問の実験台に向いた人間はいない。まさに拷問される為に生まれてきたような人間だ。奴隷にしておくのは勿体無い。いや。奴隷だからこそなのか?」
全く嬉しくない褒め言葉を言いながら、勝手に自問自答を繰り返す依頼主の男。
「まぁいい。明日もまたよろしく!」
まるで遊びの約束でもするかのように、依頼主の男はそう言って部屋を後にした。
俺はその背中を睨みつける気力すらない。
ーー穴だらけの右足。
ーー骨を砕かれた左足。
ーー皮を削がれた右手。
ーー全ての指が逆に曲がった左手。
ーー火傷だらけの胸と腹。
ーー肉まで食い込む傷を負った背中。
そんな状態のまま、俺は鎖に繋がれて放置された。
一日目は辛うじて乗り切れたが、とてもじゃないがこれを七日も乗り切れるとは思えない。
肉体も精神も、たったの一日で既にボロボロだ。
そもそも満身創痍な俺に対し、明日以降、これ以上どこを痛めつけるというのか。
怪我しているところを、さらに痛めつけるとでも言うのだろうか。
俺の心は折れる寸前だった。
一日目にして、もはや希望を失い始めていた。
早く死んで楽になった方がいいのでは?
例え本当に死ななくても、全てを諦め、心を殺した方が楽になれるのではないか?
そんな考えが浮かぶ度、俺は二人の母親との記憶と、ミホのことを頭に思い浮かべる。
俺を支えるものは、もはや彼女達への想いだけだった。
元の世界では生きているのが嫌になる程の執拗なイジメに遭い、この世界では奴隷にされ、死んだ方がマシとも思えるような拷問を受ける。
神様というのがいるのなら、そいつはひどく残酷だ。
全力を持って、俺という人間を不幸にしようとしているとしか思えない。
俺をこの世界に連れてきた女神のような格好をした女が、本当に女神だとしたら、ありえない話でもないが。
本人たちの意思を無視して何十人も拉致し、何十人もの人間の意識を抹殺し、別の人間を上書きするなどという所業が、善良な者に行えるとは思えない。
俺は目を閉じる。
手足が鎖に繋がれて身動きが取れない。
身体中が重傷で痛みも激しい。
血が流れ過ぎて気分も最悪だ。
だが、寝なければならない。
寝て、少しでも体力を回復しなければならない。
万全の状態だった今日でもギリギリだったのだ。
休息を取らなければ、明日はまず間違いなく体も心ももたない。
それでも、生き残る可能性がゼロでないのなら、その僅かな可能性にすがるしかない。
そして、その可能性を生かす為には、どんなに小さくても、できることを全力で行うしかない。
結局、痛みの余り、熟睡することはできなかった。
だが、ほんの少しはうとうとすることができたことで、若干体力は回復した気がする。
あくまで気のせいかもしれないが、気持ちというのは重要だ。
俺は自分にそう言い聞かせる。
「やあ、おはよう。今日も気持ちのいい朝だね。この部屋からでは外の景色が見えないから実感がないかもしれないが」
依頼主の男は、部屋に入って来るなり、俺に向かってそう言った。
俺は依頼主の男を睨みつけるだけで、何も言わない。
依頼主の男の方も、奴隷の俺の、明らかに分不相応な視線に対して、何も言ってこない。
ただ、俺の全身を見て優しい笑みを浮かべる。
「今日も色々な道具を試そうと思ったんだが、思ったより怪我が酷いようだね。君のような優秀なおも……失敬、優秀な人材を無理して失うのはもったいない。今日からは趣向を変えよう」
依頼主の男はそう言うと、俺の手足の鎖を外した。
せっかくのチャンスだが、怪我のため足は動かせない。
俺はベッドのような物の上に、仰向けで寝かされる。
「君の体が丈夫なのはよく分かった。今回試したかった道具も昨日一日で全て試すことができた。だが、まだ六日も残っている。せっかくだから、次は精神の方がどこまで耐えられるか試してみよう」
依頼主の男が、再度俺の体を鎖で固定し、俺の真上にある装置を操作すると、俺の額に水滴が落ちて来る。
「今回はそこで横になっているだけでいい。楽なものだろう?」
男はそう言って、昨日と同じ、下卑た笑みを浮かべる。
「時折様子を見に来る。最後まで気が狂わないことを祈っていよう」
そして俺は、完全に真っ暗になった部屋で、ただ一人放置された。
ーーポツン……ポツン……ポツン……
リズムよく落ち続ける水滴。
始めの数分は何でもなかったが、その後の不快さは相当なものだった。
ーーポツン……ポツン……ポツン……
暗闇の中落ち続ける水滴。
手足が固定され、身動きすら取れない状態。
前日の拷問のせいで、身体中の怪我も痛い。
ーーポツン……ポツン……ポツン……
数時間経った頃には、気が狂いそうな状態になっていた。
ーーポツン……ポツン……ポツン……
一日が終わる頃には、まともな思考能力は喪失していた。
ーーポツン……ポツン……ポツン……
ひたすら落ち続ける水滴。
ーーポツン……ポツン……ポツン……
どれだけの時間が経過したか分からない中、聞こえるのは水の音のみ。
ーーポツン……ポツン……ポツン……
睡眠が取れないのも辛い。
ーーポツン……ポツン……ポツン……
人間は三日眠れないと精神を病むと言うのを聞いたことがある。
ーーポツン……ポツン……ポツン……
俺は無限とも思える時間を、水滴の音と、水滴によるストレスのせいで、眠れずに過ごした。
ーーポツン……ポツン……ポツン……
発狂しないのが不思議な程のストレスの中、俺はそれでも耐え続けた。
ひたすら二人の母親とミホのことだけを思い続け、耐えた。
水滴を垂らされ始めてから六日目、拷問が開始されてから七日目の朝、依頼主の男が再び俺の前に現れた。
もしかすると、何度かきていたのかもしれないが、そんなことに気を配る余裕はなかった。
男は俺の頭上の装置をいじり、水滴を止める。
「素晴らしい……」
それだけ言うと、依頼主の男は恍惚の表情を浮かべてうっとりとしていた。
しばらくしてはっとすると、依頼主の男は優しく俺を抱きおこす。
「こんなに有意義な実験ができたのは初めてだ。人間はもっと脆いものかと思っていたが、肉体も精神も、君ほど耐久力のある者がいるとは……大変勉強になった」
男は優しい笑みを浮かべて俺の目を見る。
「怪我が治ったらまた来るがいい。次はもっと趣向を凝らした実験をしよう」
誰が二度と来るものか、という言葉を言おうとして、俺はそのまま気を失ってしまった。
次に目を覚ましたのはアマンダの屋敷だった。
俺の見張りらしい男が、俺が目を開けるのを見てアマンダを呼びに行く。
しばらくするとアマンダが部屋に訪れる。
「よく戻ってきたわね。あの家に行って無事に帰ってきたのはお前が初めてだよ」
俺はアマンダを睨みつける。
そんな説明は事前に一切なかった。
「クククッ。まあ座りなさい」
座ろうにも怪我が……と言おうとして、体のどこも痛くないのに気が付く。
驚いた表情をする俺に、アマンダは笑いかける。
「怪我なら治しておいた。うちには優秀な魔導師もいるのでね」
あれだけの怪我を治せるなんて、魔法というのは常識の範疇を超えている。
正直、後遺症が残るのは覚悟していたし、治るのにも相当な時間が必要だと思っていた。
それでも俺は、驚きを隠し、表情を崩さないまま椅子に座る。
「ただまあ、その髪の色は直せなかった。なかなか様になっているとは思うけど」
俺は首を動かし、部屋に置いてあった鏡を見る。
目が窪み、頰がこけた顔の上にある髪は、真っ白になっていた。
アマンダはそんな俺には全く配慮せず、話を続ける。
「今回の報酬で奴隷期間を一年短縮。さらにお前の出来が良かったということで、二ヶ月分のボーナスも出た。但し、怪我の治療費で八ヶ月分延長。差し引きで奴隷期間は半年分短縮だ」
言いたいことは山ほどあるが、妥当な線なのかもしれない。
怪我をしたのはそもそも仕事のせいだと言いたいが、この世界に労災の概念があるとも思えなかった。
怪我が治らないことも想定していたことから考えると、命があり、五体満足な分だけ、むしろ結果はよかった方だろう。
「ちなみに、今回の依頼主から、ぜひまたお前を寄越して欲しいと依頼があったがどうする?」
嘲笑を浮かべながらアマンダは俺にそう言う。
「二度とゴメンです」
俺はきっぱりと断る。
「いい仕事だと思うんだけどね。子供で奴隷のあんたが効率よく稼げる仕事なんて、命賭けるか、体を売るか、犯罪に手を染めるかしかないよ。どれも嫌だって言うなら、素直にあと二年半分働くしかない」
アマンダの言葉に、俺は下を向く。
アマンダの言うことはもっともだ。
明確に身分制度があるこの世界で、最底辺の奴隷が稼ぐ手段なんて限られている。
元の世界で格差社会だ、なんだと騒がれていたのがバカらしく思えて来る。
確かにスタート地点はみんな一緒ではないが、現代日本では、本人の努力次第でいくらでも逆転可能だ。
だが、この世界の奴隷は、そもそも努力する機会さえない。
元の世界では当たり前だった、機会の平等。
この世界にはそれがない。
「まあ、お前が使えそうなのは今回のことでよく分かった。また特別な仕事がしたくなったら、いつでも私に言うように」
「ありがとうございます」
俺は頭を下げて、アマンダの屋敷を出た。
今回、無事に帰ってこれたのは単なる偶然だ。
依頼主の男の気分次第で死んでいてもおかしくなかったし、アマンダのところに優秀な魔導師がいなければ五体満足でもいられなかっただろう。
精神が病まなかったのは、奇跡としか言いようがない。
普通なら間違いなく発狂している。
今回の仕事を踏まえて、俺は今後の方針を決めかねていた。
このまま地道に奴隷として働くか、それとも今回のような無理をしてでも、さっさと奴隷を止めるか。
前者はミホを諦めることになるし、後者はリスクが高すぎる。
二兎を追う者は一兎をも得ず、という。
ミホを諦めて、こちらの世界の母さんの幸せを勝ち取るという選択肢もあるのかもしれない。
そんなことを考えながら家に帰ると、こちらの世界の母さんが、手料理を作って待ってくれていた。
「お帰りなさい」
母さんは何も問い詰めることなく、笑顔でただそう言ってくれた。
表情が変わり、髪の色まで変わった俺を見ても、何も言わず、ただ優しい笑みを浮かべてくれた。
貧しい俺の家にしては、非常に立派な料理。
もちろん、一週間前に食べた、あの豪勢な料理とは比べるべくもない。
それでも俺は、この母さんの料理の方が好きだった。
自然と涙が溢れて来る。
止めどなく溢れてくる。
母さんは俺の頭を優しく撫でてくれる。
「よく頑張ったね」
俺は無言で頷く。
嗚咽で言葉が出ない。
母さん。
いつでも優しい母さん。
借り物の記憶ではある。
だが、記憶の中に出てくる母さんは、どんな時でも優しく、俺を守ってくれていた。
母さんのことが好きで好きで堪らない。
そんな感情が俺を埋め尽くす。
この体の前の持ち主にとって、母さんは人生の全てだった。
母さんを少しでも楽にさせることが、この体の前の持ち主の、生きる意味だった。
精神的に病む寸前だった俺には、もはやこの気持ちが、自分のものかどうかも分からない。
だが、今この瞬間、俺にとって何よりも大切なものはこちらの世界の母さんだった。
前の世界の母親も大好きだった。
自分の全てを賭けてでも幸せにしたいと思っていた。
だが、実際問題として、すぐに奴隷を抜け出し、世界を救うなんてことができるのだろうか?
心の折れた俺には、そんなことができるとはとても思えなかった。
ミホには本当に助けられた。
生まれて初めて恋心のようなものも抱いた。
できることならすぐに会いに行き、命を懸けて力になりたかった。
でも俺には全てを成し遂げる力はない。
この異世界で、底辺の身分にいる自分には、自分のことさえどうにかするので精一杯だ。
……俺はこちらの世界の母さんを幸せにするする道を選ぶことにした。
元の世界の母親を諦め、ミホのことも諦め、こちらの世界の母さんを選んだ。
俺は最低な男だ。
一度守ると、幸せにすると誓ったものを諦め、側にあり、手が届く範囲だけをどうにかしようとする、弱い男だ。
でも、どうすればいいというのだ?
生きることに精一杯で、なんの力もない奴隷の子供が、何をすればいいというのか?
母さん一人、生活を楽にさせるというのも、簡単なことではないのに。
ーー二人ともごめん……
元の世界の母親とミホへ、心の中で詫びを伝える。
二人に尽くせない分、こちらの世界の母さんへ全てを尽くそう。
そう決意した。
……だが、その決意は無駄となることになる。
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