怪奇日常
望月おと
episode:1【知りたがりに御注意を】
友人と待ち合わせをした。場所は市内にあるカフェ。今流行りの【 天使のパンケーキ 】が食べられるお店とあって、平日にも関わらず、店内は人で溢れている。だが、まだ友人の姿が見えない。先程、「遅くなります。ごめんなさい」と連絡が着た。
メニューに目を向けるも、先に頼むのも何だかなと直ぐに視線を逸らした。やることも無く、店内を見渡す。窓際の席からは、よく見えた。
カフェは木造のログハウスで、木の香りがほんのりと漂っている。丸テーブルが九台並び、ハート型の鉄の背凭れが付いた黒い椅子が各テーブルに四席ずつ置かれ、ほぼ満席に近かった。
いつの間にか、後ろの席の会話を耳が拾っていた。
「え? それで、それで?」
「……
「う、嘘!? あの生真面目な旦那さんが!?」
「そうなの! ビックリだよねー」
昼下がりのカフェは凄い会話が飛び交っている。主婦の方々だろうか。世の中の噂は、こうして広がっていくのかもしれない。
「相手は誰なの?」
「さぁー。でも……
「祥子さん!? 絶対無いってー。だって、祥子さん。地味じゃない? いつもパーカーにジーパンだし。……誰が、祥子さんが怪しいって言ったの? もしかして……
声から察するに、二人のようだ。ママ友同士か、はたまた御近所さん同士か。何れにせよ、二人でカフェに来てお茶をするくらいなのだから、二人は仲がいいのだろう。
次の会話が気になっていると、店員さんが「ご注文はお決まりですか?」と笑顔で訊ねてきた。落ち着いた雰囲気の女性で、ふわりとパーマのかかった髪を左耳の下でひとまとめに縛っている。女性に年齢を言うのは失礼だが、おおよそ三十代後半あたりだろうか。とりあえず、アイスティーを頼み、店員さんは奥へと歩いていった。
その間も後ろの席では会話が続いていた。
「和恵さん、祥子さんをよく思ってないみたい」
「え? 何で?」
「ほら、あの二人。一度、揉めたことがあったでしょ?」
「あー……役員の? まだ根に持ってるんだー」
「そう。あれ以来、和恵さん。祥子さんを毛嫌いしてるの」
幾つになっても女同士は色々と問題があるようだ。……めんどくさい。高校時代、私は女子校に通っていたが、至る所でバチバチと火花が上がっていた。極力、関わらないようにしていたが、巻き込まれてしまう事もある。
「和恵さん、いつも悪口ばかりだよねー」
「そうなの。だから、和恵さんからの誘いは乗り気じゃなくて……」
「うんうん 」
飲み物を啜る音がした。カラン……と氷が揺れた。その音を耳にしたら、何故か無性に喉が乾いてきた。
「お待たせ致しました、アイスティーです」
絶妙なタイミングで、店員さんが先程注文したアイスティーを運んできた。背中から声がする。
「すみません。コーヒーのお代わり、頂けますか?」
「はい。少々、お待ちください」
そそくさと店員さんはコーヒーを取りに向かった。
「ねぇ、今のって……」
「……祥子さん、だよね?」
口に含んだアイスティーを吹き出しそうになった。話の渦中にいた人物が、まさか 店員さんとして働いているとは……。こんな偶然があるものなのか? ……世の中とは、恐ろしい。
アイスティーを飲みながら、祥子さんについて考える。後ろの席の二人は話に夢中で気付いていなかったかもしれないが、彼女は頻繁に窓側の席の通路を通ったり、こちらに視線を向けていた。
注文もせず、一人で座っている客(私のこと)に嫌な顔を向けているのだと思っていたが、後ろの席の知り合いである二人に向けたものだったようだ。コーヒーのお代わりを頼まれた去り際にも、一瞬ではあったが嫌悪感が顔に出ていた。
後ろでの会話が少し小さくなった。
「全然気付かなかった」
「ねー。働き始めたって聞いてたけど、ここだったなんて」
「そうなんだ! 働き始めたっていうのも知らなかった」
「息子がケンジくんから聞いてきたの」
「……そう、なんだ」
【聞いてきた】 違和感のあるフレーズだ。
聞いた、ではなく、【聞いてきた】。話を聞いていた側の女性も気になったようで、歯切れの悪い返事を返していた。
「だって、知りたいじゃない」
喉を通ったアイスティーの温度が物凄く冷たく感じた。自身の子供を使い、周りの親の情報を集めているというのか。
「ふふ。私は何でも知ってるの。……本当は、誰が笹野さんの旦那さんと浮気してるのかも、ね」
知りたがりの女性は続ける。
「笹野さんの旦那さんの浮気相手は、祥子さんじゃなく……和恵さん」
「えっ!?」
思わず、小さく驚きの声を漏らしてしまった。和恵さんは祥子さんに疑いの目を向けるために、聞き役の女性に嘘を話したという事か……。だとしたら、なんと計算高い人だろう。
そこへコーヒーを手にした店員さんである祥子さんがやって来た。
「お待たせ致しました、お代わりのコーヒーになります」
「祥子さん、ここで働いてたんですね」
「こんにちは。お疲れ様」
声のトーンが先程とまるで違う二人。よそよそしい作った声をしている。祥子さんは会釈をし、「ごゆっくり」とだけ告げると、仕事へと戻っていった。関わりたくない、というオーラが祥子さんから出ているように感じた。
「……祥子さん、全然自分の話しないでしょ? それにも理由があるの」
「そうなの? 無口な人かと思ってた」
「違う違う。……祥子さん、引越して来たじゃない? 前居た学校で、ママさん方からイジメられてたみたい。それで、人と関わる事を控えてるって祥子さんのお友達から聞いたの」
冷房のせいか、飲んでいるアイスティーのせいか、はたまた知りたがり女性の情報ネットワークの広さのせいか、どんどん肌寒くなってきた。
次から次へと、知りたがり女性は情報を話していく。聞いている女性は、どんな顔で聞いているのだろうか。もし、自分が向かい合って聞いている立場なら怖くて仕方がない。これだけ他人の情報を知っているのだから、当然 自分の【秘密】についても知っているだろう。
知りたがりというのは、恐ろしい。底無しの好奇心は留まることを知らない。
自分の浅はかさを恨んだ。聞かなければ、知らなければ、これから会う友人と【 天使のパンケーキ 】を心底楽しめたはずだ。だが、聞いてしまった。知ってしまった。
後ろの席に座る、知りたがりの存在を……。
「……そろそろ出ましょうか。長居しちゃったし」
「……そう、ね」
「あ、その前に! 今日、誘った本当の理由はね」
聞かないように両肘を付き、頬杖をついたフリをしながら耳を塞いだ。……けれども、気になってしまう。誘った本当の理由とは何だ?
「ふふ。……あなたの【秘密】も知ってるから」
「……え?」
「……あなたの家も、祥子さんの家も、和恵さんの家も、私のテリトリー内」
「どういう、意味?」
「私に全部筒抜けってこと」
「まさか……」
考えたくはないが、【盗聴】しているのか……。人の家を? 幾ら何でもそこまではしないはずだ。盗聴は犯罪だ。有り得ない。
しかし、知りたがり女性はこの考えを嘲笑うように打ち砕いた。
「ふふ。だって……知りたいじゃない」
***********
「お待たせ! ごめんね、遅くなった……って、どうしたの? 顔色悪いよ!」
友人が来た時には、後ろの席には違う お客さんが座っていた。10代の学生カップルのようだ。明るい笑い声が青い春を作り上げている。
「大丈夫? 何かあったの?」
「……お腹が空いただけだから。パンケーキ頼もう」
「……うん」
納得のいかない顔で友人はメニューに目を向けた。何を食べるか先に決めていた私はアイスティーを口にしながら、友人が選ぶのを待っていた。
友人が店員さんを呼んだ。やって来たのは、祥子さんだった。優しい笑顔で接客している。
「これでいいの?」
「……え? あ、うん」
「ねぇ、本当に大丈夫? 何かあったんじゃないの?」
「大丈夫。本当に何も無いから」
そんなやり取りを見ていた祥子さんが注文を読み上げる。
「以上でよろしいですか?」
「はい」
「それと、お客様」
まじまじと祥子さんに見つめられ、ドキン!と盗み聞きをしてしまった罪悪感に心臓が跳ねた。
「知りたがりに御注意を」
訳が分からない友人を取り残し、祥子さんに「すみませんでした」と謝った。
何処にでも潜む【知りたがり】。
今日もどこかで「気になる」と底無しの好奇心たちは、あなたを見つめているかもしれない……。
知りたがりに御注意を【完】
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