03-02
「もうすぐ出発、ってとこを邪魔してきたのはそっちなんだけどなぁ」
槍使いは、スキナーと対照的な明るい声音で言う。
「ま、諦めることっすね。うちの軍、防衛だけは自信あるんで」
「ちっ──!」
舌打ちと共に放たれたスキナーの刺突を、槍使いが盾でいなす。
反撃に出たのは、通りへ現れた別の兵士たちだった。飛び出した兵士を追うように指示が飛ぶ。
「小隊長を基点に耳翼陣」
落ち着いた声の元へ、クローディアは思わず目を向けた。
最初に現れた槍使いを中心に、盾と槍を構えた兵士たちが並んでいた。通りの端へ近付くほど前へせり出した陣形は、集団から孤立したスキナーを内角で挟んでいる。
クローディアの探す相手は、その奥にいた。落ち着き払った声音はそのまま、眼鏡をかけた軍人は独り言のように声をこぼす。
「今日はやけに運がいいですね」
「……スキナー、下がれ」
馬上の男に従って、スキナーは構えを解かずに後退する。
いつの間にか、呼吸をするのもためらわれるような緊張感が空気を満たしていた。二色の軍勢が睨みあい、街は戦場へと変質する。唯一の違和は、死体がすべて市民のそれであることだけだ。
「ここでも他国のために力を貸すつもりか?」
スキナーが攻撃圏を抜け出す最後の一歩と同時に、馬上の男が問う。
「要らぬ手出しは要らぬ怒りを買うことを、理解していないわけではあるまい」
「心外ですね。我々は必要だから手出しをしているのですが」
返したのは眼鏡の軍人だった。
兵士たちの最後列にいる二者が、緊迫した空気の中で言葉を交わす。張り詰めた糸を、さらに引き締めるような会話だった。
胃の腑にずしりと重さを感じて、クローディアは足に力を入れる。
それも、束の間。
眼鏡の軍人は、さらに言葉を継いだ。
「貴国が──いえ。あなたが戦争をする目的は、エル・プリエールの侵略ではないのでしょう。フリーデン王、ランディール」
瞬間。空気が震えた。
気を張っていたというのに膝が崩れかけて、クローディアは愕然とする。遠くで聞こえた悲鳴は、一般人のものか。兵士たちですら顔をしかめていて、眼鏡をかけた軍人だけが平然としている。
馬の短いいななきを、老年の男が手綱の一引きで黙らせる。
侵略国フリーデンの君主は、濃密な敵意をまとって戦場を見下ろしていた。細められた瞼の間で、暗い色の瞳がその闇を濃くしていた。
「妙なことを言う」
男の──ランディールの声が、重さを増す。
どこからともなく、茶色の軍勢の列がじわりと退く。ただの声に、圧力が宿っているかのような光景だった。
「侵略以外に、戦争の目的があるとでも?」
続く言葉は、反論を許さない問いの形だ。
対して、眼鏡の軍人はため息をついて腰に提げた剣をベルトから外す。
そのまま、地面を刺すように鞘の先の金属装飾を石畳に突いた。甲高い金属音を合図に、気つけされた茶色の陣形が元の形を取り戻す。
視線に宿った闇の深さも、声に込められた圧の重さも意に介さない。クローディアに見せた驚愕すら嘘だったのではないかと疑ってしまいそうなほど、眼鏡の軍人は冷静に無感情を保っている。
柄頭の上で手を重ね、軍人は笑みすら浮かべて問い返した。
「その答えなら今、あなたが体現したのでは?」
「────第六、第七を除き、
ランディールの声に応じ、黒と赤の軍服たちが動き始める。
クローディアとグレンの前に数人ずつ残し、茶の軍勢に合わせた矢尻のような陣形へ。
彼我の間、空白地帯の幅は数メートルしかない。激突寸前の盾と矛が、緊迫した空気の崩れる瞬間を待ちわびていた。
再び、クローディアの背中が粟立つ。引きつった喉は呼吸をするので精一杯で、声を出すことなどできそうもない。敵意と敵意がぶつかり合う状況は、一方的な殺戮の気配よりも強くクローディアの感情を追い込んでいく。
「よその領土とはいえ、この町が落ちれば祖国の危機。我々が簡単に退くとは思わないことです」
「構わぬ。貴様らの死期が早まるかどうかの違いだろう。──突撃しろ」
張り詰めた空気が崩壊する。
存在しない糸が切れる音すら聞こえてきそうだった。
数秒と経たず、両軍が激突する。武具同士がぶつかり合う振動が体の内側まで響いてくるようで、クローディアはぶるりと身を震わせる。
それだけでは終わらない。
「さて……なにもしないということは、限界か? 精霊伝術師」
「あ……」
ランディールに視線を向けられ、クローディアの喉から掠れた声が漏れる。
すべてを拒絶するような虚無が、再びこちらを覗き込んでいる。心臓を締め付けられるような錯覚さえ感じて、揺らいだ体を支える足が一歩退いた。
遠くで、なにかが割れるような音がする。
あらゆる攻撃を阻むはずの透明の盾が、内側から剣に貫かれていた。
「オ……ァアアアアアアアアアアアアア!!」
叫び声と共に、クローディアの精霊伝術が切り崩される。グレンの正面を固めていた兵士たちの足元で赤が飛び散る。
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