第10話 オクイ様伝説

 それから話題は凛太郎や正樹の学校生活に移っていき、その様子に公美子は少し安心したような顔をする。健三は一人、我関せずといったようにそうめんを食べていた。


 すっかりざるが空になるころには、時計は七時をさしていた。公美子はテーブルの上を片づけ始めると、それを手伝うように正樹は皿を重ねる。流しに運ぼうとしたが、公美子に止められてしまった。


「あら、いいのよそんなことしなくて」

「甘えっぱなしという訳にも行きませんから。お皿洗いくらいは」

 正樹はそう申し出たが、公美子は首を横に振る。


「凛太郎にも見習わせたいわ。ほんと、何にもしないんだから。でも気持ちだけ、ありがとうね」

 やはり正樹はお客様なのだろう。公美子は皿を受け取ると、自分で流しに持っていった。かとおもうと、しばらく居間から出ていく。どうやら、風呂の用意をしているらしい。


「お風呂湧くまでちょっと時間あるから。できたら呼ぶわね」

「あ、ありがとうございます」

 テレビに視線を向けていた正樹は、振り返って礼を言った。それを笑顔で返すと、今度こそ台所に籠る。凛太郎を見ると、健三と同じようにテレビを見ている。その姿がどことなく似ているような気がした。


 それから三十分ほどは、三人はそうしていた。突然公美子が出て行ったかと思うと、五分ほどで戻ってくる。


「正樹君、お風呂できたから入っちゃって」

「じゃあ、お先にいただきます」

 健三と公美子の両方に頭を下げ、正樹は居間を出て行く。公美子も春江の様子を見てくると、後を追うように居間から出て行った。凛太郎は何故かその隙に、健三の正面へと移動する。


「ねぇ、父さん」

「ん?」

 やはりテレビから目を離さずに、健三が応える。


「俺もあんまり知らないんだけど、オクイ様って何の神様なの? 父さんは祭主だから、知ってるよね?」

 オクイ様。その単語が出ると、健三は思わず顔をこわばらせた。落ち着かない様子で目がキョロキョロと忙しなく動く。それに何だか聞いてはいけないことを聞いてしまったような妙な感覚に見舞われて、凛太郎は慌てて言い訳をした。


「いや、俺も祭りに参加してるのに全然知らないなって。ちょっと聞いてみただけだから」

 打ち消すように手を前で交差し、なかったことにしようとする。しかし意外にも、健三は神妙な顔で凛太郎に向き直った。


「オクイ様というのは、唄にもあるように人を喰う鬼だったそうだ」

 凛太郎は唄の一番を思い出すと、確かにそんな歌詞がある。続きを促すように凛太郎は頷いてみせた。


「俺も唄のとおりにしか知らん。江戸時代ごろだと言われてるが、牙乞山に人を攫って喰う鬼が住み着いた。それに困った村人が、ある山に力のある山伏がいると聞いてその鬼を退治してくれと頼みに行ったそうだ」


 さきほど正樹が言っていた、鬼はいつも退治されるという言葉をおもい出した。一度は退治しようとした。それが少し不思議に感じる。


「それで?」

「唄に、案内坊主が出てくるだろう」

「うん」

「それがうちのご先祖様だ」

「え……」


 確かに、神職にもついていない望月家が祭主なのかずっと疑問だった。しかしそいういうものだと言われてしまえばそれまでで。特に深く考えることもしてこなかった。


「じゃあ、あれも山伏に言われたこと?」

「そうだ」

 健三は小さく頷く。


「山伏は案内をしたご先祖様に、鬼に名前を付けて祀れと言ったそうだ。そしてご先祖様は、人を喰らうことからオクイ様と名付けた」

 皮肉が効いている。そんな感想を凛太郎は抱いた。しかし話の腰を折る気はないので、黙っている。


「祀るからには、何か理由がいる。そこで当時の村人は牙乞山の守り神として祀り、段々石尾村の守り神としてあがめるようになったらしい」

  山の神から、守り神へ。それは昇格しているのか、降格しているのか、凛太郎にはよくわからなかった。しかし、時と共に石尾村に親しまれていったのは何となく理解できる。


「そうだったんだ……」

 まだ少し驚いてはいるものの、長年の疑問凛太郎は納得をする。それと同時に、今度はそれを自分が受け継ぐのかという使命感が現れた。自分が伝統を守る一人になる。それは当分先のことだろうと思うが、僅かながら誇りを感じていた。


 しかし健三はそうは思っていないらしく、険しい顔で凛太郎に言う。それはもはや警告に近かった。


「いいか、凛太郎。絶対にオクイ様を蔑ろにしてはいけない」


 蔑ろにする。それがどういう意味か凛太郎には測りかね、馬鹿にするとか、祭りに手を抜くだとかの意味に捉えた。

「うん、父さん。わかった」


 そう答えた顔を見た健三は、わかってないと言わんばかりの顔だった。しかしそれを口に出す前に、公美子が居間に戻ってくる。それを敏感に察したのか、健三は扉の方に顔を向けた。凛太郎も釣られてそちらを見やる。


 公美子は、扉を開けた瞬間に二人がこちらを見ているので面食らった。特に健三はここ最近見ないような緊張しているような顔をしているので、余計に何事かと身構える。


「ない、どうかしたの?」

「あぁ、何でもない……」

 健三はそれだけ言うと、またテレビに視線を戻してしまった。状況がわからない公美子は目で訴えるが、凛太郎も首をかしげるしかない。公美子は肩をすくめると、冷蔵庫を開けた。麦茶の容器を取りだすと、コップを持って凛太郎の隣に座る。


「正樹君って、本当に礼儀正しいのね。びっくりしちゃった」

 公美子はコップに麦茶を注ぐと、それを一気に飲み干した。

「勢いでOK出しちゃったけど、内心どんな人が来るのか不安だったのよね」

「ちょっと、失礼だよ」

「ごめん、ごめん」

 少し悪びれた様に、公美子が言う。それのフォローかわからないが、風呂の方を向いて呟いた。


「あんたも、いい先輩に出会えたね」

「うん」

 そう言われると、悪い気はしない。どこか誇らしい気持ちになりながら、凛太郎も風呂の方を見た。

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