20 赤月家の義父と息子 そしてハゲ鷹はほくそ笑む

「──フー…」


 閑静な住宅地の中に、3階建ての一軒家がある。

 その庭に、夜月を見上げながら煙を吐き出す1人の男の姿があった。


 年の頃は30代後半程だろうか。

 湿り気を帯びた闇に紛れるような黒い髪に、蒼い瞳。


 静かな夜のキャンバスに、男が吐き出す紫煙が雲を作る。

 やがてフィルターギリギリまで燃え尽きた煙草を携帯灰皿に捨てた頃、庭に隣接しているリビングの窓ガラスが小さな音を立てて開いた。



「──まどかくん、久々にゆっくり風呂に入れたか?」



 庭に出て来てそう声をかけたのは、白髪の老人だった。

 声に反応して振り返った男──赤月 まどかは、小さく笑いながら言葉を返す。


「お義父さん。ええ、やはり湯船はいいものですね。……お義父さんも1本どうですか?」


「…戴こうか」


 僅かに口の端を持ち上げた老人に、箱から1本の煙草を手渡し、老人が咥えた煙草に火を灯すと、自身ももう1本取り出して火を点ける。



 そうして2人並んで雲を描き、半分程が灰になった頃に、円は言った。


「わざわざ引っ越して貰ったというのにお手伝いも出来ず、すみませんでした」


 それに対して老人──赤月 光太郎は小さく首を横に振った。


「君は世界を護るために異界で戦っているんだ。気にする必要は無い。予定だとあと1週間は向こうにいる話だったと聞いていたが、私としてはそちらの方が疑問だな」


「いえね、あっはっは。今朝方、周りの制止を振り切って単独で2層まで降りて大暴れしまして……。こっ酷く叱られました。暫くは謹慎も兼ねて人間界こっち側の仕事をすることになるそうです」


 あっけらかんとそう言った円に、光太郎は苦笑した。


「娘のためにそこまでするか……」


 言わずともわかっている。

 円が命令を無視してそんなことをしたのは、処罰を受けることで人間界へ戻るためであると。


『幻想魔導士』としては全く誉められることではないが、1人の親としてはその愛情の深さは評価に値するだろう。


「まあ、お義父さんに越して来て貰った訳ですし、失礼な話なのですが…どうしても奏の無事な姿が見たくて…」


「なに、それだけ子供を大切にしているということだろう。死んだ小夜さよも浮かばれるというものだ」


 だから、光太郎は目を伏せて笑いながら静かにそう言った。


「だからこそ、私や小夜のこと等忘れて、君には新しい家庭を築いて貰いたいものなのだが、ね…」


「……親としては、それがいいんでしょうね…。けれど、そりゃあオレにゃ難しいですよ。何せ、小夜さんよりいい女なんて、オレにとっちゃそうはいませんからね」


「まったく君は…。……小夜の夫が君で良かったとつくづく思うものだよ」


「たはは、止してくださいよお義父さん。単に未練がましいだけですよ、オレは」


「ふむ、そうとも言うな」


 どちらからともなく、2人は笑みを溢した。

 そうして、静かに煙草を2、3吹かしてから、円は再び口を開いた。



「電話をしてみましたが、玲がリィエル様を召喚したという話……事実でした」


「……そう、か……」


「……どうなってやがるんですかね…。奴等の話じゃあ、玲の『魔力門ゲート』は記憶と共に奪ったということだった。だから本当なら召喚に失敗して、そして普通の学校に通って──普通の生活を送れる筈だった。それがどうしたら、あのリィエル・エミリオールを喚び出すに至るってんだ…」


「……」


「あいつはきっと、小夜さんの力・・・・・・を秘めている。あいつにもしものことがあったら、それこそオレは、小夜さんに顔向けが出来ませんよ…」


「……だからこそ、君は異界から戻ってきたのだろう?」


「……ええ、まあ」



 赤月 円は、SSランクに相当する『幻想魔導士』である。

 つまり、彼は本来幻妖達の巣窟たる異界で戦う戦力なのだ。


 だが、自身の子供である奏が幻妖に追われ、そして玲が交戦した。


 ただでさえ赤月 小夜の力を引き継いでいることを危惧していたのに、そこにリィエル・エミリオールの召喚だ。

 ともすれば、幻妖達が玲を狙うだろう可能性は高く、そうなった場合奏にも利用価値が発生する。


 いや、現に奏はそのために追われたのかもしれない。


「赤月 玲がリィエル・エミリオールを召喚した」という事実によって、幻妖の中に、赤月 小夜の特別な力がその息子である玲に継承されたのではないかと当たりを付けた者がいて、玲を誘き出すために妹である奏を襲った──。



 これまで幻妖に見向きもされなかった赤月兄妹のもとに幻妖がやって来た理由を考えるならば、それは比較的現実味のある推論だった。


 そう思ったからこそ、円は命令に背いた独断行動を敢行したのだ。

 有事の際に即行動出来るように。



 とは言え、それもある程度の期間の話だ。

 いずれそう遠くない内に、円は異界に戻されるだろう。


「……それまでに、ある程度の実力を付けて貰わねぇと、か……」


 こうなってしまっては、玲の進む道は本人の意思に拘わらず戦火に彩られるだろう。

 それ程に、赤月 小夜が所有していた力は特異だった。



 だから、ある者が円に接触してきたのだ。

 玲の『魔力門ゲート』と、『幻想魔導士』に連なる記憶の殆どを奪う、と。


 まあ、その目論みもこの分だと失敗に終わったということなのだろうが。



「とは言え、リィエル・エミリオールを召喚したことを含め、確かに芳しくない点は多いが、しかし人間界にいる間はリィエル・エミリオールが玲くんを護ってくれる、とも言える。そう悲観することばかりではないだろう」


「……確かに、そうですね」


 光太郎の言葉に、円は眉尻を下げながら小さく頷いた。


 リィエルが現れたことは、確かに問題だ。

 赤月 玲の存在を悪目立ちさせてしまう、余りにも大きすぎる目印だ。


 だが、それ故にその力も絶大。

天魔具現リアライズ』が叶わない異界ならともかく、こと人間界において、恐らく彼女を脅かすことが出来る者などそうは居やしないだろう。


 つまり、少なくとも彼女が側にいるのならば、滅多なことにはならない。


 そう言った意味では奏の方が余程危険だと言える。

 奏には『守護天魔ヴァルキュリア』がいない。『天魔の十字架ヒュムネクロイツ』も無い。

 自衛の手段は、皆無に等しい。



「──護ってみせるさ。絶対に。小夜さんの子供達は、オレが護ってみせる」


 未だ火の灯る煙草をその右手で握り潰しながら、円は誰に言うでもなくそう言って天を見上げた。

 霊界、そして天界や魔界が実在しているのだから、この天の先に愛した妻はいないだろう。


 けれど、それでもこの想いが伝わるようにと、円はただただ静かに、夜空に爛々と煌めく満月を見つめる。



 と、その円の肩に、深い皺が刻まれながらも力強く温かな手が置かれる。


「君だけではない。私もいる。あの娘の大切な忘れ形見は、私が命に代えても護る」


「お義父さん……」


「ふむ、老いぼれとは言え、これでもまだまだ動けるつもりなのだが。そんなに頼りないかな?」


「──っははは、ご冗談を。お義父さんが頼りなかったら、今異界にいる連中なんて、赤子同然ですよ」


 幾分砕けたような笑みを浮かべる光太郎の言葉に、円は沈みかけていたことなど忘れるように笑ってそう返した。


 既に現役を退いたとは言え、赤月 光太郎もかつて名を轟かせた『幻想魔導士』である。

 そんな人物が赤月家にいてくれるというのだから、家近辺における奏の身の安全は保証されているようなものだ。


 玲にはリィエルが、奏には光太郎が。そして人間界に現れる幻妖は、今日よりしばらくは円が。


 人間界に攻め入ることが出来るようなレベルの幻妖が相手であるならば、お釣りが来てなお余りある。



「ありがとうございます、お義父さん。お陰で少し気が楽になりました」


 光太郎の言葉は、円を励ますに十分なものだった。

 そして、光太郎がそういうつもりでああ言ったことを理解している円は、屈託の無い笑顔を浮かべる。


 そんな円に光太郎は、亡き娘の面影が重なる、強気な笑みを浮かべて言った。


「ならその礼に、少し付き合わんか? ちょうど良いものが手に入ってな」


 グラスを握るようにな手を作った光太郎は、それを口元に持っていき傾けるジェスチャーをする。


 それに対して円は、苦笑しながら頭を掻いた。


「すみません、明日も早いもので──少しだけなら」


 そうして2人は、部屋の中へと入っていった。







 ********************


 天魔第6高校、校長室──。そこに2つの影があった。

 1つは言わずと知れた、本高校が校長──鷹倉たかくら 誠二せいじ。通称ハゲ鷹。


 そしてもう1つは、こんな時間に呼び出された30代半ば程の男性教員である。


「こ、校長…今何と…!?」


 目を白黒させた教員は、この部屋に漂う異様な悪臭のことさえも忘れてそう聞き返した。


 それを受けて大仰に頷いたハゲ鷹は、再び同じ言葉を口にした。


「来るマラソン大会にて、赤月 玲が使用する枷の魔力抑制率を45%に、そして運動阻害率を80%に引き上げろ」


「そ、それはいくら何でも…! 非魔導士の凶悪犯罪者に対する抑制レベルを越える設定値ですよ!? ほぼ動けなくなってしまいます!」


 しかし教員の反論虚しく、ハゲ鷹は組んだ腕に顎を乗せながら説明する。


「本校の大会は外部に公開こそしていないが、その情報は天魔省にも伝わるし、マスコミにも広まる。リィエル・エミリオールを召喚した等と広まった日には、彼の高校生活は台無しだろう?」


「それは……」


 思わず口ごもる教員に、ハゲ鷹は口の端をつり上げる。

 その顔が暗に示していた。


 そんなものはただの建前であり、本音はただの嫌がらせである、と。

 だから、一教員として生徒のために、教員は反旗を翻そうと口を開きかけたが──。


「──ところで君は、先々月に結婚したそうだね。随分と豪勢な式だったそうではないか。尤も、私は招かれなかった訳だが?」


「う、そ、それは……」


「しかし、お熱いかと言えばそうでもないようだ。あれは先月の第3金曜日だったかね。90分の直後に120分。夜の繁華街で随分と楽しんでいたようだが……。流石高校の教職に就くだけあって、制服系が好みなの──」


「──承知致しましたぁああぁああぁあああッ!!」


 何故知っている──。

 そう疑問を呈することすら憚られた。


 何せ、もしこの悪魔が告げ口すれば、結婚したばかりの妻に夜のお店に行っていたことがバレてしまう。


 冷や汗が止まらなかった。


 玲のことなど、最早どうでも良かった。

 ただこの悪魔の口を封じることが出来るのなら、生徒1人くらい生け贄に捧げても一向に構うものか。



 深々と頭を下げた教員に「わかればよろしい」と言い、ハゲ鷹は嫌らしく笑った。


(まるで動かない足。うつ伏せに倒れる身体。あの豊満な胸は、身体と地面に挟まれて……。ぐふふふ、いい写真が撮れそうじゃないか)


 元が男である、などということは些細な問題だ。

 それが女体であるのなら、それが全てだ。


 嫌がらせと、そして嫌らしい写真撮影。

 教師として素晴らしい配慮を建前に、ハゲ鷹は忠実に誠実に堅実に欲望に従う。


 こと嫌がらせ、そして女性へのリビドーにおいて、この飢えたハゲ鷹を留めることが出来る者はいない。






 ********************


 果たしてそんな欲望丸出しの思惑の毒牙に掛かろうとしている赤月 玲は、クロノスによってもといた公園まで送り届けられた。


「しっかし、なんか追い出されたような感じだったなぁ……。あれ、オレ何かやらかしたのかな…」


 柔らかな芝生に爛々と輝く魔法陣の上で、玲は首を傾げた。

 リィエルと喋りたいから、等と言ってはいたが、その実気づいていないだけで何か失礼があったのかもしれない。


 そう考えると、背筋に嫌なものが走るような気がする玲だった。



 そんな考えを打ち消すように頭を振って、地面に輝く青白い魔法陣から抜け出した玲は、ふと首に下がる『天魔の十字架ヒュムネクロイツ』を手に取った。


「そういやリィエルの奴、服装を変える魔法がどうたら言ってたっけか。何だろう、女子用の制服になるのか?」


 ありがたいような、ありがたくないような。

 いくら身体が女になろうが、心は男のままなのだ。ならば、どこまで行ってもそれは女装に他ならない。


 そういう趣味があるわけでなし、正直男女どちらでも良さそうなジャージか何かだと幸いである。



「まあ、とりあえず今のうちに試してみっか」


 リィエルとヘパイストスを疑うわけではないが、新機能が追加されたのならば試運転はしておきたいところだ。


 そう思った玲は、深く考えずに『天魔の十字架ヒュムネクロイツ』を起動する。


「──『強制開門レイズ』!」


 この判断は、正しかったと言えるだろう。先んじて覚悟を決められたのだから。


 ──何より、人目があまり無いところで本当に幸いだった。


「……は…ぁっ!?」


 ──尤も、これがまだ氷山の一角であることを玲が知るのは、少し後のことである。


「ヴぁか野郎っ!! リィエルぅぅううぅううううっ!! 何考えてるぅうっ!! ぷざけるなぁあぁあああっ!!」


 だだっ広い公園に、少女の絶叫が木霊した。

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