第6話 東京城
おかしい。あれから何度もルーレットを廻そうと試みたが、全く反応しないのだ。これでは指が穴だらけになってしまう。
血だけでは動かないということか。何か特定の条件を見落としているのか……過去二度の状況を振り返って見たが、全く心当たりがない。
図鑑の〈愚者のルーレット〉の説明にあった『霊魂を捧げろ』の文言がよぎる。
いや、それは理屈に合わない。もし魂を捧げないと廻せないとしたら、なぜ今までに二度も廻せたのだ。自分の魂は捧げていない、私は今ここにこうして生きている。
異界から生まれたルーレット……まだ謎が多すぎる。
気分転換に外の空気でも吸おう。近くはまだ報道陣がウロウロしているので、大型バイク──ヤマハの至宝と言われているVMAX、水冷式V型4気筒4バルブの1700cc。最終製造限定モデル──で少し遠出することに決めた。
学生時代にゼミの先輩から大型バイクを格安で譲ってもらえるということで、慌てて大型二輪の免許を取ったことからバイクとの付き合いは始まった。ツーリングに明け暮れていた学生時代。社会人になって忙しくなってからはめっきり乗らなくなっていたのだが、美沙の亡き後、独りで行動することが増えたことからまたバイクに乗ろうと思ったのだ。
大型バイクを探していた私はヤマハがVMAXの製造を終了すると聞き、少数しか製造しないという限定モデルを購入したというわけだ。
VMAXの重くて低い排気音を轟かせ、私はビルを飛び出した。国道一号線を東京方面に向かい走る。移りゆく景色、吹き抜ける冷たい風、そして心地よいエンジンの振動が自分の身の回りに起きていることを忘れさせてくれる。
一時間ほど走り新橋付近に差し掛かった頃、東京駅方面の空が赤く染まっているのが見えた。何か嫌な予感がする。私はコンビニの駐車場にVAMAXを停め、フルフェイスのヘルメットを脱いだ。
コンビニの前にいる学生たちが赤い空と携帯を交互に見ながら何やら騒いでいる。
「何だこのニュース、マジか?」
「動画も出てる。やばいんじゃない? この前の横浜も……」
私もすかさず自分の携帯で確認する。ニュースサイトはどこもヘッドラインで異口同音に『東京駅周辺、異常現象』と伝えていた。すでにレポーターが現地にいるようで、防災ヘルメットを被った頭を片手で抑えながら深刻な表情でレポートしていた。
「──二十分ほど前から東京駅周辺の空が赤く染まり……あ、何やら黒い霧のようなものも出てきたようです。……はい、はい、承知しました。すみません、我々も避難させていただきます。一旦スタジオへお返しします」
画面がスタジオに切り替わる。スタジオも騒然としてニュースの体をなしていない。
間違いない。東京駅でこれから何かが起こる。何かとんでもないことが。首筋にじわっと嫌な汗がにじむ。
私はすぐ様ヘルメットを被り、東京駅へVMAXを飛ばした。
東京駅に近づくに連れ、黒い霧が濃くなってきた。空は真っ赤な雲で覆われ不気味に渦巻いている。警察などの緊急車両が何台も東京駅方面に猛スピードで向かっていることが緊急事態であることを告げていた。
東京駅の八重津中央口が見えてきた。逃げるように駅から出てくる人、野次馬、警察関係者などでごった返している。道路や交差点も警察関係の車両と野次馬の車の列でグリッドロック状態になっていた。これ以上はバイクでも進めそうにないと判断した私はVMAXを路地裏に停め、歩いて駅に向かうことにする。
八重津中央口前の道路を渡ろうとした時だった。突如東京駅の壁という壁、床という床から無数の目が出現したのだ。そしてギョロギョロと瞳が動き出したかと思うと、今度はおびただしい数の血まみれの手が現れた。その手は近くにいる人たちを次々に壁、床へ引きずり込んでいく。
駅にこれ以上近づくのは危険だ、野次馬と一緒だがここで見るしかない。
東京駅の壁、床がみるみる内に真っ赤でブヨブヨとした内臓のようなおぞましいものと化していく。時折、その壁や床から這い出そうと、もがき苦しんでいる人のような姿が見えたが、もう皮膚が溶けてしまったのか真っ赤なゼリーが動いている様にしか見えなかった。生臭い匂いが少し離れているここまで漂ってくる。
駅にいた人たちは悲鳴をあげ、逃げ惑う。出口、階段に殺到して将棋倒しになる。将棋倒しになった人は床から伸びた手に引きずり込まれていた。その上を逃げようとする人たちが次々と我先にと駆けていく。正に阿鼻叫喚。
パンッパンッと乾いた音が鳴ったかのように聞こえた。警官が発砲を開始した様だ。続けざまに何十人もの警官が壁や床に向かい発砲を開始する。
祈る様な思いで警官を見守っていた時、何か焦げる様な匂いを感じた。先の異臭とは別種の嫌な匂い。
次の瞬間、パラパラっと赤い雫が地面に叩きつける様に落ちてきた。
「ぎゃぁあああああああああ」
隣にいた若い女性が急に狂ったかのように悲鳴をあげた。驚いて見ると、その女性の手の平に大きな穴が空き、そこから赤い肉が溶け落ちていた。私は赤い雫が落ちた場所を見て驚愕する。アスファルトがブクブクと沸騰するかの様に溶けているのだ。
──ここから逃げろ! 本能が叫ぶ。
私は全速力で走り出す。停めていたVMAXに飛び乗り、フルスロットルで走り去る。VMAXのエンジンが悲鳴をあげる。背中越しに人々の悲鳴も聞こえるが、振り返る余裕なんてない。限界の速度で歩道だろうが車道だろうがお構いなく走り抜ける。一刻も早くこの辺りを離れなくては!
どこをどう走ったか覚えていない。気がつくと品川駅周辺まで来ていた。ここまで来れば何とか大丈夫だろう。死に物狂いで逃げて来たのでライダースーツの中は汗でぐっしょりになっていた。
東京駅の方をみるとその一帯が切り取られたかのように真っ赤な空間となっていた。あの赤い雫が雨のように激しく降っているのだろう。血の豪雨。あそこにいた人たちはもう……
携帯電話でニュースを確認する。ダメだ、先程からほとんど更新されていない。SNSもチェックする。すると、
「この世の終わり」
「東京駅に地獄の釜が開く」
「赤い空、黒い霧」
「血の雨、殺人」
「死傷者数千人規模」
などのワードが飛び交っている。
グロテスクな写真が無数にアップされていた。銃弾を受け穴だらけになったような遺体。恐らくあの血の雨の被害者だろう、酷い有様だ。私もあそこにいたら……と考えるとぞっとする。あの雨は危険すぎる。
他には東京駅の構内から撮ったと思われる写真もあった。それは壁や床のあちらこちらから人間の上半身だけが生えている異常な状況を撮ったものだった。人間といってもかろうじて原形をとどめているだけで、ほぼ肉の塊。ただ、彼らが必死に助けを求めようとしていることだけはわかる。地獄が地上に現れたかのようだ。
動画もアップされていた。東京駅を外から遠目に撮影したもののようだ。
駅周辺の建物は血の雨のせいか完全に崩れ落ちてしまっているが、駅自体は威風堂々と鎮座していた。外壁は
その皮肉にも堂々とした姿に、戦場にそびえ立つ堅牢な城を連想してしまう。
「……東京城」
私は一人呟いた。
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