紹介
雅部の部室は、思ったよりも片付いてはいなかった。
教室の半分にも満たないくらいの狭いスペースに、机が5つ向かい合うようにしてくっつけてある。それぞれの机には、ノートパソコンが1台ずつ置いてあった。先輩方の私物だろう。
扉のないロッカーには先輩方の荷物がギュウギュウと押し込んであった。
ロッカー横のスペースは漫画が溢れた本棚やら、マイクスタンドやら、裸のマネキンやら、パーティーグッズやらがごちゃごちゃと置いてある。
本当に、何やってるんだろうここ……。
真ん中とその横の机に、紫苑先輩と大江先輩がそれぞれ座っている。
「ただいま!」
「お、お邪魔します……」
清原先輩が、元気よく二人に声をかける。染谷先輩も僕らに続いて部室に入ってきた。
僕が来たことに二人とも驚いている様子だった。
「い、いらっしゃい……」
「お前……何連れてきてんだよ」
表情は窺い知れないが、紫苑先輩は怒気を含んだ声で清原先輩に話しかける。
「だって、興味あるって!」
「お前らが廃部の話とかするからだろ!」
「違うって!」
「……ちっ……。おい、1年」
「ひゃいっ!」
いきなり自分に声をかけられて、変な返事になってしまう。いや、だって普通に怖いよこの人。
「こいつに何言われたか知らないけど、気を遣われても困るし、他のとこ行け」
「……気を遣って来たわけじゃありません」
僕がそう返すと、紫苑先輩はため息をつく。
「どうせまだ何するかもわかってないんだろ」
「それは今から聞きます」
僕が食い下がるので、紫苑先輩は黙り込んでしまう。何か考えている様子だ。
「……お前、なんか好きなことあんの」
「え? えーと、漫画読むのとアニメを見るのが好きです」
突然の質問に戸惑いつつもそう答える。
「あ、俺たちもみんなアニメとか好きだよ〜」
大江先輩が嬉しそうに言った。この人たちみんなオタクなの……? 紫苑先輩はともかく、他の3人は全くオタクっぽくない。
「あはは、意外そうな顔してる。俺、見た目チャラいからオタクとか嫌いそうって言われちゃうんだよねぇ」
大江先輩がからからと笑う。気弱そうに見えたけど、存外明るく話す人だ。
「この部活って、ざっくり言っちゃえばサブカル趣味の人間が集まってできたんだよ。例えば、俺はアニソンとボカロ……ボーカロイドってわかる?」
僕は頷く。ボーカロイドっていうのは、パソコン上で歌を歌ってくれるソフトウェアだ。キャラクターとしても魅力的だし、ボカロを使って作られた曲も人気が高い。僕も好きな曲はたくさんある。
大江先輩は僕の答えに満足そうに笑う。
「俺、ボーカロイドとアニソンが大好きなの。自分でも歌って、投稿サイトに動画あげてるんだ」
大江先輩はいわゆる「歌い手」の活動をしているらしい。ハンドルネームは「Shiki」というそうだ。歌も聞かせてもらった。中性的な声が、とても聞きやすくて綺麗だと思う。
ヘッドフォンを返す時、大江先輩が何か思い出したように「あ」と声を上げた。
「ごめん、俺たち名前言ってなかった。俺は
大江先輩がぺこり、と頭を下げる。それに倣って、僕もお辞儀をした。
「仁科更です。よろしくお願いします」
そういえば、先輩方の名札を盗み見ただけで、お互いきちんと自己紹介していなかった。
それを見て、清原先輩が「はいはい!」と手を挙げる。
「俺は清原諾左! YouTuberやってます!」
聞くところによれば、この部活はネット上で活動していれば、内容は特に問わないらしい。
清原先輩は「清少納言」というハンドルネームで実験動画やレビュー動画を配信しているそうだ。特に、レビュー動画はわかりやすくてわりと評判なのだそう。最新のお菓子やおもちゃはもちろん、何故かコスメまでレビューしていた。
「実験動画は理科の先生とかに聞いて、許可とったりしてやってるんだけどさ、先生も暇じゃないから顧問でもない部活にあんま時間割けないんだよな」
それで、必然的にレビュー動画の方に重心が傾いているのだ。
「化粧品とかは赤音の意見も参考にしてるんだ」
清原先輩は、そう言って染谷先輩を指差す。
「え?」
驚きを隠せない僕に、染谷先輩は苦笑いで頬をかいた。
「まぁ、そうだよな」
「す、すみません……。ちょっとどういうことか分からなくて……」
僕が頭を下げようとするのを、染谷先輩は手で制した。
「自己紹介だよな。俺は染谷赤音。赤染って名前でコスプレイヤーしてるんだ」
そうして、スマホの画面を見せてくれる。画面の中には、人気アニメのヒロインがいた。
そう、ヒロインである。
「えっ? これ……? え?」
「うん、それ俺」
画面の中にいるのはピンク色のツインテールに、ふりふりの衣装を着た可愛い女の子だ。
僕の目の前にいるのは、短髪がよく似合う男らしい爽やかなイケメンだ。
僕は混乱して、画面と目の前の顔を見比べる。
「メイクと画像加工で何にでもなれる。それがコスプレだよ」
目の前のイケメンは、とてもいい笑顔で僕の肩に手を置いた。
コスプレってすごい……。
「よーし! じゃあ紫苑でラストだな!」
清原先輩が、いつのまにか少し離れたところに行ってしまっていた紫苑先輩の肩を引き寄せる。
「鬱陶しい」
「紫苑冷たい〜」
紫苑先輩は、清原先輩を引き剥がすと、ポツリと呟く。
「藤原紫苑。雅部部長」
それきり、またそっぽを向いてしまう。
ていうか、部長……? 部長って、清原先輩かと思った。だって、今日も壇上で話していたのは清原先輩だ。
「こいつ目立つの嫌がるから、副部長の俺が前に出るようにしてるんだよ」
意外そうな僕に気がついたのか、清原先輩が説明してくれる。
「ていうか、紫苑。お前それだけって! 他に言うことあるだろ!」
たしかに、紫苑先輩(藤原先輩って呼ぶべきかもしれないけど、面倒だからいいや)は、自分が何をしているのか教えてくれていない。
清原先輩がそう言っても、紫苑先輩はこちらを向こうともしない。
「……部外者に教えてやることでもない」
頑なな紫苑先輩の様子に、清原先輩はやれやれと首を振る。
「ごめんな、こいつめちゃくちゃ人見知りでさ。友達なくすからもっと言い方考えろって言ってるんだけど」
「余計なお世話だ」
清原先輩の言葉に、すぐ怒気を含んだ声が飛んできた。
「……この調子でさ」
清原先輩は小声で付け足す。
正直、人見知りで片付けていいんだろうかって感じだ。
兎にも角にも、これで活動と部員については知ることができたということになる。
しかし、僕には一つ気になることがあった。
「仮に入部したとして、僕は何をしたらいいんですか?」
先輩方の活動はあまりにもバラバラだ。というか、ほぼ個人活動で、部活動の形を取ってる理由もよくわからない。
加えて、僕は今まで漫画やアニメを見る専門だったから、それ以外の活動は全くしていない。ネットでやることといえば、新作の感想をツイッターで呟くくらいだ。
先輩方も「うーん」と唸っていた。後輩指導となると個人プレーとは勝手が違う。
「特にやること決まってないなら、俺たちの活動を体験してもらって、それから入部を考えてもいいと思う」
大江先輩の提案に、清原先輩も染谷先輩も頷く。
「そうだな! あ、でも、別に更の動画載せたりはしないから、安心してな」
「俺も、いきなりイベントはハードル高いだろうし、部室で着てみるくらいでいいから」
新しいことに挑戦したいという目的だけで部活探しをしていた僕には、たくさんのことにチャレンジできる機会はありがたかった。
当然、了承しない手はない。
「よろしくお願いします!」
僕が頭を下げると、3人は嬉しそうに笑う。
僕らは口々に「よろしく」と言い合って、握手を交わした。
紫苑先輩だけが何も言わずに、離れた場所でただ僕らを眺めている。
その様子に、僕は少しだけムッとする。
僕を受け入れてくれないからではない。だって、紫苑先輩が部長なのだ。三人が一生懸命部員を増やそうとしているのは、雅部が廃部の危機に瀕しているから。部の危機なのに、こんなに非協力的ではよくないと思う。
「紫苑先輩」
僕は、敢えて紫苑先輩にも声をかける。
突然話しかけられて、紫苑先輩は驚いた様子だった。
「体験入部、よろしくお願いします」
丁寧にお辞儀をして、紫苑先輩を見上げる。
その時、開いた窓から風が吹き込んできた。
突然の来訪者は、桜の花びらを手土産に部屋を通り過ぎていく。
それは、紫苑先輩の長ったらしい前髪を攫い、初めて彼と目が合った。
長いまつ毛に、切れ長の目。その中にあるガラス玉のような黒々とした瞳。
「ひ、ヒカルくん!?」
そこにいたのは、今朝僕を遅刻から救ってくれた「ヒカルくん」だった。
「ひかるくん?」
清原先輩が首を傾げるので、僕は慌てて説明する。
「僕が好きな漫画の主人公です。『源さん家のヒカルくん』ってBL漫画なんですけど……。ご存知ないですよね」
残念な事に、中学では僕の周りにBL漫画を好む男子は1人もいなかった。男の子はこういうものはあまり好んでは見ない傾向にあるのだろうと思う。
「いや、まぁ……」
清原先輩が言い淀む。予想していた反応だった。
「入部は認めない」
紫苑先輩が小さく呟いた。
先輩は、僕をじっと見つめて……いや、睨みつけている。
紫苑先輩、BL嫌いなのかな。
紫苑先輩の呟きを聞いた清原先輩が、彼に詰め寄った。
「どういうことだよそれ」
「こいつの入部は認められない」
「なんでだよ!」
理由を尋ねられても、紫苑先輩は黙ったままだ。
「……理由がないなら、俺もお前の主張を認めることはできない。入部するかしないかは更が決めることだ」
二人はしばらくの間睨み合いを続けていた。
部室に険悪な雰囲気が流れる。
「はーい、ストップ〜」
二人の間に無理矢理体を割り込ませてきたのは、大江先輩だった。
「ごめんね更くん。この二人いっつもこうだから」
大江先輩がそう言うと、二人は決まり悪そうに目を逸らした。
「……紫苑。俺も今回ばかりは諾左の言う通りだと思うよ」
「ふん……」
「ねぇ、今回ばかりはって何」
大江先輩の言葉にも、紫苑先輩はだんまりを決め込んでいる。
まるで、いじけた子供のようだ。
今朝の紫苑先輩は、漫画の主人公のように優しくて、イケメンで、かっこいいと思ったのに。
「……全然かっこよくない」
「は?」
思わず漏らした言葉は、ばっちりと紫苑先輩の耳まで届いていた。僕はこれ幸いとばかりに、紫苑先輩に向かってまくしたてる。
「僕が気に入らないのは個人の自由ですし仕方がないですけど、先輩は部長なんですよね? 今、この部活がどういう状況か分かってるんですよね? それなのに、私情で僕の入部の是非を決めるなんて、ワガママすぎじゃないですか。そんなの全然かっこよくないです。他の先輩方は優しくてかっこいいのに、紫苑先輩だけかっこよくない。……今朝はとってもかっこよかったのに。だから、ヒカルくんみたいだって思ったのに」
弾丸のように休むことなく言葉をぶつけていく。途中から、自分が何の話をしたかったのかもわからなくなってしまった。
紫苑先輩のあっけにとられた顔が見える。長すぎる前髪から少しだけのぞいた表情は、ちょっとだけ間抜けでおかしかった。
「今の先輩は全然かっこよくないです」
「知らんわ」
僕もそう思う。でも、一度口に出してしまったら止まらない。
「絶対、入部認めてもらいますから!」
捨て台詞のようにそう言うと、そのまま部室を出てきてしまう。
まだ入るかどうかすら決めてなかったはずなのに、いつのまにか入部は僕の中で決定事項になっていた。
感情が高ぶると後先を考えない。僕の悪い癖である。
僕は部室から正門までずんずんと進んで、やがてしゃがみ込んだ。
「やってしまった……」
ほぼ初対面の先輩に対して、生意気にも啖呵をきって出てきてしまった。
入部すると言い切ってしまったので、明日以降も部室に行かねばならない。しかし、どんな顔をして紫苑先輩と会えばいいのだろう。
「お礼、言えなかった……」
今朝の紫苑先輩は、見ず知らずの僕を助けてくれた。本当は優しい人なんだと思う。
でも、僕の入部だけは頑なに拒否をする。何か理由があるんだろうか。
「帰ろう……」
今日は色々なことがあって疲れてしまった。明日のことは明日考えることにしよう。
僕は、正門を出るとスマホを取り出す。
「もしもし、父さん? ごめん、迎えに来てくれない?」
明日こそはきちんと登校しよう。
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