第110話 消えたアリス
パン!
静まり返った学園の一室に響く平手打ちの音。
数時間前はあれほど大勢の生徒たちで賑やかだったというのに、今は数人の生徒と慌ただしく動く騎士たちのみ。
そして今、数名の騎士を背後に控えた私たちの前に、リコの平手打ちを受けたデージーの姿があった。
「し、知らなかったんです。こんな事になるだなんて」
「そんな話を聞いてるんじゃないわ、アリスを何処へやったの! ロベリア達はどこへ行ったの!」
今までこれほど怒りを表したリコを見た事があっただろうか。
私たちの中では一番冷静沈着、曲がった事は一切許さず、暴力とは一生無縁だと思っていたリコがデイジーに向けて怒りをぶつける。
本来なら真っ先に私が怒りを表していそうなものなのに、リコの様子を先に見てしまうと返って冷静になれてしまうのだから不思議なものだ。
「で、ですから、知らないんです。本当です。本当に知らないんです」
「ぐっ」
パン! パン!
怒りの感情が抑えられないのか、怯えるデイジーに対しただ力任せの平手打ちの往復。その衝撃に耐えられなかったのか、ついには足元から崩れるデイジーに向かって、さらなる追い討ちをかけようと振りかぶったところで止めに入る。
「そこまでにしておきなさい」
流石にこの状況を放置することも出来ないだろう。本音を言えば私の中でも怒りが煮えたぎってはいるが、一方的な責めはただの暴力となってしまう。
まずは出来うる限りの情報を聴き出し、早急に次なる対処をしなければ取り返しのつかない事になるかもしれないのだ。
数時間前、アリスが行方不明となった。
ロベリアに対し初めて見せる嫉妬の感情を落ち着かせるため、私は控え室にいるココリナ達のもとへと送り出した。
だけどいつまで経っても戻ってこないアリスを心配し、ココリナ達の元へと向かった私たちだったが、そこにいるはずのアリスはおらず、返ってきた言葉が『こちらには一度も来ていない』だった。
その後全員で学園中を必死に探すもアリスの姿は見つからず、居るはずのライナスとシオンの姿も見えずで、焦った私たちは未だ楽しそうに談笑するロベリアを問い詰めた。
そこで表したのがロベリアに扮したデイジーだったのだ。
「よくそんなに冷静でいられますわね。アリスが居なくなったんですのよ! アリスの身に何かあってからでは遅いんですのよ!」
「わかっているわよ!」
冷静に、冷静にと頭では理解できているが、思わず怒りの感情が溢れ出す。
「わかっているわよ、そんなこと、私がわからないとでも思っているの?」
強く握りしめた拳から痛みが走る。
自分でもこれはだたのやせ我慢だとわかっている。怒りを必死に抑え、涙も必死に堪えた今の私はさぞ酷い状態なのだろう。
そんな様子を見たリコは振り上げていた腕を力なく下ろし、人前だというのに堪えていた涙が一気に溢れ出す。
「……ごめんなさい……」
「大丈夫、アリスはそんなに弱くないわ」
涙顏のリコを優しく両腕で包み、自分に言い聞かせるように言葉を発する。
そうよ、アリスは精霊に愛されている存在。いざとなれば精霊たちが守ってくれる。だけどそれが期待できない状況ならば……
精霊たちがアリスの願いに応えるのはアリスがハッキリと覚醒しているときのみ。眠らされていたり、薬かなにかで意識が朦朧としているときには応えてくれ無い。
恐らく連れ去られ時には何らかの薬で眠らされでもしてしまったのだろう。そうでなければ……
「デイジー、言葉を選んで答えなさい。今回の一件で貴女はどれだけ関わっているの? 知っている事を包み隠さず全て話しなさい」
落ち着きを取り戻したリコをルテアに引き渡し、床に崩れ落ちたデイジーに低い声で問い詰める。
「わ、私はその……ロベリア様に頼まれて入れ替わりを……」
「いい? 私は言い訳や結果を聞いているわけではないの。拷問で自白させられる前に、貴女が知っている事を包み隠さず全てを話しなさい」
「ひぃ!!」
私の本気をようやく理解できたのだろう。デイジーは体を全体を震わしながら涙を浮かべて語り出す。
内容はこうだ。
数週間前、すっかり学園内で孤立していたデイジーにロベリアの方から近づいてきたらしい。
もともと性格的に問題のある二人だ、他愛もない話を続けていくうちに次第に打ち解け合い、二人の仲は日に日に良くなっていったという。
そんな中で出てきたのは私への嫌がらせだった。
以前より私の事をよく思っていなかったデイジーは、同じく私を嫌っていたロベリアと意気投合してしまい、この仮面舞踏会で嫌がらせを行おうと考えたらしい。
まずはロベリアに扮したデイジーが噂話やダンスで私を挑発し、隙を見せた私にデイジーに扮したロベリアがドレスにジュースを掛けるといったもの。
そのために男性を虜にするようなドレスをロベリアから借りたり、胸を盛りに盛った姿になったのだという。
本来ならば男性陣も世間体を気にするのだろうが、生憎自身の正体がわからない仮面舞踏会で若気のいたりがでてしまったのだろう。その結果が先ほどの状態だったというわけだ。そしてそのとどめとなる最後の一手が、ロベリア(仮)に魅せられたアストリアに、私を挑発するかのようにダンスを申し込むといったもの。
そうすれば怒りと嫉妬、悔し涙を浮かべた私が会場から逃げ出すと思っていたらしい。
だけどここで大きな誤算が出てしまった。
デイジーはもともとジークに淡い恋心を抱いていた。当初の予定では私に対して更なる追撃のためにアストリアとダンスを踊る予定が、ついつい自分の欲望が出てしまいジークとダンスを踊ってしまった。
デイジーにすれば私への仕返しより自分の欲望を優先してしまっただけだが、ロベリアにとっては予定外の出来事だったのではないだろうか。
もちろんあの程度の噂話で私が怒る訳もなく、アストリアとダンスを踊ったからといって怒る筈もない。
だけどその時のミリアリアはアリスが変装した偽物。前々からロベリアに対していい感情を抱いていなかったアリスは、日々イライラを溜め込んでいたのではないだろうか?
そんな矢先に目にしたのがロベリアに扮したデイジーだったという訳。
もしかするとアリスの事だからロベリアが偽物だと気付いていたのかもしればいが、デイジーとは以前イリアのことで揉めているし、ジークにエスコートされていたのを目にした事もある。
どちらにせよ、アリスが嫌っている二人が偶然にも重なってしまったのだ。
結果、私に扮しているアリスは一人会場を後にしてしまい、そのままロベリア達に連れ去られてしまった。
ロベリアの本来の目的である私と間違えて……
「くっ……それじゃアリスは私のせいで……」
「まってミリィちゃん。ミリィちゃんのせいじゃないよ」
「そうです、悪いのは全部ロベリア達ですわ。貴女が責任を感じる必要はどこにも……」
激しく責任を感じる私に、リコとルテアが慌てた様子で慰めてくる。
前の私だったら何の考えもなくこの教室から飛び出していただろう。それが分かっているだけに二人は慌てて止めに来たのだ。
「ありがとう、大丈夫よ」
とにかく今は走り回っているアストリアやサージェンド達の情報を待つしかないだろう。
「デイジー・ブルースター。知らなかった事とはいえ、敵国の王女であるロベリアの計画に加担し、一人の少女を誘拐させた罪は見逃す事が出来ないわ」
落ちつかせるように一息を吐き、傷心しきっているデイジーに向かって言い放つ。
「レガリア王国の王女であるミリアリア・レーネス・レガリアが命じます。デイジー・ブルースターは王国騎士団により捕縛、尋問をした後に然るべき刑に処します」
「!」
「連れて行きなさい」
「「「はっ!」」」
私の一言で背後に控えていた騎士がデイジーを無理やり連れて行こうとする。
「ほ、捕縛!? それに刑ってなんですか!? ま、まってください! 知らなかったんです。本当に知らなかったんです。お願い、たすけて!」
徐々に遠ざかってくデイジーの声。
まさが今回の件で拘束されるとまでは思っていなかったのだろう。ここに来て必死に足掻きながらも連れ去られていく。
彼女にしてみれば些細な意地悪程度の認識だったのだろうが、彼女も貴族である以上ドゥーベ組のことは事前に軍部から注意喚起が通達されている。それなのにあのバカはロベリアの口車に乗せられて今回の事件に加担してしまった。
もしアリスが戻ってこなければ、もしアリスの身に何かがあれば、恐らくデイジーは二度と日の目を見る事は出来ないだろう。
まっていてアリス、私が必ず助けてあげるから。
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