第55話 ココリナちゃんの苦行(後編)
遂に訪れた恐怖の調理タイム。
二人が料理場に姿を消している間にパフィオさんに介抱され、私の様子に危険を感じたルテア様が癒しの奇跡を施してくださったお陰で、何とか会話ができる程度までは回復したが、お腹の中に残る満腹感だけはどうしても消えない。
っていうか、癒しの奇跡を掛けられる症状って、一体ミリアリア様の淹れた紅茶はどれだけ破壊力があるんですか!
「うぷっ」
「大丈夫ですか? ココリナさん」
私を気遣ってパフィオさんが声を掛けてくれるが、今言葉にだすと色々大惨事になりかねないので無言で大丈夫だと合図を送る。
「一体何倍飲まれたんですか?」
「うぅ……12杯……」
「12杯って……呆れましたわね、何もそこまで飲まなくてもミリアリア様だったら無理に勧めてこられないでしょ?」
「とりあえずこちらの薬をお飲みなさい。消化促進よく効く薬草をすり潰したものですわ」
私の様子を見かねたイリアさんとリコリス様が近寄って来られ、胃に優しいという薬を渡してくださる。
だって嬉しそうにお世話をしてくださる姿を見たら断れなかったんだから仕方ないじゃない。
ササァー、ゴクゴク。
「ぷはぁー」
「どうですか?」
「うん、ちょっとお腹の調子が戻った気がするよ。ありがとうございますリコリス様」
さすが侯爵家がご用意してくださった強力消化薬、飲んだ直後から徐々にお腹の満腹感が減りだし、なんだかすっきりした気分になってくる。
まぁ、そのほとんどが水分ばかりだったので、薬を飲んだ直後にお手洗いに駆け込んだのは、乙女の恥じらいとして深く追求しないでほしい。
「それにしても」
「えぇ、何だか不安になってきましたわ……」
私の体調が戻り、一息ついたところでさらなる不安が私たちを支配する。
だって……
「ちょっとミリィ、それ砂糖じゃない。片栗粉ぉー」
「白い粉なんだからどれだって同じでしょ?」
「ミリィ、野菜は先に切らないとー。そもそもなんで玉ねぎが皮ごと入ってるのよー」
「野菜の皮には栄養がいっぱいだと、何かの本に書いてあったわよ」
「ミリィ、これルーじゃない。チョコレートだよー」
「似たようなもんでしょ? それにアリスだって甘い方が好きじゃない」
「ミリィ、なんで納豆がそこに出ているの! 納豆は絶対に入れないからね」
「いいじゃない別に。食べられなくなるわけじゃないんだから、これだって新しい発見になるかもしれないじゃない」
「「「「「「「……」」」」」」」
調理場の方から聞こえてくアリスちゃんの悲鳴に近い叫び声と、ミリアリア様のあり得ない返答。
なんかね、もう皆んなの表情が徐々に恐怖に引きつっていく様子がはっきりとわかったよ。
いくらアリスちゃんの料理が美味しいからって、それぞれ別々で作るわけじゃないからね。基本レシピでアリスちゃんが料理を作るも、その隣からミリアリア様にアレンジを加えられてはどうしようもないのだろう。
まさかそこまで想定していなかったのか、ルテア様とリコリス様の表情までも次第に怯えるように変わっていく。
「これは……想定外でしたわ」
「う、うん。私もアリスちゃんが作る料理だけをテーブルに並べて、ミリィちゃんの料理はそっと後ろに下げるつもりだったから」
メイド服に身を包んだ二人が顔面蒼白になりながら、自らこの企画に乗った事を後悔する。
この二人がここまで怯えるなんて相当ミリアリア様の料理は破壊的なのだろう。すでにその片鱗に触れてしまった私はもはや諦めの言葉しか出てこないが、他のメンバーはこれから起こるであろう大惨事にただ怯え震えるだけ。
調理場から聞こえる声で、アリスちゃんが必死に頑張ってくれている様子は伝わってくるが、それらを全て台無しにするかの如くのミリアリア様の声が響く。
「もう、ミリィーー、なんでシチューの中にリンゴが入ってるのよー」
「だってエレノアがリンゴを入れれば味がまろやかになるんだって」
「それカレーだよー。今作っているのはクリーム
「「「「「「「……」」」」」」」
かつてアリスちゃんがここまで声をあげて困らせた人物がいただろうか。答えは否! いつもポヤポヤ、自分が
恐らくこの場にいる全員が同じ思いを抱いているのではいだろうか。
「あ、あの……もしかしてお二人は以前ミリアリア様が作られたお料理を?」
何か話し続けなければこの恐怖から逃れられないと思ったのか、それとも事前に出来うる限りの知識を学ぼうと思ったのか、イリアさんが恐怖に顔を引きつらせながらルテア様とリコリス様に尋ねられる。
「え、えぇ一度だけですが……」
「そ、それでその……どう、だったのですか?」
「「……」」
お二人は何とも言えなさそうな表情で見つめ合い。
「……二人とも気を失ったわ」
「リコちゃんなんてその後三日間も寝込んじゃったんだよ」
「み、三日間も!?」
「「「「……」」」」
何とも言えない表情でお互いを見つめ合い、そして遂に恐れていた時がやってくる。
「ご飯できたわよー」
「「「「「「「……はぁ……」」」」」」」
同時に重い、すんごく重いため息が漏れるのだった。
ルテア様とリコリス様の手によって、食堂のテーブルに並べられていく料理の数々。
少し奥に視線を移すと、そこには自信に満ち溢れたミリアリア様のドヤ顏と、私以上に疲れ果ててしまったアリスちゃんの様子が目に入ってくる。
これはどうやら本気で覚悟を決めなければならないのかもしれない。
先ほどミリアリア様の料理を食されたというお二人の話では、最初の一口で気を失えばまだいいほう。もしアリスちゃんの頑張りで多少良くなっていた場合、苦行ともいえる苦しみを延々と味わい続けなければならない可能性があると言っていた。
これでアリスちゃんを責めるのはお門違いだということは分かってはいるが、震えて最初の一口がどうしても進まない。
「どうしたの? さぁ食べてちょうだい。今日の料理はちょっと自信があるのよね」
無情とも言えるミリアリア様のお言葉。
ご本人とアリスちゃんは私たちが食べる様子を見てから食事をとると言っているので、今テーブルに着いているのはその他全員。
ルテア様とリコリス様はその責任感から自ら席に着かれ、自分だけ助かろうとしていたパフィオさんも二人に従うようにテーブルに着かれている。
あとは誰が一番最初に料理を口にするのだが、皆が皆、自分以外がどう動くのかを慎重に見極めている。
今回人手が足りないことと、皆んなで和気藹々と食事を楽しもうとの事でコーススタイルではなく、テーブルに並べたビュッフェスタイル。
取り分けなどで少々手間はかかるがここは顔見知りの友人同士、お互い取り合いながら楽しもうという趣旨らしい。
「どうしたのみんな? 料理が冷めてしまうわよ?」
何もわかっていないミリアリア様が、料理を食べるように勧めてくる。
ルテア様とリコリス様も、この現状を作ってしまった事に責任を感じ、進んでテーブルに着かれはしたが、かつて食した時の記憶を思い出したのか、何度もスプーンに手をつけては離してと、心の戸惑いが私たちの方にもシミジミと伝わってくる。
しかしいつまでもこのまま、と言うわけにはいかないだろう。誰かが最初の犠牲にならなければ先へと進めない事は明らかだ。
そう誰かが最初の犠牲に……
勇気を出してスプーンを片手に目の前のシチューに……
「わ、私が行きます」
そう何かを決意したかのように言葉を口にしたパフィオさんが、スプーンを片手に白く染まったシチューへと手を伸ばす。
もしかすると自分だけ逃げ出そうとしていた事が、彼女の騎士魂にでも傷をつけてしまったのだろうか。そこまでさせてたミリアリア様の料理にむしろ敬服するべきであって、パフィオさんに罪はない。
パフィオさんは恐る恐る音を立てないようひとすくいし、勇気を出してスプーンにのったシチューを口にする。
「!?」
誰もが息を止めてパフィオさんの様子を凝視する。
彼女の変化こそ、数秒後の自身の姿だと誰もが確信しているから。
「おいしい!」
「「「「「「な、なんだってーーー!?」」」」」」
余りにも予想外の答えにテーブルについた全員の言葉が見事に重なる。
おいしい? 今パフィオさんおいしいって言った?
するとミリアリア様の隣に佇むアリスちゃんが、『私やったよ、すっごく頑張ったんだからね』と、満面の笑顔が語っている。
「ほんと、これ美味しい」
「私もこんな美味しいシチュー、初めてですわ」
「これをアリスさんが? 俄かには信じられませんが、クリスタータ家でいただくお料理より美味しいですわ」
カトレアさんから順番に各々思っていた言葉を口にする。
私も皆んなに続きスプーンでひとすくい、そっと口の中へと持って行く。
「美味しい! これ、レストランとかに出しても全然いけちゃうレベルだよ」
口の中に入れた瞬間、フワッとくるりんごの香りと、まろやかに感じる舌触り。恐らくアリスちゃんがミリアリア様の妨害を何とか良い方へと転じてくれたのだろう。
皆んな食べだしたら様々な料理へと手を出し始め、各々食事のひと時を楽しみ始める。
「だから言ったでしょ、今日の料理はちょっと自信があるんだって」
聞いていた通り本人は全く自覚がないのだろう。
ここにいる全員がこれはアリスちゃんの功績だという事は理解しているので、ワザワザ口にして否定する者はこの場にはいない。
まぁ、本人が自信作と言っている上に相手は曲がりなりにもこの国の王女様。それにアリスちゃんの功績が殆ど多いとはいえ、ミリアリア様も一緒に調理されたことには違いない。
これがあと2日も続くかと思うと少々不安がよぎるが、今はアリスちゃんが頑張ってくれたこのお料理を楽しむとしよう。
「これも美味しい」
「ホント、レシピを教えてもらいたいほどですわ」
「アリスさんってお料理が得意だったんですね。このお魚のムニエルなんてサイコーですよ」
「それはね、バターを下地に塗ってから釜でじっくり焼いているんだよ。このお醤油ってのをかけるともっと美味しくなるから」
皆んなの評判も上々、アリスちゃんも少し元気を取り戻したのか、お料理の説明ができるまでに回復している。
うん、これも美味しい。
先ほどまでの満腹感すら忘れ、数々のお料理の味をじっくりと楽しむ。
「次はこれかな、ちょっと微妙な色合いが気になるけど、まぁ大丈夫だよね」
少々お料理には見ない色で、ちょっと……いやかなり歪な形が多数お皿に乗っているが、それは私が庶民のお料理しか知らないだけでこれもきっと美味しいはず。
この時の私は今まで味わった事のない料理の数々に、油断していたんだと思う。
「さぁ、このアリスちゃんが作ったお料理はどんな味かなぁ」
「あ、それ私が作った肉団子」
パクッ
「………………………………」
その時、テーブルについた全員が真っ青になった事は言うまでもあるまい。
「ちょっとミリィ、なんでこのお料理がテーブルに乗ってるのよー。これだけは絶対に出しちゃダメって言ったじゃない」
「えっ、だって皆んなが美味しいって言ってくれるから、これもいいかなぁって……」
遠くの方でアリスちゃんとミリアリア様の言葉が聞こえて来る。
あぁ、アリスちゃんでも慌てる事があるんだなぁと、取り留めもない事を考えながら私の意識は沈んでいく。
「コ、ココリナさん!?」
「ココリナさんしっかりしてください!」
「誰かタオルを濡らしてきて! パフィオさんココリナさんを」
「わかりました!」
周りで皆んなが大騒ぎをしている。
うん、これはお二人が恐怖を感じるわけだ。
アリスちゃんが慌てて癒しの奇跡を施そうする姿を最後に、私はの意識は暗闇へと落ちていくのだった。
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