73.タマハミ

 何から言えばいいのか。突っ込めばいいのか、安心させればいいのか、私はどれが一番正しいだろうと一生懸命頭を働かせていた。

 私はカエルに触れられるのを怖いと思ったことは無いし、それによって具合が悪くなったことも無い。カエルの言う『何か』を枯渇するまで搾り取られても、おそらく死なない自信がある。きっと何かの構造が違うのだ。

 顔を上げられないカエルの紺色の髪を私は優しく梳くように撫でた。


「大丈夫だよ。居なくならないし、触れてもいいよ」


 カエルは意外そうにそろそろと顔を上げて、子供のように私を見詰めた。


「俺はタマハミと呼ばれるモノを排出する一族だと言っている。その最後のひとりで、タマハミそのものだ。長く話したせいでよく解らなくなったか?」

「私の魂をカエルは食べないからだよ。食べられないと言ってもいい」


 上手く伝わらなかったらしい。カエルは首を傾げている。


「魂を喰うと書いてタマハミ。私の国の言葉で造られた造語だと思う」


 どうしようか。カエルには約束したから、全部話してもいいんだけど神官サマに聞かれるのは拙い、かな?

 神官サマに視線をやると、興味津々で聞き耳を立てている。

 聞かれたくないというオーラを出してみたら、くすりと笑って彼が先に話し出した。


「少し、補足をしましょう。私の仮説止まりですが、もしかしたらユエが証明してくれるかもしれません」


 私は少し座る位置を変えて、隣にカエルを座るよう促した。躊躇いがちに隣に座ったカエルの手を指を絡めるようにして繋ぐ。繋いでおきたかった。

 神官サマも元の場所に座って、仕切り直す。


「まずカエルさんの言う『何か』とは。推測の域を出ませんが、青い月の光に含まれる成分の1つで、それが水に溶けることにより近隣の大地、はては植物に分散していくものだと思われます。それを食べる、飲むという行為によって私達の体内に蓄積していく。不思議なことにいくら摂取しても排出はほとんどされないようですね」


 あれ? と私は割と科学的な考察を不思議に思った。

 なんか、もっとこう、謎成分! とかだと思ったんだけど。

 いや。現実に無い月の光の成分が水に溶ける辺りですでに謎か……でも、魔力の定義よりよっぽど理解しやすい。


「恐らく光の当たる湖の水が一番濃いのでしょう。それが流れ広がっていくにつれ薄まっていく。食物にいたっては本当に微量しか含まれないのだと思います。そして、その微量で生きていくのに困らない。普通の方は。カエルさんの言う計測器を是非とも貸して欲しいものですね」


 うきうきとした表情で神官サマはカエルを見た。


「せっかくです。それが不足した時の症状をお聞かせ下さい」


 そんなに嬉しそうに聞いちゃ駄目だろう。研究者としては立派かもしれないが、人間としてはやはりダメダメな感じだ。


「……頭痛、倦怠感、めまい。酷くなると発熱、嘔吐」


 何度か頷き、やはり、と小さく呟いた。


「貧血等の症状によく似ています。要は特定の成分が足りないが為に起こる体の反応ですね。それが普通の人より大量に必要になるが為に、経口摂取だけでは足りなくて経皮吸収もするように進化したという訳です。問題は、他の人々が微量にしか身体に蓄えていない物を一気に奪い取る為、取られた者は死の危機に瀕し、取った方もそれ程足しにならないという不幸な結果になる訳です」


 あれか。病気の種類としては、えっと。必須アミノ酸……違う。ビタミン? ミネラル。それだ。微量ミネラル不足。少しでいいけど、摂らなきゃ駄目っていう。それの謎成分版だ。

 思い出せてすっきりして、ひとり頷いた。


「その成分が微量すぎて、まだ誰にも認知されていないというだけで、タマハミとはお伽噺の中の化物ではなく、病気の一種だと言えると思います。それが発生する場所が青い月の出る水場に集中していて、特定の一族に出ることが多いので、遺伝病とも言えるかもしれません」


 カエルが少しびっくりして神官サマを見ていた。まともな病気だとは言われると思ってなかったのかもしれない。あるいは、文献に書いてあったことを第3者が口にしたことへの驚きだろうか。


「病気に詳しいのですか?」

「神官は色々な相談を受けますから、病気か妄想か他のなんらかの現象か、そういうものを見極めるのにある程度の医療の知識はあった方がいいのです」


 いや。神官サマはその瞳があるから、いらないっちゃいらないよね? この人も真面目なんだかなんだか判らない人だ。


「さて、では何故その成分を他人より多く必要とするのか、ですが、ユエは聞いていましたね? ニヒの村を襲った人狼の話を。あれは狼牙族のタマハミだったと推測されます」


 え? と思った。神官サマはどこでそう思ったんだろう? ニヒは不思議な力としか言ってなかった。


「タマハミは元々他の者より身体能力が高いのだと思われます。ただ、彼らはその身体の維持に魔力より『何か』の方を消費しているのでしょう。力を発揮する為には『何か』を一定量消費しなければならない。運動した後なんかに調子が悪くなったりしませんか? あまりにも『何か』の成分が足りなくなると、身体の方が危機を感じ、終いには正気を無くして、手当たり次第にその成分を貪り始めるのです」


 カエルが少し青褪めて繋いだ手に力を込めた。


「動く物を狙ったというのは、その方が効率がいいと学んだからでしょう。狼牙族は元々戦闘能力も高い種族ですが、正気を無くしている間は最後の灯火と言わんばかりの力を発揮すると思います。そうしなければ生き残れないのですから。その者が正気を取り戻した時、自分のなしたことを知ったらどうするでしょう?」


 あぁ、だからその人が正気を取り戻していれば生きていないと言ったのか。

 僅かとはいえ、世話になった人達を手に掛けるなど……やるせない話に眉を顰めた。


「カエルさんは、ユエに初めて会ったとき体が軽くなったと言いましたね。きちんと足りていれば、普通の人よりも頑健で危険もそれ程無い。おそらくそういうものなのです。足りるということが一番難しいのですが。ですので、私は貴方にユエ断ちをしないでいただきたい。いつから触れていませんか?」


 私はカエルの顔を見て考える。直接というなら出発前まで遡るかもしれない。

 旅行中はずっと手袋をしていた。私の前では寝る時も……


「出発前は……いつかな? あ、パエニンスラのお城で夜中にちょっとだけなら」

「は?」


 本人が驚きの声を上げた。憶えてないのだろうか。


「夢を見たとき、頬に触れたよ? ちょっとだけだったけど。あの時は確か手袋はしてなかった」

「気を付けてたのに……」


 無意識だったらしい。


「その程度ならほとんど影響はないと思いますが。紋も効いているでしょうし。ですが、ユエから最後にもらってからひと月近くは経ってるという事ですね? 負担という部分をいうなら、一気に奪われるよりは毎日少しずつの方が負担は少ない筈です。ユエが気付いていなかったということは、ユエはそういう負担の様なものを全く感じてないのですね?」

「全く」


 私は頷いた。


「とすれば、やはり加護の力が介在していると思います。ユエは中味の減らない容器を持っている様なものだと思いますよ。足りなくなって正気を失って誰かに襲い掛かるより、ユエに少しずつもらっていた方がいいのではないですか?」


 私の加護は傍に居るだけでいい、というものじゃなかったのか。解ったような気になってたけど、全然違うのだとやっと気付いた。

 自信なさげにカエルが私を見る。

 最初に触れてもいいよって言ったのに。

 仕方ないなぁと、私は繋いでいた手を一度解いて、一瞬哀しそうな顔をしたカエルに笑いながら、その手袋を外して袖も捲った。

 何故袖も? と困惑顔になった彼を余所に、元のようにしっかりと恋人繋ぎに戻す。


「どうぞ?」

「怖くないのか」

「綺麗なモノを見せてくれるんでしょう?」


 怖くなんてない。怖いことなど1度もなかった。

 そうしないことでカエルが動けなくなることの方がよっぽど怖い。

 繋いだ手を持ち上げて、カエルの腕の紋にキスをする。

 カエルが動揺したのと同時に魔方陣が浮かび上がった。


「……結構ギリギリでしたか?」


 神官サマが少し眉を寄せた。


「ち、が……ユエには紋が効き難いんだ。油断するとすぐもらってしまう」

「それは……魔力の方の影響なのか、遠慮することの無い量に身体が反応するのか……微妙な所ですね」


 私は目の前で薄青い魔方陣をたっぷり堪能する。時間が経つにつれてカエルの手が少し震えてきた。


「ユエ……大丈夫か?」

「大丈夫。綺麗なモノを見られて幸せ」


 うっとりと笑って、もう一度発動中の紋に唇を寄せる。


「……ユ……」


 不意に紋が遠ざかり、何かに顔を持ち上げられた。

 きょとんと紺の瞳と目を合わせると、はっとして慌てて遠ざかる。


「何故止めるのです? 恐らく経皮吸収より体液の交換の方が効率はいいと思いますよ? 結果もこの場で分かるのに」


 私よりもきょとんと私達を眺めている神官サマに私は呆れた目を向ける。


「キスを体液の交換とか言っちゃう人に見られたくないんですけど」

「ユエも誘いがいがありませんね。我慢強いにも程があります」

「誘ったつもりは……なかったんですけど」

「それはカエルさんに同情します。それで誘われて無いなど男は思いませんよ?」


 震えを止めてあげたかっただけなんだけどな。

 実際止まってるし。


「ユエ、もういい。今度はこんなに我慢しないから、今夜はもういい」


 恥ずかしくなったのか、カエルは少し頬を染めて手を離そうとした。


「やだ」


 私はにっこり笑うと握る手に力を込める。


「久しぶりのぬくもりなのに、まだ離したくない。いらないならカエルが止めて」

「……止めて……って……」


 魔方陣はまだ回っていた。カエルが焦っている。

 私はカエルがあたふたしているのをしばらくにやにやと見守っていた。


「……っユエ!」


 八つ当たり気味に怒られたけど、離してやる気はない。


「大丈夫だよ。たとえカエルが私から全部持って行っちゃっても死んだりしないから。満タンになったら止まるんでしょ? ほっときなよ」

「なんでそんなに軽いんだ!? その自信は何処から来る?!」

「私がこの世界のことわりで生きてないからだよ」


 カエルは何を言われたか解らないという顔をして、その瞬間に魔方陣は霧散した。


「あぁ、消えちゃった。何も考えない方がちゃんと紋が効くんだね」

「……生きてない?」

「生きてるよ。殺さないで。ことわりに沿って生きてないって言ってるの」

「何故、そう思うのですか」


 わくわくと興味を隠せない神官サマと、不安そうなカエルが対照的だった。


「これはカエルとの約束だから、カエルに聞かせるのはいいですけど、神官サマには聞いてほしくないんですけど」

「嫌です。ここまで聞いて先を聞かないことなんて出来ません」


 にこにこと悪びれもしない彼に溜息を吐く。


「じゃあ、私に言うように神官サマも口を噤んでくださいね?」

「分かりました。主に誓いましょう」


 神様を信じてない人の神様への誓いって、どのくらい信用出来るのかな? あ、日本人くらいか。……微妙だな。

 一抹の不安は感じたけど、カエルのことも知ってたのに話すようでも無かったし、純粋な興味なのだと信じることにする。桜への右目の反応も気になってたし。

 私は神官サマは意識しないことにして、カエルの方へ向き直った。


「私、魔力の無い所で生きてきたの。魔素だって当然なくて、電力を蓄えて機械を動かす、科学の発達した所」


 ぱちぱちと瞬きをするカエルの顔は、全く意味を飲み込んでいなかった。

 ああ。私もさっきはこんな顔をしてたのかもしれない。


「私はここにそういう国があるのか分からないし、もしかしたらあるのかもしれないけど、見える星の配置も違うし、月ももう少し小さくて白っぽかった。ここの月には兎がお餅をつくような模様も無い。1日は24時間だったし、1年は365日だった」


 一生懸命意味を解ろうとしているカエルの代わりに、神官サマが口を開いた。


「違う星から来たと?」

「分からない。世界ごと違うかもしれない」

「世界ごと……」


 さすがの神官サマもそのまま黙り込んだ。


「夢のような場所で開いた穴に落ちたら、あの地底湖の岩の上にいた。事実はそれだけ。青い月と普通の月が重なるのを見ていたから、青い月関連なのかなって思うくらい。だからね」


 私はカエルに笑いかける。


「魔力が無くても、カエルが必要とする『何か』が私から無くなっても、きっと死ぬことは無いんだよ。だってどちらも無い世界で生きてきたんだから」

「帰れないって……そういうことか」

「そういうことだよ」


 カエルの頭の中で、きっと、あれもこれもとピースが嵌っているに違いない。

 私は繋いだ手の力を抜いた。いつカエルが手を離してもいいように。


「加護も無いところだったのですか?」


 口元に手を置き、考える姿勢のまま神官サマは聞いた。


「加護どころか魔方陣なんてゲームやお話の中だけのものでしたよ。紋も。ファッションで入れる人はいましたけど、力を発揮することは無かったと思います」

「でも、ユエは加護を持っている……」


 神官サマは難しい顔をしていた。


「穴に落ちる時に誰かがぶつかったんです。だから、神様が見ていてくれたのなら同情して授けてくれたのかもしれませんね」


 その点については私もさっぱり分からない。とりあえず冗談を言って肩を竦めて見せた。


贈り物ダトゥム……」


 一応自分の中で何か結論を出せたのか、神官サマは小さく呟くとそっと目を伏せた。

 もう結構いい時間が経っていたので、そこで話は終わりとなった。

 結局カエルは手を繋ぎっぱなしで、テントに私を入れてもまだ不安そうにしていた。自分の聞いたことが本当なのか疑っているのかもしれない。神官サマにそのまま一緒に寝てもいいですよと言われてから、彼を睨みつけてようやく出て行ったくらいだ。


 生物として自分と違うかもしれないという事をカエルは理解しただろうか。まだ飲み込めていないだろうか。

 私にとってそれはどうでもいい事だけど、彼がしっかり飲み込んだ時、新たに悩みの種になるかもしれない。


 チクリと心が痛んだ。痛むくらいには私はカエルが好きらしい。彼の『好き』に包まれすぎて自分の気持ちが見えなくなっていた。

 夜が明けるまではどの位だろう? 起きたらいつも通り振る舞えるだろうか。少しの不安を抱きながら、私は寝袋に潜り込んだのだった。




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