61.ハナの都

 次の日もいい天気だった。

 デート日和だなぁ、と窓を開け、眼下に広がる色を楽しむ。

 今夜もこの宿に泊まるので、久々にゆっくりした1日になりそうだ。移動ばかりでそろそろ腰が痛くなってきていたので、存分に羽を伸ばそうと思う。


 朝食後にカエルに髪を整えてもらった。急だったので道具がないと文句を言われつつ、どこからか調達してきた革紐で結んでもらう。

 両サイドを編み込みにして、後ろの髪の毛で隠れる位置でまとめてもらうだけだったけど、顔周りが出るだけでちょっと印象が変わる。気がする。


「こんなんでいいと思うが……」


 若干納得のいかなそうな顔に不安になった。


「似合わない?」

「いや……急に、どうしたのかと」

「カエルがやってくれるって言ったんじゃん」

「あれは、帰ってからだと……」


 私も、そのつもりだったけどね。


「せっかくデートするのに、ちょっとくらいお洒落しないとそれっぽくないかなーって」

「デート?」


 カエルが眉を寄せた。

 誰と? と全身で語っている。


「ジョットと約束でもしてたか? なら、昨日潰さなかったのに……」

「潰したの?」


 どうやって連れ帰ってきたんだろう。まさか置いてきたりはしてないよね?

 ご飯に来ないと思ったら……


「じゃ、なくて。カエルと仲良く観光でもしててくれって言われたから、デートでしょ?」


 ふふーんと笑って人差し指を突き付けたら、カエルは一瞬当惑した顔をして、それからちょっと視線を外した。

 あれ?


「デートは嫌?」

「嫌、じゃないが……それだと護衛に身が入らない」


 私はカエルの左手に指を絡めるようにして手を繋ぐ。


「大丈夫だよ。離さないでいてくれれば」

「……あまり、そういうことも言うな」


 視線が合わないのは、照れてるのだとそこで気が付いた。

 手袋越しに、もっとしっかりと繋ごうか迷っている気配がする。


「恋人に見えるくらいでいいんだって。向こうの勝手な言い分だけど、楽しんだ者勝ちだと思わない? 代書屋さんに穴場聞いたんでしょう?」

「……あいつの『穴場』がまともだと?」

「え?」


 一瞬だけ視線を合わせて、また逸らされる。


「……まともなとこだけ、行くか」


 覚悟を決めたように、カエルは繋いだ手に力を込めて歩き出した。

 ……『まともじゃない穴場』って、何処だろう?

 もの凄く気になるけど、聞ける雰囲気じゃない。

 とりあえず口は閉じて、いそいそとカエルについていくのだった。




 さすが観光地だけあって、ちゃんと有名処までは乗合馬車が走っていた。

 それらを迷いもせず乗り継いで、カエルは案内してくれる。

 ここで放り出されたら、間違いなく帰れない。何で初めての土地でそんなに迷いなく進めるのだろう。


 目の前の一面の青い花の絨毯に心奪われつつも、不思議に思っていた。

 丘を越えると今度は赤や黄色のストライプ模様が視界に飛び込んでくる。

 今が1番花の種類も豊富で綺麗なんだと、どこかで誰かが説明している声がする。


 遊歩道を道なりに進んでいくと森に入った。こちらには打って変わって小さく可憐な花が多い。

 菫のような、鈴蘭のような、そういう花が。


 下ばかり見て歩いていたので、ふいに誰かにぶつかりそうになって少し焦った。

 カエルが手を引いて抱き寄せてくれたから、ぶつからなかったけど。

 スミマセンと顔を上げたら、とても冷ややかな瞳がこちらを見下ろしていた。

 私をじっくりと睨め付けた後、その男の人はカエルにも目をやって、舌打ちを1つして通り過ぎていった。


「感じ悪っ」


 その人が見えなくなってから、思わず口にすると、カエルが小さく息を吐いた。


「あれ、教会関係者だぞ」

「え? 普通の人に見えたよ?」

「そう、装ってるんだろう。何人かすれ違ってる」


 ってか、何で分かるの?


「雰囲気が違うだろう? 花に目もくれてないしな」

「……それを見てるカエルもお花見れてない?」


 一緒に見れていなかったのかと、カエルを見上げたら、くすりと笑われた。


「ちゃんと見てる。周りも、花も、ユエも」


 あ、あれ? 今、ちょっと恥ずかしいこと言われた? そ、それとも恋人風のお芝居?


 頬が熱くなって、慌てて俯くとそのまま抱き締められた。


「だ、誰か見てる?」

「見てる。多分」


 どっちだか本気で判らない。

 しばらくして解放された時、少しにやりとしてたので、からかわれただけかもしれない。


「恋人に見えるくらいで、いいんだよな?」

「そ、そうだョ」

教会関係向こうの騒動に勝手に巻き込んで、勝手に勘違いして、面倒なことこの上ないな。これで少し観光に専念させてくれればいいんだが」


 ぐるりと辺りを見渡して、元のように手を繋ぐとカエルは私を促してまた歩き始めた。

 小さな森を抜けてしまえば、小高くなったその丘からフローラリアの街を一望できた。

 一際高く聳え立つ教会の鐘楼から、澄んだ鐘の音が聞こえてくる。私達の現状から考えると、それは何だか皮肉がこもっているようにも感じた。


 街の方に降りると、花々が植えられた広場に人がごった返していた。

 スプリンクラーのような物なのか、噴水なのか、ときおり水が噴き上がっている。

 通路があまり広くないので、こう人が多いと歩くのも一苦労だ。特に私はこちらでは完璧に人に埋もれてしまう。


 どうやらカエルは広場の中央にある展望台に向かっているようで、時々私を気にしながらゆっくりと進んでくれていた。

 進行方向はカエルに任せて、足元に気を配って歩く。鮮やかな花の色が人の隙間から見え隠れしていた。


 ふと、その中に黒い上着の袖が紛れて消えた。

 折り返された袖。金糸の、縁取り……

 どきりとして思わずカエルの手を掴む手に力が入る。

 丁度展望台入口前の少し開けた場所に出た時だった。


 訝しげにカエルが振り返るのと、人混みの中から腕を強く引かれるのが同時で、カエルの手を強く握っていなければ離れてしまっていたかもしれない。

 すぐに体ごと引き戻されて、腕を引いた方の人がうわっとよろけて膝をついていた。

 私を背中に庇いながら、カエルがその人に手を差し出した。目立たないようにその掌にナイフを忍ばせて。


「大丈夫ですか? このひとに何か御用でも?」


 笑顔だが、目はこれっぽっちも笑っていない。

 私達を少し遠巻きにするように人が流れていた。


「……い、いや」


 カエルの指先から出るナイフの切っ先を見付けて、彼は更に動揺する。

 素早く立ち上がると、逃げ腰で愛想笑いを浮かべた。


「すまなかった。人違いだ。はぐれた者が同じような服を着ていたんだ」

「それは、それは。早く見付かると良いですね。でも、二度と間違わないでいただきたい。俺はそんなに心が広くない」


 カエルが笑顔のまま冷たく言い放つと、彼は顔を青ざめさせて小さく頷き、踵を返した。


「良く気付いたな」


 きっちりと手を繋ぎ直して、カエルはほっとしたように息を吐いた。


「あ、ち、違うの。黒い上着の袖が見えて……」


 ん? と疑問の表情かおに先を続ける。


「……折り返した袖で、金糸の縁取りのある」


 聞いた途端にカエルは周囲をばばっと見渡した。

 見付かる筈がない。


「もう多分居ないよ。それに、同じような作りってだけかもしれないし……」


 カエルは私に視線を戻して、少し考え込んだ。


「そう……だな。よく考えたら、あそこで逃げ果せた奴が同じ物を着ている訳がない」

「そっか」

「ただ……それを見たのとユエの腕が引かれたのが同じ時だというのは、少し引っ掛かる」


 おとがいに手を当てて、眉間に皺を刻むと、もうカエルの瞳に私は映っていなかった。


「……カエル」


 名を呼ぶと、はっとして頭をひとつ振った。


「すまん。あの様子だとしばらくは手出ししてこないだろう。教会とは別口だと思いたいが……嫌な感じだな」


 気を取り直して展望台に登ったが、心の底からは楽しめなかった。

 上から見ると広場を埋め尽くす様な花々は通路を輪郭として、大きな花を幾つか描いていた。だから通路は狭く、曲がっていたりしていたのだ。

 素直に綺麗だと思えず、黒い上着を探している自分に気付いて苦笑する。

 カエルも似たような表情をしていた。


「……帰ろっか」

「もう、いいのか?」

「ちょっと惜しいけど、カエルも護衛モードに戻っちゃったし。宿で代書屋さん拗ねてそうだし」


 肩を竦めてみせると、カエルはちょっと笑った。


「デート中に他の男の話なんてするな。潰した甲斐がない」

「……その為に潰したの?」

「結構華を持たせてやっただろう? これ以上のハナはあいつにはいらん」


 日本語では洒落て聞こえたが、こちらの言葉でもそう意図したのだろうか。

 私もちょっと笑ってしまってから慌てて表情を引き締める。


「穴場情報もらったのに」

「俺には使えない」


 我慢できなくなって、やっぱり笑ってしまう。


「それ、どんな場所? 気になりすぎる」

「ジョットにはユエの案内を頼みたくなくなる情報だった。自業自得だ」

「もう。どっちもどっちだね」


 一頻り笑った後にしっかりとカエルを見て告げる。


「せっかくちゃんと友達らしい付き合いしてるんだから、少しは大事にしてあげなよ? さあ、お土産買って帰ろ」


 カエルは意外なことを聞いたという風に何度か瞬きをして、もう一度雑踏を見下ろした。


「ユエがジョットと仲良くしてるのは……」


 それは質問でもなく、確認でもなく、それ以上の言葉も無くて、カエルは自分の中でその言葉をしばらくの間噛みしめていた。


「二日酔いって何が効くんだっけ。旅先で花もらっても困るしね」

「蜂蜜がいいらしいぞ。花を漬け込んだヤツが売ってたから、あの蜂蜜酒でいいんじゃないか?」

「え。それ、お酒じゃん」


 呆れていると、カエルは意地悪な笑顔を見せた。


「多分一番喜ぶぞ? ユエのキスが欲しいなんてほざかれるよりは、先に黙らせられる」


 乾いた笑いが漏れた。

 以前に一度聞いてるから、言わないとは言えない。

 納得のいかなさはあったけど、結局、土産物売場でその蜂蜜酒を買って戻ることになった。


 宿に戻ると、すっかりお酒の抜けた代書屋さんが涙目で飛び付いてきたけど、カエルがお土産を目の前に突き出すと、ぴたりと動きを止めた。

 僕に? とうっかり嬉しそうに受け取ってしまって、後から誤魔化されたと気付いたようだ。カエルの作戦勝ちらしい。

 晩御飯くらいはと誘って一緒に食べたけど、始終複雑そうな顔をしていて可笑しかった。


 明日は帝都に入る。

 今日の行動で不安は減ったんだろうか、増えたんだろうか。

 私の胸中も負けず劣らず複雑だった。




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