52.舞踏カイ

 翌朝はお酒の抜けきらないまま目が覚めた。二日酔いというほどではないけど、頭がぼんやりする。

 今夜はテリエル嬢とランクさんのお披露目も兼ねた舞踏会が開かれるのだが、昼間からお茶会や顔合わせなどもあるので午前中から忙しい。

 主に衣装替えが面倒臭い。


 テリエル嬢が張り切ったのか、そういう決まりなのか、昼のお茶会と舞踏会では衣装が違う。私はお茶会なんて普段着で充分だと思うのだが、許されなかった。

 そんな訳で折角の都会観光にも行けず、午前中から衣装合わせと打ち合わせである。

 とりあえずの身支度を終える頃、カエルが朝食と共にやって来た。


「カエルの予定ってどうなってるの?」


 衣装合わせは流石にカエルは手伝わない。私としてはここの下着など下着のうちに入らないので、男の人がいたって構わないのだが。


「こっちのことにそれほど手を出せないからな。衣装合わせの時はドア前で警護でもしてるさ。茶会は給仕で駆り出される。舞踏会は給仕兼警護だろう」

「結構忙しいね」


 執事服ではなく、正装したカエルもちょっと見てみたかったな。上背があるから、きっと似合うと思うんだよね。


「無駄なお喋りは向かないからな。忙しく動くくらいで丁度いい」

「カエルもちょっと仕事中毒だよね。そんなとこまで師弟なんだね」


 呆れて笑うと、彼はちょっと肩を竦めた。


「まあ、自覚はある。動ける時に動きたいっていう気持ちがどうしてもあって……これはなかなか抜けん」


 寝込んでる間にベッドで投げナイフの練習してた人だもんね。筋金入りか。

 2刻の鐘と共にカエルに連れられて衣装部屋へと入る。

 そこで併設されている大きなお風呂場で侍女達に洗われ、香油を擦り込まれた。料理されてる気分だ。

 テリエル嬢にも柄じゃないからと断ろうとしたのだが、祝ってくれないの? と碧の瞳を潤まされたら、私には断りきれない。

 ただホント、お茶会でのお喋りも、舞踏会のダンスも、期待しないで欲しい。


「ユエはどっちの色が好き?」


 コルセットを締められている私に、嬉しそうにテリエル嬢は聞く。


「青い方……ですかね。あの、緩めでいいです。緩めで!」


 ぐいぐいと容赦なく締め付ける侍女に懇願しつつ、カラフルなドレスの数々を呆れた気持ちで眺める。

 私の前で青系の色味の違うドレスを交互にあててみて、テリエル嬢は首を傾げた。


「ピンとこないのよね」

「テリエルさんはドレス選ばないんですか?」

「私はもう決まってるもの。心配しないで? ユエは私がしっかり纏め上げるから!」

「いえ、主役じゃないんで……適当で……」


 主役にプロデュースされるって、なんか間違ってると思う。

 結局、ストンとしたシルエットの袖のないドレスを彼女は選んだ。胸元は白に近い水色だが、足下にいくに従って青緑色に濃さを増していく。裾を引くタイプなので歩くときは気を付けなきゃいけないな。

 同系色の細身のスカーフを首に巻いて後ろで垂れるようにし、髪の毛はアップにされ、軽い化粧を終えるとテリエル嬢は満足そうに頷いた。


「髪、伸びたわね。夜も華やかに出来そうだわ」

「もうこのままでも……」

「ダメ。それは踊るのに向かないし、夜の分はロレットのとこのって決まってるの」


 二の腕辺りまである長手袋を渡されて、彼女は有無を言わせず私を立ち上がらせた。


「さあ、お茶会ではストラーノのお抱え通訳として紹介するわ。私かビヒトが常に傍に居るから心配しないで? 求められたら存分に力を発揮してね」

「荷が重いです……」


 うふふと楽しそうに彼女は笑った。




 女性陣がお茶会をしている間、男性陣はカードやルーレットなどカジノのような遊びをするらしい。

 何処かに専用の部屋があるのだとか。

 そんな話をしながら堂々と歩を進める彼女に一歩引いてついて行く。


 会場は5~6人が座れる大きさの丸テーブルが5つ用意されていて、すでに席は殆ど埋まっていた。

 ここにいるのは割と近しい親戚の奥様や娘さんで、テリエル嬢も小さい頃会ったっきりと言っていた。


 ビヒトさんに席に案内され、腰を下ろすと代わりに立ち上がったテリエル嬢のお母様が開会の口火を切った。

 一斉に動き出した給仕達の中にカエルもいるだろう。知らず、濃紺の髪を探してしまう。


 立ったまま会場の皆に紹介されたテリエル嬢は、隣りに座るとにこやかに私の紹介を始めた。

 言われたとおりに笑顔で、聞かれたことだけに答え、応えた。

 これを各テーブルを回って繰り返す。

 ホント、お嬢様って向かない!


 最後のテーブルでカエルがお茶を淹れてくれた。目が合ったのでちょっとだけ微笑み合う。

 カエルに目を奪われていた娘さんが、訝しげに私を見た。


「カエルもうちの家族よ。ビヒトの元で修行中なの」


 テリエル嬢の紹介に、カエルは恭しく頭を下げて挨拶した。

 瞬間、娘さん達の目の色が変わった。

 ただの給仕じゃないと判って、あの手この手でアピールを始める。

 お嬢様も大変だね。

 お陰で私はこのテーブルで楽をさせてもらった。


 4刻には一度お開きとなり、舞踏会の準備を始める。

 私も慌ただしく衣装部屋にとって返して、次の衣装に着替えさせられる。

 ロレットさんが用意したというその衣装は紫がかった濃紺で、よく見るとスワロフスキーのようなビーズが散りばめられていてキラキラと光を反射している。


 ワンショルダーの身体のラインが出る上半身と腰元の切替からのAラインのスカート。重さがあるのでそうは見えないが、くるりと回ると綺麗に広がる。

 ドレープもフリルもないが、薄い生地を上から数枚重ねていて、決してシンプル過ぎていない。


 成人するかしないかくらいに見られている私には、正直少し大人っぽ過ぎる気がしたが、せっかくアップにした髪をほどかれ、緩く編み込みをされた上に花など飾られて、しっかりしたメイクを施されたら、自分じゃないみたいな出来上がりになった。

 こちらに来てまともに化粧もしてなかったので、鏡の中の自分に少し違和感がある。

 仕上げとばかりに、高そうなジュエリーで飾られるのを黙って見ていると、先に準備を終えたテリエル嬢が様子を見に来た。


「まあ! 思った以上だわ」


 両手を口元で合わせて、きらきらと瞳を輝かせる彼女はウェディングドレスさながらの白い衣装だった。

 彼女も髪に花を挿していたが、白を基調としたとても豪華な飾りは側頭部を覆うほどである。


「テリエルさんの方が綺麗ですよ? 素敵ですね」

「ありがとう。もう少し時間があるけど、エスコートはビヒトにしてもらってね」

「……カエルじゃないんですか?」


 彼女は悪戯っ子のような笑みを浮かべた。


「楽しみはとっておいた方が良いでしょ? 先に会場に行かせたわ」


 それは、私にとっての楽しみではないよね? 今まで衣装に関してカエルに褒められたことがないので今回も期待はしていない。

 というか、給仕のいる軽食が用意された部屋は別室ではなかっただろうか。警護がどの程度のものか私には良く分からないけど、会えるかどうかも怪しそうな?


 時間が来て、ビヒトさんにエスコートされていく。

 彼はいつも褒めてくれるが、今日は最後に楽しみですねと言って微笑んだ。

 何が、と聞く前にドアが開け放たれ、入場が開始されてしまった。


 ホールで整列していると、白い軍の礼服のような衣装のランクさんにエスコートされて、テリエル嬢が入ってくる。

 一段高くなったところに2人が並ぶと、領主様から祝福と開演の言葉があった。


 その後、領主夫妻とテリエル嬢夫妻が1曲踊り、本格的に舞踏会が始まる。

 私は逃げるように壁際へ下がろうとしたのだが、ビヒトさんに阻まれ、とりあえず1曲、と気を使ってくれたランクさんと踊らされた。


「上手じゃないか。大丈夫だよ。自信を持って」


 彼はそう言ってくれたけど、緊張はほぐれるもんじゃない。

 次にと声を掛けてくれたのは領主様で、私は2度踊っただけで精神力を使い果たしてしまったのだった。


 給仕の持つトレーからシャンパンのような液体の入ったグラスをもらい、こそこそと目立たない壁際へ移動する。

 ほっと一息ついてグラスに口を付けるとほんのり甘くて飲みやすいお酒だった。

 あんまり飲むとまたカエルに怒られそうだ。


 何気なく熱気のこもるホールを見渡して、ビヒトさんの姿がないことに気が付いた。

 別室で仕事をしてるのだろうか。

 空いたグラスを給仕に返して、もう1杯もらおうかと悩んでいたら、同じようにお酒を取りに来た人に声を掛けられた。


「あれ? さっき、領主様と踊ってた子じゃない? 相手いないの? 僕丁度空いたところだから1曲どう?」

「えっ? えーっと、私あんまり得意じゃなくて……」

「大丈夫大丈夫。そんな堅苦しくないから、ほらおいで」


 その人は空いたスペースまで私を連れ出し、慣れた様子で踊り出した。

 くるりと回るごとにカエルかビヒトさんがいないかと探してみたがどちらも見つからない。

 緊張しすぎてちゃんとステップを踏めていたのかも分からなかった。


「あ、有難うございました」


 曲が終わると逃げるように彼から離れたが、周囲で見ていた人が結構いたようで、数人に囲まれて次はどうかと誘われる。

 半分パニックになりながら、ちょっと休みたいとお断りしても、中にはしつこく食い下がる人もいた。

 いっそ走って逃げようかと思い始めた頃、ランクさんと同じような礼装の男の人が近付いてきた。


「すみません。その子、私が予約してるので」


 えっ。誰とも予約なんてしてないけど。

 新手か、とちょっと警戒して視線を移すと、濃紺の髪が目に入った。

 ビヒトさんのように前髪を整髪料で上げ、詰め襟のような立て襟に金の刺繍が入っている。肩章からは飾緒が垂れていた。


「………………」


 口を開けたまま、言葉が出てこなかった。


「すいません。ちょっとはぐれてたんで」


 にこりと凄みのある笑顔で周りを牽制すると、彼は私の手を取ってようやく視線を合わせた。

 とたん、ぱっと手を離し、一歩後ろに下がる。


「……すみません、人違い、を」

「人違いなの?」


 声を聞いて、彼はもう一度まじまじと私を見つめた。


「カエル、でしょ?」

「間違い、じゃない? ユエか?」


 割と失礼だと思う。


「どうしたの? その恰好。仕事は?」

「これは、お嬢とビヒトが……あいつら……」


 眉間に指をあてて、カエルは軽く目を瞑った。


「……ともかく、1曲相手をしてくれ。多分目立つからって、こういうことか」

「目立つの? まあ、カエルは目立ってるけど。王子様みたいだよ」

「馬鹿にしてるか? お嬢の両親も驚くくらい目立ってこい、だとさ」


 昨夜のことだけじゃまだまだ足りないのか……いや、テリエル嬢達は私達が会ったことを知らないのか。

 カエルは踊る人々の間を優雅に進み、中央付近に来ると私に一礼した。反射的に膝を折り返礼する。

 私成長してる?!


「下手な方で目立っちゃ駄目だよね……」

「自覚ないのか……厄介だな」


 組んでからしばらくカエルは動かずに私を見下ろしていた。わざとなのか、リズムを確認してるのか判断がつかない。


「何人と踊った?」

「ランクさんと、領主様ともうひとりだけど」

「領主と踊ってるのか……もうひとりは?」

「知らない人。飲物もらおうと思ったら声を掛けられて」


 ふっと息を吐いて、カエルはステップを踏み始めた。


「余計なことを……」

「え? ど、どれが余計?」

「お前じゃない」

「そ、そう? 正直緊張しててよく憶えてないんだよね」


 こんな普通にしてて目立ってるだろうか? 周囲を確認するが良く分からない。


「……ジョットに言われただろう? 俺を見て、笑ってればいいんだ」


 言ってみて照れ臭かったのか、私がカエルを見たら視線を逸らされた。

 それが少し可笑しくて、ようやく緊張が解けてくる。にやにやにならないように気を付けながら微笑んでいると、戻ってきたカエルの視線が動かなくなった。

 しばらく見つめ合ったまま無言で踊っていたが、段々と彼はスローダウンし、曲が終わる前に足が止まってしまった。


「カエル?」


 聞こえているのかいないのか、ぼんやりと私を見ているカエルの頬をぴたぴたと叩く。


「こういう目立ち方でいいの?」


 皆が踊るフロアで立ち止まってしまっては、確かに目立つが正しいとも思えない。


「……だめだ」


 視線を逸らさずに頬に添えた手をそっと包み込まれる。

 曲はそこで終わり、もっとスローなテンポのものに変わった。時々こんな風に違う曲調のものが挟まる。


 チークダンスのように寄り添うペアの間をすり抜けながら、カエルは私の手を引いた。目立つという名目は果たしたようで、周りの視線がついてくる。

 そのまま昨日領主様がしたようにバルコニーに出ると彼はカーテンを閉めた。

 カエルは無言で両手を伸ばすと、編み込まれた髪に指を差し入れてわしわしとほぐし始めた。ある程度ほぐれると今度は手の甲でやや乱暴に口紅を拭う。


「ちょ……なにする……」


 高そうな肌触りの良い白い手袋に、赤いラインが着いていた。


「汚れちゃってるよ!?」

「ユエ、駄目だ」

「は?」


 全く話を聞いていないようなカエルに戸惑う。


「そんなに飾られたら、仕舞っておきたくなる」

「は? え?」

「誰にも見せたくない。触らせたくない」


 一瞬だけ壊れ物に触れるように、優しく優しく私を抱き締めて、息の掛かる距離で再び見つめる。


「自分がこんなに我慢のきかない人間だと思わなかった。今も、今までも、何度自制できなかったことか。だから、ユエ。俺を誘わないでくれ」

「さ、誘ってるつもりは……」


 真剣な瞳から目が逸らせない。


「解ってる。でも、ユエがそこに居ると触れたくなる。離したくなくなる。ユエは悪くない。でも、ユエが、悪い。俺にぬくもりとやらを教えたユエが――」


 一瞬キスされるのだと思った。けれど、彼は薄紙1枚の距離で踏み留まり、代わりに私をきつく抱締めた。

 

「もう自分でもどうしようもない。嫌なら逃げてくれ。俺の目の届かない所へ」


 逃がすまいとするような抱擁と、その言葉は矛盾していた。

 カエルの心臓はその熱のこもった言葉や態度とは裏腹に思ったほど高鳴ってはいなかった。それはすでに何かを諦めているようにも思えて、少しだけ寂しい気持ちになる。


「追ってきてくれないのに逃げてもつまらないよ。それに、あそこを出て、何処に行けばいいのかも判らないし。別に嫌じゃないよ? カエルの傍でいい」


 その時彼の心臓が跳ねた気がしたが、身体を離されてしまったのでそれ以上は分からない。

 穴が開きそうなほど見つめられて、それから彼自らが拭った手袋の紅の跡に視線を落とすと、そこに愛おしそうに口づけをした。

 その光景は実際にキスされるより何倍も恥ずかしいものだった。

 体中の血が顔に集まっている気がする。


「や、やめて。なんか、恥ずかしい。実物にすればいいじゃない」

「出来ない。まだ話せてない」


 カエルはまだ口紅の残っていた私の唇を親指でぐしぐしと拭った。

 変なところで真面目なんだから。


「せっかく綺麗にしてもらったのに……」

「仕舞っておいていいなら、今度俺がやってやる」

「それ、意味ないじゃない。ってか、化粧も出来るの?」

「嗜みだろ?」


 いや、違う気がする。あの環境は特殊だ。

 カエルにほぐし損ねられた分の髪を自分で解いていく。挿してあった花がぽろぽろと落ちてきた。


「それにしても、誰も来ないね。誰か涼みにでも来るかと思ってどきどきしてたのに」


 カエルは閉まったカーテンを見やる。


「来ないぞ。ここは暗黙の了解がある」


 疑問の顔に彼は左右を指差した。

 よくよく見ると、等間隔で並んでいる小さなバルコニーには仲睦まじいカップルが抱き合ったりしていた。

 暗いので見ようと思わなければ気付かないくらいだったが。


「だから、ひょいひょいついて行くなと言ってる。カーテンが閉まっているバルコニーは使だ」


 へ、へー。

 じゃあ、このバルコニーも使用中で、私は髪が解けてて、紅も剥げてると――


「ものすごい誤解招くじゃない!」

「お嬢の両親に信じてもらうなら、丁度いいだろ? フロアの真ん中で同じことをやった方がよかったか?」


 カエルは肩を竦める。すでに冷静さを取り戻している彼に少し腹が立った。


「本当はキスの1つもしてないのに……なんか損した気分なんだけど!」

「損って……」


 苦笑したカエルに私は思いっきりふくれっ面をして見せる。

 もう恥ずかしくてここから出られないよ!




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