37.犯罪者のマツロ

 抵抗し疲れて、ぐったりと体を預けると、階段を下りていくような上下の動きに鳩尾が圧迫されて気持ち悪い。少し体の向きを変えようとすると抑え込まれる。


 苦しいんだって!


 いくつかのドアを通過した後、湿った空気と黴臭い臭いが鼻腔をくすぐった。

 足音も反響しているので地下かもしれない。

 しばらくすると黴臭い臭いに潮の香りが混じりだした。代書屋さんの『攫われた人はすぐに船に乗せられる』という話が真実味を帯びて、ぶるりと震えた。

 私を担いでいる奴が鼻で笑った気配がする。


 くそう。


 誰も一言も漏らさず、足も止めない。やがて地上に上がり、少しの間外に出たかと思うと、いきなり身体を投げ出された。

 落ちる! と、身を強張らせたが、落ちたのは柔らかい物の上だった。藁を布袋に詰めたものが沢山積まれた上に投げ出された感じ?


 高さがどのくらいあるのか分からなくて、慎重に体の向きを変える。カエルが気が付いて腕輪を使ったら、こちらも光るので気付かれたくなかった。自分の身体と積まれている物の間に埋め込んで取敢えずの形を整える。

 そうこうしていると重たい扉を動かす音が聞こえてきた。布越しに辛うじて感じていた明るさが翳る。


 ――窓の無い場所? 倉庫かどこかだろうか。

 まさかもう船艙だとかは言わないよね?


 波に揺られている気配はない。

 扉が完全に閉まって、辺りが闇に支配されると動く物の気配も無くなった。

 見張りがいるかもしれないと、しばらく身を固くしていたが、感じられるのは自分の息づかいだけだった。よく考えたら、暗い中の見張りはあまり意味がない。いるとしてもドア付近か。


 しばらく目隠しを取ろうとか、腕が自由にならないかとか試行錯誤してみても、柔らかいこの上ではどうにもならなかった。

 袋は意外と大きさがあるのか、蹴って形は変えられても持ち上げたりは出来ない。

 一通り試してみて、諦めに至るまでそう時間はかからなかった。

 きっと、カエルが来てくれる。そう信じて、私は大人しく体力を温存することにした。




 暗くてほんわり暖かくて暇だったから、うとうとしてたなんて言わないよ?

 扉が少し開いて、閉じる音に私ははっとして体を起こした。

 数人の足音がする。

 明かりが一瞬よぎった気がしたかと思ったら、腕を強く掴まれて目隠しを乱暴に剥ぎ取られた。そのまま髪の毛を掴まれて上を向かされる。

 眩しい。

 暗い中、目の前は白い光でいっぱいで、思わず目を細める。


『ふぅん……』


 男の声だった。久々に聞く二ヶ国語放送のようなそれは、何処か別の国の言葉に違いない。

 髪に触れる為に伸ばされた手の袖口を見て、黒い服を着ているのだと判った。折り返された袖口は金の糸で縁取られている。いい生活をしているのだろう。そのまま頬を撫でるように上がってきた指は私の瞼をこじ開ける。


『珍しい色だな。高値でもイケそうだ』


 喉の奥で笑う男の顔は見えない。眩しさで輪郭さえも覚束ないのだ。フードを被っているのかもしれない。

 ひとつ分かるのは、私の加護を知った上での犯行ではないということ。


『いつものルートで?』

『いや……競りにかけてみよう。丁度、好事家が集まる祭りが近い』


 ひらりと彼の手が動くのが見えると、私は再び目隠しをされた。


『仕込みはどうしやす?』

『そのままがいいと言う奴も多いからな……リストを見て必要そうなら喉を潰すくらいにしておけ。は程々にな』


 ちょっと、聞かなければよかったと後悔した。流石に身体が震えてくるのを止められない。

 何人かが出て行って、何人かが残ったようだ。

 見張りなのか、が目的なのか……視界を奪われているため気配との距離感が掴めない。


 知らず、呼吸が浅くなっていく。

 怖い……怖い、怖いコワイこわい。


 足首に何かが触れて、反射的に膝を縮める。低い笑い声と共に追い掛けてきた手が足首からふくらはぎをさすり上げ、再び足首に戻ったかと思うとそのまま掴んで私を力ずくで引きずり下ろした。

 まだ柔らかい何かに背中は支えられていたけど、下半身は床か地べたに付いている。

 思わず止めていた呼吸を再開して、立ち上がろうとする私の肩を男は容赦なく押さえつけた。


「オトナシクシテロ」


 カタコトが恐怖に拍車を掛ける。


「――!! ――!! ――!」


 喉の奥からあらん限りに叫んでみても、出て来るのはくぐもった唸り声だけ。

 悔し涙が出てきた。

 せめて蹴りを入れてやろうとばたつかせた足も、もうひとりに押さえ付けられる。


 ――その時だった。

 金属製の扉に激しくぶつかる何かの音――1度、2度、3度――そして静寂。

 誰もが動きを止めていた。恐らく、扉の方を向いて。

 ガガガと地面を削り取るかのような音を立てて、扉は開いていくようだった。暗かった視界に光が射し込んでくる。


『誰だ! 見張りはどうした!』


 焦った異国語が音声多重で聞こえてくる。

 ……答えはない。

 苛ついた舌打ちと、短剣を抜く鞘走りの音が近くで2つ聞こえた。

 すぐに離れていく気配。私は背を柔らかい何かに押し付けて、ゆっくりと立ち上がる。

 風切り音と、ぐっと呻く誰か。何かが落ちる音と剣戟――からの爆発音……


 って、爆発? どっちが使ったの!? カエルが来てるんじゃないの?


「……が……ぁ……!」


 ごぽりと水を吐き出したような声に、びしゃりと水溜まりに倒れこむかのような音。それっきり辺りは静かになった。

 カツカツと誰かが近付いてくる。カエルだと思ってはいても、身体が竦んだ。

 その人は近くまで来ると軽い溜息を吐いて、肩に手を掛けた。

 びくりと跳ねる身体。


「……解いてやる。後ろを向け」


 聞き慣れた声に、力が抜けそうになった。ゆっくりと後ろを向く。


「動くなよ」


 ナイフで猿轡と腕のロープを切ると、カエルは私をまた前に向かせた。


「え。ちょ……目隠しは?」


 掠れている声に渋い顔をしつつ、目隠しを外そうと上げた手をそっと押さえ付けられる。


「見ない方がいい」


 そのまま抱き上げられて、彼は歩き出す。


「やだ。待って、ホントにカエルか分からないよ!」


 キツく縛られたそれを、強引に毟り取って、ようやく私の視界が戻ってきた。

 眩しいオレンジの光の中でカエルのサファイアの瞳が私を見下ろしていた。

 顔には所々血飛沫が飛んでいる。

 思わず手を伸ばすと、ふいと避けられた。


「汚れる。見ない方がいいって言ってるのに……怖い、だろ?」


 きゅうっと胃が縮む思いがした。


「カエルが来たからっ……もう怖くないよ!」


 浮かんだ涙を誤魔化したくてカエルの首に抱きついたのに、途中でえぐっとしゃくり上げてしまって台無しだった。

 涙でぼやける景色の中に血溜まりに倒れる2人の男が見えた。1人は半分焦げている。


「見るな」


 一瞬だけ彼も抱き締め返してくれたような気がしたが、そうだったらいいなっていう私の妄想だったかもしれない。

 私は黙ってカエルの言うことを聞いて、彼の肩口に顔を埋めた。

 ずっと目隠しをされていたからか、目の前の惨状も映画かドラマのワンシーンみたいでそれ程ショックではなかった。

 カエルから香る血の匂いの方がよっぽどショックで、早く綺麗にしてあげたいとさえ思う。私の為に人に手をかけたのだから、その荷物は半分私の物だ。

 例え、この世界の命がとても軽いものだったとしても――


「――カエル様」


 ビヒトさんの声に驚いた。彼もいるとは思ってなかった。テリエル嬢達の方は大丈夫なんだろうか?


「変わりましょうか?」


 私は腕に力を入れて、無言の抵抗を試みてみる。こんな風にカエルに抱き着ける機会はそうそうない。

 ちらりとビヒトさんを盗み見たら、そんなことお見通しだという風に微笑まれた。

 く、くそう。


「……いや、いい」

「では、こちらを」


 諦めの混じったカエルの返事に、ビヒトさんは濡れたハンカチを差し出した。

 私はカエルよりも先にそれを受け取って、血の跡を丁寧に拭う。彼は嫌そうな顔をしていたものの、結局最後まで黙ってされるがままになっていた。

 カエル自身の傷が無くてほっとする。


「あれ、放っておいて大丈夫なの?」

「ユエ様、お声が……」

「あ、うん。叫びすぎ? 出なかったけど」


 痛ましい物を見るような顔で、ビヒトさんがそっと私の唇に手を当てた。


「もう、お話になりませんよう。薬を用意させましょう。後始末は頼んでありますので、ご心配には及びません」

「討ち漏らしは?」

「ひとり」


 カエルの質問に、低く答えたビヒトさん。2人の顔が険しくなった。


「元締めの裏で手を引いている者がいたようです。先に情報元を潰されました」


 ……あの男かな。そんな気がする。でも、さっきの今なのに。

 私はカエルの背中をとんとんと叩いた。

 喉になるべく負担をかけないように、彼の耳元に口を寄せる。


「黒の袖口が折り返すタイプで、金の縁取りが入ったヤツはいた?」

「見たのか!?」

「袖だけ、見えた」

「折り返した袖口、金の縁取り」


 カエルは早口でビヒトさんに告げる。


「調べましょう」


 ビヒトさんが踵を返すと、何処からか数人傍に現れる。彼らに何か告げるとパッと散って行った。

 忍者的な? いや、ホント、ビヒトさん何者!?


「あいつらと同じ言葉だったよ。どこの言葉かは分からないけど、私達とは違った。近く好事家のお祭りがあるとか、どうとか……」

「もう黙れ」


 カエルは深く息を吐くと、私を少し抱え直した。


「役に立たない?」

「黙れ。役に立ち過ぎて不安になる」


 役に立つならいいじゃん。

 私はちょっと拗ねて、もう一度カエルの首に抱き着き直した。嫌がらせじゃ。

 血の匂いはまだ消えない。服に染み込んでるんだろう。

 そういえば、代書屋さんはどうしただろう。皆、置いてきてないよね?


「……代書屋さん」

「だ・ま・れ。ちゃんとホテルで待ってる」


 いい加減イライラが声に出ているので、今度こそ私は黙った。

 担がれるのと違って歩く振動が心地いい。目を閉じてみたが、流石に眠気は訪れなかった。




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