34.旅ダチ

 前日は誰も彼もそわそわしていた。

 平気な顔をしていたのは旅慣れているランクさんくらいだ。


「1泊だし手ぶらだって何とかなるよ」


 なんて言うのだが、そうもいかないよね?

 現代みたいにアメニティーが充実してるとは思えないし、あれもこれも持って行きたくなる。

 色々考えてトランクに詰めてみるが、結局着替えと自家製リンス1回分とタオル、洗面道具くらいに落ち着いた。

 お金は幾つか袋に分けたりてして分散する。なんか、修学旅行みたいだ。

 自分に子供か! と突っ込んでケタケタ笑っていたら、遠慮がちにノックの音がした。

 返事をすると、おずおずと顔を出したのはカエルだった。


「どうしたの?」

「……誰か、他に居るのかと思った」

「あ、ごめん。うるさかった?」


 私の独り言だと分かると、途端に呆れた顔になって冷たい目で見られた。


「トランク、閉まるのか?」

「大丈夫だよ。大分減らしたから」

「早く寝ろよ」

「あー……うん。そのうち? 寝れそうになかったらまた談話室にでも行くよ。ここに居なかったら起こしに来て?」


 一瞬口を引き結んで、カエルは談話室の方を見やった。


「寝られないのか?」

「何だか年甲斐もなくわくわくしちゃって――何ならカエルが話し相手になってくれても良いよ? 入んなよ」


 ずっとドアに手をかけたまま立っている彼を促す。


「こんな時間に人を入れるな。俺も、信用するなと言ってるだろう?」


 こんな時間と言ってもまだ今日最後の鐘は鳴っていない。

 確かに田舎の夜は早いのだが、私にしてみれば夜はこれからだ。


「カエルも寝れないのかと思ったんだけど」


 肩を竦めてみせると、彼はちょっと視線を逸らした。

 図星でしょ?


「こういう時は何だっけ。お風呂にはもう入っちゃったし……軽い運動とか、ホットミルクを飲むとか……お酒も良いかも?」

「ホットミルク、ね」


 注文の反復のようなカエルの声にはっとした。


「いやいや? 持ってきて欲しいわけじゃ、ないからね!?」

「談話室に行ってろ。そこでならちょっと付き合ってやる」


 あくまでも私の為だと言うように、有無を言わさず扉は閉められた。

 カエルも寝られないんだよね? もう。素直じゃないんだから。

 私はトランクの蓋を膝で押さえ付けながら閉め、いつ寝てしまってもいいように作務衣に着替えてから談話室に向かった。

 3種類の作務衣はすっかり私のお気に入りのパジャマとなっている。今回の旅行にも持って行きたかったのだが、トランクの容量的に諦めた。


 談話室の明かりを何度か付け直して(未だに一度で思った光量にならないのだ)ダウンライトくらいの明るさにすると、丁度カエルが木製のコップを2つ持って入ってきた。

 腕に畳んだ毛布を掛けていたので、コップを貰い受けてテーブルへ置いた。

 どちらも湯気を上げていたが、色が違う。


「カエルのは何?」

「ホットの葡萄酒だ」


 毛布を1つ渡してくれながら、カエルは私の全身に視線を走らせた。


「えっ、ずるい」

「着替えたのか」


 全く違う言葉が重なって不協和音となる。


「その恰好だと毛布だけじゃ寒いか? って、ずるいって何だ」


 私は蓑虫のように毛布を巻き付けて椅子に座り、上目遣いでカエルを見る。


「自分だけお酒だなんて」

「飲んでから言え。それに、お前そんなに強くないだろ」

「ホットワインはアルコール度数低いし……」


 渋々ミルクのコップを持ち上げると、少しアルコールの匂いがした。

 おや、と思って一口飲むと甘苦い感じで何かスパイスも入っているようだ。

 ブランデーほど香りは良くないが、これはこれでありだなと思わせた。


「文句が御座いますか?」

「……ありません」

「ちなみにこれはアルコールそんなに飛ばしてないからな。飲むなよ」


 取るなと釘を刺されて私はカエルのコップから視線を逸らした。


「……カエルってお酒強いよね」

「そうかもな。薬代わりに飲んだりしてたから慣れてるんだろ」

「薬……」


 そう言えば昔はエールも水分補給と体力回復の薬的な扱いだっけ。

 日本には卵酒があったね。

 日本酒苦手だったから飲んだことないけど。

 手持無沙汰になって、カードやちょっとしたゲーム盤が置いてある棚を眺めて見た。


「オセロくらいなら出来るんだけどな」

「あるぞ。やるか?」


 え? あるの? あの、オセロ?

 出来ると言った手前、同じ名の違うゲームが出てきたらどうしようと、かなりどぎまぎしてカエルの挙動を追っていた。

 カエルが棚の奥の方から探し出して持ってきたのは、見慣れた白黒の駒の、間違いなくオセロだった。


「久しぶりだな。昔はよくお嬢にやらされたんだが」


 汚れたりはしていないが、年季の入ったその木目の板に昔からあるものだと知らされる。

 見慣れた緑の盤ではないものの、両側に駒を置く窪みもしっかりと付いていた。


「どうした? 出来るんだろ?」

「あ、う、うん。昔から、あるの?」


 窪みに駒を滑り込ませながら、オセロがオセロとしてあることに違和感を覚えていた。


「子供の頃に爺さんが買ってきた物だからな。今なら装飾付きのもっと華美な物があるかもな」


 私の様子を古くて驚いてると思ってるようだが、違うんだな。

 確かに単純なルールで思い付く人は他にもいそうだけど、この世界の人はオセロとは名付けない筈なのだ。

 オセロはシェイクスピアの戯曲から名付けられたのだから。

 オセロが日本人の発明? 発案? だと知って、興味を持って調べたから間違いない。

 やっぱり、以前からこの世界にやって来ている人は確実にいるのだろう。


「お先にどうぞ」


 カエルに促されて、黒で挟む。久しぶりのオセロはなかなか楽しかった。

 楽しすぎて4戦しても眠くならず、呆れたカエルに強制的に止めさせられた。

 1勝3敗。散々だ。


「うぅ。悔しい」


 日本人としてなんだか悔しかった。力量とは何の関係もない筈なんだけどね。


「考えすぎなんじゃないか?」


 にやにやと笑うカエルの顔を見て、私はひっそりリベンジを誓う。

 さっさと寝ろと部屋に追い立てられ、ベッドに入ってはみたものの、まだ瞼は下りて来なかった。

 抱き枕が欲しい。ふわふわの手触りのいい物か、体温のある物。

 犬とか猫とか――ヒト、とか。

 そうしたらきっと眠れるのに。

 ごろごろと何度か寝返りを打つものの、さっぱり眠気は訪れず、私は諦めて枕元に明かりを持ち込むと、天空図や一度読んだ本を眺めて過ごした。


 1時間長いこちらの時間をこれほど長いと思ったことは無く、ということは秋の夜長はまさに読書し放題なのではないかと関係ないことまで思いを馳せた。

 結局、本2冊読み終わってやっと寝られそうな雰囲気になる。

 朝までどのくらいかな。寝坊したら誰かが起こしてくれるだろう。

 私は楽観して、目を閉じた。


 ◇ ◆ ◇


 出発の朝は少し早く動き出した。

 私はまともに起きられる訳もなく、カエルが朝食を持ってきたノックの音で目が覚めた次第だ。

 ほわぃ、と間の抜けた声にカエルは冷たい視線を寄越した。


「いつまで起きてたんだ」


 枕元の惨状に溜息を漏らす。


「荷物は出してしまっていいんだな? ほら、起きて食べろ」

「……眠り姫は王子様のキスじゃないと目を覚ましません……」


 ぼんやりと体を起こして、立てた膝に顔を埋めた。

 流石に、眠い。


「何を言ってるのかわからん」


 トランクを廊下に出しながら、カエルは冷たい態度だ。

 自業自得なので、顔を両手でぱんぱんと叩いて無理矢理覚醒すると立ち上がった。


「顔洗ってくる」


 冷たい水で少ししゃっきりしたので、カエルと共に朝食を食べた。

 オートミール粥かと思ったが、冷たくてドライフルーツとナッツにアーモンドのような香りもする。どちらかと言えばグラノーラに近い?

 起き抜けにも食べやすくて助かった。


「いつもの朝ご飯と雰囲気が違うね。旅行前だからかな」

「俺が昨夜仕込んだものだからな。想定より夜更かししたみたいだが」


 スプーンが止まる。

 ホットミルク作りに行って、そんなことまでしてたのか……

 ってか、どこまで読まれてるの……自分……


「食べられるだけお嬢より手が掛からないな」


 少し首を傾げたら、カエルは遠い目をして言った。


「研究に没頭し始めると、寝ないし食べないからな。ランクが居るうちはそんなことはさせてもらえないが、昔は結構大変だった。やめさせるのに寝込もうかと思う程だったぞ」


 何となく想像がついて、苦笑いした。




 朝食を手早く済ませて、着替えと一応化粧もしてみる。普段は面倒臭がって紅も引かないのだが、一応お出掛けだしね。

 カエルにもらった護身具は悪目立ちするといけないというので、下着用のブラトップの長袖の下に隠してある。袖口が窄まっていて、袖自体はゆとりのある物を選んでいた。

 場所もいつもより心持ち上の方に着けて、見えたりぶつかったりしないようにする。


 ワンピースも袖が長めの物にした。袖口は広くなったタイプだが、朝晩が冷えがちなこの時期は、昼の間袖を折り返したりできるので便利なのだ。

 私にしては珍しく裾が長くて動き辛いが、目立たない、ということを考えると仕方がない。海辺に行くので、せめて色は明るくと空色でピンク系の大きめの花が裾に散らしてあるデザインを選んだ。袖口の同じ花の刺繍が凝っていて、ロレットさんのセンスに改めて感動する。

 迎えに来たカエルに得意げに感想を聞くと、いいんじゃないかと素っ気なかったので、執事的にやり直しを要求した。


「とてもお似合いです。お嬢様」


 嫌々、呆れ声ではあったが褒めてもらったので気分が上がる。

 馬車に乗り込む前にビヒトさんにも褒めてもらったので、私は上機嫌だった。

 そのビヒトさんは執事として一緒に行くのだけど、御者としても働くらしい。カエルが言うには仕事が無いというのが我慢できないのだそうだ。黙って馬車に揺られている気はないと。

 なんか、そういう人たまにいるよね。何だっけ? ワーカホリック?


 2台用意された馬車の、ランクさんとテリエル嬢を乗せた方を担当して、もう1台は御者付きレンタルということだった。

 カエルにエスコートされながら、裾を踏まないようにその2台目の馬車に乗り込むと、後に続いて彼も乗ってきた。


「向こうの馬車じゃないの?」

「あの空間に長時間居られるほどタフじゃない。坊主達がいてくれて助かったかもな」


 向かいに座って、溜息を吐くカエルが可笑しかった。

 ゆっくりと動き出した馬車はルベルゴの宿の前で一旦止まる。

 カエルが私の隣に移動して、御者が扉を開けると、両親に挟まれて緊張した面持ちのクロウと、いつものように飄々とした代書屋さんが見えた。


「よろしくお願いします」


 クロウに手を貸しながら、代書屋さんはカエルに挨拶して、座席下に荷物を突っ込んだ。彼も旅慣れているからか、とても荷物は少ないように見える。

 ちなみに私たちの荷物は1台目の馬車に積んである。

 扉が閉まる前に、サーヤさんがよろしくねと微笑んだ。私はしっかりと頷く。

 クロウはちょこんと座ると、物珍しそうに馬車の中を見渡した。

 何がある訳でもないんだけどね。わかるよ。私もそうだった。


「クロウは昨日寝られた?」


 緊張を解そうと声を掛けると、若干気まずそうにこちらを見た。


「寝たんだか、寝てないんだか、わかんねぇ……」

「私もね、ワクワクし過ぎて寝らんなかった。カエルに怒られたもん」

「ああ、ユエだもんな」


 そこでようやくクロウの笑顔が見られた。


「なんなら馬車で寝ちゃえばいいよ。おねーさんが抱っこしてあげようか?」


 手を広げると、嫌そうに首を振る。


「それ、ユエがしたいだけだろ? お断りだ」


 孤児院で子供達を抱締め魔と化している私を知っているクロウは、きっぱりと拒否する。

 ちぇっ。抱き枕で私も寝ようと思ったのに。

 クロウの隣で代書屋さんが、じゃあ僕が、と言いかけて2人に睨まれていた。

 馬鹿な話をしているうちに馬車が動き出す。

 クロウが窓から両親に控えめに手を振っていたのが印象的だった。




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