10.そしてアサが来る

 やばいやばい。催眠術で信者獲得なんてズルいですねーって嫌味を言ったら、なんかクリーンヒットだったらしい。あんなに怒らんでも……

 しばらく教会付近には近づけないかも……水時計、もっと見たかったのにな。

 いやいや。こっそり行けば意外とばれないんじゃない? 観光客にこっそり混じるとか!

 礼拝中の時間とかもイケそう。


 ぐるぐる回る頭でそんなことを考える。

 望遠鏡もあるって言ってたなー。見たいなー。見に行ったら二度と戻れない感じがするよね? 望遠鏡だけ貸してもらえる手は無いものか……無いな……


 星読みって占星術かな。ちらっと見た感じ知ってる星座が見つからなかったし、私の知識じゃどうにもならなそうだけど、気になるね。

 くそう。私がそう思うことも計算ずくなのか? 腹黒め! 誰が常識知らずじゃ!


 あぁ、でもあの瞳は本物だった。魔方陣を内包した光る瞳。

 彼は彼の神様に愛されているのかもしれない。

 ゆったりと回る魔方陣を思い出すと、夢の中まで見透かされそうで、慌てて掻き消した。


 というか、これは夢か?

 目を瞑って、ぐるぐるする頭で、とりとめのないことを考えてるだけだよね? 何も見えないし。あれ?

 目を開けようとする。


 瞼が震える感覚はするが、いやに重たい。

 それでも頑張って開けると、暗い天井が見えた。天井がぐるぐる回っている。

 あかん。気持ち悪くなる。大丈夫。起きられる。

 だから、もう少し寝よう。


 ◇ ◆ ◇


 鐘が3つ聞こえた。

 うっすらと目を開けて、自分が離れの部屋のベッドに寝ているのを確認する。

 もうぐるぐるはしてないが、体を起こすと少し怠かった。熱っぽいのかもしれない。

 腹黒神官に頭の中をぐるぐる掻き混ぜられたようなもんだから、あんなにぐるぐるしてたんだろうか。それとも、あの魔方陣の瞳を無理やりシャットアウトしたから?


 着替えようかな、とクローゼットを開けて服の量に驚く。

 いつの間に服が届いたんだろう?

 手を掛けようとして、頭からすっと血の気が引く感覚に座り込んだ。

 貧血? そういえば、お腹が空いてるような気も……

 その時ドアがそっと開いて誰かが入ってきた。


「ユエ?! 起きたのかい?! あぁ、ダメだよ、寝てないと!」


 アレッタにベッドに戻され、奥様を呼んでくるからと慌ただしく出ていく姿を見送る。

 何をそんなに慌てているんだろう。

 程無くバタバタと複数の足音が聞こえ、夜着にショールを羽織っただけのテリエル嬢が入ってきた。


「おはようございま……」

「しっ。黙って」


 彼女は私の首元に手を当て、難しい顔で瞳を覗き込む。


「まだ熱があるわね。何か食べられそう?」

「……多分?」

「アレッタ、スープか何かを」


 こくりと頷いて、アレッタに指示を出す。アレッタはすぐに身を翻した。


「急には食べられないと思うわ。少しずつね。2日も目を覚まさなかったのよ。どこまで覚えてるかしら?」

「ふつか……えっ? 2日?」

「そう。ぐるぐるは治った?」


 私はぐるぐるする、としきりに言っていたらしい。他に変なこと口走ってないよね……?


「ぐるぐるは治りました。貧血っぽい感じはします」

「宣誓後に倒れたのは覚えてる?」

「えぇ、と。馬車に乗り込む前くらいまでは……」

「……そう」


 テリエル嬢はちょっと微妙な表情をした。

 え、やだ。なんかやらかした?!


「とにかく、意識がはっきりしてるようで安心したわ。あとは熱が下がるまでゆっくりしてらっしゃい。寝るのに飽きたら本でも読んでるといいわ。少しだけね。カエルに見繕ってもらうから」


 寝込む人には慣れてるのよ、と彼女は笑った。


「今のうちに採血だけしちゃうわね。ちょっと待ってて」


 出て行こうとしたテリエル嬢はドアの所でビヒトさんと鉢合った。


「採血道具を」

「承知いたしました。すぐに」


 彼らのやり取りは無駄がない。

 ビヒトさんが用意してくれた注射器で血を抜かれ、アレッタの用意してくれたチキンスープ(具無し)を少し啜ったら、また眠たくなってきた。

 細々とした機材を片付けて出て行こうとするビヒトさんの背中に、ウトウトしながら声をかける。


「ビヒトさん、ありがとう」


 何のことか分からない、といった顔で彼は振り向いた。

 あの時、腹黒神官の腕から解放されて、心底ほっとしたのだ。

 説明するのは億劫なので、わからなくてもいいや、とそのまま眠りに落ちる。夢の中でくらい楽しく過ごしたかったけど、胃の辺りにもやもやと嫌な塊があってすんなりと眠りの世界に入らせてくれない。


 くそう。腹黒め。あいつのせいだ。変な穴に落ちたのも、あいつのせいだ。そうだ。そういうことにしよう。何もかも、あいつが悪い――

 腹いせに責任転嫁して溜飲を下げる。

 だけど――


 熱は下がる気配もなく、カエルが用意してくれた本を何一つ読めないまま、3日、4日と経過していく。

 原因がわからないまま、皆の焦燥感だけが増していくのを肌で感じていた。

 そんな5日目の昼過ぎ、前触れもなく、招かれざる客がやってきた。




 私が気が付いたのは、自分の部屋のドアが勢いよく開いたからだった。

 うとうとから覚醒し、何事かと視線を移す。

 一瞬、まだ夢を見ているんだと思った。


「だいぶ重症ですね。早く知らせてくれれば良かったものを……」


 従者らしき男の人に何か手で合図すると、内鍵をかけられた。

 ひゅっと血の気が引いて、思わず体を起こす。

 彼は椅子を引き寄せると、ゆったりとした動作で座った。

 緑色の石の付いた何かを座面にぶつけると、ふわりと風が巻く。

 今日の衣装は黒い。でも、間違いなくあの神官だった。


「そんなに警戒しなくとも、楽にして差し上げようと思って来ただけですよ?」


 ズサっと壁際まで飛びのき、なるべく距離を開ける。

 楽に、楽にって!

 熱があるはずなのに震えてきた。


「おや? 言葉の選択を間違えましたか。治して差し上げますよ」

「……ど……」

「どうして?」


 ふっと嗜虐的な笑みを湛えて、彼は言う。


あなたが無理に繋がりを切ったせいで、私の影響力が少し残ってしまったようでしてね? まぁ、こちらで誘導できるのならば利用価値もあるというものなんですが……時も場所も選ばずに繋がっては、自分の悪口を聞かされる気分が解るでしょうか?」


 彼は微笑んだまま小首を傾げる。

 ちょっとだけ、心当たりがあった。イライラしたり、嫌な夢を見たりしたときに八つ当たりで呪詛を吐いてたから。

 でも、それが。


「聞こえたのかって? 全部とは言いませんが、強く思ったことはいくつか、はっきりと」


 こ、心を読まないで!


「あなたは顔に出るのでわかりやすいんですよ。腹黒、というのは認めるところですのでまあいいとして、エロ神官とか人でなしとか、これでも結構傷ついてるんですよ?」


 居たたまれなくて、私は視線を逸らす。

 筒抜けだなんて思わないじゃない?


「こちらとしても初めての状況ですし、全てが見えている訳ではないので気付くのが遅れてしまいました。ここの人達は私を警戒しているので教えてくれませんしね」


 おそらく、ドアの向こうでビヒトさんとかカエルとか待機してそうだけど、その発言はいいのか?

 ちらりとドアに向けた視線を受けて、彼は何か筒のような道具を持った掌をひらりと振って見せる。


「ドアの外だけではなく、そこの従者にも話は聞こえてませんよ。安心して何でもお話して下さい。神殿で懺悔を聞くときに使う道具なのです。助けを呼びたければ、大声を上げれば聞こえるくらいの効果しかありませんから、ご心配なく」


 でも、鍵かけたよね?!


「ほ、本当に理由はそれだけ?」

「理由?」


 ふふっと楽しそうに彼は笑う。


「あなたのナイトが面白そうでしたし」

騎士ナイト?」


 思い当たる節が無くて、私は眉を顰める。

 あれかな? ビヒトさんが助けに来てくれたヤツ。


「ビヒトさんは、テリエルさんの執事さんですよ」


 綺麗な顔が笑顔のまま硬直した。


「そちらですか? ……まぁ、ミスター・ビヒトも面白いと言われれば面白いのですが……」


 ちょっと呆れ顔になって、頭をひとつ振ると気を取り直したようだ。


「とにかく、理由といたしましては、私の不手際のお詫びがひとつ。それからこのお屋敷に足を踏み入れられるいい機会だったのと、暇潰しと少しの嫌がらせ、というところです」


 どう聞いてもお詫びがオマケだよね? そして、嫌がらせって何ぞ? それを私に言うか?


「こちらにも少々事情というモノがありますのでね……建前だけで迫っても、あなたはもう1度繋がってくれないでしょう?」

「放っておいて、衰弱して死ぬのを待つという方法もありますよね?」

「そうですね」


 あっさりと頷く。


「でもそれでは確実に死ぬまでにどれほどかかるのか分かりませんし……初めての事態だと申しましたでしょう? 礼拝の最中に突然罵られるのは、ちょっと精神衛生上もよろしくないものでして」


 頬に手を当てて、わざとらしい溜息を吐く。


「死なせるよりは生かした方が面白味が増すかもしれないなと、思考を切り替えてみました」


 何の面白味でしょう? 絶対に、答えなさそうだけど!


「あなたが気づいた、。まだ誰にも話されてないようですね。寝込んでいたとはいえ、少し意外です」

「説明が面倒だったのと、目立った実害が見えていないので保留にしていただけです。いつでもバラしますよ?」

「では、そのお口を閉じていてもらうことと引き換えに、治療するというのはいかがでしょう? 実を言うと、一般の方々より教団側に知られたくないモノですので」

「えっ?」


 教団側に知られたくない? 教団の指示で使っているんじゃないの?

 腐った上司がいれば、間違いなく使えといわれるくらいのものだよね? そういう風に言われたくないってこと? 本当に?


「誰にもバレたことはないんですよ。どうして気付かれたのでしょう」


 どうしてと言われても……鎌をかけたら大当たりだったというだけで……


「と、いうことは治療の一環としてなにか暗示的な何かをこう……されると思えばいいんですか」

「そういうことも考えない訳では無かったんですが……それでは暇潰しとして面白味に欠けると思いませんか?」


 え。なんで同意を求めるの?


「此方に来て3年。田舎で穏やかに暮らすのにも少々飽きてきてスリルが恋しいのかもしれません。嫌なさがですね」


 都会ではどんな生活してたのこの人!


「あなたが穏やかに暮らしたいなら、黙っていればいいだけですよ。それ程悪くない条件だと思いますが」


 にっこりと彼は笑う。

 なるほど、こうやって釘を刺すというのも彼の理由の1つなのね。

 万が一私が吹聴して回っても何とかなるという勝算があるのだろう。


「ということを踏まえて、私の治療を受けますか?」


 実際、怠い身体と熟睡できない眠りにはうんざりしている。これ以上プロラトル家に迷惑をかけたくもない。

 この家に迷惑をかけるような暗示や指示を刷り込まれないとも限らないが、そんな兆候が見えたらビヒトさん達が黙っていないだろう。

 私はビヒトさんの優秀さを信じて、後のことを丸投げすることにする。


「お願いします」


 なんなら出ていくことを考えてもいいな、とも思い付いて私は同意した。

 一度決めてしまうと、瞳の中の魔方陣を覗くのがちょっと楽しみになる。


「何故そこで警戒が薄れるのですか」


 理解ができない、という顔をした後、その表情を苦笑に変えて、彼は私を見つめた。琥珀色の瞳がつと細められる。


「警戒、してますよ」

「薄れてる、と言っているのです。紋は私の瞳の中に刻まれているのですよ。私は常にそれ越しに景色を見ているので、直に繋がらなくともなんとなくの感情や雰囲気が見えるのです。そしてあなたはとても見えやすい」


 くっくっと喉で笑って、私の頬に手を伸ばす。


「この瞳に見つめられるのに、ワクワクしている人を初めて見ました。自虐癖でもありますか?」


 壁際の私を追い詰めるように身を乗り出して顔を両手でホールドし、彼の瞳が私を覗き込む。ほんのりと瞳が光を孕み、右目の奥に動く物が見え始めた。


「やっぱり祝詞は要らないんだ……」

「あれは質問に応えやすくする為に使っているのですよ。心のたがが外れたでしょう? まぁ、中には効かない方もいるのですが」


 するすると音もなく回る魔方陣が見えてくる。

 あぁ、やっぱり綺麗だ。


「自分でこれを見たことは無いの?」

「自分で? そんな恐ろしいことはしませんよ」


 オソロシイ?


「恐いの? 凄く、綺麗だよ?」

「……綺麗?」


 微かな動揺が私にも見えた。ほんの一瞬だったので気のせいかもしれないけど。


「そんなことを言うのなら、私の実験の被験者になってもらいましょうかね?」

「じっ、実験って?! お、お断りします!」


 完全にホールドされていて動けないので、私は大いに慌てた。

 そんな様子に彼はほくそ笑む。


「余計なことは言わぬが花、ですよ。ほら、集中して下さい。きちんと同調しきれないではありませんか。祝詞を聞きたくないのでしょう?」


 人を慌てさせておいて、何て言い草だ! ホント、性格悪い!

 どきどきしながら回る魔方陣へとなんとか集中を戻す。

 余計なことを考えないようにしながら動きを追っていると、かつん、と音がした。と同時に囁くような音量で何か聞こえてくる。祝詞かと一瞬身を固くしたが、聞こえてくるそれは歌だった。それも、おそらく子守唄だ。

 とろりと瞼が落ちてくる。

 このまま眠ってしまっていいものかと逡巡して、抵抗を試みる。

 歌に笑いが含まれた。くそう。

 一節歌い終わると、彼の手が動く気配がして、かちゃりと鍵の開く音が続く。


「まだ起きてますね? そのまま眠ってください。次に目覚める頃には熱も下がるでしょう」


 そのまま離すなり、寝かせてくれるなりすればいいのに、彼は何かのタイミングを計っていた。

 ドアが開いたようで、何人か人の気配がする。


「あなたに、主の祝福がありますように」


 そう言って彼は私の額にキスをした。

 驚きすぎて一瞬目が開く。

 その瞳に、にやりと笑って振り返る腹黒エロ神官の顔と、引き攣ったカエルの顔が映って、閉じた。

 え、これ、嫌がらせ? 誰に? 私? カエル? それとも、皆?!

 パニックを起こしながら、私の意識は薄れていく。

 目が覚めても熱が下がる気がしなかった……




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