第7話 離婚届に署名を貰いに行った

金曜日の昼休みに山本真一に連絡を入れた。電話に出られないとのアナウンスがあったので、留守電に電話をくれるように入れておいた。


5時過ぎに連絡が入った。仕事で手が離せなかったとのことで、訪問の都合を聞いた。日曜日は遅番なので午前中ならアパートにいるとのことだった。聞いておいた住所を10時に訪ねる約束をした。


建ったばかりのような賃貸アパートだった。ドアをノックするとすぐにドアを開けて中に入れてくれた。俺のアパートとは違って、最新の間取りのきれいな新婚夫婦の部屋だった。


「未希に会って、もう一度やり直す気はないかと聞いてみました」


「どうでしたか?」


「やはり、別れると言って聞かなかった。離婚届を預かってきました。これに署名をして下さい」


「未希に会わせてほしい。もう一度会いたい」


「未希はもう会いたくないと言っています」


「この前も会って話したら、分かってくれた。だから合わせてほしい」


「それもあるので、未希はもう会わないと言っています。あなたは暴力を振うでしょう」


「もう乱暴はしないと誓う」


「もう会わせる訳にはいきません。私は今でも未希の保護者で父親代わりです」


「ではなぜ父親代わりなら結婚式に来なかった?」


「手放したくなかったから、他の男にとられるのを見たくなかったからです。父親の心境です」


「いや、未希とは身体の関係があったからだろう。今も未希を取り戻したいと思っているのだろう」


「誤解です。そんなことは二人の離婚とは関係ないでしょう。離婚届に署名しないなら、未希は離婚訴訟をするとまで言っています。そうすればお互いに費用もかかるし時間もかかります」


「もう一度会わせてほしい。署名するにしても会って話し合ってからにしたい」


「山本さんは未希の預金を無断で引き出して使ったでしょう。未希がこれも別れたい理由だと言っていました」


「20万円ほど借りだけだ。すぐに返す」


「未希は、お金はもういいと言っています。慰謝料もいらないと言っています。未希は暴力の痕の診断書を取っていました。もし裁判所の調停が入ったら、離婚は認められるでしょう」


「分かった。未希がそこまで思いつめているのなら、別れる」


山本真一は署名することを承諾してくれた。


「私も親代わりに未希の面倒を見ていましたが、未希を甘え貸し過ぎました。それは申し訳ないと思っています。未希にも言っておきました。こうなったのはお前も悪いと。両方の思いやりが足りなかったのだと。未希は泣いていました。そしてあなたに謝ってほしいと言っていました。私からもあなたにお詫びします」


「こうなったのは自分のせいだと思っています。未希に謝っておいてください」


「分かりました。今後はもう未希には会わないでいただきたい。いいですね。もしストーカーのようなことをしたら、警察に連絡します。そうすればあなたの仕事にも差し支えます」


「分かっています。もう会うことはありません」


「それから、未希が持ち物を引き取りたいと言っています。あなたが仕事をしているときに、そっと来て持って帰りたいと言っています。衣類と小物だけで家具や家電はあなたの生活があるから不要と言っています。その気持ちを分かってやって下さい」


「分かりました」


彼は署名捺印した。未希を取り戻すために、俺は交渉に全力で当たった。彼は俺と未希の関係を最後まで疑っていた。


自然に考えればそうだろう。何もなかったはずがない。俺は未希にやりたい放題をしてきた。でも未希は結婚相手には何も話していなかった。


忌まわしい思い出だから話せなかった、隠しておきたかったのだろうか? もし、彼と本当に心を通わせていたなら話したかもしれない。それほどまでには心が通じ合っていなかったのかもしれない。


俺も嘘をつきとおした。これ以外に方法はなかった。認めていれば難しい展開になっていたに違いない。嘘もつき通せば本当になる? でも事実は消せない。


未希に署名を貰ったことを電話で伝えた。未希は自分の部屋で待っていると言った。


「彼に署名してもらってきた。これを提出するか破ってしまうかは未希次第だ」


「月曜日に提出してきます。ありがとうございました」


「彼がいない時に、未希が荷物を取りに行くと断ってきた。俺が彼にシフトを確認して、いない時に取りに行こう。離婚届を提出したらすぐの方がいい。俺も一緒に行ってやるから心配しないでいい。彼にはもう未希に会わないでくれと言っておいた。もしストーカー行為をしたら警察に届けると脅しておいたから大丈夫だろう」


それから、今まで気になっていたことを未希に聞いてみた。


「未希、なぜ彼に俺たちの本当の関係を話さなかったんだ?」


「おじさんが他の人に話してはだめといったから」


「心を許した結婚相手にも話さなかったのか?」


「おじさんとの二人だけの大事な思い出だから」


「あんな忌まわしいことが大事な思い出か?」


「私は忌まわしいとは思っていません。おじさんは約束どおり私を守ってくれた。それが嬉しかった。最初はいやだったけど慣れてきて段々良くなった。だから」


「だから?」


「おじさんが忘れられなくて」


「そうだとしたら、俺は未希に謝らないといけない。そんな風に俺がしたのだから。離婚の原因を作ったのは俺かもしれない。済まなかった。許してほしい」


「いいんです。謝らなくても。これからも一緒にいてくれれば」


「俺は一緒にいて、これからも未希を守る。約束する」


未希は抱きついてきた。俺も抱き締めた。これで俺の手の中に戻ってきた。


「未希を抱いてやりたいけど、やはり今は抱けない。彼の手前もある。離婚届を出してからにしたい。今はこれからの二人のことを考えてみたい。いいね」


未希は頷いて、俺から離れた。俺はすぐに部屋に戻ってきた。未希は今の俺の気持ちを分かってくれていると思う。

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