1章15話

 私の記憶に深い昼下がりは主人と二人、縁側に座って煎茶をすする静かなものでした。長年連れ添っているとお互いに求めることも分かっており、自然と口数も減って行くものなのです。


 窓から差し込む午後の日差しが床板に当たり、そこを中心にぽかぽかとした空間を形成していました。耳触りの良い柔らかな調べにうっとりしながら、私は練魔素放出の練習を続けます。最近は終始ベッドの上にいますので時間だけはあります。老い先を考えると「たっぷり」ではなく「ちょっぴり」なのですけれど。


「今、空気の振動を感じました」

「ええ、私にも感じとれたわ」


 ハープに添わせた靭やかな指を止め、ドーラさんが告げてきます。ドー・ラファ・ドー・ラルドラ、略してドーラさん。先日私をここまで運んで下さった髪の美しい男性です。


「ようやく放出できたようですな」

「そのようです、何かが体の中から抜けていく感覚がしましたので」


 ベッド脇の椅子に座り、暖かな沈黙で練習を見守り続けて下さっていたゼペットさん。彼がそう言うのですから、錬魔素を放出できたのは間違いありません。何かの塊が指先から抜けて行き、目には見えないけれど、それが空気中で霧散するこの感覚こそが錬魔素の放出なのでしょう。


「これでやっと相性の良い精霊と契約できますな。ちと、待っていて下され」


 そう言い残してゼペットさんは席を立ち、ゆっくりと扉から出ていきます。ドーラさんは再び指を動かし、ハープの調べで部屋を満たし始めました。


「そういやあんた、毎日きてるけど仕事は何してるんだ」

「特には。ここにくると昼食にありつけますので足しげく」


 翔くんはあの日からお仕事を休んで付き添ってくれていました。フェルさんはパン屋のお仕事があるので私達の昼食は彼が作ってくれるのです。食材はゼペットさん宅のものですが。

 お世話になるだけなのはとても心苦しいので、せめて幾ばくかのお金を払おうと申し出たのですが頑として受け入れてもらえませんでした。老人が頑なになるとそこから先はテコでも聞き入れません。それを分かっているのでご厚意に甘えた形になっていますが、体の調子が戻ったら何かお礼をしなければいけませんね。


 そんなことを考えながら折れてない方の手を使い、ヤカンから麦茶を注ぎます。貧民街で奪われた手押し車とヤカンは翔くんが見つけてきてくれました。でもそれらを持ち帰ってきた時、彼とフェルさんの顔が何とも言えず狼狽していたのを覚えています。


「スラムが……地獄絵図になってた」

「人が……たくさん……」


 そう漏らして手押し車とヤカンを部屋の隅へ置き、二人して隣の部屋に行ってしまったのです。


「何があったのだ」

「想像はつきますけれど」


 ゼペットさんはチンプンカンプンなようですが、ドーラさんは何かを解っている素振りでした。


「貴方にも見えたのではないですか」

「何が見えたと?」

「あれらの魔道具に刻印された特性ですよ」

「特性……もしや【専用アイテム】か!」

「ええ。所持者以外の者が「使う」とどうなるのか、知っておられますよね」


 手押し車もヤカンも私専用のアイテムだと以前教えていただきました。しかし私以外の人が使うとどうなると言うのでしょうか。何度も持ってくれたり、先ほども持ち帰ってきてくれた翔くんには特に変わった様子もありません。それとも私が気づかないだけで何かが彼に起こっているのでしょうか。そもそも専用アイテムとは何なのでしょうか。


 その話はそれ以上語られず、少しの疑問が頭に芽生えたまま現在を迎えました。本日はお祭りの最終日らしく、大通りからは奥まったこの家にいても外の賑わいが聞こえてきます。

 そうそう、私の怪我ですが翌日には随分と良くなりました。「万能薬」なる魔法のお薬を翔くんが買ってきてくれたのです。そのおかげで痛みも引き、手足の骨折以外は完治しております。ただしそれはとても高価なお薬だったようで、所持金のほとんど(五千ギン)がそのお薬代として消えてしまいましたが。


「たかりにきてるのかよ、あんた歳は幾つなんだ」

「確か今年で二百五十歳になるかと」

「二十五歳の間違いだろ?」

「いえ二百五十歳です。そういう長命な種族なのですよ」


 他愛のない会話から驚愕の事実が判明してしまいました。ドーラさんが私よりも年上だなんて、その容姿からは想像もできません。


「マジか、あんた実はドラゴンとかじゃないだろうな」

「違いますが、どうしてです?」

「猫を探しに行って竜を拾ってくるとか、相田さんらしいから」


 翔くんの中で私の人格はどんな風に組み立てられているのでしょうか。少し気になりますが、つっこまないでおきましょう。


「しっかし戦闘力じゃなくて、年齢が飽和する話なんて聞いたことねーわ」


 私が八十一歳、ゼペットさんが九十歳、ドーラさんが二百五十歳。確かに十九歳の彼からすれば周囲の年齢が飽和していますね。そうすると今後、五百歳くらいの方とお近づきになれたりするのかしら。それはそれで楽しみです。


「お待たせしました。さあルリコさん、この精霊石を持ちながら錬魔素を放出して下さらんか」


 ゼペットさんが戻ってきました。卵くらいの大きさで、スベスベした透明な楕円形の石を持っています。とても素敵な名前のその石を彼から受け取り、私は錬魔素を放出するために精神を集中させました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る