子供だましのストーリー

「……ま、魔王様」


 巨体の鬼が俺たちを見下ろしていた。


「とても興味深い会話が聞こえたのだが、我が輩の空耳だろうか。詳しく説明してくれないか?」


 魔王が耳をほじった。


「貴様が正義のヒーローになる? 愉快な冗談を言うではないか。これまで散々悪事を働いておいて、今更そんなことできるとでも思っているのか。我輩が視聴者なら噴飯物だな」

「……どうしてここに?」

「貴様のことだ。どうせ怖気付いて車一つ壊せないのではないかと思って見にくれば。なんのことはない。下らない戯言ざれごとたぶらかされよって」


 マグマがふつふつと滾っている。


「これからハッピーマンたちと戦うのだ。これまで幾度となくそうしてきただろう。ん? それを、やめるというのか。そんなことが許されると思っているのか。バカなことを言うな。貴様はこの先もずっと、吾輩の手下として働いてもらう」

「ちょっと待ってくれ」


 俺は魔王に対して言った。


「彼はもう、悪役は嫌だと言っているんだ。だったら、もう辞めさせてあげられないのか?」

「黙れ。これはそこにいる側近ばかものと我輩の話なのだ。部外者は引っ込んでいろ」

「でも、」

「大丈夫だよ」


 側近さんが俺の言葉を遮った。ずっと掴んでいた俺の両腕を離し、


「ありがとう。僕からきちんと魔王様に話すから」


 側近さんが魔王と対峙した。


「魔王様。正直に言います。私はもう、魔王様の指示には従えません」

「……ほう。なぜだ」

「我々の行動に、疑問を持っているからです」

「疑問?」

「そうです。疑問です。私はこれまで、魔王様の命を受けて、数多くの人を誘拐してきました。それが自分の役割で、ストーリーに必要だと信じて、ここまでやってきました。だけど、いつもいつも同じことの繰り返しで、ハッピーマンたちに倒されるだけ。ストーリーのためだけに、人をさらうだけの作業です。いつまでこんなことをしなければならないのですか」


 側近さんは一度うつむき、再び顔を上げて魔王を睨んだ。


「もう、わからないのです。自分がどうして、人をさらっているのか。こうして人をさらい続けた先に、一体何があるんですか。それをきちんと答えてください」

「下らぬ。そんなこと、考えるなといつも言っているだろう」

「いつもそうやって答えてくれません。私はもう、自分の行動に自信が持てないんです」


 側近さんの言葉に熱が篭る。


「魔王様は、どうして私たちに人をさらえと命令するのですか。私たちのこの活動が、身を結ぶのは、いつなのですか。私たちのこの活動が、視聴者に驚きと感動を与えるのはいつになったら来るのですか」


 魔王はしばらく黙っていた。やがて、こう言った。


「そんなもの、来ない」

「……来ない?」

「来ない。我々はただただ、人をさらい続けるだけだ。人々に感動など与えない」


 側近さんは言葉を失っているようだった。


「じゃあ、……じゃあ我々は何のために人をさらってきたのですか。ただ単に人を困らせるためだけに、私は多くの人をさらってきたと言うのですか」

「そうだ」

「なんですか、それ」

 

 側近さんが青ざめた顔で行った。


「なんですか、それ。これじゃあ、私はじゃないですか。魔王様だって、これではただの『人を困らせる悪人』でしかない。何も考えず、悪事を働くだけの悪者です。バカみたいじゃないですか」

「そうだ。我々は愚かだ。極悪非道で、バカみたいな存在なのだ」

「何を言っているんですか。何を開き直っているんですか」


 魔王は目を細めたまま、首を横に振る。


「貴様こそ何を勘違いしている。貴様はそんな高貴な存在ではない。ただの悪者だ。そして我輩も、ただの悪者なのだ。それ以上でも、それ以下でもないのだ。人が困るところを見て、喜ぶだけの組織だ」

「そんなの、滅んでしまえばいい」

「愚か者が。ここまでずっとやってきて、まだわからないか」


 魔王が側近さんを叱るような口調で言った。


「視聴者は、主人公目線で物語を見るのだ。だったら、主人公たちに共感してもらわなければならないではないか。敵対する立場の我々がとても善良で好印象だったらどうする。そんな奴らを主人公がパンチやキックで倒していたらどう思う。かわいそうではないか。敵側のことを『かわいそう』と思わせた時点で、その作品は失敗なのだ」

「そ、——それはそうですが、だからと言って、同じことをただ単に繰り返すのはどうなのですか。我々こそ、頭を使わなければ」

「貴様が出ている作品はなんなのだ。子供向けアニメではないか。であれば、難しいことはするな。同じことの繰り返しでいい。ヒーローを引き立てる役割。我々に科された役割は、それだけだ」

「——いいや違います」


 側近さんがキッと魔王を睨んだ。


「違います。ふざけたことおっしゃらないでください。魔王様はそんな単純で愚かな方ではありません。我々はきちんとした信念を持たなければいけないんです」

「信念?」


 ふはは、と魔王が笑った。


「笑わせるな。子供たちが見たいのは正義の味方が悪を倒す姿だ。それを見て『自分もヒーローになりたい』『正義の味方はかっこいい』という道徳を育てるのではないか。我々の悪事に根拠がないからこそ、ハッピーマンたちは『悪いことはやめろ』と言えるのだ。その言葉に説得力が産まれるのではないか。悪役のほうが正しいかもしれない、なんて姿を見せたら、子供たちは混乱するだろう?」

「……いいではありませんか。自分の信じている正義が果たして正しいのかどうか、疑うことも必要です」

「我々の相手を誰だと思っている。まだ善と悪の判別もつかないような子供だろう」

「子供、子供って。私は、この作品で、子供騙しのために悪役をやっているわけではありません!」


 ドン、と側近さんが壁を叩いた。


「子供だからって、そんな短絡的な気持ちで作品を作っていいわけがありません。子供をなめないでください。彼らは常にいろんなことを考え、吸収しながら毎日を過ごしています。『ハッピーマン』は確かに子供向けの作品ですが、決して、中身のない薄っぺらな作品ではないはずです」

「戯けたことを……」


 魔王が目を瞑った。


「子供騙し、という言葉に惑わされるな。我々は誠心誠意、子供たちを騙しにかからなければならないんだ」

「騙しに?」

「そうだ。中途半端な気持ちで悪役をするな。その気持ちはすぐに子供に伝わるだろう」


 魔王が、ゆっくりと息を吐いた。


「吾輩は子供をなめてるのではない。そうとも。貴様の言うとおり、我々を見てくれている子供たちは、いま、いろんなことを吸収して、刺激を受けて、感じて、成長している真っ最中だ。毎日が発見の連続で、今まさに、この世界がどんなものなのか知ろうとしているところなのだ。自分が信じるべき正義を、彼らは懸命に探している最中ではないか。そんな子供たちに、『困っている人がいたら助けよう』と伝えるには、どうしたらよい。ん? 困っている人を助けるヒーローを見て、格好いいと思ってもらうことではないか。そしてそのためには、悪いことをして人々を困らせる存在が必要ではないか。——我々がその役割なのだ。悪役が正しいなんて思われたら、子供たちが混乱するだろう」

「我々は、ヒーローの引き立て役だと?」

「そうとも」


 魔王がうなずいた。


「嫌われろ、憎まれろ。我々が外を出歩いたとき、子供たちがハッピーマンのように『悪いことはやめなさい』と言ってくる世界こそ、健全な世の中ではないか。貴様は誘拐した人に親切にしようとするが、そんなのは必要ない。徹底的に悪者になれば良いのだ。さっき、我輩の部屋でそこの青年の怒りに満ちた表情を見ただろう。あれこそが、我々に課された役割を果たせていると感じる最大の瞬間ではないか。もっと誇りに思え。胸を張れ。我々はなのだ」


 ぐぐぐ、と側近さんが悔しそうに奥歯を噛んだ。


「子供たちがヒーローに憧れるため。——みんなから嫌われ続ける。魔王様は、それでいいのですか」

「くだらぬ。嫌われてこその悪役であろう。冥利に尽きるではないか」

「……そうですが」


 魔王が天を仰いだ。


「——だがな、いつか、子供たちにも分かるときが必ず来るはずだ。我々の作品を見て育ってくれた子供たちが、いつか、大人になった時。作品を楽しむ側から、楽しませる側に立場が変わったときにな。子供の頃楽しんで見ていた作品が、どんなテーマがあって、なにを伝えたかったのか、と。一生懸命、我々が真剣に作品に取り組んでいれば、きっとそれは伝わるものだ。我々の活躍が未来の彼らにどう映るか、楽しみではないか」

「……未来の彼らに?」

「そうだ」


 魔王が側近の肩に手を置いて、一言呟いた。


「最後まで手を抜くな。我々は悪役なのだ」

「魔王様……」


 側近がそう呟いたところで、城中に警告音が鳴り響いた。

 二人の話を聞いていた俺は飛び上がってしまった。


「——な、なんだ?」

「魔王様!」


 城の奥から、フランが走ってきた。

 

「ハッピーマンたちがこちらに向かっています! すぐに所定しょていの場所に戻ってください!」

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