7 : Complex

 ハワイ島北部、四方を海に囲まれた穏やかな海上。


 深さ二十メートルでは、静けさから一転、魚の群れが散り、殺伐としていた。


 二リットルペットボトルサイズの圧縮酸素ボンベを背負う人物。チューブはゴーグルと一体化したマスクに繋がって、時折細かい泡を吐き出す。


 人影が水を一掻き、横にスライドし、先程まで浮かんでいた所が爆発した。


 水中戦におけるトランセンド・マンは水の抵抗で機動力は大きく削られるものの、船や潜水艦にとっての脅威である事には違いない。特に電磁波も妨げられ、音だけが頼りの世界ではトランセンド・マンのエネリオンを通した高精度かつ透視に近い知覚は重宝される。


 しかし、幾ら機動力や知覚処理が既存の兵器に勝っても、密度の高い環境で能力を発揮出来る者は更に限られる。エネリオンを弾丸のように飛ばして発揮するタイプなら水という物質にエネリオン弾が干渉しないようにする必要があり、ここにエネリオンの変換の処理を削いで威力が発揮出来ないという事もある。


 対して、例えば流体制御能力を持つケビン・リヴィングストンのような者なら、そこら中に存在する水を潤沢に使用する事が可能だ。あるいは能力の作用に対して大量の水を無視するという方法もある。


 そして、この透明な空間で浮かんでいる音響制御能力者、ジェフ・ベルは後者のタイプだった。


(こりゃ不味いな。指揮官殿、こっちの動きも結構正確に察知されてるらしいです。住民達が逃げちまうなこりゃ)

『案ずるな。あくまでオマケのようなものだ。どんな能力だ?』


 今度は五メートル前方で生じる空気の塊と、急激な膨張によって巻き起こる衝撃波に流され、ジェフ・ベルはマスクに付いた思考型通信機を送信しながら歯ぎしりをした。


 音というものは水中に対して適性が高い。光は当然、嗅覚も水の循環の遅さから拡散は鈍く、味覚や触覚など論外だ。低周波であれば数百キロメートルにまでも探知可能で、しかも水中で発生した音は秒速千五百メートルと空気中の四倍強ものスピードで伝う。


 だが制限もある。音は媒体の温度によっても速さが変化し、深度によっての水温が違う場合、音の反射次第では届かない領域が生まれる。


 それをトランセンド・マン固有の認識能力で補う事こそが超越せし者にとっての水中戦の肝だが、


(それが、水中でいきなり爆発が起こるんです。直撃じゃなく、爆風でこっちを弱らせようって魂胆らしい。風じゃねえや、水流か)

『長期戦に持ち込ませるつもりだろうな。先程、空挺部隊が到着した。お前の位置なら後退している奴らを横撃出来るだろう』

(了解。ただ少しはハーフトラックや水陸両用車の気持ちくらい考えて下さいや)

『採用しているだけでも有り難く思え』


 中年男性の嘆きを込めた苦笑いに、上官の冷たく低い声もからかうように応じる。


(やっぱ俺がちょっかい出してやってる船から来てるらしいが、生憎届かねえ……)


 一方でベルの放つ音波は相手の艦を揺らす程度に留まっている。目的は反乱軍の艦隊を後退させ追い込む事だが、ベルの威力ではイマイチ決定打に欠けている事を本人は劣等感を抱いていた。


(能力も気になるな。現象自体は気化だろうが、エネリオンを作用させる際に水を無視出来るらしい。予め位置座標を入力して発現させるって方式か……)


 グボッ!──目の前に現れた膨れ上がる球体。マッハ四以上の衝撃波をもろに直撃し、ただでさえ水の壁によって霞んだ視界が更にぼやける。


(ったく、俺はガキに爆竹を突っ込まれて死ぬカエルじゃねえんだよ……)

『通信機切るのを忘れているぞ』

(現場の声も聞いて下せえってこった。指揮官の勲章をもぎ取って前線に立ちたまえ)


 からかいに対して不機嫌に鼻を鳴らすのがイヤホン越しに聞こえる。以降、超小型スピーカーにはノイズが流れるのみ。


 やむなくベルは遙か前方にうっすら見える黒い影から目を逸らし、右へ九十度、頭の前に腕を伸ばし開くように、同時に折り曲げた足のバネを戻し、僅かな魚影消えた海の中を掻く。






「むっ」

「どうした?」


 慌てたスペイン系女性の声。


 と、イザベルは着ているパーカーをおもむろに脱ぎ、更に下のホットパンツのジッパーを降ろし――偶々近くに居た男性の軍人二人が反射的に目を逸らす。


「おいおい何を……」

「逃げられた、追い掛ける!」


 反射的なイザベルの比較的低い叫び。二人は視界を阻む自分の手の指の隙間から恐る恐る覗く。


 姿を表したのは、紺色をベースに明るい青のラインや縁取りがアクセントとなっている、胸から股までを覆う、身体にフィットした目の細かい合成繊維製の競泳水着。


 細いウエストは引き締まり、一般的な女性以上はある豊かな胸と尻の柔らかみが強調されている。背中は大きく開いており、水着を身体に引き留める紐のみ。透き通った肌と鍛えられた背筋の凹凸が露わになっている。


 露出が高い服装にも関わらず、おもむろに屈伸や伸脚を始める。ただでさえ薄く生地が伸び、際どい鼠径部の陰影や筋肉質でスラリとした太腿が強調される。その光景を前に若い軍人は顔を赤くして明後日の方角を向いていた。


 直後、赤毛の女性はウエストポーチだけを身に着け、二、三歩助走を付け、艦の縁から大海原に向かってジャンプした。


「おおい待って……」


 せめて何かを訊こうかと声を掛けようとした時、イザベルと呼ばれていた女性は既に遠く、ポツンとした青い空間に着水するのが見えた。


「島の方だな、任せるしか無さそうだ。洗濯の手間が増えたな……」


 年配の軍人が脱ぎ捨てられたパーカーやショートパンツや靴を拾い集め、疲れたように嘆いた。


「……しかし、いつも服の下に水着を着てるのかな?」

「……」

「な、何でそんな目で見るんすか?!」

「いや、別に、人の趣味なんて多様だからな……」

「ちょっ、なんで目を逸らすんですか!」


 二十代後半程であろう兵士が、五歳くらいは若いと思われる兵士を白けた目で見る。想像以上に動転した後輩を見るなり、ニヤリ、と笑みを浮かべて「信じてくれ」と言わんばかりの視線を送る青二才をからかい始めるのだった。


 人影は遙か遠方、凄まじい勢いで生じる細い波跡と微かな白い泡が見えるが、やがてそれらも穏やかな波にかき消された。





















 昼下がりのロサンゼルス、反乱軍施設。


 軍というものは古来より統治の象徴であり、対立勢力に領域を占拠している事を示す事から、領地に住む市民の支配まで、その本質は暦が変わった現在でも変わらない。


 住民の統治は言うなれば警察機構であるが、反乱軍においては軍が警察を兼ねる。他にも消防や教育といった行政まで行い、一つの組織として強大な勢力を持つに至った。


 住民には税金的な意味合いを持つインフラ使用料や、治安維持の為の法律を課している。この法律を犯した罪人の更生や、刑事事件の捜査も彼らの役割だ。


 そして奥行き十メートルはある証拠品陳列室、三、四人の軍人が様々な銃器を折り畳み式長テーブルの上に並べていく姿があった。


「見ろよアダム、これ全部あいつらが持ってたんだぜ」

「静かにしてくれよ。触っては良いが、こちとら仕事なんだ」

「エンジニアは奥でひっそりしてろってか。こっちだってかわいい部下の教育もあるんだぜ。なあ、どれか欲しいのあるか?」


 「口が減らんな」と、馴れ馴れしい長めの茶髪の青年に対し迷彩柄が半分呆れていた。対する本人は何故か自慢気に、隣の頭一個分背が低い少年の肩を叩く。


「消耗品ばかりか」

「そりゃエネリオン使える人間の方がレアだからな。小銃なんて蚊に刺されるようなもんだが、五十口径、二十ミリとなってくると流石に石投げられるみてえに痛い。防御能力を集中すりゃ戦車の弾だって一発くらいは止められるが、吹っ飛んじまう。まあ力に翻弄されるなってこった」

「超能力使えるのに蚊には刺されるんだな」

「例えだっての」


 笑い声をBGMにしながら、列の一端に、手で掴むには丁度良い太さのサプレッサーが付いた自動拳銃。銃把の中指先端部分にあるマガジンリリースボタンを押すと、先端が針状になった太く短い弾薬が現れた。


「誘拐される前、これを撃ち込まれた」

「スタン弾か。超能力者にも効くんだな」

「電撃は一瞬だけだったが、その隙を突かれた。強力なコンデンサーが内蔵しているらしい」

「流石捕縛用ってところか。他にもソニックショットガンや拘束ワイヤー銃に……」

「おっ、そのショットガン俺にくれねえ?」


 バレルが切り詰められたショットガン型の銃を指しながら説明を加える兵士の前にリョウが立ち阻む。相手の少年は果たして話を聞いているのかは分からないが、少なくとも目は隣の行の刃物に移っていた。


「これは?」

「見ての通りのナイフだ。“俺達”用のな。これは投げるタイプみたいだが、普通に切る事も出来る。まだあるぞ。ほら手裏剣も……」


 気さくに青年が刃や短い棒状の武器を手に取り、聞きながらアダムはナイフの先端を見透かすように顔に近づけている。


 トランセンド・マン専用武器は彼らの脳と同様、エネリオンを特定のエネルギーに変換させるという役割を持つが、そのために材料は人工的なニューロンを用い、構造も彼らの脳神経を模している。


 それでもトランセンド・マンにとっては、脳の機能拡張する為の部品という存在に過ぎない。というのも、それら武器はエネリオン変換の為のプログラムは持っていても、エネリオンを吸収・放出するプロセスを持たない。


 詰まるところの入力・出力さえ完成させられれば、トランセンド・マン無しでもそれらに戦力に匹敵し、かつ事実上の永久機関が完成する事になる。しかし現在争い合う二つの陣営では未だ出来上がっていない。


 理由については脳のみを模倣しても再現出来ない事から、人間の身体全体の構造やDNAを重視する説が有力だが、詳しくは不明である。


「中の回路も無事みたいだし、どうする? ナイフだけじゃ物足りなくないか? ロサンゼルスのニンジャになったって良い。デザインが不服なら作り直す事だって出来るぜ。良いツテがあるんだ」


 自分の事のように得意気な語り草の日系人だが、少年は変わらず無言で武器を観察しては聞く気なし。


 それどころか、返された言葉は想定外のものだった。


「これは何だ?」


 アダムは拳銃型のグリップに先端が針になった注射銃を左手に握り、そしてもう片手に転がした長さ三センチメートルばかりの透明な小瓶に注目していた。


 自分の話を吹っ飛ばされ少しのショックを覚えるも、リョウには少年の持つ物体に見覚えがあった。


「アルフレッドって親玉がコイツを刺して猛スピードで逃げていったな。今度会った時はフライドチキンにしてやる」


 愚痴をこぼしながら良く見ると、内部の液体はどれも同じく透明ではあるものの、それぞれ違った単語のラベルが貼り付けられてもいる。


「何かの薬物だろうが、医療班に見てもらうしか無さそうだ」

「チャックさん流石に過労死しないか心配だぜ」

「俺もオッサンになったらちゃんと休暇取れるのかな……」


 リョウが兵士達と共に力なく笑う。なりふり構わず、三十センチメートルのカーボン製警棒を二本、握っては回転させているアダムを見て、「俺にも選ばせてくれよ」と少年に並んで、細い紐に繋がれた二本の棒を掴んだ。尚、「おい、部下の教育って言ってなかった?」と軍人一人に指摘され、苦笑する事となったが。

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