4 : Believe

「ハン、今大丈夫か?」


 ビルの真ん中の階にある一つの部屋に入ってきたのは、アイルランド系の小太りな男性、チャックだった。


「良いですよ。僕も今ここに来たばっかりです」

「そうか、なら早速聞いてくれ」


 この軍医はまるで子供みたいに、面白い事を見つけたかのように、弾んだ声で喋り始めた。


「まずはこれを見てくれ」


 鞄から取り出したタブレット端末が、明るく画面を現わす。タップ――人の頭を形取る立体画像が出現した。


 これが何なのか見当も付かないハンは、首に手を当てた。


「ええとこれは……」

「説明する。トレバーが昨日の戦闘で見つけ、持ってきた死体の頭だ。DNAを調べたら『トランセンド・マン』に非常に近かった」


 胴体と切り取られた首から上の画像。指差したチャックは顔をしかめ、ハンも一瞬驚きを見せる。


「それで、何か見つかったんですか?」

「そうだ」


 短く答え、画面を触る指がせわしなくスライドする。やがて別の画像が現れた。


「見てくれ。血液中にこれだけ大量の薬剤が含まれていた。普通の人間が飲めば一発でアウトなものだ。頭部からは外科手術痕もあった。磁気透視してみたら……これだ」


 薬剤量を示すグラフ画面から一転、脳のスキャン画像と思しきCGに切り替わる――前頭葉の一部分に見える、直径一センチメートル程度の黒い領域。


「この黒い部分は何です? 脳の損傷個所ですか?」

「いいや、トレバーは見事に首だけ切断してそれ以外は何もしとらん。本当に良い腕だ……それで、これは金属反応だよ」

「金属? コンピューターでも埋め込んでいるんですか?」

「ご名答。それからトレバーの奴、あとこれと同じ奴を十五体も葬ったそうだ。そして、そのどれも一般的な『トランセンド・マン』に劣るものだったという。しかも、他の死体は勝手に燃え消えたそうだ。脳から身体へ情報が伝わらなかったんだろう。証拠隠滅のためだろうな。変な技術ばかりあるものだ……」

「足止めされたとは聞きましたが、これだったんですね。ですがコンピューターは何に? 制御にでも?」

「それもあるだろう。しかしこれを見てくれ」


 医者が、透明のケースに入った何か小さい物を、鞄から取り出した。掌に包まれて見えない。


 箱に入ったまま机の上に置き、説明し始める。それが一平方センチメートルのコンピューターチップである事を、ハンは見て分かった。


「これがその脳に埋め込まれていたものだ。生体電気によって動き、脳の働きを活性化させるのが主な用途らしい。他にもテレパシー通信やらデータ記録やらの機能もあるらしいが、大方はそれだな」

「活性化……この人物が『予備』だと考えるんですか?」

「その通り。人数では“我々”なんかより十倍以上も居るといわれてるからな。無理矢理能力を引き上げる事で貴重な戦力の代わりとでもするつもりなのだろうが、『管理軍』も無茶ばっかりしおって……」


 深刻な双方。声のボリュームが落ち込む。


「正直言ってこれ、侵入して得た情報なんかよりもよっぽど凄いですよ……」

「骨折り損だな……あ、いや、別に責めているつもりではなくてな、“指揮官殿”。きっと相手が悪かったんだ」

「大丈夫です。分かっていますよ。それに次の作戦の目途だって立っていますし」


 うっかり配慮を忘れ、申し訳なさそうに言ったチャックに対し、ハンの声は前を向いていた。


「それは結構。私からは以上だ。他に何かあるか?」

「あとはあの少年ですね。一応トレバーに任せているんですが……」

「さあ、我々が心配する必要は無いんじゃないか?」

「しかしトレバーは何も言ってくれないんですよね……」


 二人は天井を、見上げた――このビルの一番上で、少年がしごかれているのだろう。


「トレバーの教え方で分かるのかがまず問題ですね……」

「危うく殺されるんじゃないだろうな。ハ、ハハハ……」


 力ない笑いが部屋に広がった。


「わ、私はこの辺で。ちょっと用事がありまして」

「そ、そうか。時間取ってすまなかったな」


 ハンが我を取り戻したように手を振り、部屋のドアを開ける。振り向くと、医師も手を振り返して、青年を見送っていた。


 扉を閉め、廊下に出たハンは早足で移動し、同じビルの別な部屋へ。


 窓は無く、LED電球だけが部屋を照らしている。扉は廊下に面する一枚だけ。小規模な会議室程度の広さだった。


 部屋の最も奥にはモニター――ハンの手が触れる。パネルを指で叩き、画面が浮かび上がった。


「ドニー、忙しい時にごめん」

『構わんさ、大事な要件なのだろう』


 少し経ってモニターに映ったのは、黒人男性。肌の色と対照的な銀髪と、人類には稀な紫色の瞳が印象に残る。画面の人物は低く落ち着いた、柔らかな声で問い掛けた。


「じゃあ早速言おう。一応伝えてはいると思うけど、昨日『管理軍』の基地を強襲した時だが」

『続けてくれ』

「相手の戦力が予想の倍以上に多かったんだ。調べても出て来なかった機密を多く隠していた。簡単に言えば失敗だ」

『それでどうした? 要件を言ってくれ』


 ドニーと呼ばれた人物の声は冷たいが、非難する様子もない。東洋人は内心ホッと息をつき、話を再開した。


「詳しい情報はデータを送るよ。今ここで言いたいのは、戦力の追加を要請したいって事なんだ。向こうの情報が想定と違う以上、気は抜けない。向こうが近々攻めてくる可能性も少なくはない」

『成程、戦力の手配だな。『管理軍』の手が回ってこなさそうな地域に色々訊いておこう』

「ありがとう。でも今でなくて良いんだ。こちらに回す分を準備万端で用意してくれれば良い。向こう側をかえって警戒させるだろうし」

『分かった。何かあれば何時でも言ってくれ』

「頼もしいよ。それじゃあ……」


 ハンは首を曲げながら、分かれの挨拶をしようとした。


『ハン、何か言いたい事でもあるのか?』


 と、ドニー。「今日は見抜かれてばかりだな」と諦めたようにハンは頷き、口を開く。


「送ったデータにもあると思うが、『管理軍』の施設からある少年を拾ったんだ。記憶は無いが、向こうの重要機密に関わっているかもしれない。彼が原因で『管理軍』から攻撃される可能性もある」

『それでも、お前はその少年を見捨てないのだな?』


 重い声がスピーカー超えて響いた。一拍遅れ、ハン。


「ああ」

『お前はその少年を信じているのだな?』

「そうだ」

『知る事は正しい。だが注意しろ。気を付ければ我々の力にもなるだろう。いずれ私も彼に会ってみるとしよう』

「分かっているさ。君の力を借りる時は是非任せたよ」

『必要な時が来ればじきに』


 爽やかな笑顔で応じたアジア青年。画面の向こう側、黒人の堅実な顔も和らいだ。





















 ビル屋上のヘリポート。時々強い風が吹き付ける中、二つの影が競り合っていた。


 後方に吹き飛ばされたアダム。背が地に着き、後ろに転がってヘリポートの円を踏みながら立ち上がる。


(速い)


 円の反対側にはアラブ系の男性、トレバー。右手だけを前に出し、「来い」と手招き。


(どうすれば速くなる?)


 距離を詰め、素早く左ジャブ。トレバーの右手はそれを簡単に逸らした。


 止まらず、右フック、左ボディブロー、右裏拳、左肘――全部防がれる。


(どうすれば当たる?)


 続けて、右回し蹴り、左回し蹴り、右裏拳――どれも空振った。


 苦し紛れに右手でフックを打ち込もうとした少年。次の瞬間、トレバーの姿が沈んだ。


 アラブ人は迫り来る拳の下をくぐり抜けながら、右掌底が少年の頬をペシャリと打つ。


 よろめき、二、三歩後退するアダム。頭の中は混乱していた。


(どうすれば追い付く?)


 距離二メートル。漆黒の瞳は青い目を捉えて離さない――黒い瞳孔が光った。


 トレバーのターン。襲い掛かる連撃を前に、アダムには反撃の余地が無い。


 辛うじて、少年は顔面へ伸びるストレートを両手で掴む。腰を落とし、大きな腕を肩に掛け、後ろへ投げ飛ばした。


 宙を舞い一回転、反対側へ綺麗に着地した巨躯。振り向くと、目前に跳び蹴りが……


 トレバーが横へ一歩、蹴りを避け、宙を漂う無防備なアダムに向かって掌――ズドン!


 吹き飛び、背中から不時着。起き上がると反対側のヘリポートマークの端に居た。


(どうすれば避けられる?)


 音を立てず、ヘリポートの中心へ歩み寄る二者。後方では少女が風に髪を揺らしながら、ただ見守っていた。


(どうすれば同じ事が出来る?)


 既に互いの距離は三メートルにも満たなかった。


(どうすれば勝てる?)


 突如、トレバーの上半身が動いた――咄嗟に腕を頭へ。


「……」

「……」


 大人の足裏が、小柄な少年の胸の前で止まっていた。黙ったまま顔を見合わせる。


 黒く冷たい視線が青い目を見下ろす。対するアダムの青い目は、毛細血管が拡張した事によって赤みを帯びていた。


 トレバーが振り上げた蹴りを戻し、口を開いた。


「何故当たらないと思う? 何故避けられないと思う? 何故勝てないと思う?」


 平坦な問い掛け。


「……動きが速過ぎる」


 片や、息を上げるアダムは自身の考えが見通されている気分になり、動揺した。


「確かに、お前にとっては俺の動きは速いだろう。だが、俺にとっては当たり前に出来る事だ。その違いは何か」


 答えられない。知りたい。


「信じろ」

「……何をだ?」

「お前自身だ。お前はまだこの世界を疑っている。だから何事も考える。“信じるべきもの”を疑っている以上、進歩はしない」


 首を傾げる。トレバーはいつも通り冷静さを保っているが、一方で何かを伝えたいのか、声が大きくなっている気がした。


「考えるな」

「……考えずにどうすれば良い?」

「感じろ」

「……何を感じ取れば良い?」

「それはじき分かる。そうだと分かる瞬間が来る。囚われるな、そうすれば勝てる。疑いは消える」

「本当に勝てるのか? トレバーのように速くなれるのか?」

「それは少し違う」


 漠然とした話の内容のせいか、それとも時折吹く風のせいか、アダムが目をパチパチさせていた。


「お前が辿り着けるのは俺ではない、“お前”だ。何事も“己”に本質がある……まだ疑っているだろう」

「ああ、信じられない」

「“それ”はそこにある。“それ”が本当に分かった時、お前は信じる。それが真実だ」


 断言。トレバーは自分の台詞に絶対の自信を持っている。少なくとも、少年にとってはそうとしか思えない。


「まだやるぞ。俺を討て」


 それを聞き、アダムは構え直した。表情は動いていない、が、何かが違う。少なくとも目から血の気は引き、呼吸は安定している。


 それだけではない、表情が晴れている――階段に通じる屋上のドアの傍から眺め、何となく気付いたアンジュリーナは、嬉しそうにほほ笑んだ。

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