第73話 空を水、地は血に、いぬ駆ける

「……あんまり……詳しいこと、言いたくないんですけどね。」


 男達につけられたを見せたおれはシアンさんに近づき、


「わ、私……わた――」


 動揺し後ずさろうとする彼女のうなじと後頭部に手をのばして――


「―― んっ!? 」


 ―― 何かを言おうとしたその唇を、唇でもって黙らせた。



 お互い降り続く雨の中、びしょ濡れに濡れながらキスをして、

でも、彼女の体温身体をおれは熱く感じていた。



 こんなことをして、嫌われてしまったらどうしよう……


 なんて不安も感じていた。


 シアンさんは恐らく、これを思ってしまって、

おれと顔を合わせることができなかったんだろう。



 でも今は、こうするのが正しいと思っていたし、

そういうことを考えている場合でもないのもわかっていた。



 だから、おれは唇を離して、


「シアンさん、助けてください。」

「……」


 間近にある彼女の顔から巨大なミミズの魔物へと視線を向けた。


 魔物はまだ、赤紫の髪の人を相手にしているようだった。



「水の魔法で、奴を覆い尽くしてしまうこと……できますか? 」


 改めてシアンさんの顔を、目を見つめる。


 あの魔物をなんとかできるのは、もうシアンさんしかいない―― と。

シアンさんに任せるしかないと、おれは思ったんだ。



「……」


 シアンさんはおれの目をじっと見つめて、

真剣な表情で頷いてくれた。






 シアンは、後頭部や唇にソーマの体温を感じていた。

彼女は彼を、受け入れることも押し退けることもできずにいたが――



 どうして私は……今まで気づかなかったんでしょう……


 違う。


 気づこうと、知ろうとしていなかった……


 彼のことを知らず 気づかずに、

自分を嫌っているんだ って思い込んで……


 私は彼から逃げていた……


 勝手に好きになって、勝手に嫌いになって


 思い通りにしたいから押し倒して、

思い通りにならないから逃げ続けた。



 私は、彼の思いを無視して傷つけた。

でも、こんな私を彼は、好きだって言ってくれた。


 私は、彼の気持ちを知ろうとせずに逃げ続けた。

そんな私のために彼は、見せたくもないはずのを見せてくれた。


 首とお腹についた痣を見せる時、

彼の、その手が震えていたのがわかった。


 私に口づけをしてくれた時も、

手も唇も体も、震えていたのが伝わってきた。



 自分より背の低い彼。


 自分より戦う力もすべもない彼。



 だけど、初めて出会った時から彼はずっと、私に優しくしてくれていた。



 私は―― そんな彼の優しさに甘えていただけだったっ!!


 優しいから、私が何をしても受け入れてくれる。

力がないから、私が何をしても抗うことができない。


 彼の優しさに、私は甘えていたんだ……

彼の弱さに、私は甘えていたんだ……



 ―― シアンさん、助けてください。



 私は――



 ―― シアンは、ソーマの瞳をじっと見つめ返し、彼の言葉に頷いた。



 シアンが巨大な魔物へと視線を向け、

体をも向けると、ソーマはそっとシアンから離れた。


 シアンは深呼吸を複数回繰り返すと、

意識を魔物へ、魔法を扱うことへと集中させ、



「魔力よっ!! 」


 ―― 私は彼にっ!!


「集え雨雲、集え水よ!」


 ソーマさんに、そう言われてっ!!


「あるべき川へと、あるべき海へと!! 」


 何もしない、できないようなっ!!


「沈めて還せっ!! 海帰抱擁かいきほうよう!! 」


 ―― 『役立たず』じゃないっ!!



 彼への強い思いをも込めて、魔物へと魔法を放った。





 詠唱しているシアンさんの周囲に 白い粒子が浮かび上がり、

びしょ濡れだったおれ達の服や肌についた水分さえ巻き込んで、

シアンさんの放った水の球は降り続ける雨も、空に浮かぶ雨雲さえ飲み込んだ。


 おれ達が乗っていたミミズの体の水分も奪い取っていったため、

それはじんわりと空気が抜けていくゴム風船みたいにしぼんでいき、

おれ達はそのまま地上へと立つことになった。


 そして超巨大な魔物をも余裕で包み込んだ水の球は、

その中心が渦巻いており、ミミズの魔物は何もできずに巻き込まれていた。


 そして雑巾をしぼり、ねじ切るように、

巨大ミミズは水の塊の中で……うぇぇ……


 シアンさん凄ぇ……



「このまま、海に飛ばしちゃいますね。」


 魔物を見たままシアンさんの言葉に後に、

巨大な水の塊は山の向こうへと飛んでいった。


 しばらくして、

大きな水柱ができる音が遠くから微かに響いてきていた。



「いやー、凄いねぇ。」


 その間に赤紫の髪の人がこっちに戻ってきて、

暢気そうに言っていた。


「見事だった、そこの娘よ。」


 お爺さんも感心したように、シアンさんを褒めていた。


「そ、そんな……わ、私はただ……」


 晴天の 太陽のまぶしさの下、

二人に褒められてシアンさんは手や顔を左右に振って、照れていた。



「シアンさん。ありがとう。」


 そんな彼女におれは声を掛け、


「そ、ソーマさん……こちらこそ! 」


 シアンさんは笑顔で そう答えていた。


 彼女の長い髪は光に反射し、その光加減で、

空の青より色濃い海のような蒼さをしていた。


 やっぱり、シアンさんって綺麗だよな……



「う、ううん……」


 あ、ミザリーさんも目を覚ましたようだ。



 ミミズの巨大な魔物をなんとか倒して、

おれ達は一時の安らいだ時間を感じていたけど、



 遠くで、多数の犬の遠吠えが聞こえてきていた。





 街の東に現れた犬の魔物の群れは、

石壁を飛び越え、また壁伝いに回り込んで門を通り、

ノースァーマの街へ進入した。


 群れは街中を進みながら、崩れた建物の瓦礫や地面を掘り返し、


「た、助け―― ぎゃあっ!? 」

「うぅ……ぐわっ!? 」

「良かっ―― ひぃぃっ!? 」

「きゃああああぁぁっ!? 」


 まだ生きていた小型のミミズの魔物や人たちをツメで裂き、

牙で嚙み砕いて肉を食らい、次の獲物を探していた。



 そして血濡れた犬の魔物の群れは、

まだ街の中を進んで行っていた。





「屋敷に戻ろう。ジョンが心配していた。」


 周囲を見回していたバーントさんの言葉に、

シアンさんと向かい合うのをやめて、おれは頷いた。


 この街の状況で、屋敷が今どうなっているのかが心配だったから。



「戻るんだね。」

「え? うわっ!? 」


 背後から声を掛けられたと思ったら、

赤紫の髪の人にお姫様抱っこされていた。



 驚いて、まじまじと顔を見上げた。


 言ってることとかやってることがアレな感じだけど、

顔だけ見てたら美形ってやつだ。顔だけ見てたら。


「あはは、やっとこうすることができたよ。」


 そういって微笑む この人を見て、

おれは彼が、次に何を仕出かすか わからなくて不安だった。



 でも、おれ達を助けてくれたんだよな……



「あの……」

「何かな? 」

「屋敷の場所はわかります? 」

「わかるよ。」


 恐る恐る尋ねたけど、

この人はニコニコと笑顔で返事していた。


 それだけブリアン家って有名なのかな? それより……


「あの。」

「ん? 」

「助けてくれて、ありがとうございました。」

「……、……、そうするべきだと、思ったからね。」


 あれ? なんだろう……なんだか微妙な表情だけど、照れてるのかな?



「……」

「……」


 なんかごめん、シアンさんにバーントさん。

そんな不満そうにジッと見つめられても困るんだけど……

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