027 - コマンド

「いいかい、ケイト? 今のきみなら、ぼくより深くリネットに潜り込める可能性がある。ただし、無理は禁物だ。この分析の負荷は、おそらく、今ケイトが覚悟している以上のものとなる。そこだけは、くれぐれも注意してくれよ」

「分かったよ、博士。まあ、程よく頑張るさ」


 ケイトの頭部には目と耳を覆うデバイスが、手部にはケーブルに繋がれた手袋型のデバイスが装着されている。


 この装置を用いた際の負荷は、開発者の博士が身を以て知っている。

 博士がこの装置を最後に使用したのは、ailsという不正還元――町長の娘であるリサを治療するための―プログラムについて調査したときだ。

 最悪のシナリオを恐れていたあの時と同様、その懸念が当たっている現在も、悠長に調査を進められる状態ではない。

 疑似四次元分析以外の調査方法の場合、何か進展する頃には、少なく見積もっても数週間は経っているだろう。


 この分析方法を用いることで、自分以外の人間に多大な苦痛を味わわせるのは忍びないが、それでも状況を考えればこれが最善だと、博士は自分に言い聞かせた。


 装置の操作方法は丁寧に教えてある。特に、不慮の事態に陥った場合の離脱方法は念入りに教え込んだ。

 何でも卒なくこなすケイトは、すんなり操作に慣れたようだ。


「それじゃ、いくよ。準備はいいかい」

「OKだ。ダイブする」


 ケイトが、装置を通してリネットの海に潜る。

 そして、すぐさま実感した。

 チザキの葬儀のときにリネットに繋がった感覚とは、まるで別物であると。


 あの時は、五感を必要としなかった。自分の身体の中、おそらく複合人間としての要所に当たる部分が、自然とリネットに繋がった。

 だが、今はその真逆だ。

 膨大な情報量が、嵐のようにケイトの脳を打ち震わせる。


(キツイ……確かに、想像以上だ……っ!)

 激流に飲まれ、自分の意図と関係なく流されている事を自覚する。


(これじゃあ、駄目だ。何とか……しないと!)

 しかし、もがけばもがくほど、ケイトの脳はリネットの濁流に支配されていく。

 次第に、過去の記憶が呼び起こされる。フラッシュバックだ。それも痛烈な。

 貧乏を理由に友人を失った幼少期、家族を全員失った少年期、様々な記憶が掘り起こされていく。


(落ち着け! この記憶はおれのものじゃない! おれを造るために犠牲となった、死刑囚のものだ……)


 なおも濁流に飲まれ続けるケイトの腕に、温かい感触が伝わった。

 博士が腕を掴んでいるのだろう。リネットの荒々しい海に溺れているケイトを気遣って安心させるためか、もう止めろという意思表示か。


(おれは、まだ何も掴めていない。まだだ。まだ潜り続ける!)

 いつしかの博士と似た執念を抱きながら、ケイトは疑似四次元分析を進める。


 *** ****


 突然、情報の嵐が止んだ。まるで台風の目に足を踏み入れたようだ。

(脳がパンク……した、のか……?)


 おぼろげにケイトは勘繰るが、そうではないことを段々と自覚する。

 酩酊に近いほど処理能力が低下していた脳が、クリアになっていく爽快感を覚える。

 意識も鮮明になっていく。分析を始めてどれくらいの時間が経っているか定かではないが、体内の循環機能が正常に動作していく事も把握できる。


 そして、新たなる感覚。

 五感ではなく、身体の中の何かが呼応している。

 チザキの葬儀のときと同じだ。あの感覚に、また包まれている。


 静けさに包まれたケイトには、ある一つの場面が知覚できていた。

 どこかの建物内であり、部屋の扉は鉄格子であった。

(どこかの牢屋……、いや、これは第零次実験の!)

 うっすらと掛かっていた雲のようなものが視界から消え去ると、その場面は現れた。


 数年前の光景だが、そこに現れた一人の顔、その面影は馴染みあるものだった。

 鉄格子を挟み、廊下側に博士が、牢屋の中にヅィーがいた。

(博士に聞いた、昔話の一場面。ブレスシステムを破壊し収監されたヅィーを、博士が見つけた場面だ)


 博士は、天井のどこともつかぬ場所を見ながら、言葉を発していた。

 ヅィーに教えられながら、博士達がいる場所を秘匿エリアにするためのコマンドだ。ケイトにも、そのコマンドは明確に届いた。そして、

(コマンドの意味が……分かる……⁉)

 葬儀場でコンソールの文字列を理解できたときと同様に、リネットと繋がった今の自分にはシステムコマンドが理解できるようだ。


 博士はヅィーに教えられた通り、秘匿エリアを指定し実行するコマンドを発声し終わった。ケイトは、コマンド入力が終わったと思った。博士がそれまでに発したコマンドで、要望は満たされたからだ。


 しかし、ヅィーはなおも博士にコマンドを教える。博士はその通り、コマンドを発声する。

(……何を、しているんだ?)

 今のケイトは、コマンド自体の内容は理解できるだけに、目の前で行われている追加コマンドの必要性が理解できない。


(秘匿エリアの指定と、偽装データの仕込みだけじゃない……。あの時、ヅィーは、他のコマンドも博士に入力させていたんだ……!)

 追加のコマンドは、他のプログラムを呼び出すものだった。ケイトには、そこまでしか理解できない。呼び出したプログラムの内容を知ることまでは叶わない。


 博士のコマンド入力が終わる。

 それまで塀の中で静かにしていたヅィーが、急に元気になり博士に声を掛ける姿が見える。

 それが終わりの合図かのように、ケイトの意識はまた沈殿していく。

 五感以外でリネットに繋がることが出来なくなり、気付けば、またリネットの激流に飲み込まれていた。


 *** ****


 自分を呼ぶ声が聞こえる。

 ぼんやりと遠くから。次第に、くっきりと、近くから聞こえるようになった。

 ケイトは目を覚ます。

 目の前には博士とフィオナの顔があった。二人とも、緊張した面持ちだった。困惑と心配の表情に見える。


「はか……せ……」

「ケイト! よかった、目が覚めたか……」

 博士は深く、安堵の息を吐く。フィオナもその後ろで、喜びながら飛び跳ねている。

 ケイトはその時、自分は横たわる格好で、かろうじて博士に頭を抱えられているのだと気付いた。


「ケイト、無茶はするなとあれ程言ったじゃないか! なのに、ぶっ倒れるまで分析を止めないなんて……」

 ぼやけていた視界が少しずつ、現実にピントを合わせていく。いつもの場所、博士の仕事場である研究所だ。


「そうか……おれは、リネットの分析を……」そして、自分が見た光景を思い出し、「そうだ、博士! あのコマンドには続きがあったんだ!」と叫んだ。


 博士の表情がキョトンとしたものに変わる。

「何のコマンドの事を言ってるんだい?」

「博士が牢屋の前でヅィーに教えられながら入力したコマンドだよ! あのコマンドは、秘匿エリアの指定と、偽装データの仕込みだけじゃなかったんだ!」


 それを聞いた博士の目の色が変わる。

「本当かい、ケイト。何故そんなことが分か――いや、今の君なら可能か……で、どんなコマンドを、ヅィーはぼくに入力させたんだい?」

「何か、他のプログラムを呼び出すものだった。そのプログラムがどういったものかまでは分からなかったが」


 ケイトは、あの当時博士が発生したコマンドを復唱してみせた。博士はそのコマンドをいつも手首に着けているデバイスに録音させた。


「今のぼくだったら、前半部分、秘匿エリアと偽装データについては理解できるけど、それでも後半部分はさっぱりだね。このコマンドが、別のプログラムを呼び出すものだとさえ、一度聞いただけじゃ分からない。でも、あのヅィーが、意味のないことをするとも思えない。しかも、自分が牢屋に収監されている状況でだ。きっと、何かあるはずだ」


 博士はケイトの背中を叩く。

「ケイト、よくやってくれた!」

 身体がよろめく程の、力強い賞賛だった。

「だが、博士。何のプログラムを呼び出したのかは、さっぱりだぜ」


「それもそうだ。だけど、ここから先は――」

 博士が、分析用のデバイスを装着し始める。

「本職のぼくに任せてくれ」

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