12.出会い

 ステルがアコーラ市にやってきて、二ヶ月が経った。


「ステル君、いつもありがとうね。助かるよ」

「いえ、お仕事ですから。これで最後ですね」


 林檎の詰まった箱を荷車から降ろしながら、ステルは気楽にそう返事をした。

 それなりに重い箱を小柄なステルが運ぶのを見て、小太りでひげ面のおじさんが感心しながら言う。


「しっかし、いつ見ても驚くよ。そんな華奢なのに力があるねぇ」

「こう見えて冒険者になる前は狩人でしたから」

「それも北部のねぇ。強いわけだよ」


 このおじさんはステルの下宿先近くの商店街に店を構えている人物である。

 雑貨屋や武器屋など、いくつかの店を経営するやり手の店主だ。

 ステルは彼と一月前の仕事で出会った。

 珍しい品を仕入れるため街を出るので、馬車の護衛を募集していたのでその依頼を受けた時のことだ。

 護衛はステルを含めて三人。ステル以外は八級の冒険者だった。


 経路は街道。アコーラ市から西に行った、やや山沿いを行くことになった。

 街道の治安は比較的良く、護衛も念のための気休め程度とのことで、十級のステルでも仕事にありつくことが


できたのだ。


 安全なはずの道行きだが、運の悪い事に雨が続いた。

 おかげでアコーラ市に戻る時期が遅れてしまった。

 そのことに店主は焦り、夜の街道を行く事を主張。


 ステル達冒険者は反対した。

 既に現在地は市街地から遠く、森の近くを通るルートだったからだ。

 夜の森は何があるかわからない。そこを大量の荷物を持っての移動は危険という常識的な意見だった。

 しかし、依頼主の店主は意志を曲げず、夜の行軍は強行された。


 人里離れた街道であっても街灯はある。

 おかげで完全な暗闇に怯える事は無かったが、人の住まない森は不気味に佇み一行を迎え入れた。

 そして案の定、ことは起こった。

 あと少しで森を抜けるというところで狼に襲われたのである。


 そこで活躍したのがステルだ。

 彼にとって魔物でも無い野生の獣など、怖れるほどのものではない。

 荷台で静かに瞑想していたステルは、狼の気配を最初に察知し、手に持った投げ矢を投擲。

 一投一殺。森から飛び出して来た狼達は次々と絶命した。

 十頭あまりの群れだったが、最初に出鼻をくじいたのが幸いし、あっさりと冒険者達に狩られることになった。


 ステルは同行の冒険者と店主から大いに評価された。

 特に店主からの感謝の念は強く、その後もちょっとした仕事を振ってくれるようになった。

  店主自身、命の危機にさらされて以来、前よりも物腰が柔らかく、慎重になった気もする。


「そうだ。ステル君、これもってきな」


 笑顔で言うと店主は手近な袋の中に林檎を入れてくれた。

 大きくて色も良い高級品種だ。


「いいんですか?」


 驚くステルに、店主は楽しそうに笑いながら返す。


「いいともさ。うちは繁盛してるしね。また頼むよ」

「あ、ありがとうございます。そうだ、報告書を」

「はいよ」


 ステルが書類を出すと、店主は近くにあったペンを使ってサインを書いた。

 これは冒険者協会に提出する報告書だ。

 依頼人のサインを貰って協会受付に提出することで、仕事は完了となり、報酬が支払われる。


「ありがとうございました」


 報告書を確認すると、ぺこりと礼をして、ステルはその場を後にした。

 仕事は無事に完了だ。

 現在時刻は午後三時。報告は明日でもいい。


 すぐに帰らなくてもいいよね。


 そんなわけで、ステルは別件を片づける事にした。


 アコーラ市に来て二ヶ月。

 季節は春から夏に移り変わる気配を見せている。

 ステルも都会に慣れてきて、ようやく生活が落ちつき始めていた。


     ◯◯◯


 一時間後、ステルは王立学院の敷地内にいた。

 アコーラ市内の移動にも慣れてきた。

 今では馬車を使わずに建物の隙間を縫って移動するなど、ステルなりの近道を生み出したりもしている。


 おかげで下宿から二時間かかる学院までの道のりを半分に短縮できている。

 実は自分の足だけで行けば更に時間を短縮できるのだが、それは目立つので自重していたりする。


 ステルはいつもの格好に茶色い鞄を持って歩いていた。

 鞄の中身は本である。

 ベルフ教授の研究室から帰るところである。

 最初の依頼を受けて以来、教授には懇意にして貰っていている。

 この鞄も学科の余りを頂いた物で、中には借りた本が入っている。


 きっかけは教授の書いた学術書を渡されたことだ。

 端的に言うと、内容が難しすぎてステルには読めなかったのだ。

 それを見た教授が気をつかい、学生などに頼んで読みやすい本を見つけてくれるようになったのだ。

 本好きなステルにとってありがたい話で、週一回はこうして学院を訪れるようになった。


 目的を果たしたステルだが今日はちょっとばかり寄り道することにした。

 行き先は魔導科の屋外演習場だ。


 魔導科は王立学院で最も大きな学科である。

 校舎も敷地も最大規模で、実験などを行う屋外演習場も備えている。


 放課後になると屋外演習場は非常に賑やかだ。

 学生たちが日頃の学業の成果を披露するからである。


 学生ではないステルだが、屋外での実験を見るのを咎められることはない。

 ステル以外にも見物客が多いためである。

 魔導具好きの市民や学院の職員、他学科の学生たち、多くの人が好奇心をいっぱいにしてやってくるのが放課後のこの場所だった。


「おお、やってるやってる」


 ステルはちょっとした感動とともに屋外演習場を見渡した。

 今日もまた、この場所は賑やかだ。いいや、賑やかすぎるくらいだ。

 だだっ広い平らな土の地面だけの場所のそこかしこに人垣ができている。 

 人が人を呼び、軽食や飲み物の商売をしている者までいるほどだ。


「へぇ、今日はついにあれをやるんだ」


 最も人を集めているのは演習場の中央で大掛かりな装置を組んでいる一団だった。

 木製の小さな船を中心に学生達が何やら作業をしている。

 その船には翼があった。金属製で、塗装はされていない。銀の翼。表面をよく見ると魔法陣が描かれていることがわかる。

 人を乗せて運ぶための空飛ぶ船の魔導具なのだ。

 一週間ほど前から毎日この場所で学生が実験を行っているもので、ステルも注目していた。

 昨日までは調整として少し浮かぶ程度だったのだが、今日は実験のリーダーらしい学生が見物客に向かって声を張り上げていた。


「空を飛ぶというのは古代の魔法使いですら困難な技だったと言います。魔導具が発展した現代でも、未だに自由自在に空を飛んで人を運ぶ乗り物は実現していません。いつの日か人類が大空へ飛翔し、山を越え大陸の反対側まであっという間に到達する。そんな未来が来ることを願って僕たちは開発を続けています」


 メガネをかけた学生が熱弁をふるう。その背後では黙々と作業を続ける仲間たち。


 楽しそうでいいなぁ。


 それがステルの正直な気持ちだった。

 自分では絶対にたどり着けない場所で彼らは生きている。

 それが、ちょっと羨ましい。

 ステルは魔導具が大好きだが、あくまでも使う側でしかないのだ。


 生まれる場所が違えばあの中に僕も混ざっていたのかな。


 出店で買った白身魚のフライをミルクティーで流し込みながらそんなことを考える。


「準備ができたようです! 皆さん危険なので少々離れてください!」


 リーダーの学生がそう叫ぶと、仲間たちも見物客を遠くに離すように誘導を始めた。

 いよいよ実験が始まるらしい。


「先ほどは大げさなことを言いましたが、この船はそんな高くも遠くでも飛ぶことはできません。ちょっとこの練習場の上を数分飛べればいいなっていう程度です。風の魔法を利用して、空を飛ぶ魔導具なのですが、風を利用するだけでは人は鳥のように飛ぶことができないというのが現在の我々の研究結果なのです」


 ときたまこの場所に顔を出すようになって気づいたことだが、見物客を相手にする時、学生は難しい言葉を使わないことが多い。

 ちゃんとお客さんのことまで考えて説明してくれているのだ。

 これは周りの人が教えてくれたのだが、彼らが優秀であるのはもちろん、非常にノリがいいためにいつの間にかこうなったらしい。

 魔導科の学生さんはサービス精神が旺盛なのである。


「目標飛行時間は五分。高度は三メートル。ゆっくりとこの練習場の上空を旋回する予定です。それではカウントダウン!」


 学生が十からカウントを始めると、 周囲の見物客も一緒になって数を数える。

 場の熱気に増すにつれて徐々に大きくなる人々の声、ステルも一緒になって声を出した。


「三、二、一! フライト!!」


 リーダーの掛け声とともに、後ろの学生たちが船の近くにある魔導具を操作した。

 一瞬、小舟が魔力の光に包まれた。

 光の色は緑色。風の魔法だ。

 ギギギギというくぐもった音を立てて、ゆっくりと船がその場で上昇を始めた。


 おおっと見物客がどよめく。実験に関わった学生たちは固唾を呑んで船を見守る。

 船体から突き出した翼から緑色の光の飛沫を撒き散らしながら、小舟はゆっくりと上昇する。

 一定の高さに到達したところで機材を見ていた女学生が叫んだ。


「高度三メートルで停止しました!」

「よし、そのままゆっくり旋回をさせろ!!」


 リーダーの言葉通り、上空で留まっていた小舟がゆっくりと演習場の上で旋回を始める。

 速度も高度も大したことはないが、立派な飛行だった。


「このまま五分間飛行できれば実験は成功です!」


 言いながら懐中時計を出したリーダーの学生がそう叫ぶと、見物客が拍手を始めた。

 誰がどう見ても小舟の飛行は安定している。 これは成功したも同然だろう。

 ステルもそう思い、笑顔で拍手を送っていた。


 その時だった。


 いきなり、小舟の翼に何かがぶつかった。

 見物客のほとんどは何が起きたかわからなかった。

 しかし、ステルには見えた。

 きらめく風の魔法を放つ翼が吹き飛ばされる瞬間を。


 何らかの攻撃魔法の一撃を受けたのである。


「っ! 危ない!」


 空飛ぶ小舟は片翼を失いバランスを失っていた。このまま制御を失えば見物客に突っ込むかもしれない。

 どうにかすべく、ステルは立ち上がる。


「おい、今のは何だ! 残った一枚で制御できるか!」

「わかりません! なんとか立て直します!」

「とにかく高度を落とせ! 人には絶対ぶつけるな!」

「わかってます!!」


 学生たちはしっかり状況を把握し対処を始めていた。流石の優秀さだ。

 しかし状況が悪かった。 

 制御しきれなくなった小舟は見物客の一部に向かって滑空を始めていたのだ。


「こっちに来るぞ! 逃げろ!」

「落ち着け! ちゃんと逃げ場はある!」


 見物客の一部が慌てて逃げ惑う。このままでは大変なことになりかねない。


 魔導具を壊すのは嫌だけれど。


 心の中で小舟の破壊を決意するステル。横に置いてあった木剣を手に、小舟の方に向かうべく足に力を込めた。


 しかし、ステルが動く前に状況の方が動いた。


 それは、風の魔法だった。

 見物客に向かって突っ込もうとしていた小舟に強烈な風がぶち当たったのだ。

 まるで見えない巨人が手で押しているかのよな強力な風によって、小舟は速度を落とし進路を変え、誰もいない場所にゆっくりと着地した。


「た、助かった……のか?」

「な、なんだ? 今のも魔法? 誰かの魔導具か?」


 難を逃れた人々がそんな言葉を口にする。

 そんな中、ステルは目ざとく魔法の発射地点を見つけていた。


 そこにいたのは一人の少女だった。

 白に近い金髪を短めに切りそろえた快活そうな見た目の少女だ。


 身長はステルと同じくらいだろうか。その身に纏う白い鎧がとにかく目についた。

 正面から見ると優美な曲線を描く形状の上半身部分、その背中と肩の部分に四角い盛り上がりがある。更に腰回りとふくらはぎの部分も不自然に膨らんでいた。

 魔導具が仕込まれた鎧である。多分、身体能力を増強するとかそれ系だ。

 場所柄、魔導具を身に着けた学生は珍しくないが、完全武装はなかなか目にする機会は無い。


 ステルに遅れて、その場の何人かが少女に視線を向け始めた。「リリカだ」「ああ、リリカ・スワチカだぜ」という発言も聞き取れる。

 少女の名前だろう。有名人なのかもしれない。


 そんな周囲の反応を意に介さず、少女は口を開き声を上げた。


「あっちに翼を折った魔導具を使った連中がいるわ! 研究泥棒よ、捕まえるからみんなどいて!」


 そう叫ぶなり、少女は白い鎧の背中から緑色の魔力光を散らして、空へ舞い上がった。

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