ひとりぼっちの牡丹(3)
どんよりとした厚い雲がかかる空。ほかの季節ならば、人々を憂鬱にさせるものかもしれない。
けれど今は夏だから、照りつける太陽の光を遮る雲を好むのは、皆が同じだ。
エルネストもユウリも、同じ気持ちで今日の天気を歓迎できる。
彼女にはたしかに、人と違う部分がある。それでも彼女の先祖は、人と同じ部分を見つけて、人に寄り添って暮らしてきたはず。
だからユウリには、共有できるものがたくさんあることを忘れないでいてほしいと、エルネストは願う。
エルネストは紳士らしくステッキを手に取る。ユウリは帽子をしっかりとかぶり、傘を持って外に出た。
彼女の店がある細い路地を抜けて、通りまで歩けば、多くの店が立ち並ぶ場所に出る。
サイモンへの贈り物を選ぶだけならば、馬車に乗る必要もないだろう。
「サイモン殿がよろこびそうなもの、か」
妹からの贈り物なら、彼はなんでもよろこぶはずだ。だからといって、選ぶほうが妥協してはだめだ。
エルネストは、真剣にサイモンのことを考えてみた。
彼はヒノモト
ユウリは外を出歩くときにヒノモトの服を着ない。対して、彼は常に袴姿でいるらしい。外見がハイラント人そのものだから、せめて服装だけでも東国のものにして、妹を肯定したいのだろう。
「袴に合わせて似合うもの、なんていいな。懐中時計、かばん……うーん」
並んで歩きながら思案していると、隣を歩くユウリが笑っていることに気がつく。いつだったか、それを指摘したら笑うのをやめてしまった。今回は、絶対に指摘しないでおこうと、エルネストは彼女に気づかれないように、横目でチラチラと貴重な笑みを堪能した。
「帽子、なんてどうかな? ヒノモトではどういうのをかぶるのかな?」
単純に、サイモンが帽子をかぶっているところを見たことがないから、なんとなく言ってみただけだった。
「ヒノモトの帽子……? いいかもしれません。ヒノモトには西国のような帽子がなくて、たしか西国のものを真似した帽子が流行っていると聞きました」
東国のものが西国で流行るのと同様に、極東のヒノモトでも西国風のものが徐々に取り入れられているらしい。
街で見かけたら、十人中十人が振り返りそうな異国の衣装にハイラントの帽子が合うのか、エルネストにはわからない。けれどユウリがその提案に乗り気のようだから、きっと間違っていないのだろう。
「じゃあ、彼の袴に合わせても変じゃないってことかな?」
「はい」
「よし。帽子ならいい店を知っている。ここからそう遠くないし、行こうか!」
エルネストが手を差し出すと、一瞬ためらってから彼女がそっと手を絡めてくる。いつもより彼女が素直になっているのは、彼の気のせいではないはずだ。
会えない時間が長く、寂しい思いをさせたせいかもしれない。
§
暦のうえでは真夏の八月。けれど帽子屋に飾られている商品は、もう秋の装いとなっている。
女性用の帽子は、オリーブ色や葡萄色の落ち着いた色合いが人気だ。
男性用の帽子は、季節が移っても変わり映えしない。手にとって見てみると、素材が綿から羊毛へ変わっていた。
ユウリは、店内を一通り見て回ったあと、細かいチェック柄の帽子を手にする。
「普段使いなら、ハンチング帽でいいでしょうか?」
ハンチング帽はもともとは狩猟用の帽子で、かしこまった場所では使えない。けれど、街でかぶるには問題ないはずだし、なんとなく袴姿に合いそうだ。
浅くかぶる帽子だから、サイズを正確に把握できない状況では、無難な選択だった。エルネストが頷くと、ユウリが気恥ずかしそうに笑みを返す。
出会って以降、彼女がここまで素直なのははじめてだ。
エルネストは少しずつ、彼女からの信頼を得ていることを嬉しく感じる。けれど、それがほかの男性への贈り物選び、というのがなんとも微妙だった。
「あの椿の茶器を選んでくれたときも、君はそうやって一生懸命だったのかな?」
言った瞬間、ユウリの目がすっと細められた。エルネストは余計なことだとわかっていて、つい彼女の機嫌を損ねる言葉を口にする。
ユウリの機嫌は悪くなったが、彼は勝手に、無言を肯定の意味だと解釈した。
彼女はエルネストに背を向けて、いろいろな柄の帽子を手にとって比べていく。結局最初に手にしたチェックの帽子を買って、二人で店を出た。
「もしかしたら雨が降るかもしれないな」
魔女の店を出たときよりも雲が厚くなり、今にも雨が降り出しそうだ。
歩きはじめるとすぐに雨が降りだす。石畳の上にぽつり、ぽつり、と灰色のしみができていく。
エルネストは、買ったばかりの帽子の箱をユウリから預かり、上着で隠すようにしながら、雨粒から守る。
「急ごうか」
彼は彼女を気遣いながら、少し歩く速度をあげた。ちょうど昼食をとれそうな
「寒くはない? せっかくの贈り物が濡れたら大変だし、雨が止むまでのんびり食事にしよう」
店の大きな窓越しに空を眺めると、雲の動きがずいぶん速い。しばらく経てば、雨脚が弱まるだろう。
のんびりサンドイッチを食べて、食後に一杯のコーヒーを飲む。その頃には、もう雨が上がっていた。
エルネストは帰りも、魔女の店まで彼女をしっかりと送り届ける。
別れ際、ユウリはエルネストの袖をぎゅっと掴んだまま、なにかを言いよどむ。
「どうしたんだい?」
「……今日はありがとうございました。あの、また……来てくれますか?」
彼女が、次の約束を求めるのは、はじめてだった。
「もちろんだよ。でも、すまない。少しのあいだ忙しいんだ。
ユウリは同意の意味でこくんと頷く。けれど、エルネストにはその顔が不安そうに見えた。
「もし、なにかあったら伯爵邸に来なさい。……いいね?」
ユウリ本人の申告では
風邪をひいたときなど、突発的に喉が渇くことがあるのも、わかっている。
そういうときに、エルネストが側にいなかったら、彼女はどうするのだろうか。彼としては悪い予感しかしなかった。
「でも」
「君のところに行けないのは、一人暮らしの女性の家を、深夜に訪ねるのがまずいからであって、君が屋敷に来てくれたら少なくとも夜は会えるよ」
昼間ならいいとは言えないが、それがエルネストが勝手に定めた基準だった。
ユウリさえ怖がらずにいてくれるのなら、彼は今すぐにでも、二人の関係を先に進めていいと思っている。そのために準備は十分にしている。
深夜には訪ねないという規則は、ようするに彼が理性的でいられるかどうか、という基準でつくったものだ。
伯爵邸ならば使用人の目もあるわけだし、ギリギリよしとする。
そんな彼の胸の内など知らないユウリは、ただ戸惑って返事をしない。
「ユウリ殿? 約束を破ったらだめだよ?」
彼女を守るために、一方的に約束という言葉を口にして、エルネストは魔女の店を去る。
そのたった一週間後。なにかあったら伯爵邸……どころか、彼のほうが魔女の知恵を借りに来ることになろうとは、この時のエルネストはつゆほどにも考えていなかった。
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