ひとりぼっちの牡丹(1)
国王の執務室には、ロードリック二世のほかに無愛想な憲兵がいて、エルネストを出迎えた。
憲兵はエルネストの知っている人物で、デリック・コンクエストという名だ。階級は少佐、騎士階級出身で歳はエルネストより二つ上の二十九歳。身長は同じくらいだが、鍛え上げられた武人という印象だ。知っているといっても、直接会話をしたことはなく、ただ名前だけはなんとなく、という程度だった。
短い金髪に緑色の瞳のコンクエストは、感情を一切表にださない人間だ。はっきり言って、エルネストの苦手なタイプである。
「セルデン伯に、協力を願いたい」
顔も、声も、人になにかをお願いしている様子ではない。もしこれが私事だったら、エルネストは話すら聞かずに、断っていただろう。
「とある貴族の紳士クラブの内情を探ってほしい。違法賭博の入り口になっているとの情報を得ている」
コンクエストは相手の気持ちなどお構いなしに、淡々と説明を続ける。
紳士クラブというのは、上流階級の社交場で、政治や芸術について語り合う会員制の組織のことだ。
問題のクラブはグローヴズ侯爵が主催し、侯爵家の別邸で週に二度開かれている。そこで、違法な賭博に誘われたというたれ込みがあったのだ。
この国で賭博そのものは禁じられていないが、賭博場を経営するのなら、高い税を納める必要がある。また、個人的な集まりでカードゲームに多少の金品をかける行為も見逃されている。
どこまでが個人で、どこからか違法賭博なのか、そこは難しいところだ。けれど違法賭博場の場合、麻薬の売買など別の犯罪と深く結びついている場合が多く、憲兵としては、そちらを危険視していた。
問題の賭博には、紳士クラブの会員全員が関わっているのではないらしい。会員の中でも、一部の人間にしか入り込めない仕組みになっている、というところまでは調査済みだった。
力のある侯爵家の別邸に、無理やり踏み込んで証拠が出てこなかったら、責任を負う範囲が国王にまで及ぶ可能性がある。
だから、相当慎重な捜査が行われていた。
「違法賭博、ですか? それって憲兵の管轄ですよね? コンクエスト少佐?」
「証拠がないから踏み込めない。セルデン伯なら、内偵するのに適任だ」
つまりはこういうことだった。紳士クラブに入るためには、高い身分が必要だ。相手側に違法なことをしている認識があるのなら、憲兵の入会は警戒されてしまう。
理由もなく入会を拒否し続けると、なにかあるのではないかと疑われる。だからコンクエストはすでに会員になっているが、賭博の現場には遭遇できていない。
これ以上、憲兵や治安維持に関わる職務に就いている人間がクラブに通っても、無意味だった。そこでエルネストへの協力依頼、というわけだ。
「評価していただけるのは、嬉しいのですけどね」
「それは評価、なのか……?」
それまで見守っていた国王ロードリックが、あきれた表情で指摘する。若い頃からそばで仕える立場だったので、彼とエルネストの仲はかなり気安い。
「国王陛下、私をどういう者だとお考えで?」
自称忠臣のエルネストとしては、大変不満だ。毎日真面目に仕事に励み、女遊びもしない、紳士の中の紳士だと自負しているのだから。
「誘われたら、違法でも楽しそうならまぁいいか……と犯罪に手を染めそうな男」
「心外ですよ。私ほど真面目な男はいません」
「もちろん見た目と言動の話で、実際にはそうではないと知っているから、エルネストに声をかけたのだ」
「見た目と言動は、いい加減ってことじゃないですか!」
「まさか、自覚がないのか?」
「ありませんよ! コンクエスト少佐はどう思う?」
国王と臣、という関係ではあるが、二人は友人に近い間柄でもある。冗談の言い合いはいつものことで、たんなるコミュニケーションだ。
だというのに、コンクエストは二人のやり取りを見ながら無表情で、眉一つ動かさない。笑いの起こらない喜劇を演じている気分で、いたたまれない。
エルネストが、コンクエストに話題を振ると、彼は眉をひそめてしばらく考えたあと――――。
「知らん」
そう冷たく言い放ち、また無表情に戻る。
エルネストもロードリックも、この男が冗談の言えないつまらない人間だということをひしひしと感じていた。
二度と彼に冗談は言わないと、エルネストは決意したのだった。
§
密命により、違法賭博場の内偵をするためには、まずは紳士クラブの会員になることが大前提だ。クラブに入るには、力のある会員からの紹介と、入会金、そしてほかの会員からの賛同が必要だ。
まずは有力貴族の会員に、それとなく話しかけて、クラブの話題を口にさせることからはじまった。
面倒なのは、コンクエストとの関係を知られないために、彼とは別の人脈で接触をはからなければならないことだ。
もともとの人脈を駆使して、なんとか紳士クラブの潜入へのめどが立つまで、かなりの期間が必要だった。
密命のせいで忙しく、彼としてはめずらしく半月も魔女の店に行けなかった。
その間、二度ほど使用人のターラに手紙を持たせ、仕事が忙しいということだけはユウリに伝えている。
エルネストは愛情をこめて、便せん三枚にびっしりと文字を綴ったが、ユウリからの返事は素っ気ないものだった。言葉の代わりなのか、エルネストが好む
彼女と知り合ってから、伯爵邸でもシンカ国の茶を飲むようになり、東国の茶器の準備はある。いれ方も、ユウリから指導されたのに伯爵家で飲むといまいちだ。
伯爵家の使用人は優秀で真面目だから、おそらくエルネストの気持ちの問題なのだろう。
彼にとって、魔女の店の長いすに深く腰を下ろして、ユウリの表情の変化を愛でながら飲むお茶こそが、至高なのだった。
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