第25話
落ち着いてまともな話ができるまでに無駄な時間を費やしたけれど、ようやくこの銀髪の魔女さんからあれこれ教えていただけた。
このお姉様、なんと魔女だという。
で、この〈魔女〉ってのは、
「魔女というのは、生まれながらの魔法使いのことじゃ」
――だそうだ。七月先輩はこれまでそんな話なんてしてくれなかったけれど、魔術の世界にはまだまだ僕の知らないものがたくさんあるらしい。
「魔女とはつまり、魔導器なしに、己の肉体ひとつで自在に魔法を操れる種族のことじゃ。魔女は生まれつき体内に魔導器に相当する器官を備え、魔力をさながら血液のように循環させておる。まあ、ヒトが魔法を扱うにおいて、それが先天的か後天的か、程度の違いじゃが。そんな魔女がどういう歴史を歩んでいたかくらいなら、少年でも知っておろう?」
魔女というキーワードから連想されるイメージは様々だ。あるときはとんがり帽子と魔法の箒、そして使い魔たち。またあるときは鷲鼻の老婆と毒々しい液体で満たされた鍋。
共通点は、魔女が常に女性であることと、呪術めいていること。そして陰惨で血なまぐさいにおい。民衆からの弾圧の歴史は、魔女のイメージにどうしても付きまとう。
でもこの魔女さんは僕を助けてくれた。ぶっ飛んだ性格してるけど、美人だしイイ人だ。
「あのとき妾は、イ界でちぃと探し物をしておったのじゃ。そしたら異様な魔力の高まりを察知してな。突然の爆発に何事ぞとビルを登ってみれば、落ちてくる少年を見つけた」
「魔女さんにタイミングよく拾われたのは幸運だったけど、僕だけ屋上に不時着できたのも妙だな。先輩、どこで落っことしてきちゃったんだろ……ふたりとも気絶してたもんな」
先輩も魔術師だし、そもそもここはまだイ界だ。素人の僕が打ち身程度で済んだくらいだから、彼女もきっと無事なはず。
そう信じて、魔女さんと一緒にひとまず現実界へと戻ることにした。
現実界はいつの間にか夕暮れ時だった。
七月先輩が一向に電話に出ないので、「イ界でトラブルがあった。公園で合流しよう」ってメッセージ送信。
ここが一番ややこしいんだけど、七月絵穹がイ界に行ってる間の現実界側にも七月絵穹は存在する。だから現実界側の先輩と僕が会えば、たとえイ界で迷子になっていてもあっちの先輩を呼び戻せるって、魔女さんが教えてくれた。
手持無沙汰だった魔女さんのお腹がきゅうと鳴ったので、お礼にアイスクリームを奢った。今はこの人とふたりそれを食べながら、公園のベンチで先輩を待っている状態だ。
「遅いなあ、先輩。あんまり時間かかると、暗くなっちゃうな」
陽が落ちて先輩が猫になったら、ただでさえややこしい事態が余計にややこしくなる。
あれれ? よくよく考えてみれば、この魔女さんに猫化の解除方法を教えてもらうのが一番の近道なんじゃ。魔女というからには、魔術に関してはトップクラスの識者じゃない。
「ところで少年に聞きたいことがある」
「は、はい……なんでしょう?」
「イ界で異常な魔力の高まりを察知したと、最初に妾が言っておったろう? それと、原因不明の爆発現象についても」
こっちがあえて避けてきた話題なのに、その神妙な口振りに思わず背筋が伸びてしまう。
「あそこは元々コンビニがあった場所じゃ。そこで今日、警察沙汰があったとか。それが今は建物ごと跡形もなく消し飛んでおる。少年、何か情報を知っておらぬか?」
その言い方に、何故なのかゾクッとさせられた。
「い、いえ、僕たちはただ、謎の爆発に巻き込まれただけで……」
現実界で起こったトラック突入事故と、イ界で起こったファンタズマの自爆。どちらのコンビニも、破壊した犯人は僕たちじゃない。
すると魔女さん、自分のスマホの画面をこっちに見せてきた。今日起こった、量子崩壊のニュース記事だった。特異点の場所は――――
「そんな…………このコンビニって……」
その記事によれば、トラック突入事故があったあのコンビニを中心に量子崩壊が発生して、建物もろとも瓦解したらしい。事前に避難指示が出たらしく、被害者ゼロとある。
偶然にしても出来すぎだ。仕組まれた「罠」と、蟹型ファンタズマの自爆。そして現実界側で起こった量子崩壊。こんなの、繋がりがあるとしか思えないじゃないか。
「さて、ここで二つ目の質問じゃ。少年は、事故の被害者である魔女を見たか?」
二つ目の質問の意図がすぐには読めなかった。
被害者が魔女って、どういう意味なの。なんて答えていいのか迷って、無心に魔女さんの顔を見つめてしまう。
「その魔女は、名をジゼルという」
「えっ――――ジゼルさんが魔女、って……」
つられて反応してから、しまったと声を上げそうになった。てっきり女魔術師だとばかり思ってた例の留学生、ジゼル・クプランの正体が魔女だったなんて初耳だ。
「勿論、そやつも魔女ゆえに、ジゼルというのも人間社会で生活するための偽名じゃがの。にしても、やはり少年は可愛いのお。そして可愛い嘘つきじゃ」
別に後ろめたい気持ちはなかったのに、秘密を漏らしたみたいな罪悪感。にいとつり上がった魔女さんの唇を見てしまったら、誤解でもヘマした気持ちになるじゃない。
「いや、あの、僕は事故の被害者がジゼルさんだって聞いてただけで、嘘なんて……」
「ほお? じゃが、どこぞのド素人がイ界で余計な真似をしおったな。お陰で、妾が追っておった敵の尻尾をみすみす掴み損ねる羽目になったわ」
いやらしい笑みをこびり付かせて迫る彼女。何をどこまで知ってるのこの人。
僕を見据える魔女さんの瞳が、ただ淀みなく夕陽を照り返している。焼けるかの色を照り返す、銀の髪の毛。
銀……銀だって!?
「ジゼルは……魔女……。それじゃ、もしかしてあなたがそのジゼルさん……」
狙われた彼女は無事で、すぐ目の前にいたんだ。どうして気付かなかったんだろう。
「ふふん。まあ今さら構わぬ。妾は何も知らぬ少年を責めるほど器の小さき魔女ではない」
隣におとなしく腰掛けていた彼女が、こっちの股ぐらに手を差し込んできて、鼻先が僕の頬をかすめる。天敵に睨まれたみたいな息苦しさ。
「それよりも少年にはな、魔女のことをもっと、もっと知って欲しいんじゃ」
何も、言えなくなってしまった。
「魔女はな、希少で、そして常に孤独な種族じゃ。つがいがおらんのに、魔女は魔女からしか生まれぬ」
甘美かつ妖艶としか例えようのない香りが鼻腔をよぎる。線の細い銀髪の房が、僕の肩にしな垂れかかってくる。喉が厭な音を立てて蠕動する。
「だからの、魔女は常に恋と愛に飢えておる。妾たち魔女は"natural-born"の"lechery"なのじゃ――おっと、言葉の意味はおうちでこっそり検索するのじゃぞ? まあ要するにの、希少な種を確実に後世へと受け継がせるべく、妾たちは生まれながらにそういう性質を備えておるということなのじゃ」
僕と魔女さん、お互いの胸が合わさった。膨らみの主張がはっきりと伝わってくる。
「そう言えば少年よ、お主、
「…………ラキ……エラ……?」
途端、僕たちの呼吸が断ち切られた。
唇が、これまでに感じたことのない熱に塞がれた。強引に覆い被さってきた彼女の手が背をまさぐる。顎を細い指先で引き寄せられ、より深く、臓腑まで啄まれるように。
どれくらいの時間こうしていただろう。鼻息を感じて瞼を開ければ、いつの間にかベンチに横たわっていて、恍惚とした笑みを浮かべる魔女がこちらを見下ろしていた。
「そう。ジゼルでも
何が言いたいんだろう。明かせない秘密を平然と口にして、自分から初対面の他人にこうまで迫るなんて。まだお互い何も始まってやしないのに。
これは済んでしまったアクシデントだ。もはや追いつきそうにない理解を振り切り、上体を起こそうとする。でも彼女は人差し指で僕の唇を押さえ、そのままでいろと合図した。
「もう一つ、言い忘れておったが、魔女とは非常に狡猾な生き物なのじゃ」
「なんのつもりなの。いきなりキ……その、唇を奪うだなんて。僕は【魔女】さ――?!」
魔女、と発音した瞬間、舌に奇妙なざらつきを覚えた。続いて唇が焼けるような感触。
「――――ぐ――――あッッ?!」
炎が見えた気がした。燃えさかるような痛みが喉を走り、漏れ出てきた呻き声ごと、慌てて両手のひらで押さえ込む。
「よいか少年。今後、妾について他人に明かすことを禁ずる。【魔女】もNGワードじゃ。ゆめゆめ忘れるでないぞ?」
「あなた、いったい僕に…………なに…………を……した……」
ひりつく喉に爪を立て、必死に絞り出した声すら燃え滓のよう。
「なに、大したものではない。妾の真名を賭けた、ささやかな呪詛を進呈しただけじゃ」
呪詛、だって!? ならさっきのキスって、僕を陥れるものだったのか。
「がっかりせんでよいぞ? 此度の逢瀬を機に、妾と少年、二人だけの関係をより深く内密なものに変えるための契りじゃ。それに可愛い妾のことを迂闊に自慢されても、このギョーカイではあれこれ面倒が起こるのでな」
唇に押し当てられた魔女の指先は、まだ魔法みたいな熱を帯びたままで。けれどもどうにもならない。僕は一度ならず、二度までも罠にかかってしまったのだろうか。
「これ、そんな顔をするでない。妾のことを誰にも秘密にしていれば、なんの問題もなくこれまでどおりの人生を送れるぞ? 妾に対してよほど酷い裏切り方でもせぬ限り、その呪詛が少年を焼き殺すことはない。数ある呪詛のなかでもイージーモードな方じゃ」
そんなケタケタと笑うような代物なのか。じゃあ場合によっては死ぬってこと?
とにかく、こっちは気持ちが無茶苦茶に掻き乱された。キスだって初めてだったのに、そんな意味不明な呪いまで課せられたなんて。先輩にもなんて言い訳すればいいんだろう。
「さあて、妾もまだまだ食い足りぬ。そろそろおいとまするとしようかの」
ようやく僕から離れた彼女は、去り際に小さな黒い布切れみたいなものをこっちの胸元に押し当ててきた。でも今は声を出すことすら怖くて、首を傾げるくらいしかできない。
「そのハンカチは妾の連絡先代わりじゃ! 助けが必要になったときに開けてみるがよい」
全身の皮膚という皮膚に悪寒が走った。ハンカチと言ったけど、禍々しい刺繍やら複雑怪奇なフリルやらが施されていて、こいつもきっと呪術めいたアイテムなんだろう。迂闊に中を開けようものなら、どんな呪詛が発動するものやら。
「じゃあの、また近くに感動的な再会を果たすとしよう、妾が愛しき
虚をついて、魔女さんがもう一度こちらに顔を近付けてきた、その瞬間のことだ。
けたたましい着信音が僕のスマホから鳴り響く。振り返るともう、魔女の姿はなかった。
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