第19話

 事件は、ファミレスからの帰り道で起こった。


「先輩、あれ。警察だ」


 ついでに立ち寄るつもりだったコンビニがすごい人だかりで、道路側に赤色灯を付けたパトカーが何台も停まっていた。


「何かあったのかしら」


「ひょっとして、店内に入れない状態だったりとか」


 それは困る。コンビニで調達して帰るつもりだった先輩の晩ごはんがピンチなのでは。

 ギャラリーの間から向こうをのぞく。どうやら交通事故みたいだ。コンビニのガラス壁が粉々に砕け散っていて、店内の陳列棚もぐしゃぐしゃ。商品が床一面に散乱している。


「うわ、店の中までひどい状態だ」


「突っ込んだのは、あのトラックみたいね」


 駐車場にはレッカー車と、中破した配送トラックが停車していた。ドライバーの姿は既になく、代わりに警察官が店内やトラックをあれこれ調べている。実況見分ってやつかな。


「これじゃ晩ごはんの調達どころじゃなさそうだね、先輩。別のコンビニを探そう?」


 けど先輩、さっきからすごく真剣な目になって唐突な戦闘態勢。僕の肩に身を潜ませて、あっ、先輩の体温がむにっと……。


「ど、どしたの、先輩?」


 シッ、て口元に人差し指立てられちゃった。

 彼女の視線を恐る恐る追ってすぐに、僕にもそれらしき「犯人」を見つけられた。だって警察官の隣に立っていたのが、どっかで見覚えのある黒ずくめの学生服姿だったから。


「うわっ、あいつこの前の!」


 先輩や僕を撃とうとした例の他校生男子、二挺拳銃君だ。こっちに背中を向けているけど、ときおり見える横顔からして彼に間違いない。


「彼は九凪静夢。〈協会〉側の人間よ」


「ねえ先輩、その『きょうかい』ってのは何? あいつって神父か何かなの?」


「こら。神様に礼拝する方の『教会』じゃないわ」


 おこられた。でも年上のおねーさんからのかわいい「こら」いただきました。


「正式名称は〈正央魔術協会〉。世界中の魔術師を束ね統率する国際的組織のことよ」


 くだんの九凪君はいかにも関係者らしき振る舞いで、立ち入り禁止テープの向こう側にいた。事故車両の前で警察の人たちと何かを話し合っているみたい。


「ふーん。『協会』の人たちって、国家権力にも顔パスなんだ……」


「わたしたちは共存してる、って言ったでしょう。イ界を知らない一般市民と同じ社会で平穏に生きていくには、誰かが魔術師たちに秩序を与え、正しく導いていかなければならない。その担い手が協会よ。当然、国家とも連携しているわ」


「先輩って、協会を信用していないものだとばかり思ってた」


「わたしも協会の必要性くらい理解しているわ。ただ、彼らを信用して組織の中に取り込まれるには、わたしの立場はあまりに心細すぎるのよ」


 言わんとしていることは、ぼんやりとだがわかる。空想を魔法に変えるなんていう突飛な魔術は魔術師業界では異端だろうし、それに空想魔術師の弟子は世界で僕ひとりだ。

 そういえば、あの九凪君はこっちをまるで無法者呼ばわりしてきた。秩序を守れとか、魔術師なんて辞めろとか、とにかく上から目線のオンパレード。しかも何発か撃たれたし。


「しかし、あいつめ。思い出したら、なんだかめちゃ怒れてきたぞっ」


 カッときたら、途端に汗ばんできて。

 そしたら急に先輩から手を繋がれてしまった。


「わわっ、いきなりどうしたの!? あ、ちょっと待ってって先輩――」


 あいつに見つかったのかと一瞬焦ったけれど、振り返ると九凪君は気付いた様子もなく。

 でもそのまま強引に人混みから引き離され、道路際まで連れて行かれる。


「――って、あの、七月……先輩?」


 先輩ってば、路上駐車していたパトカーに何の躊躇いもなく近づいていって、


「そこのあなた、今回の事故の真相をわたしに説明しなさい。一切の秘密抜きで」


「わーっ、ちょっと待った!」


 警察官相手にド直球の質問、しかもあからさまな命令口調だ。

 慌てて引き離そうと、先輩の二の腕を引っ張る。でも先輩ってば全く動じず、警官の目を真っ向から捉えたまま。

 そしたら、思いもよらぬ奇怪な問答が目の前でスタートした。


「今回の事故は、脇見運転によるものというのが、今のところの警察の見解です。あと、これはまだ調査中なんですが、ドライバーの違法薬物使用の線も洗っている段階でして」


「ドラッグ……加害者の精神状態が普通じゃなかったということかしら。加害者は何者?」


「当人が意識不明の重体となっているため、容疑者の名前は不明。運送会社の契約ドライバーのリストから身元確認中ですが、詳細は彼の回復を待っている状態です」


「事故の被害者についてはどうかしら?」


「被害者は一名。ちょうど店内窓際にいた女性客が追突に巻き込まれています」


 僕は唖然として、彼女らの異様なやり取りの観客と化していた。


「女性……まさか、やはりそうなのね。その女性は今どこに? 彼女の怪我の度合いは?」


 まるで探偵みたいに、先輩がさらに突っ込んだ問いかけをした。

 その直後のことだ。車のドアが閉まる、鈍い音が響いた。


「――――被害者はこのあたりに住んでる留学生だよ」


 続いてカツンと、硬い靴底が路面に打ち付けられる。凛とした、音程の高い女性の声。

 もう一台うしろのパトカーから、黒いパンツスーツ姿の成人女性が降り立った。


「留学生の名はジゼル・クプラン。事故に巻き込まれた際に軽傷を負っていたが、病院搬送中に姿を消してる。それもな」


 女性は不敵な笑みを口元に浮かべ、腕組みしたままコツコツとこちらへと近づいてきた。

 二十代後半くらいの、漂わせる威圧感が不似合いな、かなり小柄な女性だった。

 猫科を思わせる目つきが品定めするように射止めてくる。後ろめたいことなんてないはずなのに、肉食動物にでも睨まれたようで、この人から一瞬たりとも目を逸らせない。


「あまり褒められた振る舞いじゃないな、お嬢ちゃん。そうやって何も知らない一般人に魔術をかけるのも『暴力』と言うのだよ。それとも、我々にバレないとでも思ったのか?」


 しばらく席を外してくれ。この女の人がそう言った途端、双方の間でポカンとしてた警官が、操られたみたいに戸惑いなく立ち去っていった。

 今の、まさか魔術を使ったんじゃないか。先輩も同じだ。警官に魔法をかけて秘密を喋らせた。

 この現実界でも、心になら魔法をかけられるって先輩が教えてくれた。イ界を行き来するのは肉体ではなく、意識だから。魔法がオカルトに例えられてきた所以だ。

 先輩は威圧に負けじと、相手を睨み返して言う。


「あなた何者。協会の人間よね」


「初めまして、かな。左内希梨佳さなえきりかという。協会日本支部の人間だよ」


 ということは、やはりこの人も魔術師だ。

 脱いだ上着を肩にかけると、先輩に一歩近づいて手を差し出す。握手を求めているらしいけど、どうあがいても手が届く位置じゃない。まるで先輩から協会に歩み寄れと煽るかの笑みが、彼女の顔満面にこびり付いていた。

 先輩は僕を押しのけ、左内と名乗った女の人に言い放った。


「答えなさい。ジゼルはどうなったの? 無事なの? 彼女は何に巻き込まれたの?」


「おやおや、これは予想外だ。お嬢ちゃんはジゼルと知り合いだったのか?」


 いいから答えなさい、と先輩が声を荒らげる。憤りというよりはむしろ、戸惑いや焦りみたいな衝動を抑えきれなくなっているような。先輩がここまで冷静さを欠くだなんて。

 でも左内さんは答えるつもりはないらしく、手を引っ込めると品定めの表情になった。


「うわっ、あんたら! なんでここにいんだよ」


 唐突に割り込んだ素っ頓狂な声。向こうにいたはずの九凪君が、左内さんに肩を並べる。


「あっはは、さて、なぜでしょう……」


 無言で牽制しあう女性たちの間に、さらに厄介な要素が投入されたこの構図。愛想よく苦笑してもしかめた九凪君の表情が和らぐでもなく、とにかくどうすんのこの状況。

 一方の左内さんはたたえた笑みを崩さずに、「行くよ」と九凪君に合図した。

 そっか、協会ってことは、当然ながらこの二人も知り合い同士なんだ。


「静夢から報告は受けている。お前たち、最近イ界で随分と騒ぎまわっているそうじゃないか」


 たち、って。やっぱり僕まで頭数に含まれてるし!


「まあ、それはいい。ひとつ忠告しておいてやろう。一連の襲撃事件の被害者には共通点がある。襲われたのは全員が女性だ。そして彼女らの誰もが魔術の関係者でもある」


 言っている意味が僕には呑み込めなかった。被害者の共通点とか、ただの事故じゃないような口ぶり。それに、被害者と面識があるみたいな先輩の素振りも気がかりで。

 怖い顔をしたまま押し黙ったままの先輩。左内さんはそれも意に介さずに背を向ける。


「あまり目立つ真似をすると、手痛いしっぺ返しを喰らうことになるぞ。お前も用心することだ、よ」


 そして切り揃えられたストレートの黒髪を振り払い、そのまま去って行った。


「あっ、ちょっと――待ってくださいよセンセ――」


 九凪君は一瞬だけこっちを睨み付けてから、慌てて左内さんのあとを追った。


「七月先輩…………」


 そのあとに、ぽつんと僕たち二人が取り残される格好になった。

 それに取り残されたというなら、この状況に放り込まれたばかりの僕の気持ちもだった。

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